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流星は蒼く輝く  作者: たぷたぷゴマダレ
14/14

第14話【雀蜂】

 見慣れる部屋、天井。そして、匂い。沙紀は、久しぶりに寝付けない夜を迎えていた。理由はわかっている。

 ベッドの上で心地よく寝ている少女——智代子の方を見る。彼女をベニヒメから助け出してからも、沙紀は智代子と共に暮らしている。

 まだ、智代子を狙う存在が現れるかもしれないから。大介はそう真剣そうな顔で言っていた。実際、沙紀もそうだと思う。

 前と変わったのは、家の中は沙紀のみだが、外に出る場合は紫たちもついてくることになったこと。そして。


(……ほんと、よく寝てますね)


 沙紀がこの環境を受け入れていることだった。目が覚めた後の智代子は、もうあの中で起きたことは覚えていなかったが、沙紀は鮮明に覚えていた。

 恥ずかしいことを言った。帰ってきてからしばらくの間は、沙紀は智代子の顔を見れなかったくらいは。

 しかし、智代子が覚えてないと言った時に、少しだけホッとした。覚えてないなら、恥ずかしい記憶は、自分の中だけに保存しておこう。

 眠っている智代子の顔を見る。気持ちよく、寝ているようだった。


(…………)


 初めてだった。初めて、友達になりたいと思った少女。彼女を助けるためならば、私はどうなってもいい。

 私に執着されてもいい。私が死んでも構わない。ただ、この少女だけは、なんとしても守らないといけない。彼女の死は、私の死だから。


「むにゃ……むにゃ……もう食べられませんわ〜」

「……まぁ、今考えることではないですね」


 おやすみなさい。小さくつぶやいて、沙紀は用意されている布団の中に潜り込んだ。慣れない部屋だが、早く眠らないとな。そんなことを考える。

 寝不足は、いざという時の判断力を低下させるから。そう思いながら、彼女は布団に潜り込み、羊を数え始めるのだった。


 ◇


「はわわ……すごい豪邸ですねえ……」


 可愛らしいワンピースを着た女性、春川千枝は、智代子の家の前に立って、ため息とも感嘆とも取れるような息を吐いて、その豪邸を見上げていた。

 和風の家は千枝はとても好きだ。しかし、それは外から見るときだけであって、中に入るとなると、何か入場料とかいるのではないかと疑ってしまう。


「お土産……持ってきましたけど、これでよかったのかな」


 手にしてるのは、コンビニで買った菓子折り。もう少し豪華なものでも買えばよかったかもしれないが、もはや後の祭りだ。

 定期的に交代で智代子達と行動を共にすることになって、数週間。千枝は初めて彼女たちと行動をすることになった。

 すでに終わっていた紫たちから、何か手土産がないと入りにくいとは言われていた。ので、菓子折りを持ってきたはいいのだが……

 チャイムを押すか、押さないか。入り口の前でうんうんと悩み続ける。

 というか、こんなにラフな格好できてもよかったのか? もっと、場所に見合った服装が良かったのではないか? 一度帰るべきか、いやもうそんな時間もない。なんならぴっちりしたスーツなんて持ってないし、ドレスなんて着たことない。

 自分の中で一番のまともな服が、学生の頃に着てたセーラー服だということに気づいて、少しだけ反省する。もう少しいい服でも買おうかな。

 深呼吸をなんとも繰り返し、覚悟を決めて、千枝はチャイムに手を伸ばした。ピンポーン。と、よく聞く音なのに、どこよりも重い音を聞きながら、ソワソワと一人、門の前で佇む。

 しばらくすると、門の向こうがギィと、開き、スーツ姿の女性が千枝に、ペコリと頭を下げた。

 つられるように、千枝も頭を下げる。確か彼女は東雲という名前だったはず。


「今日は千枝さまですね、どうぞお入りください」

「ふぁい! あ、そうだ。これ、つまらないものですが……」

「これはご丁寧にありがとうございます……そんなに、萎縮しなくてもよろしいですよ」


 では、こちらに。東雲に案内されるまま、千枝は屋敷に入る。右腕と右足を同時に出しそうになるのを堪えつつ、智代子がいる部屋に向かう。

 ノックは数回。すると向こうから「はーい」と、智代子の声がした。


「失礼します、お嬢様。千枝様を連れて参りました」

「あら! 千枝さまお久しぶりですわ!」


 部屋の中にいた智代子はニコニコとした顔で、千枝に抱きついてきた。本当に彼女は、次元獣に狙われているという自覚があるのだろうかと疑いたくなるくらいに、彼女は明るい。

 いや、狙われてる自覚は多分あるだろう。しかしそれ以上に、彼女は安心を得れる存在が近くにいるのだ。


「おはようございます、千枝さん」

「おはようですぅ、沙紀先輩」


 彼女、沙紀。その存在がかなり大きいのだろう。何があっても助けてくれると智代子は思っているし、何があっても助けると沙紀も思っている。

 素敵な関係だとは思う。千枝にも、昔。そういった関係になる人はいた。


(…………千枝みたいに、なって欲しくないですね)


 二人と合流した後は、智代子の提案で水族館に行かないかと言う話になる。どうやら、最近リニューアルオープンしたらしく、一度行ってみたいそうだった。


「でも、あぶくないですかあ? 次元獣はどこにいるかわかりませんよ」


 千枝は念のためそう言う。


「大丈夫です。今度こそは……私だけじゃなくて、千枝さんもいます。ちよ……城ヶ崎さんに危険な目は合わせません」


 まぁ、そうだろうな。様式美のような確認をしたことも少しだけ後悔しながら、千枝はわかりましたと言葉を返す。

 いやと言うわけではないが、問題は犯して欲しくない。もし智代子が攫われたりしたら、次こそ命がないかもしれない。そしたら私の首も飛んでしまうかも。

 ゾッとする。今無職になると次の仕事なんてもう選択肢ない年齢なのに。しかし、断ることもできなかった。智代子は大金持ちの一人娘。もし彼女の気分を損ねたら、何をされるかわからない。

 だからここは曖昧にあははと笑う。否定も肯定もしない。意見の全ては沙紀に押し付けよう。


「水族館くらい、なんとかなりますよ。二人もいるんですから」


 沙紀がそう言うと、智代子は目に見えて喜ぶ。それに合わせて、千枝もほっと胸を撫で下ろす。一応一度反対したのだから、問題はないはずだ。


 無いよね?


 準備もそこそこに智代子たちは外に出る。日差しは暑いが、もう慣れたものだ。

 後ろをチラリと見ると、二人の男女が一定距離でついてきている。東雲と、佐藤の二人だろうか。

 前を歩く智代子たちは、無言だったが、どこか楽しそうに見えた。沙紀は最初はツンツンしてたと聞いたが、今の彼女と昔の彼女は全く違うらしい。


「……さま、千枝さま!」

「わっ、あ、はい! なんですかあ?」


 ぼーっとしていた。ニコニコと、笑いながら、智代子に話しかける。


「少し話しておりましたの。千枝さまは、なんでこの仕事についたのでしょうか?」

「千枝が、ですか?」

「ええ。そういえば知らないな、と。綾部さまはなんとなくわかりますが」


 智代子はクスクスと可愛らしく笑う。

 戦う理由か。もちろんそれは、千枝にもある。何も理由もなしにこんな仕事なんてしない。まぁ、綾部はお金を稼ぎたいだとか、女の子と遊びたいと言った、邪な理由だろう。

 だが、私は違う。千枝はコホンと一度空咳をして、二人を見る。


「千枝も、お金が欲しいんですよ。いろいろ調べましたが、運良く見つけたこれが1番稼げますからね」

「そうでしたか……何か、困り事でも?」

「いえいえ……千枝も人並みの生活したいだけですよお」


 ウフフと、笑う。誤魔化し切れたかどうかわからないが、これでいいだろう。

 踏み込んだ話をするほど、千枝は彼女たちと仲良くなってる。とは、思えてない。

 智代子もそれ以上言及するのはやめたようだった。代わりに、彼女はずっと楽しそうに千枝に喋り続けていく。

 気づけば、水族館の前にもうついていた。オープンしたばかりだから、人は多く。わいわいと賑やかだった。


「うわぁ、人がたくさんいますわね……はぐれないようにしましょう」

「まぁ。じゃあ手でも繋いじゃいますかあ?」

「……いえ、結構です。離れなければいいだけの話ですし」


 一人でツカツカと歩いていく沙紀を、二人は慌てて追いかける。手を繋ぐか、少しだけ悩んでたように見えたが、気のせいだったかもしれない。

 この町にも、新しい観光スポットを用意したいのだろうか。思った以上に造りは凝っており、いろんな海の動物たちがいるようだった。

 正直楽しめるかわからなかったが、これならば私でも楽しめそうだ。


「まぁ、見てください! 今日、イルカショーをやるみたいですわ!」


 キャッキャっと楽しそうにしている智代子はまさに年相応と言った感じがする。とても微笑ましい。

 私も何か、お土産でも後で買おうかな。そう思った時だった。人混みの中に、一人。見覚えのある影を見つけた。


「あの子……」


 声をかけようか悩んだ時、向こうが私に気付いたのだろう。目を輝かせて、こちらに走り寄ってきた。

 服装はおそらく水族館のスタッフの格好か。彼女は千枝の顔を見て、笑顔で話す。


「お久しぶりです! あね——」

「お久しぶりですぅ! いま、何をしてるんですかあ?」


 喋り出しそうな彼女の口を、手で無理やり押さえる。苦しそうな顔を浮かべるが、千枝の顔を見た時、ビクッ! と顔を少し青ざめる。


「その人は? ……顔色が悪く見えますが」

「この子は千枝の後輩です! 名前はミナコちゃんですよお」

「あ、はい! ミナコです! ここのスタッフやらせていただいてます!」

「よろしくお願いしますわ! わたくし、城ヶ崎智代子と申しますの」

「はい……って、うわあ!?」


 ミナコは突然、驚いたようにそこから飛び退く。どうやら、智代子の顔を見て何かに怯えているようだった。

 智代子と沙紀は顔を見合わせる。何か、粗相をしてしまったのかもしれない。こほん。と、一度空咳をして、智代子は頭を下げる。


「何か気に障りましたでしょうか。でしたら申し訳ございませんわ」

「あっ、はっ、あっと……覚えてない……?」

「……? わたくしとあなたは初対面だった気がしますが……」

「は、はー……で、ですよねー! すみません! 人違いでございました!」


 ミヤコはそこまでいうと「楽しんで!」とだけ言い残し、その場から走り去る。残された千枝は、少し悩むが、ごめんなさいと謝ってミヤコを追いかけに行った。

 ミヤコは、なにか焦ってるようで、何があったのか疑問が残る。沙紀は何か知ってるのだろうかと思い、智代子は彼女に聞いてみた。

 沙紀はチラリと智代子の方を向く。そして、一言。本当に覚えてないのか、と、聞いていた。智代子はもちろん、こくりと頷く。

 そして沙紀はゴソゴソとスマホを取り出す。そこには、一つの写真が入っていた。

 その写真に写ってるのは、先ほど走り去ったミヤコと、また。複数の男女がいた。そして、それら全てを見て、智代子はようやく全てを思い出す


「あの人は、あのとき……わたくしたちをさらった不良の一人、ですのね」

「えぇ……城ヶ崎さんはわすれてたようですが、まぁ、私は覚えてます」


 そうだったんですの。と、智代子はつぶやいた。


 ——しかし。


 そんな不良と仲がいい千枝は、何者なのだろうか——


 ◇


「……なるほどお。つまり、昔さらったガキってのは、あのお嬢のことなんですね」

「はい……」


 人通りの少ないところで、千枝とミヤコは話していた。

 しかし、関係は対等ではないように見えた。なぜなら、ミヤコは正座で座り込んで、千枝は椅子に座っているのだから。

 ミヤコは顔を青ざめて、ぶるぶる震えている。まるで雨に濡れた死にかけの子犬のような姿は、惨めさを感じる。


「たくっ……面倒なことしてくれましたねえ……」

「す、すみません! 許してください……! あの時は、その……調子に乗ってました!」

「…………土下座をして、全て終わらせようとする人、千枝は一番嫌いです」


 ビクッ。ミヤコは体を跳ね上がらせる。


「しかし、正直なのは好きですよ。だからそんなに怯えないでください」

「あ、ありがとうございます! 流石元女番長、怒龍の千枝さん……!」


 千枝は、深くため息を吐く。


「もうその名前は捨てました。今はもう、しがない公務員の春川千枝です……まぁ、ここに来たのは、あなたのためだけじゃなくて、ついでに私個人の用事もあります」

「雀蜂、ですよね」


 雀蜂。その言葉を聞いた時、千枝の眉間がピクリと跳ね上がる。ミヤコは慌てて謝るが、千枝は首を横に振る。

 雀蜂。それは、千枝がここにいる理由でもあり、そして。

 倒すべき相手。


「雀蜂のせいで、千枝は大切な人をなくしました……忘れようとしたけど、無理でした」

「千枝さん、そのことは……」

「忘れようとしたけど、貴方が私を呼んだから……思い出すと、むしゃくしゃするけえ……あのメスガキの指を何本かおらにゃ気が済まへんからのお……」

「お、落ち着いてください千枝さん!」

「……あわわ! すみません、怒っちゃいました! とにかく、あれから10年近く経過してます。生きていたらたぶん、私と同じくらいの年齢……顔も変わってるかもしれませんから。早く見つけて、ちょっと痛めつけ……」

「すみませ〜ん!」


 その時、柱の影から、一人の少女が顔を出した。彼女はこちらにやってきて、ニコニコ笑いながらくちをあける。


「ボク、道に迷っちゃったんだ! スタッフのお姉さんだよね? ボクを案内してくれないかな?」


 その時、千枝は少しだけ、ピリリとした感覚に襲われた。何かに、私自身が緊張してるかのようだった。

 この目の前の少女からだろうか。彼女は楽しそうに笑っていて、敵意なんて一切感じられないのに、全身が強張っていく。


「いいよ、じゃあお姉さんが連れて行ってあげる!……それじゃあ、千枝さん、またいつか!」


 そう言ってミヤコはその少女に近づく。止めようとした手は、ミヤコの首を傾げさせるだけにとどまった。

 去っていく二人を見て、千枝はその場で何度か深呼吸を繰り返した。最近気が立ってるだけだろうと、自分に何度も言い聞かせる。

 そうだ。沙紀先輩たちと合流しないと! 声を無理やり出して、千枝はその場から動こうとした。

 沙紀たちとは、すぐに合流できた。智代子がペンギンのぬいぐるみを抱いて、可愛らしい笑顔を浮かべている。

 ちらりと、沙紀の方を見ると、彼女はじっとこちらを見つめていた。


「先ほどの方とは、どう言ったご関係ですか」


 やはり聞かれるか。千枝は笑顔を浮かべながら、


「彼女は千枝の後輩です! 少し悩んでたように見えたから、追いかけちゃいました……」


 と、返した。


「そうですか。あの人、少し前に私たちに難癖つけてきた人だったので」

「な、なんくせ、ですか? えっとぉ、あの……御免なさい」

「あなたが悪いわけじゃないですし、あなたが謝らなくてもいいんです。……ただ、後輩の世話はきちんとしてください」


 千枝は心の中で頭を抱える。忘れられてることに賭けたが、どうやらこちらは覚えてるようだった。

 本当に警戒するなら、近くにいる佐藤や東雲達に告げ口をしてるだろうが、その様子も特にはなかった。つまり、もう無視していい程度の相手と思われてるのだろう。

 なんだか、むかつくな。


【二人とも! 聞こえる〜?】


 その時、ドクターから通信が入る。どうやら、二人がいる所の近くに次元獣の巣ができたらしい。


【ごめんけど、その場に向かってもらうことはできるかな?】

「可能です。城ヶ崎は連れていきますが」

【多分その方が安全かな? 沙紀ちゃんも千枝ちゃんも頼んだよ!】


 そう言うわけですので。と、沙紀は千枝たちに目配せをする。逆らう理由もないので、二人とも、こくりと頷いた。

 ズレの位置はすぐに見つかった。これは沙紀の特技とも言うべきか、それとも長年の勘か。

 ドクターと言い、沙紀と言い。見た目と実年齢や、経験値が噛み合ってない存在が多すぎるな。千枝は彼女たちの若さを保つ秘訣を少しだけ知りたかった。


 次元獣の巣。静寂で誰もいない水族館は、どこか現実とは違う、異質な空気を漂わせている。

 一人できた夜の学校もこんな感じだったけな。ちえはそんなことを考えながら、着ていた服を脱いだ。下に着込んでいた黒いスーツのせいで、夏はかなり暑い。

 これでも昔よりかは着やすくなったらしいが、千枝としては今の段階でもかなりきつい。今度持ち運びができる試着室みたいなのでも用意するべきかもしれない。


「次元獣はこっちですね。気をつけましょう」

「はい! チョコちゃんは離れないでくださいね!」

「はい! わたくし、皆様にくっついていきますわ!」


 3人で固まって歩いていくと、大きな水槽の前に着いた。その中には、1匹のサメのようなものが悠々自適に泳いでいる。

 しかしそれは、目が血走っており、牙も無数に生えている。サメとは言えない、何か別の存在……次元獣だ。


「水の中にいる……どうしましょうか。下手に手出しできませんね」

「近づいたら引き摺り込まれるかもしれませんね……なんとか外に誘き寄せれることができたら」

「なるほど……でしたら私が囮になります。その隙に千枝さんにトドメをお願いします」

「だ、だめですよお! 囮なら千枝がやります!」

「……囮は誰でもできます。しかし、トドメを刺すのは誰でもできないことです。私は、貴方の成長を見たいんです。お願いしますね」


 その言葉を言い切るうちに、ゼロツーは水槽に向かってかけていく。今から走っても彼女に追いつけないのは、千枝が一番よくわかっている。

 だからこそ、もう受け入れるしかなかった。手にした刀を構えて、呼吸を何度も整える。

 ちらりと、智代子の方を見る。彼女は自信がこもった目で、こちらを見つめてきて、恐怖を少しも感じてきないようだった。

 まるでサンタを信じる子供のように——私たちが勝つことを疑ってない。そんな目を向けられたら、もう勝つしかないじゃないか。

 パシャン!

 大きな滝のような音を立てて、水が水槽から溢れ出す。千枝は、流れに逆らうように、足に強く力をこめてその場に立ちつづける。

 次元獣が飛び上がり、こちらを睨みつけた。そのまま空中を泳ぐように、千枝に向かって突っ込んでくる。

 千枝は立ち向かうように、大きく飛び上がる。手にした刀を振り下ろし、次元獣を斬り伏せる——

 が、しかし。

 刀は次元獣の鱗を突破できず、その場でガチッ。と、固定された。中途半端に刺さり込む刀は、次元獣にとっては痛みも伴ってとてつもなく不快なのだろう。大きな叫び声を上げたのちに、空中でバタバタと暴れ始める。

 千枝はその勢いのまま、地面に落とされる。ピシャリ、水が大きく跳ね上がり、その衝撃の大きさを物語っていた。

 次元獣は、この痛みを与えた生物。すなわち、千枝に対して、大きく吠える。ビリビリと、大地が痺れ始め、視界が揺れる。

 満身創痍。少なくとも、この場にいるものは、すべて彼女の状態をそう評価する。

 そう、千枝自身も。

 次元獣が、空中から勢いをつけて、再度飛び掛かる。倒れている千枝は動かずに、その光景を眺めているだけだった。

 ゴッ!

 激突した次元獣は、地面を大きく抉り取る。がり、がり。と、地面を噛み締める音が、その部屋に無情にも響く。


「……めんじゃねぇ……!」


 パァン! 噛み締める音をかき消す音が、部屋中に響き渡る。瞬間、次元獣は苦しそうな声をあげて、その場で悶え苦しみ始めた。

 パン!パン! 無数に響き渡る銃撃の音と、漂う火薬の香りは、へやのなかに少しずつ広がっていく。暴れていた次元獣は、やがて動かなくなり、その場でピクピクと痙攣し始めた。

 体内から這い出るように、全身がベチャベチャになっている千枝が顔を出す。手にした拳銃から、上がる煙を吹き消して、ちらりと次元獣の姿を見る。

 奴の体をよく見ると、大きく凹んだ部分があった。それを見て、千枝は理解する。千枝たちを襲った理由は、たまたま目についたからではない。

 ゼロツーと戦うよりマシだと判断されたから——その事実に気づいて、千枝は声にならないため息をつく。

 結局あの人の方が強いんだな。しかし、託された仕事はこなしたのだから、少しだけホッとする気持ちもあった。


「まぁ、この傷……緑川さまの蹴りでしょうか?」

「だと思いますよぉ……うーん、本当、沙紀先輩って強いんですねえ……」


 沙紀一人でも、おそらくこいつには勝てただろう。しかしそれをしなかったのは、おそらく彼女なりに、教育をしようとした結果だろう。

 今後はどうなるのか。気を抜く暇はないと考えた方が「ええ、本当……さすが、雀蜂って呼ばれていただけのことはありますわね」


 時間が止まった気がした。スズメバチ、すずめばち、雀蜂。聞き間違いか? いや、そんなはずはない。こんな大事な言葉を聞き間違えることなんて、ありえない。


「あ、緑川さま! ご無事ですか!」

「ええ、全然元気ですよ。少し臭いですが、プールみたいで気持ちはよかったです」


 水位がだいぶ減っている水槽から飛び出した無傷ゼロツー。彼女を見て、千枝は、ドクン。と、心臓が跳ね上がった。


 彼女が、雀蜂。


 ——長年追いかけてきた、倒すべき相手——


 ドクン、ドクン。心臓の音は、止まることがなく。跳ねつづける。


「……緑川さま、今日は帰りましょう。お先にお風呂入りましょう!」

「えっ、もしかして私そんなに臭い……?」


 ボロボロになっている千枝は、雀蜂を見つめながら、出ることのない答えを頭の中で求め続けていくのであった。


 ◇


 水族館の中。ペンギンの帽子を被った少女が、ルンルンというようにスキップしながら通路を歩く。


「楽しい楽しい! 水族館にボク住みたいかも!」


 にこやかな彼女は、まるで子供のように可愛らしく、そして温かみを感じる。しかし、そんな彼女を呼び止める者がいた。


「見つけましたヨ……ベル。何してるんデスカ」


 紫の服を着た少女。セキチク。彼女はベルに向かって悪態をつく。しかしベルはいっそうにこやかな顔で、セキチクに飛びついた。

 そのまま地面に倒れ込むように、ベルに抱き潰されるセキチク。ぐぇ。と、苦しそうな声を出し、その場でバタバタ暴れ出す。


「セキチクちゃんだ! ね、ね! ここ楽しいよ! 毎日毎日楽しいけど、今日は今年一番楽しい!」

「ぐ、ぐるしぃ……どいてくれませんカネ! あなたを探すために次元獣の巣も作ったんデスヨ! 早くここから離れないと、奴らに見つかってめんどくさいことになりマス!」


 ようやく離れたベルの手をひき、セキチクは歩き出す。彼女はぶつぶつと、何か文句を言いながら、スイスイと人混みの中を歩いていく。


(D•M•Tかぁ……どんな人なんだろう。ボク、今から楽しくてワクワクするなぁ!)


 ベルは、くすくすと笑った。しかしどうやら、それがセキチクの逆鱗に触れたのか、彼女に大きく怒鳴られる。

 少しだけ反省したベルは、口を閉じて、彼女につられるまま外に向かっていく。早くD•M•Tの人たちと遊びたいなぁ。ベルはそんなことを、考えていたのだった。

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