プロローグ2 悲劇が訪れた日
エヴラールの葬式は教会の聖堂内で行われた。
「まだお若いのに……」
「一体どうして」
「魔法による暗殺だったのでしょう? 犯人も捕まっていないとか」
参列者の潜められた会話が至る所から漏れる。
彼女達の声を聞き流したまま、オレリアは泣き腫らした顔で呆然と佇んでいた。
エヴラールの訃報を聞き、彼の亡骸を目の当たりにしてからというもの、オレリアは寝不足と疲労で憔悴しきっていた。
愛する人の突然の死。
葬儀が終わりを迎えても、オレリアの気持ちの整理はついていなかった。
棺が運ばれ、冷たい土の底へ埋められる。
葬儀の終わりが告げられ、参加者が次々と去っていく中で、オレリアは墓石の前から動く事が出来ずにいた。
ただ呆然と立ち尽くしていたオレリアだったが、彼女はやがて何かの意図が切れたかのように崩れ落ち、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
家族や友人が寄り添い、宥めようとも、オレリアが負った心の傷は癒えず、彼女の悲痛な泣き声は教会の庭に響き渡るのだった。
***
エヴラールの葬儀から一ヶ月が経っても、オレリアは立ち直ることが出来ずにいた。
食事もろくに取らず部屋に閉じこもり、エヴラールを思い出しては泣き続ける日々を送っていたある日の事。
「……オレリア」
ノックと共に男性の優しい声がオレリアを呼ぶ。
それは家族や使用人のものではなかった。
「シルヴァンだけど……起きている?」
ベッドに伏せるような形ですすり泣いていたオレリアは非常に緩慢な動きで顔を上げ、扉を見やる。
シルヴァン・ラグランジュはオレリアとエヴラールの共通の友人だ。
オレリアは元々エヴラールと親友同士であった彼とは婚約者を経由して知り合ったが、今や心を許せる数少ない友と呼べる程深い関係となっていた。
「突然押し掛けてごめん。ただ、どうしても、君に相談したい事があって」
オレリアはとても話せるような状況ではなかった。
しかしわざわざ友を案じて尋ねてくれたのだろう彼の気遣いを無下にすることも出来ず、ゆっくりと扉へと近づく。
そしてドアノブに手を伸ばした時の事だった。
「エヴラールを救える可能性があるとしたら――どんな事でも出来る?」
一瞬、オレリアの思考が止まる。
次に彼女の脳裏を過ったのはエヴラールと過ごした幸せな日々の記憶の数々。
そして更に遅れて、その幸福を取り戻せるかもしれないという期待が胸の奥底で膨らんだ。
オレリアは扉を開け放つ。
瞬間、目の前に立つ黒髪の青年の姿が視界に映り込んだ。
突然現れたオレリアに驚いたのか、彼は赤い双眸を見開き、数度瞬きを繰り返すのだった。
***
最愛の人を亡くしたオレリアは正常な判断が出来る状態ではなかった。
ただ、少しでもエヴラールを救う可能性があるのなら、どんな手にだって縋りたいという一心だったのだ。
エメデス帝国の首都の南には国で最も大きな教会が存在する。
全ての教会を取りまとめる役割を担う場として非常に広大な面積を有しているそこは大神殿と呼ばれていた。
オレリアとシルヴァンがその敷地に足を踏み入れたのは、誰もが寝静まるような深夜だった。
静まり返った巨大な建造物の中をオレリアはシルヴァンに手を引かれながら駆け抜ける。
「こっちだ」
大神殿には日中に一般公開されている区域があり、そちらには何度も赴いた事があるオレリアだったが、この日彼女が向かったのはこれまで訪れた事のないような場所だった。
シルヴァンが小声で囁きながらオレリアを先導する。
彼は迷路のような廊下を迷いなく進み、やがて現れた、上層階へ繋がる階段の死角で息を潜めていた地下通路へオレリアを誘う。
長い階段を突き進み、更に先が見えない程に続く通路を駆け抜け、地下の最奥へと辿り着いた。
最奥には両開きの鉄扉が構えている。
それをシルヴァンは開きながら、緊張した面持ちでオレリアへ振り向いた。
「もう一度だけ確認するよ」
開かれた扉の先を言い表すのならば、巨大な書庫という言葉になるだろうか。
しかしそう表現するには異様過ぎるような空間が広がっていた。
天井まで届く本棚に囲まれた、平民の家屋一棟分程度であれば優に収まるだろう広々とした空間。
数々の本が散らばった床にはチョークや何かの動物の血で描かれたような魔法陣が無数に存在し、また石碑のようなものがいたるところに倒れている。
また本や石碑に記される言語は共通しておらず、世界中の言語を全て詰め込んだかのような世界が広がっていた。
そしてその地下室の中央には非常に長い時の流れを感じさせながらも荘厳さを漂わせる台座と、その上に台座以上の時を経たのであろう、非常に分厚い本が開かれたまま置かれていた。
「黙示録を破れば必ず女神から大きな罰を受ける事になる。……それでもいいの?」
初めて訪れた空間の異様な光景に圧倒され、立ち尽くしていたオレリアはシルヴァンの声で我に返る。
一度選択すれば後戻りはできない。
そんな忠告の意を孕んだ言葉と眼差しを受けながらも、オレリアの決意は変わらなかった。
「……いい」
オレリアはシルヴァンと共に台座へと近づく。
開かれた本は一定の感覚で独りでに頁が捲られていた。
そしてその頁の全てに、目を通す事すらままならない程の細かな文字が綴られていた。
オレリアはそれを見下ろし、生唾を呑む。
彼女の隣ではシルヴァンが本の頁を一部掴み、オレリアへ振れるよう促した。
大きな緊張が、本へ手を伸ばす彼女の動きを一瞬だけ止める。
しかしその瞬間に過ったのは、ほんの最近に交わしたエヴラールとの会話の記憶だった。
――伝えたい事がある。
(私はまだ、彼の言葉を聞いていない。……クアムルーメを見に行く約束だって、果たされていない)
オレリアは今度こそ本の頁へ両手を伸ばす。
「たとえどんな手を使ったとしても、どんな代償を支払う事になったとしても……私は彼との未来を叶えたい。だから私は」
頁を掴んだ両手が、盛大な音と共にそれを破いた。
瞬間、辺りは突如として真っ白な光に塗り潰され、オレリアとシルヴァンの輪郭が消えていく。
「――過去に、戻るわ」
決意に満ちた言葉を最後に、オレリアの意識は途切れるのだった。




