45 だいじょうぶ
いつかの座卓を持ってきて、天と海智留は向かい合い、座った。
グラスには茶が注がれ、二人の間で静かに佇んでいる。
話を切り出したのは、天からだった。
「こんな時間にどうしたの、海智留さん?」
無難な言葉を、曖昧な笑顔と共に送る。
「ごめんね、ちょっとスマホ見てなくて。えっと、なにか急ぎの用事とか、あったのかな?」
今さらながらに通知を見ると、十数件も送られてきていた。最初に一通こそ真波だったが、後は全て海智留だった。
「はい。とても急がなければならない用事だったので、不躾とは思いながら、参りました」
「そ、そう。でも、夜は危ないよ。明日の朝とか……」
「ご安心ください。タクシーで来ましたので」
「え? ああ、そうなんだ」
頭をかきつつ、無気力に笑う。どうしたものだろうかと考える。
今日は、海智留とは会っていなかった。なので、特に話などはないはずなのだが。
困っていると、今度は海智留が、
「今日、とても嫌になることがあった、そううかがいました」
「え?」
「浜田さんが、私に話してくれました。酷い嫌がらせがあったと」
「ああ、あのことか。あはは、大したことじゃないよ」
真波が相談でもしたのだろうか。あの二人で会話するなど珍しいと思い、
「天さん」
まっすぐに、瞳で射抜かれた。まるで、嘘は許さない、とばかりに。
「いや、本当に大丈夫だよ。あれくらい、慣れてるから。データも無事だったし、代わりはすぐに出来上がるから」
「本当にそうでしょうか?」
「うん、ちゃんとUSBメモリに……」
「そうではありません。別にデータはどうでもいいです」
海智留は天の言葉を遮り、立ち上がる。すると、天の後ろに回り込み、
「え? なに?」
そっと、
「天さんも、嘘が下手な人ですね」
覆いかぶさるように、抱きしめてきた。
「あ、あの、海智留さん……?」
「なんでしょう?」
「いや、なんでっていうか、いきなりなにを……」
「抱きしめています」
「そ、それは分かるけど、なんで……」
「天さんを元気づけるためです」
「で、でも……」
服越しとはいえ、海智留の熱が、天にも伝わる。
恥ずかしい、とても。こちらの鼓動が、あちらにも伝わっているのではと、顔が熱くなる。
離してくれ、と言いたかった。だが、天の喉は言葉を作れない。背を丸め、うつむくと、さらに海智留は体を預けるように、抱きしめてくる。
「その顔で大丈夫だなんて言われても、誰も信じませんよ」
海智留は言い、
「天さんには、抱きしめてもらったことがあります。なので、お返しです」
「お返し? でも、俺は」
「お忘れですか? 最初に出会った時のこと」
最初、と言われて天は思いだす。遮断機の中で、確かに天は、海智留を抱きかかえた。
「……あれって、不可抗力じゃない?」
「見ず知らずの女の子を抱いておいて、不可抗力とは酷いですね」
「ごめん。でも、あの時は必死だったし」
「なら、私も必死に抱きつきます」
天の背が重くなる。前に回された手が、天の服を強くつかんだ。
それが、今の天には気恥ずかしくも、心地よかった。つい、甘えたくなる。
「天さんは、一目惚れって信じますか?」
「え?」
いきなりの話題に戸惑いつつも、天は答える。
「信じない、かな」
「そうですか。では、吊り橋効果は?」
「あれは勘違いなんでしょ?」
「らしいですね。では、好きでもない人をぎゅっと抱きしめる女の子は?」
「そんな子いるの?」
「ですよね?」
答える度に、海智留の力が強まる。
「私も、一目惚れはないと思います。吊り橋効果も、詐欺同然だと思います」
「そ、そう」
ですが、と海智留は言う。
「好きな人が泣きそうだったら、抱きしめたいとは思います」
「別に、泣いては……」
「慣れていると、言いましたね」
「……うん。っていうか、話題飛びすぎじゃない?」
「そうでしょうか? 私は、きちんと説明しているつもりなのですが」
「強引すぎるよ、海智留さん」
天は背を丸めつつ、海智留の言葉を待つ。
「……慣れませんよ、嫌なことになんて。慣れたフリをしていても、心は削れていきます」
「そう、かな?」
「今の天さんがいい例です」
「そう、か」
天が、それで言葉を区切っても、海智留は何も言わなかった。
十分はこのままだったろうか。海智留が手を離す。それを名残惜しいと思い、
「私は、根本的な解決のお力になれないかもしれません。ですが、これくらいならいつでもできます」
「うん」
「だから、いつでもどこでも、私に言ってください」
「どこでも、は少し恥ずかしいかな」
「私は平気です」
海智留はすまし顔を微笑みに変え、
「今日は、ここで失礼します」
「ありがとう。送るよ」
「ご安心を。タクシーがありますので」
ならばせめて、と玄関までは並んで歩く。
「明日、また学校でお会いしましょう」
「うん。また、明日」
海智留を見送ると、頬をかきつつ、
「学校で、か」
呟き、少し前向きになった自分に驚いた。




