29:周防月奈 vs 鍵屋宗一郎
月奈は月命党の放送を見て口をあんぐりとあけ、唖然とした。それから思わず声が漏れた。
「馬鹿じゃないの」
何度か顔を合わせた無貌の仮面がTVモニターの上に映っているのもそうだったが、その演説内容にどうにも非現実感を覚えるのだった。ルナティカンが新人類? 人々を導く? ――どう考えても荒唐無稽、馬鹿馬鹿しい話だ。
しかし現実はそうも言っていられない非常事態でもある。なにしろテレビ局がルナティカンの一党よってジャックされたのだ。月奈の知る限りでは最も大きい事件である。警察はこれを看過するはずはあるまい。だが月命党の規模はどれほどのものだろう。これだけ大きなことをしでかすのだから、それなりの組織を持っているに違いない。
案の定というか、すぐに宇田からの着信があった。
「月奈、放送は見たか?」
「見たわよ。ちょうどたいようテレビにチャンネルを合わせてたから」
宇田の声には、どうにか焦燥感を抑えようとことさら鎮めようとする意思が感じられた。それはそうだろう。これは警察の沽券にかかわる問題である。事件そのものもだが、無貌の仮面の演説は現体制に対する挑戦状のようなものだ。
「でも、なんでTVジャックなのよ。前時代的すぎない? このだれでもネットで放送配信できるこの時代に」
「ネットでの配信では結局のところ興味のある者しか見ないだろう。それではセンセーションを巻き起こすことなど不可能だ。テレビの力は未だに強いものだよ。それにTVジャックという事件性それ自体が話題をさらう」
「でも、たいようテレビなんて結局一地方放送局にすぎないじゃない」
「彼らは同時にネットで配信をしていた。それを見た面白半分の奴らがどんどんその動画を拡散している。そして中央キー局もこれをニュースにする。そこまでを考えてのテロなのだろう」
まったく不愉快なことだった。無貌の仮面の演説にはまるっきり賛同できなかった。そこには明らかな選民思想があったからだ。ルナティカンが選ばれし新人類などとは噴飯ものである。ルナティック症候群は死の病気である。彼らはそれに罹患して死んでいった人々のことを考えているのだろうか。
「ともかくこれではっきりした。月命党は我々の敵だ」
「そういうことね」
「出動を要請する。今すぐだ。いけるか?」
「もちろん」
「たいようテレビの場所は分かっているな」
あとは2、3の確認を終え、通話を切った。月奈の心には得も知れぬ怒りが灯っていた。その正体がなんなのかは分からないが、ともかく無性に苛々する。あの無貌の仮面――いちいち正義面をするあの男がムカついて仕方がないのだ。
潰すべし。
月奈は自室に戻って着替え、日本刀を携えた。そして精神集中する。怒りの力は暴力であり、集中を削ぐものでもある。必要なのは怒りを純然たる真っ直ぐな力に昇華させることだった。月奈はそれに慣れていた。月奈を最強足らしめているのはこの精神力にほかならない。
「よぅし」
いい感じに心が冷たくなってきた。いつも通りである。冷たい高揚。怜悧な剣。その時彼女は人々を畏怖させるルナティカン・ハンターになる。
だったのだが、リビングからバルコニーに出て飛び出そうとした時、具合悪く苺が自室から出ていたのである。これまでの経験から、この姿はあまり苺には見せるべきではないと思っていた。だが、無断で出て行く訳にもいかないのも確かではあった。
案の定、苺は月奈の姿、そして雰囲気を見てすこし怯えている。だが次の瞬間には気丈に微笑んだ。
「月奈、お仕事なんだね」
「ええ、ごめんね。結局のところ、私はこんな生き方しかできない」
「うん……分かってる。だからあたしもそんな月奈を支えたい」
なんといい子なのだろうと思った。この心、魂にこそ月奈は惚れたのだった。
月奈は一旦刀をソファに置き、そっと苺を抱き締めた。
「私は負けない。私はあなたを守る。絶対帰ってくる。だから待ってて」
「うん、待ってる」
月奈ははっきりと戦う理由が増えたことを確信していた。それは勇気を与えるものだった。
◇
昼までの猛吹雪が嘘のように止み、雲はまばらになって日光すら差し込んでいる。太陽の輝きが積雪に反射される眩しい光景を見ながら月奈は跳び続ける。たいようテレビの本局はポルトラントの中心部にある。月奈は自分の最大限の足を使ってそこに向かった。
たいようテレビのビル前では警察と月命党の戦闘が激化していた。警察は盾を構え、機関銃を一斉掃射しているが効果のほどはいまいちであるようだった。いっぽう月命党のルナティカンたちも銃を装備していた。そして入り口の前では横幅の広いがちがちの身体をした男が陣取っている。
「どけえッ!」
月奈は到着した勢いのままにその戦闘場面に乱入した。彼女の乱入は両者に混乱をきたした。しかしそれには構わず、月奈は月命党の戦闘員を次々と斬り伏せていく。鮮血が雪に滲んだ。警察は月奈の参戦を受けてゆっくりと後退していく。彼らの仕事は敵の打倒から包囲による逃走防止に変わった。
「死にたい奴からかかってこい!」
月命党員は連携した動きで複数人で囲むようにしたが、それでも月奈の速度には追い付かなかった。ひとり、またひとりと彼らは斃れていく。それでも戦意が落ちていなかったのは、まさに彼らが訓練されていた証拠なのだったが、結局はそれが命取りになった。
やがて月命党員の数少ない生き残りに動きの変化が出てきた。
「下がれ。お前たちには周防月奈には対応できん。中に戻って仮面たちの安全を確保しろ」
正門前で仁王立ちした男がそう指示した。残りの月命党員はそのままビルの中に去っていく。筋肉質の男だけがそこに残った。彼が戦闘部隊の指揮官であり――ひとりで月奈に挑もうとしているようだった。
「勇敢というよりは無謀ね。私にひとりで勝てると思っているの?」
「それは分からん。だが俺はこの時を心待ちにしていた」
月奈は少し警戒していた。明らかにほかの戦闘員とは一線を画した雰囲気を持っている。戦闘慣れをした男だ。迂闊には飛び込めない。月奈は自分の衝動を必死に抑えていた。
「心待ちにしていたって、どういう意味?」
「その前に自己紹介しておこうか。俺の名前は鍵屋宗一郎。これでも少しはルナティカン退治で名を売った男だ。お前ほどではないだろうが」
確かに、その名前には聞き覚えがあった。男――鍵屋の表情は決然としている。それは自信を持ったうえでの覚悟の顔だった。昔の侍はこうした顔をしていたのかもしれない。
「俺はずっと強敵を求めていた。血沸き肉躍る戦いを求めていた。それが今ここにあるのだ!」
「つまり、話し合いには応じないという訳ね。立派な脳筋だこと」
「能書きはここまででいいだろう。さあ、仕合おうか!」
と言うなり、鍵屋は先制を取って月奈にタックルを仕掛けた。月奈は一瞬の隙を突かれ、そのまま彼に組み伏せられる。マウントポジションを取った鍵屋はそのまま月奈の顔面に向けて鉄拳を振り下ろす――だが月奈は抑えられながらもそれを巧みに躱し、そして腰を勢いよく跳ねさせてその縛めを解く。今度は奇襲を受けないように警戒しながら距離を取るが、タックルを受けた時に手放した刀は回収できずにいる。
月奈は思わず舌打ちした。だが手ごたえのある強敵に逢った昂奮も隠せなかった。
スピードは互角のように思えた。そして相手は無手である。徒手空拳でルナティカンを殺せる力のある敵だということだ。
「さあ、もっと俺を愉しませてくれよぉッ!」
そして、鍵屋は月奈に輪をかけたような戦闘狂だった。闘争のための闘争を好む男。殺戮でもなく、破壊でもなく、誇りを賭けた決闘を愛する男だ。じつを言えば、月奈はそんな男が嫌いではなかった。だが、だからこそ倒す価値がある。
「いいでしょう。あなたの全力を以て掛かってきなさい。私はそれを完膚なきまでに打ちのめしてあげる」
「その意気やよし!」
再び鍵屋の突進。今度はタックルではなくラリアットだった。ほぼ一瞬の接近の間に月奈は少しだけ息を吸い、タイミングを合わせてそれを回避し、腕を搦め取るように横に身体をねじる、しかし鍵屋もそのまま拘束されるような男ではない。月奈の腕を躱して、そのまま立ち止まらずに距離を取る。そして強く踏ん張り、反転して距離を詰めた。得意の接近戦に持ち込もうという構え――そしてもっと重要なのは月奈に刀を回収させないことだった。
「そら、そらあぁぁァッ!」
鍵屋の怒涛のラッシュが始まった。だが月奈はそのすべてを涼しい顔でガードする。その中でずっと逆転の気配を窺っていた。相手の呼吸を読み始めていた。絶対に、どこかに隙は生まれる――月奈の戦闘のカン、おそらくは天性に備えられたカンがそう言っていた。
「――甘いッ!」
そのまさに針に糸を通すような間隙に、月奈は鍵屋の太い足に強烈なローキックを見舞った。鍵屋の体勢が一瞬だけ崩れた。そして月奈には一瞬だけあればよかった。彼女は後ろに跳び、そのまま愛刀を回収する。そして両手で構え、腰を落とす。
一撃で決める。
「勝った気でいるなよ!」
鍵屋はまたしても突撃した。腰を低く落とし、恐るべき瞬発力で両手を出してタックルを仕掛ける。月奈は――軽く前に跳び、その鍵屋の背に転がるようにして背後を取る、そして反転して剣を一閃、その刃は鍵屋の両足を刈り取った。
「ぐぅあッ!」
鍵屋は支えを失い、そのまま転がる。月奈はその転がった彼の首元に刀の切っ先を向けた。
「勝負ありね」
「恐ろしい……これが最強と謳われた力か。言葉もない。完敗だ」
鍵屋はいっそ清々しい顔をしていた。熱い戦いができれば勝ち負けはどうでもいい。自分の命すらも――そういった態度だった。
「あんたには恨みはないけど、これも仕事なの。ここで死んでもらう」
「ああ、負けた俺にはなんの悔いもない――だが、最後にひとつだけ頼みを聞いてくれるか」
「なに?」
そう言うと、鍵屋はポケットから鍵を取り出した。
「これは俺の家の鍵だ」
そうして自宅の住所まで述べる。
「うちにはコロって犬がいる。俺がいないと腹を空かせて死んじまう。お願いだ、俺の代わりにコロを飼ってくれないか?」
まったく意外な申し出に月奈は目を丸くさせた。しかし、しばしの逡巡の末に彼女はその鍵を受け取った。
「飼うかどうかは確約できない。里親を探すかもしれないわ。でも犬の命は保証しいてあげるわ」
「よかった、これで心残りはない。さあ、やれ」
すこしだけ罪悪感を覚えながらも――月奈は鍵屋の心臓に刀を突き刺した。それが戦いに生きた男へのせめてもの手向けだった。
「さようなら、心優しき武士……」
月奈はそう彼に言葉を捧げた。そしてたいようテレビの中に入っていくのだった。




