105.瓜二つの真相(下)
「ちょっとだけ思うよ。前世であんたたちに一度でも人型の姿を見せてたら、どうなってたんだろーってね」
動かしてきた椅子に座って足を組みながら、そう締めくくる矢吹先輩。
矢吹先輩が話している間、口を挟む者は誰一人いなかった。
思えば変な話だ。
どうして律と矢吹先輩の見目や雰囲気が似ているのか。
姉弟だからと言われれば何もおかしな話じゃないが、今世の二人は前世の姿をそのまま引き継いでいるはずなのだ。つまり前世の頃から二人の(矢吹先輩は人型に化けていた時の)姿が似ていたことになる。
その理由は前世でアイリーンがサーシス王の母親であるアナベルを食べて魂を取り込んだから……?
アイリーンがアナベルの姿になるために?
正直まだ頭が追い付いていない……が、とんでもねーことをカミングアウトされたことだけは分かる。
蓮水先輩と千寿は口をポカーンと開いて面白いくらいに全く同じ顔をしていた。どうやら混乱しているのはオレだけじゃないようだ。そこだけは良かった。
八千代は気まずそうに視線を下に向けていて、さっきの態度といい、このことは既に知っていたんだなとすぐに分かった。
律の顔は……正直見れなかった。
その時、鋭く息を吐く音が響く。
「随分と……ツッコみ所満載な話をしてくれるじゃねえか」
声の主を、思わず二度見してしまった。
さっきまで床に崩れ落ち呆然と虚空を見つめていた姿はどこへやら、妙に真剣な眼差しで矢吹先輩を見据えていたからだ。
訝し気に眉を寄せる矢吹先輩に、床に胡坐をかいた香坂先輩は訊ねる。
「なあ、アンタが使ったっつう呪術ってのはもしかして『魂魄融合術』か?」
あまるあにま? 何だそりゃ、呪術の名前か?
当然オレには何も分からないが、その単語を聞いた矢吹先輩はハッと息を呑んだ。
「そうだけど……分かるの?」
「少しだけな。だがそれはとある一族の中で口伝えでのみ継承されてるモンだ。書物に方法を記すことは禁じられていたはずだぜ」
……? 確かアイリーンは書物からその呪術のことを知ったんじゃなかったか?
矢吹先輩からえ、と動揺の混じった声が漏れる。構わず香坂先輩は続けた。
「オレも前世でその一族に頼み込んで触りだけ聞かせてもらったことがあったんだが……事前の準備も手順も面倒臭過ぎるし、共食いの趣味もねえし……とてもこれ以上深堀して自分で再現してみる気なんて起きなかった。一応聞くが、その書物には詳しくやり方は書かれていたのか?」
「それは……概要、だけだよ。対象を生きたまま食べれば、魂の一部を取り込めるって」
困惑が隠せずしどろもどろになりながらそう答える矢吹先輩に、相手は呆れたようにハアと息を吐く。
「その時点でおかしいんだよ。この術は生きたまま食わねえと発動しねえのに、アンタは既に亡くなられてたアナベル様を食ったんだろ? アンタがいくら優秀だからと言って、こんなガバガバなやり方で上手くいくはずがねえんだ」
腰に手を当てて、香坂先輩はハッキリと言い切った。
「ハハッ、ああ、何だ、そういうことか……」
渇いた笑い声を出しながら何やら勝手に納得しているが、ワケが分からないのは矢吹先輩含むオレたちである。
生きたまま食べないと発動しない呪術を、アイリーンは遺体を食べて発動させた。
矛盾しているのは分かる。分かるのだが……。
同じことを思ったのか、矢吹先輩は自分の胸元をトントンと指差した。
「そ、そりゃあ、あたしもおかしいなって思ったけど……じゃあ、この姿をどうやって説明すればいいの」
「アンタがその姿になったのは『魂魄融合術』のせいじゃねえ」
そこで言葉を止めると少し迷ったように目線を下に向け、だがすぐに矢吹先輩へと戻す。
「今までの証言から考えられるのは一つ――アンタ、アナベル様の異能を受けたな?」
異能……? アナベルも異能を使えたのか……?
どんな異能かは知らねーが、香坂先輩はアナベルがアイリーンに異能を使ったと確信しているようだった。
そんな先輩に矢吹先輩は困惑していたが、すぐに顔が強張っていく。どうやら、心当たりがあったらしい。
「もし、かして……死ぬ直前に目が光ったのは」
「そういうことだ」
香坂先輩の返事に、遂に矢吹先輩は絶句してしまった。
動けないでいる矢吹先輩を見て、八千代が恐る恐る手を上げる。どうやら放心状態になった矢吹先輩に代わって、八千代が先輩の相手をすることにしたようだ。
「あの、王太后の異能というのは……? どうしてアイリーンは王太后と同じ姿になれるようになったんでしょう?」
「それはアナベル様の異能が『魂魄融合術』とかなり似た性質を持っていたからだ」
魂魄融合術とかなり似た性質を持った異能、か。
異能については八千代たちのものしか把握していないが、どれもえげつないものばっかりだった。きっとアナベルのもそうなのだろう。
「フェルデ家に代々伝わる異能だ。自分の命を代償に相手の魂に自分の魂を溶け込ませ、相手の思考や行動を自分と同じように書き換えることが出来る。そうやって敵国の有能な幹部を自国に寝返らせたり、危険思想を持ってるヤツを排除したり……フェルデ家はこの異能で、代々サーシス王国の影として暗躍していたんだ」
「それは……」
「アンタの異能とは似てるようで全く違うぜ。ルミベルナの異能は対象を自分の傀儡にするモンだが、これは対象に自分の一部……意思とかそういったのをコピーするようなモンだからな」
「自分の意思をコピー……そんな異能、王太后はどうしてアイリーンに使ったんでしょう」
「矢吹侑里の話じゃアナベル様の命はもう長くなかったんだろ。なら最悪のパターン――息子が兵士に捕らえられた場合に備えて、アイリーンに息子を託そうとした……としか考えられねえが」
魂に溶け込み、自分の意思を相手にコピーする……異能。
それをアイリーンに使ったというのか。自分のジュリアスへの想いを受け継がせるために。
なら仮にオレがその異能を誰かに使えば、オレと同じ想いを……例えば『八千代を守りたい』と心から想うヤツを生み出せるってことか……? オレ自身は死んでしまうが、対象にオレの意思を受け継がせることが出来る……ソイツに、八千代を守らせることが出来る、と。
……死に際に使うには打ってつけの異能だな。正直他力本願みたいで気に入らねーが……自分がもう助からない状態で未練が残ってしまったのなら藁にも縋る思いで使ってしまうかもしれない。
「でも、アイリーンがサーシス王のことを気にかけるような素振りなんて、前世じゃ一度も見たことなかったですよ」
「魔晶族の魔法耐性のせいだろう。異能も魔力を使って発動させるものだから……魔法耐性がなければ、アイリーンはジュリアス王子を守るために動いていたはずだぜ」
「……なるほど」
「アナベル様の思惑通りにはならなかったが、アナベル様の魂がアイリーンの魂と融合したことには変わりねえ。結果、アイリーンはアナベル様の意思に魂を汚染されることなく都合よく見目だけを手に入れられたってワケだ」
どうやら魔晶族の異常とも言える魔法耐性はここでもちゃんと仕事をしていたようだ。多分ウイルスに感染はしたが、抵抗力があり過ぎたせいで前世では無症状のままでいられたって感じだろう。
だが……それだとアナベルがあまりにも不憫だ。息子を守るために命をかけてアイリーンの魂の中に入り込んだのに、アイリーンにはその意思が受け継がれなかったどころか、仕舞いには戦争で息子と殺し合う羽目になってしまったのだから。
そこで、ふと思う。
前世じゃ魔法耐性のせいで異能が効かなかった。なら今世は――
「だがここにきてやっと異能が働き始めたみてえだな」
その言葉に放心していた矢吹先輩がハッと我に返る。すぐに自分に向けられた視線に、ピクリと肩が跳ねた。
「まさか……まさか、こんな形で再びお会いすることが叶うとは」
口元に薄く笑みを浮かべ、どこまでも凪いだ顔で、矢吹先輩を見ていた。
まるで、そこにアナベルが座っているかのように。
「ちょ、ちょっと待ってよ!?」
当然と言うべきか、相手はぎょっと目を見開いて勢いよく椅子から立ち上がる。
「突然アナベル扱いされても迷惑だよ! アナベル要素なんてこの見た目くらいじゃん!」
「アンタ自身がアナベル様じゃねえのは分かってるさ。アナベル様はアンタに異能を使った時点でもういなくなったんだ」
「だったら……」
「だが、さっきの樫山をその身を挺して守ろうとするアンタは……王子の人としての幸せを願い、自分の身を犠牲にしてまでも守ろうとしたアナベル様と同じ表情をしてた」
矢吹先輩は断固否定するが、香坂先輩はそう言い返す。
さっきの表情ってどんな表情だ……あ、そういえばさっき崩れ落ちる前にアナベルの名前で先輩を呼んでたな。あの時の先輩は少しだけ雰囲気が違った気がしたが、それだろうか。
「アンタには間違いなくアナベル様の魂が刻まれている。アナベル様は死んだが、その心は受け継がれて今世も生きている」
どんな形であったとしても、生きていてくれたことがオレは嬉しい。
そう言って、香坂先輩はにっこりと笑う。
今まで見たこともない、穏やかな笑みだった。
転生騒動が起きてから、よく知ってるハズのヤツが知らない顔をするのを見ることが本当に増えた。
きっと転生者にとって、前世の記憶と経験というのは、それだけ強い影響力を持っているのだろう。
「……」
だが、矢吹先輩の顔は依然として強張ったままだった。
そんな彼女に香坂先輩は不思議そうに首を傾げる。
「……? 何が引っかかってんだ? アンタだって最初は『魂魄融合術』でアナベル様の魂を取り込んだと思ってたんだろ?」
香坂先輩の言う通り、アナベルの魂を取り込んだ話はそもそも先輩から言い出したことだ。
思っていた手段と違えど魂が融合したことには変わりないのに、どうしてこうも納得いかない顔をしているのだろう。
矢吹先輩はしばらく言いにくそうに視線を彷徨わせた後、唇をわなわなと震わせながら口を開いた。
「アナベルの魂を取り込んだってのは……理解してるよ。で、でもさ、りっくんはあたしの血の繋がった弟だ……大事なのは当然じゃん。なのに、それが、アナベルの心がコピーされたから、なんて」
その言葉にああ、と納得する。
そういうことか。矢吹先輩が気にしているのは――
しかし、矢吹先輩のそれに気づいているのかいないのか、香坂先輩は無慈悲にも「じゃあ聞くが」と続けた。
「今世で初めて樫山を見た時、どうだった」
「え?」
「強い衝動を受けなかったか? 『この子が愛おしい』『この子を守りたい』……そんな感情は湧かなかったか?」
「――ッ!?」
みるみるうちに青くなった矢吹先輩の顔が、答えだった。
焦げ茶色の大きな瞳がこれ以上ないほどに大きく見開かれ、太ももに置かれた手が強く拳を握る。
愕然と床を見つめている矢吹先輩に立ち上がった香坂先輩が一歩近づく。
「まあアンタに関しちゃ異例に異例が重なりまくってるからな、正直どんな異能の表れ方をしてもおかしくね」
「王縛る冰の枷」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
何やら呪文のようなワケの分からない言葉が聞こえたと思う間もなく、香坂先輩の全身がいくつもの氷の輪に拘束されていたからだ。
「もう、いいだろ」
見ると、全身から冷気を発した律が手を前に出しながらギロリと香坂先輩を睨みつけていた。
「樫山!?」
「りっくん……」
驚きに目を丸くする先輩たち。
そのままフラフラと二人の前まで来た律は、香坂先輩を拘束している輪の一つを掴んでぐいと矢吹先輩から引き離す。
「センパイをこれ以上追い詰めて何がしたいの。母様の代替品にでもするつもり?」
「ッ!? 違う、オレは」
慌てて首を横に振る香坂先輩だが、律は聞く気はないようだ。どこにそんな力があるのか、その巨体を構わず引っ張って行き――部屋の出入り口まで辿り着いた。
「出て行け」
「樫山、待て」
「出て行けって言ってるんだッ!!」
今まで見たことも聞いたこともない、親友の怒号。
そのあまりの剣幕に全員が動くことを忘れていた。もちろん、オレも。
完全に怯んで硬直していた相手に律は何やらまた言葉を呟くと、その手には氷の短剣が握られていた。それをあろうことか、香坂先輩の首に突き立てたのだ。
「出て行かないんならおれが今ここであんたを殺してやる……!」
そのアイスブルーの切れ長の目はギラギラと輝き、短剣を持つ手はブルブルと震えていて今にも先輩の皮膚を切り裂きそうだ。
本気だ、と思った。コイツは本気で先輩を殺ろうとしている。あまりの殺気に、オレの身体も勝手にガクガクと震えていた。
「ッ……分かった。今日は、帰る。いいだろ、これで」
今は何を言っても無理だと悟ったのか、少しの間を置いて香坂先輩はぎこちなく頷く。
それに律は「二度とセンパイの目の前に現れるな」と冷たく返すと、扉を開けて素早く先輩を部屋の外に押し出し、拘束を解いて勢いよく扉を閉めた。
そのまましばらく扉の先を見つめ、先輩の足音と気配が完全に消えたのを確認出来たのだろう。手に持っていた短剣が消滅する。
ハーッと荒い息を吐いてこちらを振り返った律の眉間には皺が寄っており、いつも見せている余裕はどこにもなかった。
シーン……と室内に嫌な静けさが流れる。
「あ、あの、樫山……? と、とんだ災難でしたわね……」
そんな空気の中、勇気を持って千寿が声を上げてくれたが、律の表情は変わらなかった。そのまま自分の席の下に置いていたスクールバックを持ち上げる。
「ごめん……おれも先に帰る。今日はもうこれ以上まともに話し合いが出来そうにないんだ」
「ええ!?」
突然の離脱発言に千寿が驚愕の声を上げるが、すぐに理解したように「そ、そうですわよね……」と返した。中心となって話し合いを進めるはずだった律がいなくなれば今回の集まりの意味はほとんどなくなってしまうが……こんな状態で無理矢理進めたとしても、さっきのが気になってほとんど集中出来ないだろう。残念だが、別日に延期するのが賢明と言えた。
律は同じく中心となって話し合いを進める予定だった八千代に、申し訳なさそうに手を合わせる。
「悪いけど、ノゾムの誘拐の件だけ皆と共有しといてくれる? この埋め合わせは今度するから」
「は、はい……」
明るく振る舞おうとはしているみたいだが、空元気にしか見えない。八千代にも分かるのか、心配そうに頷いた。
オレたちに背を向けて「じゃあね」とだけ言うと、扉の取っ手に手をかける。
「あっ……り、りっくん……」
矢吹先輩が微かな声で名前を呼んだが、聞こえていなかったのか律はそのまま部屋を出て行った。