九
「今宵は冷えるな」
風見ノ塔の一室で、風読みは書物の整理をしながら独りごちる。常春の地とはいえ夜はそれなりに冷えるが、今夜はいつにも増して肌を刺すような寒さだ。布団の上に数枚、掛け布を重ねなくてはなと思案しているところに、どたどたと回廊を駆けてくる足音が近づいてきた。
「東吾様!東吾様!」
東吾のいる部屋の戸がぴしゃりと開け放たれた。
「何事だ」
「あれ、御無事でしたか……」
風見ノ塔に控える風読み見習い、通称“風の番”たちが汗だくで駆け込んできた。書物を手にけろりとした東吾を見て、呆気にとられている。東吾が用件を問い質すも、誰も彼も困惑を隠せない様子で視線を泳がせる。
「いえ、その、ええと。そ、外の様子がおかしかったので、東吾様に万一のことでもあったのかと」
歯切れ悪く答える弟子たちに痺れを切らした東吾は、書物を手近な台に仮置きし、片手をついて立ち上がる。紺色の長衣を煌めかせ、白い飾り紐を揺らしながら、やれやれと部屋の外に出る。
「一体どうしたというのだ」
次の瞬間、東吾は外の景色を見て驚愕した。
空から落ちる無数の風花が舞い、森は白銀に染まる。累々と転がる屍の中、仁親は一人佇む。もはや人の原形をとどめていない男たち、その山積みになった赤黒い死体の周囲には、弓や刀が無数に散らばっている。仁親の腕や背中を複数の矢が貫き、淡い色の装束は朱殷に色づく。
敵を殲滅し、自らも深く傷ついた仁親。刀を握ったまま己の手を見つめる。血濡れた手の向こうに見える白い景色の中、愛しき者の後ろ姿が浮かぶ。その幻に向かって足を引きずり動かし、数歩歩いたところで力尽き倒れこむ。
朦朧とする意識の中、自分を包みこむ柔らかな風を感じた。風が泣いている――頬に触れた雪の冷たさに、己の終焉が迫っていることを悟る。
仁親は顔を上げ、森の奥に消えた幻影を求め手を伸ばす。凍てつく指先をまっすぐ前に向け、その名を口にする。
「花里様……」
玲瓏たる雪景色に浮かぶ、愛おしい姫君。いつも傍で守っていた。誰よりも近いところで見つめていた。笑う顔も、拗ねる顔も、怒る顔も、すべてを愛していた。
「……花里様……花里……」
一筋の涙が頬を伝う。光を反射し、零れて地に溶ける。空に差しだす手が震え、感覚が失われていく。最後に見た泣き顔が目の前をよぎる。もう泣かせたくはなかったのに。
――仁、お願い一緒に居て
――ねえ、仁。お願いよ
――仁、約束よ!仁!
願わくば、いつまでも傍に居たかった。許されるなら、共に生きたかった。命を賭して守ると決めた時から、ずっと、ずっと……。
(……ずっと、お慕いしておりました)
胸に秘めたまま、終ぞ口にすることのできなかった想いは、雪に消えた。




