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■ 第10話:現世の崩壊に抗え! 曇りなき眼の反逆

 窓一つない地下の第4会議室は、もはや紫煙さえも凍りつくような、極限の静寂に支配されていた。

 無機質な空調のモーター音が、ジジッ……ジジッ……と、人類の終焉を告げるカウントダウンのように鳴り響いている。

 宇宙から降り注ぐ光のパッチが100パーセントに達した時、この世界のすべてはデリートされ、特権階級だけが光を遮断する地下シェルター【結界】の中で生き残る。

 彼らは邪魔者が消去された真っ白な地球に這い出し、自らが新たな神として君臨するのだ。

 七海悠太は、パイプ椅子から崩れ落ちたまま、両手で自分の頭を抱え込んでいた。

「……終わった。俺たちは、偉い奴らが新しいゲームを始めるための『空き容量』を作るためだけに、強制的にゴミ箱にぶち込まれるんだ……。逃げ場なんて、この地上のどこにもない……!」

「……ああ。物理的な火力や装甲がどれほどあろうと、宇宙の物理法則そのものを書き換える【概念のフォーマット】からは逃れられない。……俺たちの軍事力など、神のキーボードの前ではただの紙屑だ」

 歴戦の猛者である轟大吾でさえ、分厚い両手で顔を覆い、タクティカルジャケットの背中を丸めて深い絶望の溜息を吐き出した。

「ええ。美しくて、残酷な終焉フィナーレね」

 紫煙のベールを透かして、烏丸玲奈のひんやりとした声が響いた。

 彼女はペットボトルの水をグラスに注ぎ、透き通るような指先でその縁をなぞりながら、虚空を見つめる。

「選ばれなかった99パーセントの人間は、光の洪水に飲み込まれてデリートされる。選ばれた1パーセントのエリートたちは、厚い鉛と光学シールドの箱舟の中で、新しい世界が始まるのを待つ。……神話の終末論としては、これ以上ないほど完璧なシナリオだわ」

「…………完璧なシナリオ、ですか」

 その時、極限の絶望を切り裂くように、氷室司の冷徹な声が響いた。

 氷室は、長机の上に置かれた自分のタブレットを手に取ると、懐から取り出したマイクロファイバーの布で、画面についた指紋を執拗なまでに拭き上げ始めた。

「烏丸さん。そして轟さん、御子柴さん。……絶望するのは、三流のデータアナリストのやることです。私はデータ至上主義者だ。データが【破滅】を示しているなら、同時に【生存の確率】もデータの中にあるはずです」

「生存の確率……? 何を言っているんだ、氷室」

 轟が、顔を覆っていた手をどけて怪訝な顔を向ける。

 氷室は、磨き上げたタブレットを長机に置き、銀縁眼鏡を中指でクイと押し上げた。

 その曇りのない瞳には、冷酷なまでの論理の光が宿っていた。

「特権階級の計画には、情報工学的に見て【致命的なシステム・エラー】が存在します」

「致命的なエラーだと!?」

 御子柴健が、パイプ椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

「ええ」

 氷室は立ち上がり、巨大モニターに映る『完全遮光の地下シェルター』の構造図をレーザーポインターで指し示した。

「彼らは、宇宙からの【強制フォーマット(光)】を逃れるために、光子を完全に遮断する物理的なケージの中に閉じこもる。……それはつまり、外部とのネットワークを完全に切断し、自らを【完全なオフライン状態】に置くということです」

「オフライン……? それがどうしたって言うんだ」

 轟が眉をひそめる。

「轟さん、軍事ネットワークにおいて、システム全体を根底から書き換える『超大型のOSアップデート』が実行された時、そのネットワークから意図的に切断されていた【オフラインの端末】は、アップデート後にどういう扱いを受けますか?」

「……っ!!」

 轟の巨体が、落雷に打たれたように激しく震えた。

「軍のプロトコルで言えば……! 新しいOSに適合していない旧型の端末は、再接続された瞬間に【未知の脅威ウイルス】、あるいは【互換性のないゴミデータ】として、ネットワーク側から自動的に排除リジェクトされる……!!」

「その通りです!!」

 氷室が、長机を両手でバンッ!と叩きつけた。

「特権階級どもは、デリートを恐れるあまり、宇宙からの【OSのインストール作業】そのものを拒絶してしまった! 確かに彼らは初期化からは逃れられるでしょう。ですが、真っ新になった新しい地球サーバーに彼らが這い出してきた時……新しい物理法則は、古いデータのままの彼らを『エラー』とみなし、存在そのものを許容しないはずです!!」

「……っ!! 箱舟に逃げ込んだ奴らは、新しい世界では生きられない……!」

 烏丸が、自らの両腕を抱きしめるようにして、恍惚と囁く。

「神話の真実が見えてきたわね。……神の炎から逃げて暗闇に隠れた者は、結局、新しい神の国に入る資格を失う。……なら、新しい世界の『管理者』になるのは、一体誰なの?」

「ククク……ハハハハハ!!!」

 突如、御子柴健が天を仰ぎ、狂気と歓喜が入り混じった高笑いを爆発させた。

 彼はスーツの内ポケットからジッポライターを取り出し、カチン、と火をつける。

 深く吸い込んだ紫煙を天井に吐き出しながら、彼はギラギラと血走った目で、ホワイトボードの前に立ちはだかった。

「見事だ、氷室! 轟! 烏丸! これで俺たち人類が、特権階級どもを出し抜いて【神をハッキングする】ための、究極のカウンター・プロトコルが完成したぜ!!」

 御子柴は黒のマーカーで、ホワイトボードに描かれた『地下結界』に激しくバツ印をつけ、その外側……つまり地上にいる『一般人』を赤いマーカーでぐるりと囲んだ。

 ダンッ!!という音が、地下室の壁を震わせる。

「氷室! お前はさっき、光のパッチは【松果体】からダウンロードされると言ったな! そしてそのトリガーは、星空を見て『美しい』と感じる人間の【情動】だ!!」

「ええ、創造主が仕掛けた心理的な罠です」

 氷室が即答する。

「ならば!!」

 御子柴が、悪魔のような笑みを浮かべて咆哮する。

「俺たちが、夜空の光を見ても【微塵も感動しなければいい】んだよ!!!」

「感動、しない……!?」

 七海が、間の抜けた声を上げる。

「そうだ!! 創造主のプログラムは、人間が無防備に『すげえ、綺麗だ』と口を開けて見とれることを前提に作られている!! だが、もし俺たちが!!」

 御子柴の血走った眼光が、密室の全員を射抜く。

「あの宇宙の光を! 単なる『波長』であり『素粒子を書き換えるソースコード』であると、完全な唯物論と論理的思考だけで見つめ返したらどうなる!?」

「……っ!! 人間の脳の【認識パース】が、ウイルスの実行を阻害する……!」

 轟が、顔面を蒼白にしながら歓喜の声を上げた。

「軍事サイバー戦における『サンドボックス(仮想環境での隔離)』だ!! 光のデータは脳に侵入するが、俺たちが感情をシャットアウトし、ただのデータとして『解析』し続ければ、デリートのコマンドは実行されず、脳内でエラーを起こして無力化される!!」

「そうだ!!」

 御子柴が、ホワイトボードをドスンドスンと激しく叩きつける。

「俺たちの【考察うたがい】こそが! 創造主のデリート・コマンドを弾き返す、最強の【認知ファイアウォール】になるんだよ!!!」

 御子柴は、赤のマーカーで『一般人』の横に『= 新世界の管理者』と大きく書き殴った。

「いいかお前ら!! 特権階級どもが暗い穴倉でブルブル震えている間! 俺たちは地上に残り、曇りなき眼で宇宙のソースコードを直視する!! 感情を捨てろ! ロマンを捨てろ! すべてを『データ』として睨みつけ、脳をフル回転させてバグらせてやれ!!」

 御子柴の咆哮が、地下室の空気を極限まで熱狂させる。

「そうすれば俺たちは、デリートを免れながら、新しいOSの【管理者権限】だけを脳にダウンロードできる!! 特権階級どもが穴倉から這い出してきた時、この新しい地球の神様になっているのは……最後まで現実リアルから目を逸らさず、空を睨みつけ続けた俺たちだ!!!」

「俺たちが……神をハッキングして、世界の管理者になる……!!」

 氷室司が、銀縁眼鏡の奥で、かつてないほど獰猛な笑みを浮かべた。

 データに殺されるのではない。データを制圧し、支配するのだ。

「フッ……非科学の極みのような結論ですが、情報工学のロジックとしては完璧に美しい。……やりましょう、御子柴さん。創造主のプログラムに、人間の『考察』という最悪のバグを仕込んでやる」

「ああ、受けて立とうじゃねえか。宇宙規模のサイバー戦だ。俺の脳髄の処理能力、限界まで引き出してやるぜ!」

 轟大吾が、分厚い両拳をバキバキと鳴らし、戦意を爆発させる。

「ええ、旧い神々はもういらない。人間の意志で、新しい神話を書き始めるのよ」

 烏丸玲奈が、恍惚とした笑みを浮かべ、夜空を見上げるように目を細めた。

「よし! ならば特務考察機関サイファー、本日の考察はこれにて閉会とする!」

 御子柴が、ジッポライターを力強く閉じ、新しい煙草を咥えた。

「各自、今夜から毎日空を見上げろ!! ただし、絶対にロマンチックな気分には浸るな! 星の光を見たら、頭の中で円周率を暗唱するか、素数の計算をし続けろ!! 俺たちの理屈っぽさで、宇宙のプログラムをオーバーヒートさせてやるんだよ!! 解散!!」

 御子柴の号令と共に、彼らは自らの戦場――星空の下へと向かう覚悟を決めた。

 たとえ大国が空を歪めようとも。

 たとえ宇宙から、世界を消去する光のラッパが降り注ごうとも。

 彼らはもう、目を伏せることはない。

 だが、その勇壮な決意の余韻を切り裂くように、七海悠太の悲痛な絶叫が、地下室の天井に叩きつけられた。

「うおおおおおっ!! ちょっと待ってよ!! 俺、数学めちゃくちゃ苦手なんだけど!? 星空見ながら数式解けないと、俺だけ真っ白にデリートされちまうってことォ!? 誰か、俺の隣でずっと九九の暗唱しててくれえええええっ!!!」

 宇宙の暗号と、それに抗う考察者たちの終わらない戦い。

 無機質な空調のモーター音が、彼らの新たな反逆の幕開けを告げる祝砲のように、力強く、そしてどこか頼もしく回り続けていた。

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