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現れたのはレイス一人だった。
彼は騎士団用と思わしき、金の飾りが施された純白の外套を羽織っている。付属のフードを深く被り、いつも腰に携えている剣を手に、こちらに一直線に駆けてくる。
犯人である男は黒い蝶をレイスに向けて放つが、レイスは難なく剣を振って蝶の羽を切り裂いた。
そのまま勢いを殺さず男に切り込む。しかし男は目が見えない分、気配には敏感なのか、上手く躱し距離を取る。
外套の裾を揺らめかせ、レイスは私の前に悠然と立つ。
「レイス……」
「スー……無事で……っ!」
私の前に膝をついたレイスは、フードから覗く黒髪を汗で張り付け、私の顔を確かめた瞬間、赤い瞳に安堵の色を乗せて息を吐いた。
外套の前ボタンは全開で、彼の首から提げられた精霊水晶が、私の眼前でゆらゆらと揺れている。
もしかして、私を必死になって助けに来てくれた?
でも、また水晶が黒く……むしろ前よりも濁りが広がっている?
ああ、いえ、それより今。レイスは私のことを『スー』って、昔のように愛称で呼んだ?
瞬時に色々なことが起こったために、私は流れる涙も止められず、混乱した頭でレイスをただ呆然と見つめる。
そんな私の頬に、レイスはそっと手を伸ばす。
しかし、いつかのように寸でで触れることなく腕を引き、彼はキツく口元を引き結んだ。また胸に手を押し当てる動作をしたあと、普段通りの感情の無い瞳に戻り、素早く剣先で私の腕の縄を切る。
離れたところで、男は私たちを思案気に観察している。本当に読めない男だ。
レイスはそちらの方の警戒も怠らず、チラリと月光の降り注ぐ小窓に視線を走らせた。いつの間にか、月には少しだけ雲がかかり、その灯りを僅かに弱めている。
小窓と私を数秒見比べ、「……このくらいの月明かりなら大丈夫か」と小声で呟いたあと、レイスはスッと立ち上がった。
彼は払うようにフードを取り、外套を脱いで無造作に私の頭上へと落とす。
「な、なにっ? 急に……っ」
「着てろ。濡れている。…………それと、遅くなって、悪かった」
床に静かに落ちたその言葉に、私は括目する。
私に背を向けたレイスの顔は窺えないが、硬質な響きを持つ侘びの言葉は、不釣り合いなほど真っ直ぐで。
私は受け取った外套を、自由になった手でぎゅっと握った。
別に、レイスが謝ることじゃないわ。
言い付けを守らず、勝手に外に出たのは私だもの。
そう返したくても口が動かず、男の方に向いて剣を構え直すレイスを、私は涙を拭い黙って見守るしか出来ない。
切っ先を向けられた男の方は、焦った様子も無く、不思議そうな顔で顎に手をやっている。
「君は、教会の人間? よくこの場所が分かったね」
「俺は騎士団の者だ。直に精霊に案内され、教会の使徒たちも此処に来る。大人しく投降しろ」
「精霊……? やっぱり不思議だな、普通なら悪魔の結界を張ったこの場所は、精霊にも分からないはずなのに。でも何よりおかしいのは……」
ああ、やっぱりウォルが私を見つけてくれたのね。
レイスが逸早く来てくれただけで、ロア君たちもこちらにやがて揃うようだ。
それを聞いて、私はようやく肩の力が抜けてきたが、追い詰められているはずの男は、もっと気になることがあると謂わんばかりに、レイスに対して小首を傾げている。
「……君も、僕と『同じ』だよね? かなり抑えているみたいだけど、分かるよ。同じなのに僕の邪魔をするのかい?」
「黙れ。……お前なんかと一緒にするな」
「うん、確かに僕より複雑な契約を強いられているようだ。しかも無理やり、なのかな? なら残念。話せば理解を得られるかも、と思ったけど難しそうだね」
「捕まるわけにはいかないから。仕切り直しかな」と男が手を振り上げれば、彼を取り囲むように無数の黒い蝶が現れる。
二人の意味あり気な会話について思考する暇も無い。一斉にひらひらと飛び立った蝶たちは、私の傍でまだ意識を失っている、攫われた人たちの頭上を舞う。
その内の一匹が、年若い男性の首にとまった。
光沢のある黒い羽が小さく揺れ、赤みを帯びたかと思えば、男性の顔から血の気がどんどん引いていく。
「血を、吸っている……?」
慌てて私は立ち上がり、外套で蝶をはらった。男性の顔は青白いがまだ息はある。その蝶は霧散して消えた。だけど上空で飛ぶ黒い蝶たちは、まだまだ生贄の血を狙うように羽ばたいている。
その数と異様さにゾッとした。
「本来なら明日の満月の夜に、生贄から直接血を取り出して魔方陣に流すんだけど。邪魔が入ったから、血だけ貰って別の場所で儀式をやり直すよ。本体から流れる新鮮な血が良くて、わざわざ攫ってきたけど仕方ない。リィのために、致死量の血を蝶に渡してくれ」
事も無げに残酷なことを告げて、男は悪魔の顔で微笑む。
レイスは矢面に立ち、襲い来る蝶を次々と剣で薙ぎ払ってくれるが、何分、敵の数と背に庇う人数が多すぎる。
振う剣の間を掻い潜り、マリーナさんの傍まで来た蝶を私もなんとか外套ではらうけど、このままだとすぐに限界が来てしまう。靡くレイスの黒髪を視界に入れながら、私が焦りを募らせていると、レイスは鋭い声で「あの水の精霊を呼べ!」と言った。
「み、水の精霊ってウォル?」
「そうだ。もう使徒たちを連れて近くまで来ている。今は月明かりが弱い。悪魔の結界も先程より効力は薄いはずだ。お前の傍にずっと居て、気配を辿れたあの精霊なら、結界の中でもお前の呼び声に応えられる」
「わ、分かったわ」
……なんでレイスが、悪魔の月明かりの仕組みのことを知っているのか。
そんな疑問は後回しで、私は心の中でウォルを呼ぶ。一回目は反応が無い。だけど諦めず、何度も強くウォルの名前を呼び続ける。
レイスの放つ銀色の軌道が、黒い粒子を辺りに散らす。そして――――
「――――スー!」
「ウォル!」
ポンッとようやく現れてくれたウォルは、水の精霊の癖に翡翠色の瞳に水を溜めて、一目散に私の胸に飛び込んできた。
「スー! スー! スー! ごめんね、ごめんね! 僕が黒頭を呼びに行くのが遅くて、スーを危ない目に合わせちゃった! だいじょうぶ? 怪我してない?」
「私は平気よ。心配してくれてありがとう、ウォル」
水状の尻尾から、彼の涙と合わせて水滴がちゃぽんっと跳ねる。
私はよしよしと水色の頭を撫でた。ウォルはぐりぐりと私の胸に身体を擦りつけてくる。
その暖かい温度に心底安心した。
だけど、和んでいる余裕はない。
「ねぇ、ウォル。あなたにまた頼みたいことがあるの」
「いいよ。何でも言って、スー!」
「あの黒い蝶たちは、此処に居る人たちを狙っている。このままだと、レイスが自由に戦えないの。あの蝶を撃退して、彼らを守ることは出来る? ウォルの力で可能かしら?」
「やってみる!」
夜道を行くマリーナさんを引き留めるときは、強い月光の下だったせいで、精霊の力は悪魔に適わなかった。光の精霊たちは黒い蝶に近寄ることさえ出来なかった。
だけど、この月明かりの薄い今なら、ウォルの力で何とか出来るかもしれない。というか、私とウォルが何とかしなきゃ。
ウォルは元気よくその場で一回転して、蝶の数に負けないくらいの水泡を生み出した。
それを次々と蝶にぶつけていく。小気味の良い音を立てて、黒は空中で水泡と共に弾けて消える。
水の精霊は浄化の力が強い生き物。水は穢れに有効だ。悪魔の遣いである黒い蝶に、ウォルの力は上手く働いてくれた。
「さすがよ、ウォル!」
えっへんとウォルが小さな胸を張る。
私は「こっちは任せて!」とレイスに対して声を張り上げた。ロア君たちの到着がまだの中、あとはレイス頼みだ。
レイスは一瞬だけこちらを確認し、男の方へ向かう。途端、男の周りを飛んでいた蝶たちは、鋭く尖る黒い刃へと姿を変えた。
それらがレイスをめがけて降り注ぐ。
「っ!」
刃の雨に悲鳴が漏れる。
私はバッと口許を押さえた。
けどレイスは何処までも冷静で、最小限の動きで避け、剣で弾き、裾を切り裂かれる程度で回避している。
人間離れした身のこなしだ。レイスって……あんなに強かったの。
着実に距離を詰めるレイスに、犯人の男にも流石に焦りが生じる。ここまで腕が立つとは誤算だったようだ。接近戦になったら、確実にレイスに軍配が上がるだろう。
「くっ!」
苦肉の策か、男は黒い刃を操作し、天井近くの小窓のガラスを割った。
派手な音が鳴り、そちらに本能的に意識を取られたレイスの動きが、ほんの少し鈍った隙に、黒い刃はレイスの首元を掠める。
彼自身に傷はつかなかったが、精霊水晶を繋ぐ紐が切られ、水晶が地面に叩きつけられた。
「ちっ」
砕けた水晶を見咎めて、短く舌を打ち、レイスが苦悶の表情を浮かべたのが、離れたところからでも何となく分かった。
一撃、二撃。
続けて刃がレイスを切り付ける。
「レイス……っ!」





