エピローグ
どこまで澄み渡った空を見上げ、リンカは前を歩く背中に声を投げかけた。
「カイエン君、本当にこっちでいいんでしょうね?」
「ああ、大丈夫だと思うぞ。勘だけど」
早速不安にさせる口振りで返答してくるも、カイエンの足取りに迷いは見られない。
あらかじめ道を教わっていたという事情もあるが、どうやら本能的に目的地を察しているらしい。
リンカはふと足を止めると、登ってきた道のりを確かめるように背後を振り返った。
視線の先には、先日大立ち回りをやらかした王宮がゴマ粒ほどの大きさに見えており、細くたなびく紅色の煙が上がり続けているのも確認できる。
「シャヒルには感謝しないといけないわね」
王宮での戦いの際、リンカ達の目前で忽然と姿を消したカイエンは、あらかじめ聞いていた通り、しばらく経った頃にこれまた唐突に姿を現した。
単に神出鬼没程度であれば、リンカも他人のことは言えないので気にも留めないのだが、カイエンが抱えて帰ってきたものは、見て見ぬふりで通すには難易度が高過ぎた。
カルマ国王子、第一王位継承者、ハリヤダット・カルマの亡骸である。
当然、王宮は上へ下への大騒ぎとなった。
中庭で繰り広げられた異形同士の激突に神経をとがらせていた衛士達は、当初、亡骸を回収してきたと主張する余所者、つまりはカイエンを重要参考人とみなす。
もっとありていに言えば、下手人ではないかと疑ってきた。
実のところ、疑いも何も悪魔に乗っ取られていたハリヤ王子と戦い、とどめを刺したのは間違いなくカイエンである。だが、馬鹿正直に説明すれば王族殺しとして追われるのは火を見るより明らかだったため、リンカがぎりぎりで割り込んで衛士の聴取をうやむやにさせたのだ。
それに加えて、あの悪魔はよほど巧妙に王子の皮をかぶっていたらしく、王子が幻想霊とすり替わっていたなど、とてもではないが説明できる状況ではなかった。
あまりにも面倒臭いため、トンズラをかますことも真剣に検討し始めていたところ、ようやくシャヒルが姿を見せたことで、衛士達はカイエンを取り調べるどころではなくなった。
なにしろ第一王位継承者が父である現王に毒を盛り、暗殺を謀ったというのである。おまけにそれを告発したのが、二十年前の政変で死んだとされていたシャヒザダラ・カルマを名乗る人物だ。
駆けつけたガルシュラがシャヒルの血筋を保証しなければ、一体どのような結末となっていたか想像もつかない。
ともあれ色々と紆余曲折はあったものの、王族として復帰することとなったシャヒルがカイエンの潔白を保証したことにより、ハリヤ王子の進めていた国王暗殺計画を防いだ功績ありと判断され、ようやく怪鳥の霊獣の居所を教えてもらえることとなったのだ。
ちなみに聖鳥の座と呼ばれるその場所は街から意外と近く、カイエン達は朝早く街を出発して半日ほどでここまで辿り着いていた。
この程度の距離であれば、常人でも二日程度、山歩きに慣れている者ならば一日もあれば踏破できるだろう。
だが、場所だけでは駄目なのだという。
前日から王宮の屋上で準備を始め、今も一秒たりとて欠かすことなく焚き続けてくれている紅色の狼煙。この狼煙抜きでは、聖鳥の座に辿り着いたとしても、肝心の聖鳥に会うことはできない――らしい。
興味を覚えたリンカが根掘り葉掘り訪ねたものの、狼煙を焚いている王宮付きの典礼官達ですら、その理由までは理解していなかった。
なんでもカルマの初代国王が霊獣と誼を通じた際、面会を求めるならば特別な手順を踏むように伝えられ、以来それを律儀に守ってきたのだという。
そんな訳で、わざわざ色付きの狼煙を焚く理由については、リンカも独自にいくつかの推論を立てはしてみたものの、情報不足のため解明には至っていない。
ともあれ、あの狼煙が上がっている限り、カイエン達はカルマという国から正式に認められた使者として扱われるということだ。
本当に霊獣と会えるのであれば、今はそれで良しとすべきだろう。
と、その時である。周囲の気配が急に変わったことを感じ取り、リンカは我知らず足を止めていた。
前後左右を見回してみるが、特に変わった様子は無い……いや、一点だけ、致命的な違いに気付く。
いつの間にか、はるか後方に立ち昇っていたはずの狼煙が、影も形も見当たらなくなっていたのである。
明らかな異常事態に警戒心がむくむくとわき上がりかけるが、罠に嵌められた時特有のじわじわと染み込んでくるような焦燥感が微塵も浮かび上がってこない。どうにもチグハグな状況に、リンカはしばし戸惑うものの、ふとある可能性に思い至った。
「もしかして、これって……」
仮説を言の葉に乗せかける。
それを待っていたかのようなタイミングで、不意に一行の頭上に影が差した。
すでに標高は森林限界近くに達しており、人の背丈より高い樹木はまばらにしか生えていないため、灌木の枝葉が陽光を遮ったとは考えにくい。となれば、山の天気は変わりやすいとも言うことだし、急な雨雲か何かだろうか?
そんな推測を立てつつ、何気なく頭上を見上げたリンカの両目が、驚きのあまり点となった。
「ええぇ……?」
色々と形容しがたい声音が漏れてしまうが、この状況でノーリアクションを貫き通せという方が無理な話だろう。なにしろ、上空には巨大としか言い表しようのない一羽の鳥が滞空し、悠然とカイエン達を睥睨していたのだから。
翼の長さは端から端まで、目算で20メテル近くあるのではなかろうか。
嘴や爪の形状はワシとよく似ているが、全体的に細部が微妙に異なる。第一、翼長が20メテルに達するワシなど、見たことは無論、聞いたこともなかっ――
「あれ? そういえば、最近調べた中にあった気がするわね……」
ぽそりと呟き、リンカは己の記憶を探る。
最近の調べものといえば、異形の正体を探るために各地の伝承を片っ端から漁った時に違いない。そして、もしも伝承の中に該当するものがあったとすれば――
「もしかして、あの鳥も霊獣じゃなくて幻想霊持ちだってこと……?」
「よお、来てやったぞ!」
「あぉんっ!」
思いついてしまった可能性にリンカが自問している間に、カイエンは気安い様子で頭上の巨鳥へ手を振り、ヘイも尻尾を振って吠えかけた。
巨鳥もそれに応えるように、ばさりと羽ばたくと一直線に降下してくる。
降下といっても、獲物を捕らえる時のような急降下ではない。
着陸地点をきちんと見定め、カイエン達の近くに優雅に降り立つ。
巨体から受ける印象に反して恐ろしく静かに着地してのけた大ワシは、千里先でも見通せそうな鋭く透き通った眼差しでもって、カイエン達を順繰りに見回した。
まるで心の内でも見透かされているような感覚に陥るリンカだったが、相棒の神経はそこまで繊細にはできていなかったらしく、にこにこと笑みを浮かべながら呼びかける。
「おっす、一週間ぶりか?」
「えっ、まさかの知り合い!?」
「ああ、リンカも会ったことあるはずだぞ」
自信たっぷりにカイエンが言い切った。リンカが疑わしげな視線で見上げると、巨鳥は『仕方ないなぁ』とでも言いたげな様子で器用に片目をつぶってみせる。
次の瞬間、見上げるほどの巨体は影も形もなく消え失せており、リンカも一度だけ顔をあわせたことのある人物――確か、ガラという名前のカイエンの先輩――が、きまり悪そうに頭を掻いているではないか。
「いやあ、参った。予定ではもうちょっと引っ張ってから、劇的に正体を明かして驚かせてみたかったのに……ちなみに、どうして気付いたのか、後学のために教えて欲しいところだね」
「何言ってんだよ、見た目が変わっても臭いが同じじゃん。気付かないわけないだろ」
「その識別方法はカイエン君にしかできないって、いつも言ってるでしょうが」
「わふ、わふっ」
当たり前な顔をして、常人はおろか霊紋持ちでも不可能なことをさらりと言ってのける野生児の脳天に、リンカは軽めのチョップを入れる。その足元では、ヘイが『自分だって気付いていた』と言いたげに、ぶんぶんと尻尾を振って主張していた。
緊張感の抜けること甚だしいやり取りだったが、ガラには気を悪くした素振りはなく、むしろどこか嬉しそうに、苦笑を浮かべてその光景を眺めてくる。
「仲が良さそうで結構、結構。おっと、そういえばこれを伝えるのを忘れるところだった」
パチンと両の掌を打ち合わせ、おもむろに居住まいを正すと、ガラは真っ直ぐに頭を下げた。
「ハリヤダットに引導を渡してくれて感謝する。シャヒザダラが王位に就けば、あの国はきっと立ち直るだろう」
詳細な説明をするまでもなく、事情はすべて把握しているらしい。
どうしてお礼を言われているのか飲み込めずに首をひねっているカイエンを尻目に、リンカは今回の一件に関する諸々の疑問を、たった一言に集約してみせた。
「ガラさんはどこまで把握していたんですか?」
「正直に言えば、全部かな」
率直な問いかけに、ガラも真摯に向き合い、そして即答する。
「ハリヤダットが幻想霊に乗っ取られたことも、二十年前の政変の真相も、それより昔の話も知っているよ。なにしろ、僕はずっとあの国を見守ってきたからね。いや、見ているだけと言った方が正確か。求められない限りは不干渉を貫く。それが僕と初代カルマ王が交わした、最初の約束だったから」
その言葉が本当ならば、三十代にすら到達していないように見えるこの青年は、百歳を軽く超えているということになる。
さすがに信じがたい話かに思えたが、幻想霊そのものに変身ができるなどという眉唾物の芸当を目の前で見せられた以上、頭ごなしに否定することは憚られた。
「……色々と言いたいことはあるけれど、ガラさんこそが私達の探していた、カルマ国を守護しているという怪鳥の霊獣の正体、で合っているのよね?」
「ああ、概ねその理解で問題ない。より正確には、僕は霊獣ではなく霊紋持ちなのだけれどね。ガルーダの幻想霊を宿した第三階梯の霊紋持ち、それがこの僕、ガラという人間さ」
どことなく照れくさそうに、リンカが予想していた通りの名を告げる。
ガルーダ、それはロザン皇国においては迦楼羅と呼ばれている、伝説の怪鳥の名前である。
また、カイエンの先輩と聞いていた時点で予想の範疇ではあったが、ガラ自身も第三階梯に至っているらしい。ちなみになぜ予想できたかといえば、カイエンに第三階梯へ至るための修行方法を提案した人物が、何を隠そうガラ本人だったからだ。
となれば、いつの間にか狼煙が見えなくなっていた件についても、今回ばかりは合理的な説明がつく。要するに聖鳥の座とは、ガラが作り出した一個の世界なのだろう。
景色が寸分違わないので気付くのが遅れたが、ガルーダの幻想霊が構築した別世界に入り込んでしまっていたのであれば、元の世界で焚かれていた狼煙が見えなくなるのも納得だ。むしろ道理とさえ言っていいだろう。
ガラの告白に対し、あらかじめ予想がついていたリンカの方は、内心はともあれそれほど驚いた様子は見せなかったが、一方で飛びあがらんばかりの反応を示す者もいた。
言わずもがな、カイエンである。
「え、マジか? じゃあもしかして、あんたが『天の角、地の翼』だったりするのか!?」
大いに吃驚顔を披露するカイエンであったが、ガラは苦笑を浮かべると首を横に振った。
「まさか。僕はそんな大層なものじゃないさ。カイエンから聞いたが、君達はこの山に住むと噂される霊獣が『天の角、地の翼』と関係あるんじゃないかと見込んで、わざわざここまでやって来たのだろう?」
「知っているのなら誤魔化す意味はなさそうね。ええ、その通りよ」
わざわざ隠す意味は皆無のはずなのだが、どこか悔しそうに唇を噛みながらリンカが肯定する。あまりにも嘘や誤魔化しを差しはさむタイミングが無いため、かなりフラストレーションが溜まっているらしい。ここまでくると、未知のアレルギーか病気でも持っているのではないかと、つい疑いたくなるほどだ。
対してガラは、うんうん頷いていたかと思うと、悪戯っぽく微笑んだ。
「それなら、無駄足を踏ませた詫びとカルマを救ってくれたお礼に、ちょっとしたヒントを進呈しよう」
「ヒント?」
おうむ返しに尋ねるカイエン。ガラは小さく首肯すると、先を続ける。
「ああ。とはいえ、大したヒントではないけれどね。ただ、これだけは言える。君達のこれまでの旅は決して無駄ではなかった。世界を知るというのは、『天の角、地の翼』に到達するためには、決して避けては通れない道なんだ。だけど、まだ足りない」
「足りない? 何が足りないというのかしら?」
リンカが鋭く切り込む。
実のところ、『天の角、地の翼』については、カイエンよりもリンカの方がモチベーションとしては高いのだ。
カイエンにとってみれば、世界を見て回るという目的のついで程度の意味しかない。しかしリンカの場合、本人の言を借りるならば、歴史研究者として『天の角、地の翼』の謎を解き明かしてみたいのだから。
「すまないけれど、それは僕の口から伝えることは出来ない」
申し訳なさそうに、しかし、きっぱりとガラが拒絶する。
芯の通ったその口調からは、確固たる理由があっての拒絶であることがうかがえたが、だからといって不満を抱くなというのも無理筋というものだ。
反射的に言い募ろうとしたリンカだったが、それよりも早く、カイエンが口を挟む。
「足りないってことは、もっと旅をしてこいってことだろ。いいぜ、元からそのつもりだったからな。どうせなら世界中を見て回ってやるよ」
「ああ、それがいいだろうね。単なる知識ではなく、実感としてこの世界を魂に刻み付けてくるといい。そうして世界の在り様に納得することができた時、ようやく君達は世界の果てに至る資格を得るはずだ。『天の角、地の翼』はそこに在る」
意味深な言い回しにリンカが食い付きたそうな素振りを垣間見せるが、ガラは気付かぬふりを決め込むと、頬を撫でながら吹き抜けていく風の感触に目を細めた。
「さて、僕が話せるのはここまでだ。後は自分の手で掴んでくるといい。君達ならばできると信じているよ」
餞別の言葉を贈るやいなや、ガラはガルーダへと変化した。
ばさりと翼を一打ちすれば、突風を巻き起こしながら巨体が宙へと浮かび上がる。
あっという間にカイエン達の上空まで急上昇すると、別れの挨拶代わりか円を描くように二周ほど旋回し、連なる尾根の彼方へと飛び去って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ガラが飛び去ってしばしの後、カイエン達は聖鳥の座を離れ、カルマの街へ帰還すべく山を下っていた。
ガラが去ったことで元の世界へ戻って来たのか、目印代わりの紅色の狼煙も今なら遠目に確認できる。もしかするとあの狼煙は、聖鳥の座を訪れた使者が、帰り道で迷わぬための工夫なのかもしれない。
ともあれ、ロザン皇国を離れてこの国までやってきた目的は果たされたわけだが、『天の角、地の翼』についての確定的な情報を入手できたわけではない。
掬い上げた水が掌から零れ落ちてしまったような気分で、若干の徒労感に苛まれていたリンカは、目の前でひょこひょこと揺れるヘイの尻尾を堪能することで精神的な疲労を癒しつつも、こらえきれずに残念そうな声を漏らしてしまっていた。
「はぁ……結局、肝心なところではぐらかされちゃったわね」
「何の話だ?」
「ガラさんよ。要するに、旅を続けろってことしか言われてないじゃない」
改めて指摘されればそんな気もする。が、カイエンは特段気にした様子もなく、あっけらかんとした表情でのたまった。
「それだけ分かってりゃ十分だろ。なんでもかんでも教えてもらってばかりだと、人生つまらなくなっちまうぜ」
「前向きねえ。カイエン君らしいというか、なんというか」
呆れと感心がないまぜになって苦笑を形作る。
どうにも王手をかけ損ねた感は拭えない。が、カイエンの人生哲学通り、指針が見えてきただけでも収穫とすべきかもしれない。
少なくとも、闇雲に歩いていた道があさっての方向へ向いていたわけではないと、はっきり裏付けられたのだから。
「そうね……愚痴を言っていても始まらないわね。ここは心機一転、何か楽しいことでも考えましょうか」
「そうそう、その意気その意気。あ、そうだ。心機一転ってことだったら、いい機会だから俺から一つ、リンカに教えておいてやるよ」
「何かしら。カイエン君が持って回った言い方をするなんて、随分と珍しいわね。明日は雨、いや、雪……もしかすると、槍でも降るのかしら?」
「槍が降るのか!? そいつは修行にちょうど良さそうだな!」
相変わらず嫌味を嫌味と受け取ってくれない相棒に溜息をつき、リンカは自分で振っておいた話題ながら先を促す。
「ただの冗談よ。それで、私に教えておきたい事って、一体何なのかしら?」
カイエンはこくりと頷くと、朗らかな口調で言い放った。
「リンカってさ、出会ってからずーっと、ヘイのことをヘイ君って呼んでるじゃん。でもよ、ヘイはメスだぞ」
前置きの類を一切抜きに告げられた真実に、リンカはぎぎぎっと錆びついた蝶番のような動きで首を回し、とてとてとカイエンの隣を並んで歩いているヘイを見やった。
リンカの視線に気付いたヘイは、小首をかしげると「わふっ」と鳴く。
それが肯定の意味であることは、ヘイのテレパシーが過たず伝えてくれた。
「…………んぬぅわんですってええぇぇっ!!!?」
この旅が始まって以来最大の絶叫が、深緑に彩られた山々に木霊し、澄み渡った空に響き渡ったのだった。
そんなわけで完結です。
104話、60万字超やってきてオチがこれでいいのか等々、憤った方がいれば、感想等でツッコんでもらえれば反応したいと思います。ボツ設定……というか、隠し設定もまだあるし(ぼそ)
ともあれ、この辺りが一区切りかなぁと思ったので、自主的に「第一部完」を入れさせていただきました。
流行りという意味では、小説家になろうの主流から150%外れている自覚のある本作でしたが、ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
しばらくは読み専に戻りますが、また何か書きたくなった時、お会い出来れば幸いです。
あ、一年ほど前に初投稿した作品が第8回ネット小説大賞で一次選考を通ってましたので、暇でしたら読んでやってください。
「交叉都市の引退剣士」
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それでは、いずれまたどこかで。