アンナ・マリア・ローズ・サクセンは語る
『二桁の足し算が出来ない私の妹が私と同じ学院に通うらしい』のスピンオフ。
まずは妹視点から。
私はアンナ・マリア・ローズ・サクセン。
サクセン伯爵家の娘として産まれたわ。
どうして私の名前は三つもあるのかしらってメイドに聞いたら、旦那様と奥様が名前がひとつに決められなかったんですよって笑って言ってた。
お父様もお母様も私のことを、ローズと呼んだり、アナと呼んだり、リアと呼んだり、アニーと呼んだり、マリーと呼んだり、たまぁにアンナ・マリア・ローズと続けて呼んだ。
『私の大好きな名前をつけた子』ってお母様に抱き締められて、二人が好きな名前をつけてもらえて、たくさんの愛称で呼ばれていた私は、とても幸せな女の子だった。
お父様もお母様も優しくて、使用人達は私の言うことを絶対聞くし。
なぜか出掛けた先だと、私の言うことを聞かない店員や大人や子どもが居て、イライラしたけどそんな時も家に帰れば大丈夫。
お父様もお母様も、私の言うことを聞かない方が悪いんだって言ってくれた。
だからあまり家の外に行かなくなったけど、欲しいものは持ってこさせればいいのだし、外に出なくても別に問題はなかったのよね。
特に家の裏庭の隅にある小屋に居る『姉』とかいう存在は、私をとてもいい気分にしてくれた。
だって私がした悪いことも、嫌だと思ったことも、全部ソイツのせいに出来たから。
ある日窓の外を見ていた私は、ボサボサでバサバサの金髪に棒みたいな手足、夏なのに冬に着る厚手のワンピースを着ているへんな子どもがいることに気付いた。
メイドにしては小さ過ぎるから、お母様に聞いてみたの『あれはなに』って。
お母様は『あれはあなたの姉のライラよ』と教えてくれた。
『姉という存在はね、妹のやったことの責任を全部とるためにいるの』
『せきにんって?』
『そうねえ……、あなたが何か悪いことをしたり、何かを嫌だなと思ったら、それは全部ライラが悪いってことなの』
その時の私には、お母様の言ってることが。ちょっと分からなかったのだけど、お母様が楽しそうに笑ってたから、私も一緒に笑った。
それからちょっと経って、お母様が言ってたことの意味がわかったの。
がちゃん!て物音がしてびっくりして振り返ると、壁に飾っていたお父様が大事にしてるアンナさまの肖像画が床に落ちてた。
「きゃあ!」
頭を庇っていたメイドが真っ青になって、慌てて落ちた額縁に駆け寄ったわ。
「傷が……」
額縁の端の方が小さく欠けたのを確認したメイドは、ゆっくり私を見た。
「な、なによ」
「これは旦那様がとても大事にしていたものですよ!どうするんですか!?」
いつもぶってもバカにしても笑ってるメイドに、怒鳴られて私はとってもびっくりした。
「な、なによ」
「なによじゃないわ!アンナ様の絵を傷つけて旦那様が許してくれると思うの?!」
いつもは何をしても口答えなんてしないメイドが反抗してきたことに、私は嫌な予感がして手に持っていたクッションを床に落とした。
「とても大事って」
「アンナ様の絵はこれしかないんですよ!それを傷つけるなんて!」
「わ、私悪くないわ」
「どこがよ!入っていけない部屋に入って暴れたのは誰よ!」
怒鳴られて私は部屋を見回す。
お父様専用の小部屋。
お父様がとても大事にしている物が、飾ってあるそこはいつも鍵がかかっていたし、私が入ることは禁じられていた。
今日は掃除をする為か鍵が開けられていたから、こっそり忍び込んだの。
そうしたらこのメイドに見つかって『お嬢様が、この部屋に入ってるのを、旦那様が知ったらひどく怒られるから早く出てください』って言われたのが許せなくて、寝椅子に置いてあったクッションを摑んで振り回して。
しゃがんで床に落ちた額縁をひっくり返す。金髪の女の人が、描いてある額縁にヒビが入ってる。
メイドはぼさぼさになった髪を、直そうともしないで、私を睨みつけてきた。
「こんなことしておいて、自分は旦那様に叱られないと思ってます?」
「え」
「私は勿論殴られるでしょうけど、貴女も殴られるんですよ」
お父様は仕事をサボったり、言いつけを守らなかった使用人を『躾』だと言って鞭で叩いてる。
─それを私に?
「わ、わたし」
「痛いですよ、鞭で叩かれるのは。疵も残るし」
ほら、と袖をまくった腕にあったのは、線が重なったような赤い血が滲んだ傷が、幾つもあって。
「今晩は痛くて眠れないでしょうね」
いい気味だわ、ってメイドはつぶやいた。
「いやよ!なんで私が!」
「自分がやったんじゃないですか」
「わ、私悪くないわ!」
「じゃあ誰が悪いの?」
『そうねえ……、マリアが何か悪いことをしたらそれは全部ライラのせいになるのよ』
そう、そうよ。
「ライラよ」
「は?」
「ライラが悪いのよ!ライラがこの部屋にはいったから、私が怒ってクッションを投げつけてしまったの!」
「ライラ………?ああ裏庭の」
「そうよライラのせいだわ!私が悪いことをしたのはライラのせいなんだから!」
「そんな嘘を旦那様が信じるわけな」
「姉は妹のやったことのせきにんをとるのよ!」
私はメイドを小部屋に置いて、お父様がいる居間に駆け出した。
居間に居たお父様に、私がライラのせいでアンナ様の額縁を傷つけてしまったと話すと、お父様は私を一度睨みつけたあと、ティーテーブルを拳で叩き、執事に鞭を持ってこさせて裏庭に向かった。
急いで二階の自分の部屋に戻って窓から裏庭を見てたら、あの変な子がお父様に小屋から髪を摑んで出されて、土の上に放り投げられてた。
変な子は自分じゃないとか、屋敷に入ってないとか言っていたけど、お父様はそれを聞かないで三回鞭を振り降ろした。
変な子は鞭で叩かれた肩を手で押さえて蹲り、お父様は『二度と私の部屋に入るな!』と怒鳴って裏庭から姿を消し、執事が変な子の手を引いて小屋に戻した。
「……うそ」
いつの間にか側に来ていたあのメイドに、私はにっこり笑って言ってやった。
「ほら、ライラのせいだったでしょ」
って。
それから私はなにか悪いことをしたり嫌なことがあったら、全部ライラのせいにすることにした。
お爺様の大切にしてたティーセットを割った時も、行儀作法の先生に本を投げた時も、お母様のネックレスを失くした時も、作ったばかりのドレスが気に入らない時も、ピクニックに出掛けて雨が降ってきた時も、食べたチョコが苦かった時も、全部ぜーんぶライラのせい。
だってライラは私の姉だから。
でも遊びに来た二つ上の従姉妹のドレスを汚した時は、私じゃなくてライラがやったんだって教えてやったのに、従姉妹が私のことを嘘つきのワガママだと指差してきたの。だから指を噛んでやったわ。
そうしたら従姉妹とお母様のほうの叔父様は、誕生日の贈り物を次の年から贈ってくれなくなって、新年の集まりにも参加しなくなった。
ああ、そう言えば、隣の領地の子爵家の兄妹も、私に自分達がお爺さまから貰ったって自慢してきた子馬に乗せてくれなかったから、妹の方をぬかるみに突き飛ばして、泥だらけにして泣かせちゃったのよね。買ったばかりの乗馬服が泥だらけになってたわ、いい気味。
そして私がアンタを泣かせたのはライラのせいよ!って、教えてあげたのに私と遊ばなくなったよ。
そう言えば小さい頃はお母様のお友達の子どもや親戚と遊んでいたのだけど、みんな私が『ライラのせいよ!』と言うようになったら、次の誘いを断って来るようになったの。
不思議よね。だってライラは私が悪いことをした責任を取るためだけに、小屋に住まわせてもらってるのに、それを言うと私と遊ばなくなるなんて。
姉ってそう言う存在だってお母様は言ったし、お父様も違うなんて一度も言ったことないのよ。
それなのに、今は私こそが変な子だと笑われてる。
何か失敗をしたり叱られると、別の場所で暮らしてる姉のせいにしようとするおかしな子だと。
気に入らないことがあると、すぐ人を打ったり蹴ったりする乱暴な子だって。
なんで?
だってお母様が言ったのよ。
私が悪いことをしたら、ライラの責任だって。
それに私が悪いことをしたら、ライラが躾けられるのの何がおかしいの?
お父様がそうしてたのよ。
私が悪いことをした責任はライラにあるんだから、ライラが躾られるのは当たり前じゃない。
だから私が計算が出来ないのはライラのせいなんだから、ライラが先生に叱られるなくちゃダメなのよ。
カリカリと紙にペンを走らせる音を聞きながら、私は問題とにらめっこする。
一問めは五十二足す三十三。
五十二に三十三を足す?
私は自分の指を見る。指は十本しかない。
十本しかないのにどうやって、五十二に三十三を足せばいいの?
私の隣の席からも後の席からも前の席からも、カリカリカリカリ、ペンが動く音がする。
なんで皆問題が解けるの。
私の近くの席で同じ問題を解いてる子たちは、皆私より小さいのに。
悔しくて涙が浮かんでくる。
「どうしました?ミス・サクセン?」
先生が教壇の上から私に声をかけてきた。
「ええと、あの」
─ねえ、また言うかしら
─きっと言うわよ
─何回聞いても笑っちゃうわよね
くすくす『私』を笑う声が聞こえる。すごく馬鹿にされてる笑い方だって分かる。
だって私もそうやって笑ってたから。
なんで。
なんで私がそんなふうに、笑われなきゃいけないのよ。私はそんなふうに笑われる『姉』じゃないのに。
ライラ。
そう、ライラよ。
あんたがここにいないから、私が笑われるんだ。
なんで、なんでいないのよ。
アンタがいないから、アンタのせいで。
「ミス・サクセン?」
先生の声が、ライラを『躾』る時のお父様の声みたいに響いた。
どうして?『躾』られるのは私じゃなくて、ライラの役目なのに?
ガタン!
私は大きな音を立てて、椅子から立ち上がる。
「ミス・サクセン……椅子から立つ時は私に声をかけるようにと何度言ったら理解できるの?」
先生が溜息を吐きながら私に言う。
「ら、」
─言うわよ、言うわよ
─ほんとに?わたしまだ聞いたことないの
「ライラ……が」
「なんです?」
「ライラが悪いのよ!ライラがここに居ないか」
「やだあ!」
「ね、ほんとだったでしょ?」
「また始まったわ!」
私は後から前から右から左から笑い声に包まれる。
「みなさん、静かになさい。
ミス・サクセン、貴女はいい加減になんでもお姉様のせいにする癖を改めなさい。
でないといつまでも、このクラスから進級出来ませんよ」
ほんとに困ったわって先生が小さく言うと、私以外のこが、どっと笑い出した。
どうしてどうして私が笑われなきゃならないの。
いつも笑われるのは、ライラだったのに。
「ミス・サクセン?」
「なんで私が笑われてるのに、ライラを連れてこないのよ!早く連れてこないとこうよ!」
私は隣に座っている子の、髪を摑んで床に引きずり倒してやった。
「きゃあ!」
「リリー、大丈夫?!」
「サイアク!なにこいつ!」
後に座ってた子が私の背中を叩いてきた。
「なにするのよ!」
振り向いて怒鳴ったら、私が床に引き摺り倒したこに足を蹴られてバランスを崩して私は尻もちをついた、お尻がジンジン痛む。
「いたい!」
「そのいたいこと先にわたしにしたのはサクセンじゃない!」
私を蹴ったこは床から立ち上がりながら、真っ赤な顔で怒鳴る。
そうよそうよ!と周りで囃し立てる他の子たちの声がなんだかとても苛ついて、私は椅子の足を両手で摑んで振り上げようとして
「アンナ・マリア・ローズ・サクセン!!なにをしている!反省室へ行け!!」
いつの間にか教室に来ていた男の先生の声に、身体が動かなくなった。
─当学園に入園してからも姉への態度について反省の色は全く見られず。他生徒と打ち解ける気配も一切なく(他生徒に悪い影響を及ぼす危険性しかない)、入園してから二カ月で起こした暴行事件はすでに十五件。怪我を負わされた者も多数。
教師に対しても暴言暴行多数。但し男性教師が大声で注意すると十分程度は大人しくなる。
当該児童は当院では手に負えないので、更に厳しい矯正施設への編入を急ぐべき。




