光芒-①
ネムスが弟の誕生に立ち会っていた頃。
帝都の北、深い森の中で、1人の男が白色の獣と向き合っていた。
獣はグルルゥ、と低い唸り声を上げながら、男の出方を伺いジリジリと距離を詰めようとしている。獣は男の数倍はあろうか、といった巨躯で、その獰猛な赤い目に宿る殺意は明確に男を獲物と定めていた。一方、男は力の抜けた姿勢で、まだ鞘に収まった剣の柄に手をかけてその様子をじっと眺めていた。素人目にはわからないが、達人が見れば一分の隙もない姿であった。男の鍛え上げられた無駄のない肉体も目を引くが、何より、長い髪の隙間から覗く二つの耳が、もし街中にいれば衆目を集めただろう。その耳は先が尖った三角形で上方に向けてピンと立っており、我々の世界で言えば猫科のような形をしていた。
その男ー獣人の男の耳が何かを感じ取りぴくり、と動くと同時に、白い獣がガア、と咆哮をあげる。獣の周囲が渦巻くと同時に、鋭い氷の刃がその渦巻から男に向け射出される。
しかし。
「遅いし直線的すぎるぞ」
先程まで男が立っていたところには姿形もなく、空を切った氷の刃はそのまま木の幹に突き刺さる。目標を見失った獣が男の姿を探すため首を動かそうとするが、すでに断ち切られていた断面に沿ってするっと首が滑り落ちる。
目にも止まらない速さで獣の背後に移動していた男は、ふっと剣を振って剣についた血糊を落とすと、剣を鞘にしまう。懐から小刀を取り出すと、白い獣の亡骸の解体に取り掛かる。
一通り終わると、男は倒木に腰掛け、空を見上げる。
一際禍々しく赤く光る星を睨みつけるように眺めて、ぼそっと呟く。
「試練の時が迫っている………」
その言葉は誰にも聞かれることなく、森の闇の中に溶けていった…
弟の誕生から数日が経った。
あの後、夜中までバートンと交代しながら呼吸のサポートを行い、無事に安定した弟は、母乳の飲みも徐々に良くなり、エバンと名づけられ日に日に元気になってきていた。
「よいしょっと」
弟の寝ている籠を窓のそばに連れてきて、すこし肌に日光があたるようにする。肌が少し黄色くなっており、黄疸が出てきていたためである。とはいえ、付け焼刃だし、体温が上がりすぎないようにしなきゃいけないし、かなり難しい。あの青い光をあてる、光線療法がいかに優れていたかと思う。暑すぎないかなーと弟、エバンを覗き込んでいると、ふと窓からの光が陰る。振り返ると、窓からバートンが覗き込んでいた。
「家を覗くのはシュミ悪いですよ、先生」
「いやすまんすまん、しっかりやってるようで関心、関心じゃ」
バートンには、しばらく診療所の手伝いを休み、育児のサポートをしたいと伝えていた。その様子を見に来たのか、と思っていると、バートンの後ろから産婆さんのカンロの姿が覗く。
「こんにちは、ネムスさん」
「カンロさんも、先日はありがとうございました」
「いやいや、あの時はむしろ助かったのはこちらの方じゃ」
「母の往診ですね。ありがとうございます。とりあえず中にお入りください」
エバンを一人にしないように抱きかかえ、玄関に回って二人を招き入れ、母の寝室に案内する。母は多く血を失ったこともあり、まだ一日のうちのほとんどベッド上で過ごしていた。
「母上、往診ですよー」
「まあ、ありがとうございます、お二人とも」
「いい、いい、寝てなさい、マイラさん」
起き上がろうとするマイラをバートンは手で制すと、カンロと二人で診察の準備を始める。そこでちょうど玄関の開く音が聞こえる。カミックが帰ってきた音だ。
「母上、私は乳をあげてきますので、いったん失礼します」
「よろしくね、ネムス」
エバンがぐずり始めていたので、ちょうどよいタイミングだなと居間に向かうと、容器を手にしたカミックが待っている。村の母乳が出る他の母親から、母乳を分けてもらってきたのだ。マイラは産後まだ本調子ではなく、乳の出が悪かったので、分けてもらった母乳と、ヤギの乳でしのいでいた。カミックは寝室に戻り、診察の様子を見守るようであったので、ネムスは受け取った乳を煮沸消毒しておいた哺乳瓶に移して授乳を始める。
「よく飲めよ~」
時々げっぷを促しながら授乳していると、診察を終えたカンロとバートンの二人が寝室から出てきて、ニコニコしながらエバンがミルクを飲む様子を眺めている。本当におじいちゃんおばあちゃん世代は赤ちゃんが好きだよな、と思うネムスであった。ふと、気になっていたことを聞いてみる。
「今日はクララ様はどうされたんです?」
そう聞くと、やれやれといった顔でバートンが答える。
「ほんとにお前はクララさんの事が好きじゃのう、彼女ならこの時間は夕方の礼拝じゃろうて」
「たしかにそうですね」
「まあもう傷としては問題ないとクララもいっとったしの、あとはわしの領域じゃ……。それはそうと、ネムス君、今日は少し話があっての」
「なんですか急に改まって」
さっきまでデレデレしていたバートンとカンロの顔が急に引き締まっている。ネムスは嫌な予感がした。カンロが口火を切る。
「ネムスくんが見せた技術は、ほんにすばらしいものじゃった。ああいう子を何度あきらめてきたか、わたしゃほんとに、悔しくて仕方なかったんさ」
「あの後、カンロさんと話し合ってな。お産の時に、ネムス君がいてくれたら、きっと助かるこどもも多いじゃろう。エバン君が手がかからなくなってからでいいが、お産のときに君を呼びたいとカンロが言っておるんじゃが、どうじゃろ」
ネムスは抱いている弟に目を落とす。ミルクを飲み終わり、目をしばしばさせて大あくびしているエバンと目が合う。その澄んだ瞳は、ネムスの葛藤する顔をそのまま映していた。
「……もちろん、やりたい気持ちはあります」
でも、と続ける。
「正直、ぼくはまだ子供です。すぐ眠くなるし、体力もないし、一人でやり通せる自信はまったくありません」
お産は時間を選ばない。自分の今の体力では、とてもじゃないが夜中のお産に付き添い続けるのは難しい。
「もちろん、もちろんじゃ」
バートンが深く頷く。
「一人でできることじゃあないのは十分わかっとる。もちろん、わしもネムス君に教えてもらってできるようになるし、基本的にはネムス君は昼だけで、あとは大人の仕事にしよう」
「わたしも学ばせてほしいさ」
「むむむ」
確かに、それは理想的だろう。
「それなら、まあ……。でも、ただ手伝ってるだけの今とは違うので、両親の許可をとってもよいでしょうか?」
「そういうと思ってな、もう二人の許可はとってある」
思わず寝室を振り返ると、開いたドアから両親がいい笑顔でサムズアップしているのが見えた。完全に外堀を埋められている。まったく、異世界でも医療業界には労働基準法が適用されないらしい。
「わかりました……」
「うむ。よろしく」
「ありがとう、ほんにあなたは神の使いのようさ」
またカンロから異常な持ち上げられ方をされ、居心地の悪さに身じろぎする。と同時に、これから自分に訪れるであろう日々に、すこし怯えもあった。
(産科の先生とか、どんな体力してんだってくらいずっと働き通しだったからなぁ。それと同じ働き方、今の自分にできるだろうか……)
まあ、始まる前からおびえていても仕方ないか、とネムスは自分を納得させる。とりあえず母がある程度元気になるまでは、父と自分がなんとか弟を育てなければいけないので、しばらくは先だ。むりだと思ったら、その時に断ろう、そうネムスは決心した。
自分が頼まれたら断れない性格だということを、ネムスが自覚するのはまだまだ先である。




