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ハワード王国の王子様  作者: あるて
序章 崩れ去る平和

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第4話 愚将と十万

 ――リンゼン帝国 帝都 城門前広場――


 普段は練兵場として使われている大きな広場も、十万の大軍が集まれば窮屈に感じます。

 大軍の前方、一段高く設えられた演台に立つのは宰相アルベルト・ヨハン・ローゼンベルク。

 これから敵地へと侵攻する兵士に向けて、総司令官として軍を率いる彼が全軍に檄を飛ばします。


「戦友諸君! この戦いはかつての帝国領土を取り戻すための正義の戦いである! 慈悲深き皇帝より多大な君恩を受けたことも忘れ、逆賊の徒に成り果てたカイゼル・ハワードとその一味に大いなる鉄槌を下すのだ! 敵はわずか三万の小勢! 我が十万の勇猛な将兵たちの前には蜘蛛の子のごとく蹴散らされることだろう! いざ進め! 不当に簒奪(さんだつ)されし我が領土へ! 行軍速度第三種!」


 進軍前の演説というのは本来、兵士たちの戦闘意欲を刺激し、士気を上げるために行う物。

 背後でそれを見守るイストリアから見て、宰相の演説は三つの間違いを犯していました。


 一つ目は戦友諸君と呼びかけたこと。

 戦友というのは長年の戦を共にして、将兵の信頼関係が成り立ってこそ意味のある呼び方です。新兵や初めて指揮する部隊に向かっては『戦士諸君』と呼びかけるのが慣例でした。それをいきなり馴れ馴れしく戦友などと呼ばれては、兵士たちも興醒めです。


 そして二つ目。

 総司令官は兵士にとって命を落とすかもしれない戦場へと送り出すために、己の正義を信じ、敵へと立ち向かう勇気や敵愾心を煽るものです。煽るまでは良かったのですが、最初から敵を過小評価し、この戦いが簡単に終わると印象付けたのは悪手でした。


 そして最後は進軍速度。

 進軍速度は三種に分かれており、一種は通常行軍で一日の踏破距離は二十キロ程度。二種は速行軍で三十キロ程度。そして三種というのは昼夜問わずの強行軍で、その距離は四十キロ以上とされています。それを武器や防具、当面の食料やテント類など二十キロ近くある重さの装備を抱えて進むのです。

 帝国の首都から辺境である大陸西方への入り口までは四百キロ近く。通常行軍なら二十日ほどで到達できるところを、必ずしも急ぐ理由がないにもかかわらず最速で到達することを強要するのですから下策以外の何ものでもありません。


 この演説を聞いた兵士たちの心境が、敵を侮り、労苦を厭い、無茶な命令に反発心を抱くようになってしまっても仕方がないというもの。


 イストリアは、あの即位の日以降そば近く控えるようになった青年将校ヴィルヘルム・フォン・ハッツフェルトへ向かって問い掛けました。


「ヴィルヘルム、どうして大臣は最強行軍をさせてまで急がせるの? 食料の補給も大変になると思うんだけど」


 その質問には彼も驚きました。わずか十歳の少女皇帝が兵站の重要性を把握しているのですから。

 それとは対照的に愚行を繰り返す大臣には憤りを覚えていました。


「あれは単なる見栄でしょう。大臣にとって総指揮官は初めて。初陣を華々しく、迅速に片付けることによって自身の名声を高めたいという野心しかないと推察します。補給路も途中に中継基地を設置していない以上、伸びきってしまい困難なものになるでしょう」


 吐き捨てるように言う彼の言葉に、イストリアは表情を曇らせます。


「それでは兵が飢えてしまうではないの。空腹では士気も維持できない。もっとゆっくり行軍することはできないの」


 兵站の充足はそのまま兵士の士気に直結します。それを書物や誰かから習ったわけではなく、想像だけで見抜いてしまうこの皇帝の頭の良さに、ヴィルヘルムは頼もしいものを感じました。

 しかし、賢帝の素質を見せるイストリアに対し、あくまで自身の名声と虚栄心にしか興味がない大臣には何を言っても聞く耳を持たないでしょう。愚将に率いられる軍隊ほど不幸なものはありません。


「ゆく先々の街で現地調達をすればいいとでも思っているのでしょうね」


 十万もの人間を食べさせていくというのは大事業です。そのために兵站というのは重要になるのですが、それを重視しない人にとってはただの補給にしか過ぎないのでしょう。


「そんな。それでは街の人々の食料がなくなってしまう。民を犠牲にして何が帝国軍なの」


 彼女の言うとおりいくらお金を払って食料を調達すると言っても、十万の人間の胃袋を満たすほどの量を取られればそれは徴収と何ら変わりなく、行軍路に当たってしまった街の民にとっては迷惑以外の何者でもありません。

 内政には卓越した腕を振るっていた大臣とは思えぬ失策です。

 野心というのは時として、人の目を曇らせてしまうものなのでしょう。


「この戦闘はおそらく負けます。だが戦闘の負けがそのまま全体的な戦争の負けを意味するわけではありません。皇帝陛下に置かれましては帝都を守るべく、さらなる兵の増強と練兵に力を注ぎ、万が一の事態に備えていただくのが肝要かと」


「あなたはそれを手伝ってはくれないの?」


「わたしはただの大隊長でしかありませんから。指揮権がありません」


「ならば次の選挙で法務官に立候補しなさい。わたしが支援するわ。会計検査官は経験済みでしょう?」


 リンゼン帝国の官職は市民集会による選挙を経て選ばれるものであり、各官職に就任するためには条件があります。上位の官職に立候補するには軍事経験と下位の官職の実務経験が必要なのですが、ヴィルヘルムは既にその両方を満たしています。

 その上で皇帝が後ろ盾につくとなれば当選は確実。

 帝国では法務官と執政官の二つだけが、二個軍団以上の指揮権を与えられていました。


「あなたはこれから、わたしの手足となって働くのよ」


 イストリアの幼い顔からは想像が難しい、統治者としての確固たる意志の強さに、ヴィルヘルムは息を飲むのでした。

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