光芒-②
田畑が黄金色となり、木の葉が色付き始めるとともに、母は快方へと向かっていた。山が赤や黄色にそまり絨毯のようになる頃には、母が弟エバンの世話をほとんどできるようになっていた。弟の首も座り、母が背負ったり抱いたりして家事をするようになって、ネムスが手伝うことはほぼなくなっていた。
それでも、まだまだ助けが必要だ、と父カミックとネムス二人で共同戦線を張って粘っていたが、とうとう母から「私はもう大丈夫だから、二人ともやるべきことをやりなさい」といわれ、カミックは愛しの母と弟から離れ衛兵勤めに復帰し、ネムスはようやく重い腰をあげて診療所の扉を叩いた。
それからは、昼間はまず診療所でバートンの手助けをし、お産があるといわれればそこへ向かい、もしお産が夜に長引くのであればバートンに引き継いで家に帰る、というような日々を過ごしていた。幸いなことに、危惧していたほどの忙しさはなかった。ネムスが暮らしていたアマリロ村は、そこまで規模が大きくはなかったので、お産の数も多くはなかったのだ。1か月に数回あるかないか、であったため、これなら体力的にも大丈夫だろう、とバートンが疲労していそうなときは夜もネムスが担当した。
お産の数がすくないのは、自分の体力にとってはよかったのだが、一方で教育には不向きであった。だいたい、ほとんどのお産は、赤ちゃんが蘇生を要することはないのである。せっかくバートンやカンロ、カンロの娘のパイルが見ていてくれていても、実際に新生児蘇生を見せる機会はなかった。もちろん、赤ちゃんが元気に越したことはないので、自分の出番がない方が良いので、難しいところではあった。
そんな調子であったので、思ったより時間は取れたのだが……。
「悪かったって……」
ネムスが謝るが、むすっとした顔をそむけているのは、ルルナであった。
「たしかに、最近遊べてなかったけど……」
ルルナが拗ねてしまっていた。
ネムスは取れた時間を、魔法の鍛錬、医学の勉強にあてていた。魔法は風魔法に加えて、治癒魔法の練習を始めていたが、これもまたからきし才能がなかった。浅い切り傷すら満足に治せず、患者さんの冷たい視線を浴びながら脂汗をかいていると、クララがさりげなく手を添えてすっと治してくれる、というありさまだった。これではマズイぞ、と毎日自分の膝小僧に薄く切り傷をつけて練習するが、なかなか上達しないうちに母にバレて大目玉を食らってしまった。たしかに練習のためとはいえ自傷行為であったので、母が怒るのもごもっともであった。
医学の勉強も一筋縄では行かなかった。まずそもそも、魔法がある前提の医療であるため、人体の構造は魔力がある以外は同じでも、医療体系は大きく異なっていた。まず、そもそも外科系は外傷治療がほとんどで、それも魔法で治すのが主流であった。悪性疾患などの慢性疾患に対しての治療は、治癒魔法で治らないため、「神が定めた寿命である」とされていた。開腹手術なども行われておらず、腹部の外傷で腹腔内出血であっても、上級治癒魔法を腹部に使う、のが治療法であった。それで治らない場合はこれもまた「神の定めた寿命」ときていた。
ただ実際のところ、この文明レベルでは、外傷治療がメインとなるのは、しかたない部分があるだろう。医療リソースとしても十分にあるとはいえない中で、優先されるのは急性期治療であって然るべきであった。
一方で、内科系の治療は更に輪をかけて難しかった。というのも、当然現代の西洋医学のように有効成分だけで精製された薬があるわけでなく、生薬を掛け合わせて処方する、漢方のような治療がメインであったからだ。この世界の生薬はもちろん前世とは全く違うわけであり、さらにいえば、正直前世では症状に合わせて漢方を使っていただけであったので、体の性質に合わせた処方など、覚える事がたくさんあったのだ。
そんなこんなで、殆どルルナと遊べず、一緒にいても本ばかり読んでいたので、ついにルルナの堪忍袋の緒が切れた、といったところであった。
秋の夕暮れの心地よい風の中、ルルナの家の裏庭で向かい合う。ルルナはそっぽをむきながら、目の端でこちらをチラチラみている。本当に怒っているというよりは、こちらの出方を伺っている様子であった。
前世でもこういうことはよくあった。女性関係だけでなく、友人も、仕事ばかりでだんだん疎遠になっていった。前世では、それでいいと思っていたが、その結果があの終わりであったことで、ネムスは今回はもっと周りとの関わりを大事にしよう、と思っていた。
だいたい、遊べないほど根をつめたところで、トータルで見て人生は豊かにならないのだ。更にいうと、自分との時間が取れないことに文句をつけてくれる人は、ありがたい存在だとネムスは知っている。一度前世でお付き合いした女性で、仕事をいくらやってもいいと言ってくれていて、なんて素敵な女性だとうっかり勘違いしていたのだが、ていの良いATMにされていただけで、本命は他にいたなんてこともあった。
ここは誠意の見せどころだぞ、さてどうするか、と思案していると、ふとルルナの寄りかかっているの根元に揺れる青い花びらが目に止まった。
「ちょっとごめん」
「え、ちょっと、な、なに?」
ルルナに近づいてその足元に跪き、その花をそっと手折る。
それを跪いたまま、恭しく差し出す。
そんなその場で見つけたもので誤魔化そうとして!と怒られないか心配であったが、杞憂だった。騎士が恭順するような仕草がいたくお気に召したようで、頬を染めながら受け取ってそれを髪につけている。
「し、しかたないわね、許してあげる。でも、これからはもっと遊んでね?」
「喜んで」
ご機嫌取りに騎士ごっこを続けると、そのままルルナも乗ってきて、少し気取った感じで「立っていいわよ」などと言っている。今日は付き合ってやろう、と父のような気持ちになる。
実際、ここのところ根を詰めすぎていたのか、毎日悪夢を見ていた。決まって、前世の夢であった。時には息抜きも必要だろう。おあつらえ向きにお転婆なお姫様は川に釣りに繰り出すつもりのようなので、お付きの騎士として帯同することにする。前世から釣りが好きであったので、ネムスには一番ありがたい遊びであった。
せせらぎの中、石に付いている川虫を探す。ルルナは大きい石に腰掛けて、足で水をパシャパシャとやっている。
しかし、川で溺れかけたのに、懲りずに川遊びが大好きなルルナは、何というかメンタルが強いというか、おそれ知らずというか。自分もこの強メンタルを見習わなきゃな、と思うネムスであった。
「姫、川虫が採れました」
「ご苦労ですわ、うふふ」
ルルナがお姫様ごっこにどハマりし、遊ぶ度にネムスが騎士様役をやるはめになるとは、この時はまだネムスも思っていなかったのであった。