23
「死んだ人間を生き返らせるなんて……そんなの、成功するわけないわ」
「でも、成功するかもしれないだろう? …………それだけで、僕には試す価値があるんだ」
リィにもう一度会えるならと、男がくしゃりと髪を掻き上げる。その動作は妙に蠱惑的で様になっていた。
リィって……亡くなった恋人なのかしらと、私は思わずマリーナさんの方に視線をやる。
私の考えを悟ったように、男は「リィは妹だよ」と笑った。
「君は、リィの話を聞いてくれる? 今日はとても気分が良いんだ。こうして何も偽らず、誰かと話すのは久方ぶりだ。とても楽しいね」
どうも悪魔は月光に酔うらしい。
男は月明かりの影響か、箍が外れかけ高揚感に満たされているふうだ。
ただ、邪気の無い残忍な悪意を潜ませる、悪魔らしい表情の合間に、時折まだ人間としての理知を覗かせるために、掴みどころがない。
そのアンバランスさに不思議と惹きつけられ、私は気付いたら、スルリと脳髄に入り込むような低く心地の良い男の声に、素直に耳を預けていた。
「両親が早くに死んで、二人きりの兄妹だった。リィは教会の使徒だったんだよ。精霊姫に憧れていた。いつか選ばれて、精霊女王に会ってみたいと。霊力の無い兄とは違って、リィは優秀な精霊使いで、光の精霊たちと仲が良くてね。僕にもよく見せてくれたんだ」
「もう見れないけど。光を翼に纏う彼らは綺麗だった」と、彼は見えない瞳で過去を見る。
そこで私は、「ああ」と納得した。
小鳥の姿をした、光の精霊たち。いつだったか彼らが踊っていた死者への弔いの舞は……男の妹である、リィさんに捧げるものだったのか。
光の精霊たちが言っていた『彼はあの子のために、良くないことをしようとしている』という言葉。あの『彼』は目の前に居る男のことで、『あの子』とはきっとリィさんのことだ。
元より男のことを知っていたから、光の精霊たちは、男が為そうとしていることを見つけられたのだろう。そして精霊姫である私に頼ってきた、と。
また、リィさんが生きていた頃は、まだ男の視力はあったようだ。
そういえば、精霊たちはこうも言っていたわ。
『彼を助けて』って……どう考えても、私が救う側の状況では無いけれど。
「でも、リィの夢は叶わなかった。妹は死んだ。殺されたんだ」
「殺された……?」
「教会に的外れな怨みを抱く、頭のおかしい連中に。精霊たちの力を持っても助けられなかった。リィは僕の知らないところで、教会の使徒だからという理由だけで、襲われて殺された」
そんな血生臭い事件があったことは、王都から離れた田舎の領に住む私には初耳だった。ロア君は知っていたんだろうか? もし知っていたとしても、好んで語りたがるような内容では無いが。教会側も触れて欲しくないのかもしれない。
それに……そういった事件は、決して稀なことでもないと思う。
理不尽な怨みが生む惨事なんて、きっといくらでも起こる。それこそ悪魔なんて絡まなくても、人間は悪魔より残酷なことだって出来てしまう。
「リィを殺した連中は、捕まって然るべき罰を受けた。被害者はリィだけだ。リィの犠牲で、事件は幕を閉じた。……だけど、この国に精霊女王の加護があるというなら、どうして女王は凶行に走る前に、あんな奴等を根絶やしにしない? どうしてそんな悲劇が起こる? リィはあんなに女王を崇拝していたのに! どうして女王はリィを救わない!」
急に男は激昂する。
これは悪魔ではなく、大切な妹を理不尽に亡くした、人間である男の慟哭だ。
倉庫内に男の声は雷のように響く。
……精霊女王は、この国では神のように敬われていても、神様じゃない。例え本物の神であろうと、きっと一人の人間の死は救えない。
そんなことはきっと男も分かっている。
分かっていても……叫ばずには、いられないのだろう。
私は這い蹲ったまま男の顔をジッと見上げる。月明かりの中に白く浮かぶ男の顔は、酷く苦しげだ。だけど瞬きの間に、すぐに張り付いたような笑みに変わる。
「リィを失って、この国から出た僕は、日々を何も感じず淡々と過ごしていた。そんな僕に、悪魔使いを名乗る者が手を差し伸べてくれたんだ。死んだ者を生き返らせる方法があると。相応の対価を払って契約し、悪魔の力を得れば、それが出来ると」
「対価……」
「僕が払った悪魔との契約の対価は、『前払い』で瞳の視力。それから『後払い』で、死後の僕の魂。そう大した対価じゃない。リィにもう一度会える可能性に縋れるのなら」
男の目が見えていないのは、悪魔との契約の代償だったのか。
私は濡れたままの頭をフルリと振る。
――――なんで、なのかしら。
どうしてここで……レイスのことが頭を過ったの。
「僕は悪魔使いに感謝しているよ。儀式の方法まで全て教えてくれたんだ。中には望まないのに、無理やり悪魔使いによって、悪魔を憑けられたような奴もいるらしいけど……僕は自分で悪魔憑きになることを選んだ。悪魔は生きる希望をくれたんだ。精霊女王なんかより、僕にはよほど素晴らしくて尊い」
確かに、孤独に彷徨う夜の海に、仄かな灯りを落とされたら、それがどれだけ不安定な光だろうと、人は頼るしかないだろう。
きっと妹さんを失って絶望に嘆く彼が、掴める灯りは悪魔使いの手だけだったのだ。
そう考えれば、心の隅が微かに軋む。
……下手な憐憫を抱くのは良くないわね。
理由や状況はどうであれ、彼の行おうとしていることは、関係のない人たちを犠牲にする、許されないことなのだから。
「満月は明日の夜だ。儀式までにはあと一晩ある。今日は此処に、揃った生贄を確認しに来ただけだったけど、君と話せて良かったよ。たぶん僕はずっと、こんなふうに誰かに全部聞いて欲しかった。……ああ、でも」
またしても男の様子は、悪魔らしかったり人間らしかったりと忙しない。
スッと、男は私に顔を合わすようにしゃがみ込む。
「生贄に必要なのは10人。過不足なく、ぴったりと。君かマリーナのどちらかは、明日の儀式にいらないな。どっちにしようか?」
「いらない方は……無事に帰してくれるの」
「それは難しい相談だね。まぁ、いいや。明日に決めればいいだけだ。……ひとまず今日は、もうお眠り」
男が掌を広げれば、何処からともなく黒い蝶が現れ、私の前でその毒々しい羽を揺らす。
目を逸らしたいのに離せない。
女王の加護のおかげで、悪魔の術には掛かりにくいといっても、これではまた意識を飛ばしてしまう。このまま助けが来なくて、起きたら儀式の真っただ中……なんて想像したら、背筋が震えた。
嫌よ。怖い。眠りたくない。
だけど、意識はゆっくりと遠退いて行く。
本当に、精霊姫に選ばれてから散々だわ。
ロア君やマリーナさんと知り合えたのは良かったけど、こんな事件に巻き込まれて。傍迷惑もいいところよ。
……久しぶりに会った幼馴染は、よく分からないし。
アイツは何を考えて、何を思っているの? 私が攫われて、少しは焦ってくれている? 職務としてじゃなく……精霊姫じゃないただの私を、心配してくれている?
分からない。
分からないものは怖いから。
私は結局、もどかしいのに不明瞭な部分に向き合うのが怖くて、アイツに踏み込めない。
でもなぜかしら、今は無性に、昔のように私の名前を呼ぶ、アイツの声が聴きたいわ。
脳が霞がかって、ぼんやりとして思考が定まらない。
それ故に、取り留めのないことばかりが浮かんで消える。
――――そして、いよいよ意識を飛ばしかけたとき。
ドアが勢いよく開く音と共に、「スーリア!」と必死に呼ぶアイツの……レイスの声が聞こえた瞬間、私の瞳からは知らずに涙が零れ落ちていた。





