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16:つかの間の安息(2)





 取り敢えず2人きりになったはいいものの、月奈にはその後の計画はなにもなかった。これ自体が衝動的にしたものである。ただなんとなく耀司が邪魔に思えただけなのだった。しかも彼女はそう感じた理由をなにも分かっていなかった。


「ねえ月奈、これからどうするの?」


 間の伸びた苺の声に癒されたりはするものの、月奈はなにか追い込まれた気分になっていた。衝動的なのが自分の悪いところだ、と反省するも、後悔はしていなかった。


「そうねえ、どうしようかしら」


 月奈は苺の手の温もりを感じていた。この少女とならどこまでも行けるような気がする。ただこうやって散歩するだけでもいいような気がしてきた。冬の寒さも気にならない。とはいえ、ランドセル姿の苺をそのままずっと引っ張っていく訳にもいかない。最善策は分かり切っている。このまま帰ることだ。しかしそれではなんとなく勿体ないような気がするのだ。


「月奈、あたし本屋さんに行きたい」

「どうして?」

「今日は読んでるマンガの最新刊の発売日なんだ」

「そうなんだ」


 そういうことで2人は市街地に向かった。クリスマス商戦は真っ只中であり、緑と赤に彩られた町はどこか目をちかちかさせる。そしてどこからともなく流れてくる「ジングル・オール・ザ・ウェイ」の音楽。つらい現実を忘れ、祭りに飲まれるために向かっていく人々。平和とは程遠いこの宇浪野市でも、それだけ浮かれる権利は人々にある。月奈はそれを否定しなかった。楽しいことがあるのはいいことだ。


「ふんふふんふふーん。らーらーらー」


 苺は月奈の隣に寄り添いながら、てきとうなメロディーの鼻歌を囀っている。


「苺、上機嫌ね。今日はなにかあった?」

「別になんにもないけど、なんか気持ちがいいの」


 苺は鼻歌を続ける。月奈はそれに唱和してみようと思った。と言う訳で鼻歌を重ねるのだが、彼女の歌は情けなく不協和音を奏でてしまった。月奈には音痴だったのだ。


「あはははは、月奈、へたくそー」

「う、うるさいわねぇ」


 月奈はぷいと顔を苺から背けた。どうにも恥ずかしかったが、この恥ずかしいという気分も久々のことだったので、なんだか妙な気分になる。そして苺にからかわれるのもなんとなく嬉しかった。


「月奈は楽しいなあ」

「なにが楽しいのよ」

「分からないけど、楽しい……あたし、月奈に助けられて本当に良かったと思ってるよ」


 街中最大の書店に着く。客はあまり多くなかった。平日の夕方ごろなら、まあこんなものだろう。その最上階にあるマンガ売場に入ると、苺は平積みになっている新刊コーナーに向かった。棚には「本日発売!」という垂れ幕が掛かっている。月奈も読んだことはないが名前くらいなら知っているというマンガが数多く並べられていた。苺はその一冊を取った。彼女はその表紙を見せ付けるように月奈に突き付け、ねだるような目線を送ってくる。


「これこれ。ねえ、カワイイでしょう」


 きらきらした少女マンガの絵だった。そう言えば自分は少女マンガの類いは全然読んでこなかったなと思った。甘ったるいラブコメよりは、血が煮えたぎるバトルマンガの方が好みであり、施設時代でもよくそういったマンガを読み、ねだり、医師(彼女の担当は女性だった)のことをよく鼻白ませたものだ。懐かしい思い出である。


「そうね。カワイイね」

「買っていいでしょ、ねえねえ、いいでしょ」


 そうやって軽くダンスをし、媚びるようにねだる苺の姿は珍しくその年頃のものだった。苺はどこかボンヤリしているが、いっぽうで精神年齢は高いような気がするのだ。だからこそこういった子供じみた仕草がいっそう際立って愛らしく見える。


「えへへ」


 お目当てのものを手に入れて苺はますます上機嫌になった。感情は伝染するものである。とくに感性の豊かな苺にアテられて、月奈まで上機嫌になってくる。


 そろそろ帰るべき時刻なのだったが、まだ惜しいような気がした。ということで月奈は苺にお気に入りの場所を教えることにした。


 街中の裏路地にひっそりと営業するカフェ、「ミエスク」である。


 入り口に立つと、苺はすこし物怖じしたように身を縮こませた。


「どうしたの?」

「こういうところはカッコいい大人が入るところだよ。あたしにはまだはやいよ」

「そんなことないって。それに私もいるんだし」


 そう言って月奈は苺の頭を撫でてやった。そうしながら、いずれは苺も大人になっていくのだという事実に思いを馳せずにはいられなかった。健やかな心と身体を育むはずの温かい家庭を半ばで奪われ、私に匿われることになった苺。彼女はいったいどんな大人になるのだろう? 歪んだ価値観を持ったりはしないだろうか。いやいや、そこまで含めてそれは自分の責任なのだ。いずれ苺を真っ当な大人として社会に送り出さねばならない――


 月奈はそれがひどく淋しいことのように思えた。どうしてだろう。苺にはずっと子供のままでいて欲しいと思う。手前勝手な気持ちだが、この純真さはとても尊いもので、それが失われる日がくると思うと身が焦がれる気がするのだ。


 おかしなことだ。まだ出会って、生活を初めて半月ほどの少女にこんなことを思うなんて……


 物怖じしていた苺だったが、やがて意を決したのか、小さい胸をむんと張って「ミエスク」の扉を開けた。


「お、お邪魔します!」


「ミエスク」はとても小さい、初老の男性マスターが経営している店である。照明も穏やかでほどよく明るく、中ではいつでもゆったりとしたジャズナンバーが流れていた。


「ははは、今日はかわいいお客さんを連れて来たね、月奈」


 ひっきりなしに客が来店するというような店でもなく、月奈はマスターとも顔馴染みである。この静かで穏やかな雰囲気が月奈は好きだった。始めは緊張していた苺も、その雰囲気に絆されたのか、すぐに落ち着いてきた。


 この時間はちょうど客がいなかった。なにか貸し切りにしているような優越感を覚えながら、月奈と苺の2人は窓際の席に着いた。


「いいでしょ、この店」

「うん、とてもいい感じ」


 苺はにこにこしていた。ランドセルを隣の椅子に置いて、十分にリラックスしている感じだ。


「なんだか大人になった気持ち」


 と言ったが、苺が頼んだのは子供らしくメロンクリームソーダだった。月奈はカフェオレを頼んだ。今日は甘いものの気分だったのだ。


 そうやってくつろいでいると、世の中のことや日々の些事などがすべて忘れられるような気持ちになる。月奈は自分が思っていた以上にピリピリしていたことを自覚した。とにかく色々あったし、片付いていない問題もある。だがこの瞬間だけはそんなことを放擲してノンビリしようと思った。


 苺と一緒に。


 月奈はカフェオレを早々に飲み干したが、苺はちびちびとアイスクリームをスプーンで取りながらかじっている。そんな光景を見ると――月奈になんだか妙なアイディアが降りてきた。我ながらじつに恥ずかしい、突拍子もない考えだと思う。しかし一旦その衝動が生まれたら抑えられない。ボンヤリした苺の顔を見たらなんだか辛抱たまらなくなってくる。


「マスター、もう一本ストローを持ってきて」

「そりゃいいが、一体なにをする気だい?」


 月奈は渡されたストローをクリームソーダの中に差した。グラスの中には2本差さっている。苺はぽかんとしながら、月奈の顔を見ていた。月奈は微笑を浮かべて言った。


「一緒に飲ませて。いいでしょ」


 ひょっとしたら拒絶されるかも、とビクビクしていたが、


「うん、いいよ」


 と、苺はあっさりと承諾した。そして2人してメロンクリームソーダを飲み干していった。マスターは呆れ顔だった。


「おいおい……そういうのは普通恋人同士がするもんじゃないかね」

「いいじゃん」

「まったく。月奈はじつに自由だな」


 ちょっと気恥ずかしい思いもなくはなかったが、苺が嬉しがっているので問題はない。アイスクリームは全部苺にあげたが、ソーダはほぼ2分して飲まれた。2人で飲み干すと、苺は満面の笑みを浮かべていた。


「これで月奈ともっと仲良くなった気がするな」


 月奈はその言葉に、自分が頬を赤らめていることに気付かなかった。

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