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25:恋





 レズでロリコンだなんて愚かしい。罪深い。度し難い。救い難い。


 だが一度意識してしまうと苺の笑顔がとても眩しく見える。腰を抱かれ、伝わる熱に甘いものを感じる。制御できない。理性が失われていく。月奈の目線はあちこちに飛びながら、しかし最終的には苺の顔に行ってしまう。


「え、ええと、学校楽しかった? 苺」

「うん、今日も楽しかったよ」

「それはよかったね」


 2人は手を繋ぐ。苺の小さなお手手がとても愛おしく思える。月奈は自分が震えているのが分かった。動揺を悟られなくないと思った。だが、いっそバレて気が楽になることもどこかで期待していた。


 問題は苺が子供であることだった――これがちゃんとした大人だったら、相手が女だとしてもここまで動揺はしなかっただろう。しかしこれは犯罪的である。しかも客観的に見れば彼女の弱みにつけこんで、半ば強引に匿った相手とも言える。


 これまでは苺への愛は保護者的目線であると思っていた。それだって今もある。苺を健やかに育てるのは自分の責務、使命だと思っている。しかし、だがしかし、ひとりの女として意識した苺は――とてつもない魔力を持っているように感じる。


 月奈は朦朧としていて、自分がどこに進んでいるかも分かっていない。むしろ苺が彼女を先導していた。この時間が早く終わって欲しいという気持ちと、ずっと続いて欲しいという気持ちがせめぎ合っていた。


「今日の月奈、ちょっとヘン」

「そ、そうかしら」

「そうだよ。いつもの月奈はもっと堂々としてるもん」


 苺は少し淋しそうな顔をしていた。どうしてそんな顔をするのか分からなかった。だが、そんな顔を見たくないということだけは分かっていた。いったいどうすればいいのか。心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。目の前がくらくらする。平静でいられない。真冬だというのに汗が出てくる。相変わらずボンヤリとした顔に、少し怪訝な色を混ぜた苺の顔を直視できない。いや、見ているのだが視線が定まらない。


「あたしはカッコいい月奈が好きなの」

「私、カッコよくない?」

「うーん……」


 そんなことを言われたので、月奈はキリっとした顔をしてみせた。だが自分でもなんとなく不自然な気持ちは残った。なんということだろう。いつでも自由気まま、自然体にしていた私がこんな子供に弄ばれている。そして相手は弄んでいるという意識すらないのだ。


「ど、どうかしら」

「まだちょっとヘン」


 しかし、格好いい自分が好きなのだと言われたら、そう振る舞うしかない。そのためには少し間を置く必要があると思った。そもそもこんな気持ちになったのは桜乃に煽られたせいだ。時を置けば少しは落ち着くはずだった。


 だが、もはや月奈は自分の心に嘘は吐けない。


 月奈はふと足を止めた。繋いでいた苺と自分の腕がぴんと伸びて、苺は振り向いてきょとんとした顔をしていた。寒風が吹いた。冷たい空気が頬を撫でたが、火照った身体はそんなものでは冷ましてくれそうになかった。


「どうしたの、月奈。早く帰ろうよ。寒いよ」

「……私、まだ帰りたくないな……」

「ホントにどうしたの? 月奈、どこか調子悪い?」


 あなたのせいだ、とはとても言えない。苺はただ不穏な様子を見せる親代わりのひとに怪訝な表情を見せていた。


「大丈夫、だいじょぶ。でも私も神様じゃないんだから。そういう日もあるわ」

「そうだね……いつでも元気じゃ疲れるもんね」

「元気は元気なのよ、ただ……」

「また昔のことを思い出してるの?」

「そういう訳じゃない」


 話している内に少しずつ落ち着いてくる。だがその落ち着きが、むしろ心の中心にある恋の温かみをより際立たせる。それが身体の芯を熱くさせる。そして繋いでいる手。すべてが初めての体験だった。桜乃は恋それ自体が幸せなものだと言った。そうかもしれない――月奈は惑いながらも素晴らしい瞬間だと感じていた。


「仕方ないなあ」


 苺は大人びたように肩を竦めた。それは月奈の真似でもあり、彼女は得意そうな顔をしていた。


 そんな感じで、2人は帰る前に「ミエスク」に寄った。月奈にとっては今日二度目の来店だった。


「やあ、今度は苺ちゃんとかい。さっきの女性はとても美しかったね」

「月奈、さっきも来たの? 女性って……」

「桜乃さんに誘われたの。苺が下校するまで暇だったから」


 そういうことを言うと、何故か苺は拗ねた顔を見せた。


「月奈、ずるい」

「なにがずるいの?」

「だって、ガッコのあたしを置いて、そんな楽しいこと……」


 それから苺は打って変わってしゅんとした。


「ごめんね」

「ううん、いいの。月奈はオトナだもんね、自由だもんね」


 どうにも苺の感情がつかめないと思ったまま時間が過ぎていく。こんなもどかしい気持ちは初めてだった。苺のことはなんでも知りたいと思った。苺はまたメロンクリームソーダを頼んでいた。そういえば前、何気なく恋人飲みをしたはずだ。その時はなにも思っていなかったが、あの時すでに自分は苺を好きになっていたのかもしれない。そしてそう意識すると前の自分の行動がとても恥ずかしく思えてきた。


「月奈、風邪ひいてるの?」

「ど、どうしてそう思うの?」

「だって、凄く顔赤いよ」


 月奈は思いが外に出てきていることに困惑してしまう。苺はソーダにアイスを溶かし、ストローをちゅうちゅうしている。ああ、なにもかもが愛らしい。私の苺。私だけの苺。どうかそうなってはもらえないだろうか。だが私のこの気持ちで彼女の未来を壊す訳にもいかない。


 この気持ちは封印しておくべきではないかと思った。だがそうしてこの身が引き裂かれるような思いに耐え続けることができるのだろうか?


 抑えきれない――どうしようもない思いが溢れて抑えきれない。


 苺のくりくりした瞳と睫毛を見て、月奈は悶え続ける。



        ◇



 家に帰った時にはとっぷり日も暮れていた。夕食はスパゲッティナポリタンを簡単に作り、食べた。食べ終えたあとは苺が先、月奈が後で入浴する。湯船に浸かっていれば煩悩も去ってくれるかと期待したのだが、期待外れだった。むしろひとりで考える時間を持って、月奈の困惑はますます加速した。


 まったく、らしくない。


 問題があればそれを一直線に解決するのがこれまでの月奈の流儀だった。それで単純に生きてきた。しかしこの問題はどうすればいいのかまるで分からなかった。恋。少女への恋。


「私、いったいどうしたいんだろう……」


 この壁に突き当たるにあたって、月奈はあまりにも初心(うぶ)だった。人生最大の試練ではないかと思った。しかしなぜここまで思い悩むのか。相手が年端も行かない少女だから? 本来は養護するべき対象だから? それもある。だが、最大の悩みは――この思いがバレたことで苺に嫌われるかもしれないという恐怖なのだった。


 答えがでないまま、月奈は風呂から上がった。


 リビングには苺はいなかった。きっと自室に戻ってなにかをしているのだろう。なにかを……そこで月奈の中の悪魔が囁く。彼女のことはなんでも知りたくなかったのか? なによりも、苺とはずっと一緒にいたいのではないか?


 ひとりの時間は大切にされるべきものである。それは月奈の信念のひとつだった。そして自分が嫌がることは相手にもしないというのも。だが、彼女の抑えがたい衝動はそれを破ってしまった。単純に言えば、月奈はそのまま苺の部屋に入ったのである。


「いちごー」


 そうすると、苺はなにやら机に向かって鉛筆を走らせていた。あまりに集中していて、月奈の闖入にも気付いていないようだった。その小さい背中すらも愛らしい。すべてが愛らしい。勉強をしているのだろうか。とてもえらい。しかし自分に気付かれないのはとても淋しい。


「い、ち、ごー」


 月奈はそのまま苺の横に回ってなにをしているのか見た。どうやら勉強をしているのではないようだった。苺は自由帳になにやら連続した絵を描いている。マンガを描いているのだった。ペンも使わない、乱雑な鉛筆描きのマンガであり。そんなに上手くはない。出てくるのは女の子で、その瞳は少女マンガじみた、非現実的な大きさをしている。


 苺はマンガが好きだったが、自分でも描くくらい好きなのだった。


「ふぁっ!?」


 そこで初めて月奈の接近に気付き、苺は素っ頓狂な声を上げ、背筋をピンとさせた。それから慌ててノートを閉じ、さらにそれを隠すようにして机に突っ伏した。


「見ちゃダメ!」

「ああ、ごめんなさい」


 カワイイ少女だと言っても秘密のひとつやふたつくらいは当然あるものだ。


「これ、まだ書いてる途中だから」

「そうね、見られたくないよね。デリカシーがなかったわ」


 苺は少しだけ怒った顔を見せたが、すぐに朗らかな笑顔に戻った。万金を積んででも得たいと思えるその素朴な笑顔――月奈を狂わせる笑顔。


 もう我慢ならない。


「完成したら月奈にも読ませてあげる……えっ?」


 気付いたら月奈は苺を机から引き剥がし、ベッドに座らせて、力のあらん限りぎゅっと彼女を抱き締めていた。もう止まらない。止められない。どうなってもかまうものか。この間欠泉のように溢れ出る思いは誰にも堰き止めることはできない。自分自身にすら……。


「苺……好き、好きッ」


 そうやって少女にしがみつく月奈はむしろ母親に甘える子供のようですらあった。


「好き好き、好き好き大好きっ! もうどうにもならないの!」


 それは彼女の人生で抑圧されてきたものの爆発だったのかもしれない。


 苺は――ちょっとだけ戸惑ったが、すぐに柔らかい顔になった。月奈の乱暴と言える愛情ビームにも動じず、鷹揚と受け入れていた。


「うん。あたしも、月奈のこと……大好きだよ」


 苺はぐずる子供をあやすように月奈の頭を撫でた。


 こうなったらもう戻れない。保護者と被保護者としての関係から、恋人同士に――一度決壊したダムはもう水流を止めることはできない。


 ここから彼女たちは加速していく。

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