24.福音(最終話)
貴族を手にかけたものは通常は縛り首となる。役人に連行されたルイーズであったが、気がふれていると判断され、処刑は免れた。
夫のグレゴリー・ダントンは真実を知ってもルイーズを愛したままだった。
彼はラガリエ領内に建てた屋敷を売り、湖畔にある療養院にルイーズを入れると言って、この地を去った。
ディーンは幼馴染であるルイーズの気持ちには全く気付いていなかった。
そして彼女が父と兄を手にかけ、ジリアンまでも葬ろうとしていた事に心を痛め、元気もなかったが、最近はようやく元の彼に戻りつつあるようだ。
「それにしても、酷いですわ。キャロル様」
「わ、悪かったよ!」
暖炉の間でナタリーが紅茶を飲みながらぼやくと、キャロルは気まずそうにそっぽを向いた。
キャロルは初めからルイーズがやったと気づいていた訳ではない。なんと、彼女はついこの間まで、ナタリーを限りなく怪しいと疑っていたのだ。
ナタリーは、息子のパトリックを侯爵に据えるために、アーサーとクライヴを葬ったのではないかと。だが正面きってナタリーを糾弾したりしては自分も殺される。いや、ナタリーとはもともと折合いが悪かった。何もしなくても、このままでは自分は邪魔物として命を狙われてしまうのでは。
そう考えたキャロルは、殺す必要がないような人間になってしまおうと、自分を偽り始めたのだった。
──あいつがやったんだ!
──また、誰か死ぬよ
ジリアンが首なし騎士の絵を見た時にキャロルがそう叫んだのは、息子と孫を殺した──かもしれない──ナタリーを牽制する為だったのだという。他の人間にもナタリーを疑って欲しい。そして真相を調べて欲しいと。
自分を守るために自分を忘れたふりをしていたキャロルの、精一杯の訴えであった。
だがガーデンパーティーの時にキャロルは聞いてしまった。
『しっかりやるのよ』
『へい……この薬を、侯爵夫人の飲み物に混ぜればいいんですね』
ひと気のない場所で、ルイーズと男が密談しているのを。
『ええ。前々侯爵に使った薬よりもずっと強いものだから。ハーブをきつくして、薬のにおいが分からなくなるようにして』
『へい、やってみます』
『成功したら、クライヴの時の倍額払うわ』
『へい! やってみせま……あっ、ダントン夫人、聞かれてますよ!』
男はキャロルの姿を見て焦ったようだった。キャロルも予想外の真犯人を知った事で動揺した。そして自分は口封じのために消されるのだと思った。だがルイーズは落ち着き払っていた。
『大丈夫よ。その人、呆けてるから。何も分からなくなっているのよ。覚えちゃいないわ』
『そ、そうなんですかい……』
狩猟小屋でキャロルがルイーズの隙をつけたのは、彼女がキャロルに対して何も注意を払っていなかった事が大きいだろう。
そしてルイーズが狙っていたのはジリアンだったのだと知ったキャロルは、ジリアンを呼んでどうにかして気づいてもらおうと思った。だが、その間にディーンがカップを口にしてしまっていたのだ。
真犯人はルイーズだが、彼女は人を雇っていた。仲間は他にもいるのかもしれない。もしかしたら屋敷の人間の中にも。疑り深くなったキャロルは、パーティーの後は迂闊な言動を慎んだ。
「ばあ様、気づいていたならそう言ってくれればよいものを……」
「なんだい、ルイーズ・ダントンが犯人だってわたしが言ったところで、あんた達は信じてくれたのかい?」
「う、うむ……それを言われると……」
ディーンがぽりぽりと頭を掻いた。
キャロルは記憶や思考を偽ってしまっている事で、自分の発言は信憑性に欠けるのだと分かっていた。もしキャロルが真犯人の名を告げてくれていても、やはりジリアンも自分が襲われるまでは信じなかっただろう。
「ちょっといいかしら」
ジリアンには気になっている事がある。
ディーンの噂を流していたのはルイーズだった。林でジリアンを恐ろしい目に遭わせたのも、脅迫文が投げ込まれたのも、カップに毒が入っていたのもルイーズのやったことだ。
では、肖像画や額縁の中の絵が変化したのは何だったのだろう。お茶を淹れる時に一人分多く注いでしまったり、屋根裏部屋に誰かの気配があったりしたのは、いったい。
疑問を口にすると、ナタリーがふんと鼻を鳴らした。
「だから、言ったでしょう。侯爵家に相応しくない人間を、祖先の霊が追い出そうとするって」
事件の真犯人が分かったところで、少し態度を和らげたように見えたナタリーであったが、ジリアンに対してきつく当たるのは変わらないらしい。
「それって……」
やっぱり私の事ですか、と言おうとすると、ナタリーの方が早く口を開いた。
「──私もそうだもの」
「えっ?」
「肖像画や絵画が変わるのは私も見るわ。誰もいない部屋から声が聞こえてきたりもね。でも、祖先の霊が相応しくない人間を追い出そうとするっていうのは、私もキャロル様に言われたんですからねっ」
「わ、わたしだってねえ」
急に話を振られたキャロルはあたふたとしながら手元の紅茶を一口飲んだ。
「わたしだってねえ、エディ……夫の母親から、いつも厭味ったらしく言われていたんだよっ」
ジリアンとディーンは顔を見合わせて絶句し、ナタリーも目をぱちくりとさせた。
どうやら、ハーヴェイ侯爵邸は本当に幽霊屋敷だったらしい。
そしてどこかの代の侯爵夫人が、嫁いびりのためにその現象を利用した……そんなところだろう。
良いことも起こり始めていた。事件が一段落すると、使用人が増え始めたのだ。
人手が足りているとは言えない状況だが、御者を雇えたので、パトリックはグラウツの街の学校に再び通いだした。同じ学校に通っている子供がラガリエ領内にも多くいて、パトリックは学校から帰ってくると彼らと一緒に遊びに行く。ナタリーはパトリックの交友関係について、何も言わなくなった。
時折パトリックの同級生が「怪奇現象を見たい」と言って屋敷にやって来るが、不思議な事に、期待して待っているうちは何も起こらない。
使用人が増えたといっても、エリンはジリアンの世話に専念するような暇はなかった。封鎖していた部分を一部開放したばかりなので、今はその部分の清掃のために走り回っている。
ウォルターはディーン以上に落ち込んでいた。まさかダントン夫人が、と。あんなに綺麗な人が、と。だがそれも一時の話で、ハーヴェイ邸に遊びに来るたびに使用人の娘をお茶に誘って、ディーンに小突かれていた。
最近のディーンはあることに没頭している。
ジリアンは屋根裏部屋への階段を上った。
「やっぱり、ここにいたのね」
「ジリアン」
ディーンは読んでいた本から顔を上げた。
屋根裏部屋の荷物の中から、祖先の書いた日記が出てきたのだ。ディーンはそれを読み耽っている。日記から、初代侯爵は洒落者だったという事が分かった。髪型が変わったり宝石の色が変わったりするのも頷ける。
六代目の侯爵はどんなに忙しくてもお茶の休憩をとる人であった。八代目は人生の大部分を戦場で過ごし、爵位を継いだのは年老いてからだ。首なし騎士の絵は、八代目なりの警告だったのかもしれない。このままではまた死人が出ると。
「今、十三代ハーヴェイ侯爵夫人の日記を読んでいたところだよ」
「ああ。あの、銀髪の可愛らしい方」
ジリアンは彼女の肖像画を思い浮かべた。夫の十三代侯爵は少々危険な雰囲気のいい男。彼らはたくさんの孫に恵まれるまで長生きしたらしいので、廊下に飾られている肖像画は若い頃に描かれたもののようだ。おそらくは結婚したばかりの時に。
「君が聞いた屋根裏部屋の話し声は、十三代侯爵の双子の娘なんじゃないかな。双子はいつもここで遊んでいたらしい」
「まあ」
屋根裏部屋をよく見てみれば、柱には背比べをしたような傷あとがあるし、荷物で隠れている壁には落書きがしてある。自分たちに妹か弟が出来ると知った時に名前の候補を考えたのだろうか、可愛らしいいびつな文字で色々な名前が書いてある。
ジリアンは十三代侯爵の娘たちがここで遊びまわる様を思い浮かべた。
「ジリアン、俺たちは子孫にどんな現象を見せたらいいだろうな」
「そんなの、五十年先に考えればいいわよ。くだらない事言ってないで、マーカスの所へ行って。祖父から、舞踏会の招待状が届いているわ」
「君のおじいさん……エルノー公爵から?」
王都での舞踏会。二人で出席して上手くやれば、ディーンの妙な噂は完全に払拭されるかもしれない。これにはジリアンも気合が入る。
ディーンは立ち上がるとジリアンの腰に手を回した。
「その時、君は髪を下ろしてくれるのかな」
「でも、ピンクは着ないわよ」
部屋を出る直前、ジリアンは振り返った。
誰かに会えそうな気がしたのに、気配はない。そう、彼らは期待して待っているうちは現れないのだ。でもいつかきっと、こちらの不意を突いて会いに来てくれるだろう。その時を楽しみにしようと思う。
二人が去った部屋は、しばらくの間静まり返っていた。だが、やがて少女のくすくす笑いと床を走り回る音が響き出す。かつて埃まみれだった床は今では綺麗に掃除され、少女たちの足跡がつくことはもう無かったが。
(了)




