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素数

素数

 毬子が火星に移住して5年が経過した。彼女は今、火星に点在する各国のコロニー間を繋ぐための道路建設に必要なコンクリート生産の事業を進めている。この舗装道路は、砂嵐から守るために地上を走るトンネル内に建設され、そこを走る車両は火星の重力による弱いブレーキ制動力を補うためトンネル内壁との摩擦もブレーキに利用できるように設計される。

 火星にある資源を使って生産できるコンクリートには、次のようなものがある。

1. 硫黄コンクリート

火星の表土(レゴリス)に比較的多くの含まれている硫黄を約120~140℃程度で溶かし、ふるいにかけたレゴリスと混ぜた後冷やして製造する。製造に水が不要で、圧縮強度は普通コンクリート以上にもなる。割れたら再加熱して再利用できる。短所としては、高温になると軟化し(ただし火星は寒冷)、長期間の紫外線や放射線による劣化がある。居住区の基礎や壁に利用できる。

2. ジオポリマーコンクリート

火星の土壌に豊富に含まれているシリカ、アルミナ、鉄酸化物をアルカリ溶液で反応させて製造する。セメントに近い性能で、耐熱性が高く、耐薬品性も良いが、アルカリ(水酸化ナトリウムなど)を製造する設備が必要。居住区の基礎や壁に利用できる。

3. 焼結(Sintering)

これは「コンクリート」というより人工岩石。火星の砂を太陽光、レーザー、マイクロ波で溶かし、焼き固めて製造する。接着剤や水が不要で、現地資源100%で製造できるが、大きなエネルギーが必要。道路やスペースシップ着陸パッド建設に適している。


 この日毬子は、火星インフラ整備委員会に出席していた。そこに珍しく一樹からメールが届いた。

「毬子さん、ご無沙汰しております。お元気ですか?地球からのニュースでご存じかも知れませんが、念のため系外惑星TRAPPIST-1eから届いた信号について、これまでの経緯をシェアします。毬子さんから聞かれる前のプロアクティブ・メールです」

 そして詳細が続いた。

 みずがめ座の方向に約40光年離れた場所に超低温赤色矮星であるTRAPPIST-1がある。ここから発信されたように見える信号をオーストラリアと南アフリカにある国際電波望遠鏡、スクエア・キロメートル・アレイ(SKA)が分析していた。受信したコズミック・ノイズからパルサー由来の波形、計器が原因の波形、複数の電波望遠鏡受信波による干渉波形、ソフトウェアが作った波形などを取り除くと、シグナルが残った。


挿絵(By みてみん)


 それは、ナローバンド・ビーコンで、ある長さだけ光った後シグナルが途切れ、一定の間隔の後また光った。そして毎回光る長さが異なった。その長さを解析したところ、一番短い長さを2とすると、それに続く長さは、3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29,31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71,73, 79, 83, 89, 97, 101, 103, 107, 109, 113,127, 131, 137, 139, 149, 151, 157, 163, 167, 173,179, 181, 191, 193, 197, 199, 211, 223, 227となった。その後、また2の長さから繰り返した。これらの数字は素数である。

 素数列は、物理法則から自然に生まれるものではない(もっとも周期ゼミなど素数年ごとに大量発生する昆虫はいるが)。素数は、「整数」と「割り切れる」という抽象的な数学の概念に基づいている。つまり「数を理解し、その中から特別な規則を選んだ」という知的活動を示唆する。素数列が何十個も続いた場合、偶然そうなる確率は天文学的桁数で低くなる。だから49個連続などとなれば、自然現象より知性による生成を考える方がはるかに合理的だ。信号はコード化されておらず、圧縮も変調もされていない。発信源は、滑稽なほどの正確さでただ素数だけを送信し続けている。

 このことは、その日のうちに宇宙物理学者の間に留まらず世界中が知ることとなった。電波の発信源を精査すると、赤色矮星TRAPPIST-1を周回する惑星の一つTRAPPIST-1eであることが判明した。多くのアマチュア観測者もこれを確認した。

 世間では、このニュースに反応して株式市場ではサーキットブレーカーが作動して取引が一時停止したが間もなく再開した。異なる宗教の長は、互いに矛盾する声明を発表した。

 40光年という距離は、外交や戦争の可能性を排除したが、対応方法を模索することを人類に課した。そして、このシグナルの存在は、人類の文明を一夜にして変えてしまった。人類史上初めて、地球外知性の存在が理論や仮説ではなく現実のものとなったからだ。

 一樹は、最後にこのシグナルへの対応についてフォーラムの開催が予定されていることを伝えた。各国の代表者に加え、月面コミュニティーや火星コミュニティーの代表者や各界の識者を招くという。


 そのフォーラムでは、人類の様々な思いが吐露された。

「私たちは、相手のことを何も知らない」

「シグナルは、我々をおびき寄せる餌なのかもしれない」

「反応しない方が安全かもしれない」

「知識や情報の惑星間非対称は、潜在的な脅威になる。だからお互いに知り合うべきだ」

「応答することで、人類として団結することができる」

「応答する前に、シグナル自体をもっと研究すべきだ」

 若い世代や火星住民らは、応答しないことは、あまりにも臆病だと言った。

 

 メンバーを絞り込んだ委員会は、結局簡単な応答をすることを決定した。第一回目の応答は70個の素数列をナローバンドの二つの周波数を使う周波数偏移変調(FSK)で送ることにした。第二回目の送信では、水素原子スペクトル、パルサーマップ、それに地球の夜景を送信することにした。その後一定の期間を置いてシグナルを送り続ける。


 一樹と美冬は、フォーラム運営のサポートのため、地球低軌道会議場に来ていた。一樹が休憩中に窓から何度も見た刻一刻変化する地球の様子を見下ろしていると、声が聞こえた。

「秋元技官!」

 振り返ると、美冬がコーヒーの容器を二つ持って、一樹の方に近づいてきた。

「顔色悪いわよ」と美冬が言う。

「毎回同じことを言うなよ」

「だって本当のことだもの」と言って、コーヒーを差し出した。

 窓から見える地球の極地付近ではオーロラが明滅し、ニューロンの発火を想起させた。


挿絵(By みてみん)


 美冬が静かに言った。

「不思議ね」

「何が?」

「系外惑星からのシグナルは、何も教えていない」

 一樹は美冬を見つめた。

「言語的でもなく、物理法則も示していない。ただ素数だけ。それなのに、全てを変えてしまった」

 一樹は黙って聞いている。美冬が続けた。

「それに、こちらからの応答に対して相手が返答する必要性について誰も(ただ)していない。人々は無意識的に地球外知性の存在を人類の停滞している文明の活性化、生きることの意味の模索、宇宙進出の正当化、失われた未来志向の回復などに利用している。でも、いくら長寿社会でも往復80年は、長すぎる時間でしょ。子供が埋めたタイムカプセルのことを忘れるように、シグナルを観察し続けながらも、少しずつ忘れていく可能性もある。または、逆に相手への興味がどんどん膨らんで、電波での応答だけでは、収まらなくなるかもしれない」

 一樹が静かに言った。

「彼らは、我々が行くのを待っているのだろうか?」

「分からないわ。でも私たちの意識は、長期間内向きだった後、やっと外側に向かい始めている」

 美冬は続けた。

「心理学では、目的が存在すると逆境を目的達成のためのプロセスとして意味づけ直すことが知られている。レジリエンス(回復力)となって障害を乗り越える力になる」

 一樹が微かに微笑んだ。

「文明の場合は?」

「集団の行動パターンは専門ではないけど…」と言って美冬は続けた。「知的存在が具体的にどこに居るかが分かったことは、無視する行動はとれても、意識から消すことはできない。人々に一種の目的を与えると思う。不可能を乗り越えるインセンティブになるかもしれない」


デジタル・クローン

 系外惑星TRAPPIST-1eへ応答シグナルを発信した後、長寿化技術から派生した別の技術が誕生した。それは大脳から繋がる神経構造をそっくり半導体基板上にコピーする技術だ。このデジタル・クローンは、本人の記憶、感情、気性をそのまま受け継ぐので、人格として認めるべきか、法廷で争われている。本人が死去してもデジタル・クローンは生き続ける。


挿絵(By みてみん)


 この技術が、TRAPPIST-1e対応の転機となった。デジタル・クローンを乗せた探査機を系外惑星に送ろうというのだ。探査機にはAIと人類の全ての知識と歴史が搭載されるが、AIだけでは決定できない状況もある。未知の生命、未知の文化、未知の倫理への対応だ。

 この時点での技術で惑星まで約200年かかるが、デジタル・クローンであれば、食糧が不要になるし、呼吸する必要もない。感情をもつ彼らが、もし望めば、圧縮データとして、電波の形で地球に戻ることも可能だ。探査機は軽量なほど加速が容易になるので、搭乗員は3名に限られた。その搭乗クローンの募集があり、多くのボランティアが殺到した。選抜プロセスを経て最後に残った3名の中に毬子がいた。


 美冬と一樹は、新婚旅行で火星に来ていた。美冬が毬子に尋ねた。

「本当に行くの?」

 毬子は笑う。

「正確には私じゃないわ」

「でも記憶は同じ。考え方も同じ。感情も。それでも怖くないですか?」

「Absolutely not」と毬子は答え、夜空を見上げた。

「月へ行く時もそうだったし、火星へ来る時もそうだった。知らない世界を見る喜びは、怖さより少しだけ大きいの」


 出発の日。地球軌道。数万人が見守る中、三体のデジタル・クローンが探査機に乗り込んだ。そしてカウントダウンに続き核融合エンジンをスタートさせた探査機は、一気にみずがめ座の方向に飛び去っていった。

 その放送をこの時約10分遅れで火星で見守りながら美冬が毬子に言った。

「ホームシックになったら、毬子さんのクローン我慢しないで欲しい」

 毬子はほほ笑んで言った。

「そうね。でも多分帰郷プロトコルは、使わないと思う」

「どうして?」

「私は火星でも同じことを思ったから」

 彼女は目を細めて続けた。

「前にも言ったけど、知らない世界を見ることが好きなの」


(終わり)

 


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