22:変容の兆し
年末年始は事件も起きなく、月奈はゆったりとした正月を過ごしたのだが、三が日が終われば彼女はパトロールを再開した。その中で、月奈は自分の気持ちの変化について気付いていた。これまでの月奈はルナティカンどもを蹴散らすことに愉悦を覚えているだけで、誰かを助けたりとか、守ったりというような意識はまったくなかった。
その月奈の気持ちを少しづつ変えているのがもちろん苺であり、そして認めたくはないが月命党の跳梁なのだった。苺の存在によって彼女はひとを守るということに意義を見出し始めた。街の平和ということを考えるようになったのだ。そこで考えるのが月命党のことである。月奈は数々のルナティカン事件を鎮圧してきだが、あくまで個人の行動だったので有効な抑止にはなっていなかった。だが月命党の登場によってルナティカン犯罪は確かに抑制され始めている。
「嫉妬なのかしら」
夜を駆けながら彼女の思惟は色々なところに飛んでいく。もともと単純な性格であり、それを誇りにすら思っていた彼女だった。それがこんなことになっている。それは決して悪い気はしなかった。
私はなんのために戦うのか?
これまでは自分のためだけだった。だが今はそれを考えるといの一番に苺の顔が浮かぶ。少女を守るために戦う。その使命感は彼女を強くするのかもしれなかった。
しかし不安な気持ちもあった。無垢で真っ直ぐな行為を向けてくれる苺――だがそれはほかに縋るものがないゆえの依存ではないかと思ってしまうのだ。彼女の健やかな未来を考えるならば、自分に縛り続けるのはよくないことなのかもしれない。だが月奈自身が苺を手放したくないと思っていた。
月奈は苺を好きになってしまっていた。そしてそれが保護者として以上のものであることも自覚しつつあった。
「まさか女の子にねぇ……それも子供に」
馬鹿馬鹿しい、と月奈は頭を振った。そんなことはあるはずがない。
しかし……
ぐるぐる回る思考を断ち切る光景を見かけた。月奈は自分の生きる場所、闘争の場を見つけて気持ちをそちらに集中した。4人ほどのルナティカンが自動車を強奪しようとしている場面に出くわしたのだ。
月奈はすぐさまビルから飛び降り、彼らの前に立ち塞がった。自動車は白いライトバンであり、その運転手の男はまだ殺されてはいなかったが、もうすぐそうなりそうだった。おおかた車を奪って暴走族気取りの暴れ方をしようとしているのだろう。今回のルナティカンはおおむね若そうだったから、月奈はそう判断した。
「そこまでよ」
月奈は冷たい声で言った。若いルナティカンたちの集団はあからさまに狼狽した。どうやら彼らはこちらの顔をしっているらしい。
「やべぇ、周防月奈だ! 逃げるぞ!」
彼らはそれなりに賢明な判断をした。戦うことを避け、そのまま奪った自動車に乗り込んだのだ。元々の持ち主はそのまま道に打ち捨てられた。そしてそのまま車を走らせ始める。月奈を轢こうとするように突進してくるが、彼女はふわりとそれを避けた。 そして車はそのまま逃走を始める。
「逃がすものかッ!」
自動車が全速力を出せば、いかな月奈の足でも追い付くことは難しい。幸いだったのはスピードの出しにくい市街地であることだった。月奈はすぐに追いかけ始め、追い付いたと思ったがいなや、跳躍して車の屋根に乗る。それを察した賊は蛇行運転を始めて月奈を振り払おうとするが、月奈は屋根に刀を突き刺してつかまる。
そして柄を右手でつかみながら、身体を下ろして運転手側のドアに蹴りを入れた。窓ガラスが盛大に割れ、蹴飛ばされてコントロールを失った自動車は盛大に左へ向けて横転し、壁にぶつかった。月奈はその衝撃が来る前に刀を引き抜き、離れていた。
ライトバンは無残にひしゃげ、動くこともままならない。その中でルナティカンの運転手はそのまま圧死していた。残りの三人が這う這うの体で車から抜け出してくる。月奈は優雅に刀を振った。彼女に彼らを逃す気はさらさらなかった。
「さ、覚悟はできたかしら?」
「く、くそったれがぁ!」
覚悟というよりは自暴自棄に彼らは月奈に襲い掛かった。だがもちろん、こんな雑魚に後れを取る月奈ではない。彼女はそのひとりに狙いを絞り、交差するその瞬間を狙って、刀を横にして心臓を貫く。しかし相手は連携するという術を心得ていた。残った2人のうちひとりは月奈を牽制するように腕をふった。それは月奈の格好の餌食でしかなかった。男の右腕が刀で跳ね飛ばされた。だがその隙にもうひとりの男が後ろから月奈に襲い掛かり、腕で首を絞めてくる。
「なめてるんじゃないわよ!」
実際、彼らは月奈の膂力を軽く見ていた――所詮女なのだから腕力自体は大したことはないだろうという浅はかな、そして致命的な偏見だった。
月奈は刀を一旦放し、地面に落とす。それから両手を締められた腕に持ち、その怪力で無理矢理引き剥がしていく。力比べに負けた男はそのまま体勢を崩し、うしろによろめいた。月奈は素早く振り返って男の首根っこを右手でつかみ、そのまま持ち上げてのど輪落としにする。その衝撃で首と頭蓋が破壊された男はすぐに絶命した。
「くそっ……くそがぁっ」
残った一人の男が、落とした月奈の刀を拾おうとする。もちろんそんなことは許さない。ちょうど中腰になった男の顔面に回し蹴りを入れる、受け身も取れない体勢だった男はそのまま吹き飛ばされた。月奈は悠々と刀を拾った、そして構え、相手の出方を見る。男はよろよろと立ち上がると、もうまともな判断力も喪われているのだろう、狂乱した顔で月奈に突進してきた。
月奈はそれをごく冷静に捉え、見据え――そして日常のように彼の首を刎ねた。
「クソクソいうくらいなら、最初からイキったことを考えるんじゃないわよ」
つまらない戦いだったな、と月奈は吐き捨てた。しかし、そんなつまらない事件でも事件は事件であり、後始末はしなければならない。今回は死人がでなかったのが幸いだった。例によって宇田に連絡する。すぐに人員が派遣される。警察は決して無能ではない。ただ戦う力がないだけである。そのことに哀れみをもちつつも、月奈はただ自分の道を行くだけである。
◇
いつもならその後始末は完全に任せて、自分はさっさと帰るのだが、今回は月奈はそこにとどまった。少し宇田と話がしたかったからだ。
車のオーナーである男はすぐに保護された。その損失の補填は保険会社がするであろう。破壊したのは月奈だったが、言うまでもなくその責任を問われることはない。ある意味で月奈は治外法権の位置にあった。なにをしても自由――彼女を取り締まることのできる存在はこの地上に存在しない。月奈が無法に暴れることになれば、誰も止められることはできないだろう。それを知っているからこそ、月奈は常に自分を自制している。社会通念ではなく、彼女自身の美学によって。
月奈は現場を監督していた宇田に近寄った。彼は少し場を外すと部下に言い残し、月奈に付き合う。現場検証からは少し離れたところで話すつもりだった。宇田は煙草を吸っていいかと月奈に訊き、月奈は頷いた。
紫煙が空に消える中、宇田は厳つい顔を綻ばせ、言った。
「いつもながら鮮やかな手際だな」
「つまらない相手だったわ」
月奈は腕を組んでそう返す。
「しかし、ここまできみが居座っているのは珍しいな、なにかあったのか?」
「別になにかあったわけじゃないわ。ただあなたに少し訊きたかったことがあるだけ」
「ふぅん? 一体なんだ?」
月奈は宇田の問いに、少し逡巡してから言う。
「警察は月命党のことはどう思っているの?」
「それは難しい話だな。下っ端の俺に迂闊にどうこういえることじゃないが……」
「正直困っている、ってとこね」
「ありていに言えばそうだな。今のところ直接的な脅威にはなっていないが、行政府に縛られていないルナティカン組織というのは決して安心できるものじゃない。それにヤクザ組織と繋がっている噂もあるしな」
宇田は厳しい顔をしていた。
「上層部の意見はふたつに割れている。懐柔して味方にするか、今の内に潰すか」
「味方にはできないわよ。あの連中は」
「どうしてそう思う?」
「ただのカン」
「きみのカンなら無下にはできない意見だな」
宇田は煙草を吸い終える、それを携帯灰皿に押し込むと、なにやら神妙な顔をして月奈に向いた。ただならない気配だった。
「きみ自身の意向はどうなのだ? きみは奴らに与するのか? それとも……」
「それは相手次第だわ。私の領域に割り込んでこない内はなにもしないし、私の大事なものを奪いに来るのなら……その時は徹底的に叩き潰す」
月奈は肩を竦める。
「ま、あいつらの味方になることはないからその点は安心して貰っていいわよ」
「そうか。まあその点は心配していなかったが。しかしきみの大事なものとは、なんだ?」
月奈はそこで、そんなことを言った自分自身に違和感を覚えた。どういうことだろう? 私の大事なものとは、いったい――
「それは、私の自由と、それと、それと……」
月奈は言い淀んだ。そんな彼女を見て宇田はにやにやとした顔を見せた。
「まあ、その他諸々」
「そういうことにしておこうか」
そんな感じでこの小さな事件は終わったのだが、月奈の心には熱いものが灯ったままだった。




