30:波紋
テレビ局の内部というのはテロ対策としてわざと複雑に作られている。今回はまったく効果がなく、むしろ解放にきたはずの月奈を迷わせる結果となった。
「ああ、まったくもう!」
それでもくまなく局内を探し、個別に拉致されていた局員たちを解放していった。戦闘は起こらなかった。月命党員はすでに目的を達し、裏口から撤収していたのである。今度こそ無貌の仮面と決着をつけると意気込んでいた月奈は肩透かしをくらった格好になる。とはいえ、たいようテレビの解放という第一義的目的は達成されたのだった。
「いったいこれからどうなるのかしら」
月奈自身は無貌の仮面の演説になんの感銘も受けなかったが、ひょっとしたら感化される者もいるかもしれない。余の大半のルナティカンは抑圧された生活を送っている(月奈が例外すぎるのである)。そこから救われる蜘蛛の糸を垂らされた気持ちになったルナティカンがいないとは限らない。
それに、すでに月命党自体がすでに勢力を伸長しつつある。こういった大規模なテロを起こせたのも人員を確保したからにほかならない。それがさらに拡大すれば――もしかしたら月奈ひとりでは手の負えない相手になる可能性がある。
ともあれ、月奈はたいようテレビを出て所轄の警察署に向かった。そこには宇田が待機しているはずである。今回の件に関しては電話ではなく直接話さねばならないと思ったのだ。警察署の雰囲気は好きではなかったがしかたあるまい。
月奈と宇田は事情聴取室の一室を借りて顔を合わせた。
「ごくろうだった」
「物足りないわ。やはりあの仮面はあそこで捉えるべきだったのに」
「死人が最低限に収まっただけでも上々だ」
宇田は煙草に火を点けた。月奈を労わる言葉を紡いではいるが、その苦々しそうな表情からはまったく状況に納得いっていないことが感じられる。それは月奈も同様だった。
「月命党員は誰も確保できなかった。できればアジトを吐かせられる奴をひとりでも逮捕できればよかったのだが」
宇田は苛立たし気に煙草を灰皿に押し付け、それからすぐに二本目を灰にしようとかかった。
「ともあれ、これで月命党は公安監視対象のテロ組織になる。我々にとっての敵だと確定したわけだ。大々的に捜査できるようになったのは喜ばしいことだが……」
「ルナティカンが組織するテロ集団というのは前例がないってことよね」
「そういうことだ。超人ともいえるルナティカンが組織化すれば、我々では手の施しようがなくなるかもしれない」
「そういうことね」
「国も相当慌てている。宇浪野市が火の街になってしまうということだ。俺たちの街が……」
月奈は宇田が生まれも育ちも宇浪野市であることを知っている。その郷土愛は相当のもので、彼が異動されないのも上層部がそれを知っているかららしい。気持ちを慮ったのではなく、そのほうが仕事の能率が上がるだろうからというのが理由だが。
「……これは極秘情報だが、政府は陸自の投入まで考えているらしい」
「それは剣呑な話ね」
「それほどの脅威になりかねないというのが政府の見解という訳だ。だが俺はこの街が戦場になるのは気に食わない」
宇田は二本目の煙草も灰にした、取調室には紫煙が籠っている。煙草の臭いはあまり好きではなかったが、月奈は宇田の心を案じてなにも言わなかった。
「だが、この騒動が全国規模に広がるまでに鎮圧しなければならないというのは確かだ」
「そうね」
「だから、我々は早急に敵の頭を取るべきだ」
「無貌の仮面ね」
そうだ、と言って宇田は頷いた。
「そして、それができるのは月奈、きみしかいない。いつも苦労を掛けるな」
「いいわ。これは私のための戦いでもあるんだもの」
月奈は決然とそう言い放った。敵と分かれば容赦はしない。新秩序なんか作らせはしない。私にはそれができる。私にしかそれはできない。
「……私には守るべきものができたのだから」
月奈はそう結語した。
◇
世界は変わる。
大上段に立って宣った無貌の仮面の言葉通り、社会は確実に変容を始めた。彼の言葉は確かになにかに火を点けた。この世界の現状を快く思っていない者たちは月奈の想像以上に多かったのである。
全国各地でデモ活動が起こった。それは月命党を支持するものもあれば、彼らに反対するものもあった。確実に言えるのは、彼らの放送によって世論が大きく揺さぶられたということである。ルナティカン主導の新社会、という点はまだ大きく支持されてはいなかったが。ルナティカン犯罪を撲滅する存在として期待され始め、同時に犯罪を抑えられない現政府を無能と批判する声があがった。
そして月命党には大きくひとが集まり始めた。無貌の仮面に共鳴する者が現れ始めたのだ。しかも在野のルナティカンだけでなく、まだルナティカンになっていない一般人まで集った。それは正義感のためでもあれば、野心のためでもあった。一部の人間は自分の生命を厭わずに血を受け、ルナティカンに新生した。
そういった月命党の伸長に対して、政府の対応は後手に回った。政府首脳、そして官僚たちはこれが国家転覆規模のテロになるとはまだ思っていなかったのである。というより、ルナティカンの政治的蜂起、というものが誰も想像できなかったのだ。
宇浪野市では月命党員、及びそれに賛同する輩と警察の衝突が絶えなくなった。いっぽうで従来のルナティカン犯罪は急減した。月命党はただ暴力を好むだけのルナティカンをも吸収していたのである。市民は怯えながら生活していた。
無貌の仮面が開いたパンドラの箱。その底にあるものがなんなのか、それを知る者はどこにもいなかった。
◇
「まだ月命党の本拠地はつかめないの?」
あれ以来月奈は宇田と密に連絡を取り合っていたが、苛立ちは募るばかりだった。とにかくこのふざけた状況を少しでも早く終わらせたかったのだが、うまくいかない。
「すまない……各地のデモの鎮圧に手一杯で本格的な捜査にまでは手が回っていない状態なのだ」
「敵の居所さえ分かれば私が蹴散らしてやるのに」
「そうも言っていられないぞ。月命党の勢力は日々増している。いくらきみでも、たったひとりでは……」
事態は悪くなる一方だった。月奈自身、月命党の暴動鎮圧に何度か駆り出されているが、その頻度と規模はますます大きくなっている。そして無貌の仮面は表には出てこなくなった。警察も人員を強化しているが、相手にならないのが実情である。
「とにかく、なにか進展があればこちらから連絡する。それまできみは万全の状態を維持していてくれ」
まったく気に食わないことだらけである。テレビでもネットでも話題は月命党のことで持ちきりである。新たなるテロを警戒して色々な施設が一時閉鎖し、イベントも中止になっている。月奈はたいようテレビで奴らを潰しきれなかったことを悔やむよりほかなかった。
苺の通っている小学校も一時休校になっている。一日中彼女といられることは月奈にとって僥倖と言えなくもないのだが、当の苺が淋しそうなのに心が痛む。
「ねえ月奈。げつめいとうって悪者なの?」
苺は月奈に問うた。
「悪者に決まってるわよ」
「じゃあ悪者なら、どうしてひとが集まるの?」
「悪者と分かっていない馬鹿が集まっているの。いい、苺……いい機会だから教えておくね。自分が正義だと思っている奴ほどろくでもないものなのよ」
「でもあたしは月奈が正義の味方だと思ってるよ?」
「そんなものじゃない……私は決してそんなものじゃない」
そうだ。月奈に燻る憤りはもっぱらあの大上段に立った正義面っぷりなのだった。ひとりよがりの正義のためになにかを破壊、犠牲にすることなど到底許されることではない。ひとに許されることは自分と、自分の周りの幸福を守ることだけだ。
そうだ。月命党の登場は逆説的に月奈の生き方を明確にした。私は私の守るべきものを守る。それだけのことだ。
それゆえに彼らは潰さなければならない。
「苺、安心して。私がいる限り絶対にあなたを危険にはさせない」
「うん、信じてるよ、月奈」
彼女を悲しませることだけはあってはならない。それは同時に月奈の悲しみともなるだろう。月奈の決意は固かった。
不愉快なテレビニュースは消して、それから照明も豆電球だけにした。薄暗いオレンジの微かな灯りの中で、エアコンの音だけが妙に目立っている。その中で月奈は苺を抱き締めた。この柔らかみ、この温もり。それが月奈に無限大の力を与えてくれる。苺も小さい手をいっぱいに伸ばして月奈を抱き締め返した。世界には暴虐の渦が巻き起こっている。だがこの瞬間、この2人の間だけには確かな暖かさと平和があった。
「大好き、苺……なにがあってもあなたは絶対に手放さない」
「あたしも大好き。だから、なにがあっても月奈はあたしの隣にいてね」
そして唇を重ねる。それは月奈に新たなる戦いへの決意をもたらす甘いキスだった。




