28:吹雪の乱
折角の日曜日だというのに朝から雪が降っている。それもただの雪ではなく猛吹雪だった。苺と恋人同士になれて初めての休日にこんなこととは。日頃の行いが悪いわけではないのにどういうことだろう。月奈は文字通り天を呪うしかなかった。
「それにしても、こんな雪なんて数年ぶりね」
バルコニーにもこんもりと雪が積もっている。暖房は相変わらずガンガンに利かせているが、その光景をみるとなんだか凍えるような気分になる。本当のところを言えば、月奈は雪が嫌いではなかった。たまの積雪でもあれば年甲斐もなくはしゃぐ性質の女である。しかしこれはやりすぎだ。それに本来あるはずだった苺とのデートも邪魔されて月奈は不満たらたらだった。
食材などは買い込んであるから問題ない。この天気では出掛ける気にもならないからそれは幸いだった。それで朝食から暖かいオニオンスープとトーストを作って身体は温めた。そして今はポテチをちびちび食べながらひとりでテレビをだらだらと見ている。
「ビールでも飲もうかしら……」
暇になるとアルコールの誘惑が襲ってくる。それは月奈の数ある欠点の内のひとつだった。どうにも呑兵衛なのである。まして、昼前からお酒を飲むことの背徳感は一入だ。これまでの、ひとりの月奈だったらすぐに欲望に飲まれていただろう。そしてそれが自分が勝ち得た自由だと誇りにすら思っていたかもしれない。
しかし、今の月奈には苺がいる。チューまでした恋人だが(月奈はなんども頭の中で恋人、恋人と繰り返しては悦に浸っていた)、同時に保護者であることも変わりない。そんな子供の苺に、みっともない大人の姿を見せることはできないのだ。
という訳で、月奈は耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、お酒の誘惑を断ち切った。ただしその代わりにノンアルコールビールを取り出した。
「あああ、溜まってるわー」
これだけ気持ちが漲っている時にこんな天候である。鬱屈しない方がおかしい。ソファに座ってだらだらしているのにも倦んで来て、筋トレをしたりシャドーボクシングなどもしてみたのだがまったく気持ちが発散されない。彼女が望んでいるのは苺とのふれあいだったからだ。
しかし、その苺は朝食を摂ったあと、ずっと自室に引きこもっている。、この天気、そして日曜日であるということを幸いにマンガの執筆に没頭しているらしい。そもそも外で活発に遊ぶ子ではないのだ。ともあれ、いかに月奈に不満があろうともそれを邪魔することはできない。
苺と恋人として付き合うことになったからには、彼女の思いは最優先にされるべきだと月奈は決心していた。月奈はほとんど少女に傅くくらいの勢いだった。苺の言うことはなんでも聞くし、なんでも与えてあげる。そんな気持ちだった――
「――ひょっとして、私ってマゾヒストだったのかしら」
少女に振り回されることに歓びを覚える月奈。そこには宇浪野市最強のルナティカン・ハンターの威厳は微塵も感じられない。ルナティカンはもちろん、普通の市井の人々すら畏怖させてきた自分がそんなことになっていると知られたらどうなることだろう――などということを想像して後ろ暗い愉悦を覚えるのだった。本当にマゾかもしれない。
「ま、それでもいいけどね」
苺がいれば無限の幸せが得られる。それだけははっきりしていたからだった。
月奈は再びソファに寝そべり、ノンアルビールとポテチの残りをやっつけに掛かった。そしてテレビを点ける。そんなにテレビが好きという訳でもないのだが、なにも考えずにノンビリしたいときはテレビを見るのが一番なのだ。そうして、いずれ苺もマンガを描くのに飽きてくるだろうから、リビングに戻ってきて、2人で……
「ぐふふふふ」
月奈は自分がとても気色悪い笑みを浮かべていることに気が付かなかった。
テレビのチャンネルは相変わらずたいようテレビに合わせていた。特に地元愛があるわけでもないのだが、全国ネットのテレビ番組よりはノンビリしていていいのである。そのたいようテレビでは、明らかに月奈とはまったく違う年齢層を狙った通販番組が終わり、お昼前のニュースが始まる頃だった。そういえばもうそんな時間か、と月奈は思った。
そろそろ昼食の準備だな、とキッチンに立とうとしたときにそれは起こった。
テレビが突然ブラックアウトした。故障か停電か、と思ったがほかの家電は元気に動いているし、テレビの電源ランプも点いたままだ。とすればなにかしらの放送事故か、と怪訝に思っていたところに再び画面が新しいものを映し出し――
そこで月奈は仰天した。
「たいようテレビは我々が占拠した! これより我々月命党の意志を全世界に伝える!」
そこに映ったのはあの無貌の仮面だった。
◇
たいようテレビ襲撃占拠計画。
それが鬼塚と無貌の仮面がずっと温めていた作戦だった。雌伏の時間は終わり、いよいよ彼らの思想、意志、行動を示す時だった。そのための人員も揃い、ついに月命党は決起したのである。
テレビ局の警備は堅かったが、ことさら厳重という訳でもなかった。ルナティカンの犯罪はほとんどが衝動的な暴動であり、計画されたテロということは想定されていなかったのだ。だから警察もそこにはあまり人員を配置していなかった。
「こういうのも平和ボケっていうんですかね」
「どうだかね」
ともあれ、鍵屋の指揮した戦闘部隊50人は一気にたいようテレビの本局に突入し、瞬く間に制圧した。もっと激しい戦闘が起きるものだと思っていたのだから、それは彼らにとっては拍子抜けのするものだった。
殺戮は最小限に抑えるように、というのが無貌の仮面の命令だった。心身ともに鍛えられた月命党員――もちろん、そのすべてがルナティカンである――はその命を忠実に守った。殺されたのは武装した警官だけだった。
先遣隊の制圧成功が確定したところで、鬼塚と無貌の仮面は悠然とテレビ局に入って行った。テレビ局員は全員が拉致されていた。
月命党員の中には元たいようテレビ局員がいて、複雑な局内部を指導者に案内した。そして放送を行うための局スタッフの一部を解放し、脅迫して生放送をさせたのである。
その前面に無貌の仮面が立った。
「改めて紹介させてもらいます。我々は世界の変革を望む者、月命党です」
放送が始まった。いや、無貌の仮面の演説が始まった。
「我々は長年ルナティカンと呼ばれ、差別され、虐げられ続けました。その反動としての犯罪、暴動の増加も諸兄らの知る通りであろうと思われます。しかしそれはすべて故なしの不幸なものでありました。それはすべて、昔に発生したルナティック症候群という天災がもたらした二次災害だったと言えましょう」
無貌の仮面は滔々と語り続ける。
「我々は改めて諸兄に問いたい。今ここに在る世界が正しいのか、と。そうではない! ルナティカンが生まれた世界というものはもう元には戻せない――しかし、もはや過去を懐かしむ時間も、現在を嘆く時間も終わらせるべきである! ルナティカンが虐げられない世界、非ルナティカンが犠牲にならない、この症候群が作り出した忌むべき世界に新秩序を築かねばならない!」
無貌の仮面の調子はどんどん上がっていく。その中身――霧島耀司にとっては本来苦手な舞台である。それを支えていたのは静かな情熱による使命感だった。
演説の内容は彼と鬼塚がずっと練り上げてきたものである。その鬼塚は自分の意志――革命への意志が走り始めたことを見ながら、ひとり感慨に耽っていた。だがこれは始まりに過ぎない。旧秩序を破壊し、無貌の仮面が先導する新世界に向けて――
「ここで我々はルナティカンと現在呼ばれている存在を再定義する! 我々は新生した人類、新人類である。我々には力がある――そして力を持つ者はそれを制御する責務委がある。この放送を見ている同胞諸君、どうかこれまでの自暴自棄な暴虐はこれまでにして欲しい。今ここから、我々は虐げられるのを止め、新たなる世界を指導するものとして生まれ変わる! そう、我々は選ばれたのだ――新世界を創るための指導者として!」
この演説がどれほどの効果を生むのかは分からなかった。しかし世界は確実に今のままではいられなくなるはずだ。鬼塚も無貌の仮面もそう確信していた。いや、そうでなければならない。今の世界は限界に近付いている。その前になんとかしなければならない。彼らには狂乱と言えるほどの使命感を帯びていた。
「同胞諸君! そして旧人類にも願う! 我々月命党が無軌道な力の奔流を正しい道に導くための戦いに参加して欲しい。不幸の連鎖は今日を以て終わらせなければならないのです! いや、積極的に参加しなくてもいい、ただ皆の気付きが世界を変える――そのために私は革命のための犠牲となろう! 新人類が導く社会の先鋒として」
そして、無貌の仮面は一拍置いて静かに言った。
「世界は変わる」




