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流星は蒼く輝く  作者: たぷたぷゴマダレ
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第10話【変わり、代わる】

「愛なんですよお〜!」


 昼下がり。外の暑さとは違う、涼しい喫茶店の中で、女性の声が響いた。あたりは驚き、はたまた迷惑そうに、彼女に視線をぶつけた。

 その視線を向けられた女性は、萎んでいく風船のようにその場に小さくなっていく。カラン。と、コーヒーに入っていた氷が音を立てて揺れた。


「ふーん……」

「うるさいデスヨ」


 そんな彼女の声をサイネとセキチクは興味なさそうに返事を返す。

 女性の名前は、ベニヒメと言った。ロングスカートにメガネをかけて、ベレー帽を被り、首から高そうなカメラをぶら下げている。

 白い肌は透き通るように透明で、青い血管をうっすら見えているのは、病気のように思えてしまう。


「で、会ったんだよねえ、ゼロツーちゃん達に。どうだったのお?」


 サイネは目の前のコーヒーを一口飲んでから口を開ける。もうだいぶ溶けているのか、味が薄く。サイネは思わず顔を顰めた。

 ベニヒメに会いにきた理由は、ゼロツーと会ったから。彼女の情報は多ければ多いほど良いのだ。サイネ達も毎日暇なわけじゃない。次元獣を増やす仕事をしなければならないのだから。


「それは……えへへぇ」


 ベニヒメは突然顔を緩ませる。だらしのない口を見て、サイネは目を横にずらした。セキチクが興味なさそうにパフェを食べていて、それと思わず目が合う。


「すごいんですよお……まさしく愛! 愛なんですよ! 見てるだけでわかりました」

「そうなのお? 俺はよくわかんなかったけど」

「いやいや、それはサイネさんの目が節穴なだけですよ! 見てわかります、感じてしまいます! ゼロツーちゃんと、あの人間の女の子の間には、深い、深い愛があります!」


 みじろぎするベニヒメをセキチクは冷めた目で見ていた。それどころかむしろ何か呪詛のようなものを唱えてるようにも聞こえる。

 サイネはコーヒーを飲み干した。聞ける情報はやはりほとんどなかったが、ベニヒメは先ほどから喜んでいるからいいとしようか。

 帰ろうと支度してるのが見えたのか、セキチクも慌ててパフェをかき込んだ。目で「ベニヒメと2人きりになりたくない」と、訴えている。

 サイネはセキチクに、優しく微笑み(その瞬間足をセキチクに踏まれた)ベニヒメの方を見据える。


「で、キミはどうするのお?」

「え、うーん……とりあえず一つだけ、これは確実にしないといけないことがあります」


 ベニヒメはそう言って、コーヒーを全て飲み込んだ。


「あの人間を殺します」

「……穏やかじゃないね、それは。せめて一度引き離すとか、そんなふうにしないかなあ?」

「うふふ。でも仕方ないでしょ、愛がいくら素晴らしくても……ゼロワン様の邪魔になるなら、なんとかしないとダメなんですらからね」


 ベニヒメはそう言って、にこにこと笑っていた。ゼロワンのため、サイネたちは常にそれをもとにして動いている。

 だからこれはきっと、正しいことなのだろう。


「……じゃあ、俺。少し接触してみるよお。それじゃ、帰るよ、セキチクちゃん」

「うるさいデスヨ変態野郎が」

「はーい、また今度、会いましょうね」


 喜び。それが、サイネの全てだ。

 だからこれもきっと、ゼロワンのためになるのだ。気が乗らなくても、やらないといけない。


 ◇


「…………」


 夏、沙紀は自室のベットの上で目を覚ます。少しだけ眩しくて、部屋の電気を消し忘れたのかと、ふと考えた。

 今学校は夏休みの真っ只中であり、学生は部活や塾がなければ、一日中自由な時間を謳歌できる。

 そして、それらを縛り付ける宿題はもう全て終わらせている学生も多い。宿題を終わらせた学生はもはや自由。それに対し、沙紀ももちろん全て終わらせたが、それで自由が手に入るわけではない。

 なぜなら沙紀はD•M•Tの職員だから。部活や塾はないが、代わりに彼女には仕事がある。自由とは程遠い。


「緑川さま、ご飯できてますわよ」

「あぁ、ありがとうございます……」


 あくびをしながら、沙紀は机の前に座る。出来立てのように、ホカホカの湯気を出すコーヒーとトースト。それと目玉焼きが置かれていた。

 手を合わせてそれを口の中に入れる。美味しい。朝ご飯を食べたのは久しぶりだが、脳が回復するのを感じる。


「あ、ほら。牛乳も砂糖もありますわよ」

「……いえ。ブラックが好きなので……」


 ブラックコーヒーが大好き、というわけではない。ただ牛乳や砂糖を入れる工程がめんどくさいだけであり、朝なら尚更だ。

 少しずつ、目が覚めてくるのを感じる。これなら毎日食べてもいいかしれない。菓子パンでもいいから手軽に食べれるものを常備して……


「……え?」

「どうしましたの、緑川さま」


 コーヒーを一口飲む。苦く、酸味があるが、その奥にコクがあり、旨味を引き出しているこれは、おそらく安いものではないだろう。

 パンを齧る。サクサクとした食感と、もちもちとした生地が、バターの風味と合わさり、口の中ではじけていく。これもおそらく高級品だ。

 なぜ、そんな不釣り合いなものを今食べているのだろうか。いや、そもそも。


「なんでここにいるんですか、城ヶ崎さん」

「お邪魔しておりますわ!!」

「見たら分かります」


 智代子はニコニコとこっちを見つめて笑っているが、沙紀は色々と飲み込めて、一つだけため息をこぼした。

 もしかしたら、ドクターが中に入れたのかもしれない。迷惑ではないのだが、朝に本来居ない人がいると、さすがの沙紀でも混乱する。


「とりあえず着替えるので出て行ってくれませんか」

「かしこまりましたわ! あ、食器は水につけといてくださいまし」


 親かな? と、思いながらも沙紀はわかりましたと言葉を返す。その言葉に満足したのか、智代子はパタパタと部屋の外に出て行った。

 1人残された沙紀はあくびを噛み殺しながら、残されたコーヒーを一度に飲み切る。少しだけ、甘く感じたのはなぜだろうか。

 色々聞きたいことがあるけど、とりあえず着替えようか。沙紀は大きく伸びをして、服を脱ぎ始めるのであった。


 ◇


(やっぱり迷惑だったでしょうか……)


 部屋を追い出された智代子はトボトボと歩いていた。自分自身、かなり迷惑なことをしている自覚はある。智代子だって、寝起きに人が部屋の中にいたら慌てるし、少し怖い。

 そもそも智代子からこの提案をしたわけじゃない。夏休みにも入り、最近思い詰めていることが多く見えた沙紀を心配し、ドクターに相談したのだ。

 その結果、毎朝ご飯でも作ってみたら? というような回答を出してきた。少し面白がっている顔をしていたが、智代子にとって、それは魅力的ではあった。

 迷惑じゃないか? と、聞くが沙紀ちゃんはこんなことで怒るほど心は狭くないよとか、僕がちゃんと用意するから、とか。そんなことを言われて、いつの間にか確定していた。

 そして智代子は朝7時ほどにここについた。ドクター曰く、沙紀は毎朝8時に起きて活動するらしい。なので、その時間に向けて用意を終わらせていた。

 基本的に朝8時に起きて、24時に寝る。これを崩すとバランスが悪くなるんだって、と、ドクターは言っていたのを覚えている。

 なんにせよ、とりあえず今日は試しでやってみた。しかしもし、迷惑がられたらやめたほうがいいだろう。


「おはよーチョコちゃん!」

「あ、おはようございます、ドクターさま」


 応接室のドアを開けると、ドクターがソファに座って和菓子を食べていた。確かアレは智代子が持ってきた、有名店の和菓子だ。

 ドクターたちと談笑していたのだろう。紫も佐藤たちもにこやかな顔でこちらに声をかける。

 ただ一人——


「東雲さま……」


 東雲だけは、不機嫌そうな顔を浮かべていた。

 東雲は、沙紀のことをあまり快く思ってはいない。その理由は納得できるし、そこまで心配してくれてるというのは、どこか嬉しくもある。

 しかし、東雲が抱いている沙紀への誤解をどうにか解きたいという気持ちもあった。

 沙紀は危ない人じゃない。むしろ、優しくて強い。とても素晴らしい女の子だ、と。


「東雲さ……」

「いやぁ、しかし、この漫画面白いねえ」

「そうっスよね! 今までCMでしかみたことないけど、いざ読むと思ってた以上に面白いっス」


 その時佐藤と紫か話してある声が聞こえてきた。ちらりと、智代子がそちらを向くと、佐藤が少しだけ笑っていた。


「実際に目にしないと、中身はわからないもんだよなあ。誰が、何言おうと、さ」

(佐藤さま?)


 何か伝えようとしてるのだろうか。そう思った時、ガラリと応接室のドアが開く。

 髪を整えて、凛とした顔の沙紀がいた。智代子は目を輝かせて沙紀の元に駆け寄った。

 沙紀は少しだけ鬱陶しそうな顔をしたが、それだけだった、飛び込んでくる智代子を邪険にせず、そのまま受け入れる。抱きつかれて少しした後に、彼女を引き離したが。

 沙紀はチラリと智代子を見て、小さくおはようと声を零す。それだけで、智代子は顔が赤くなり、今、この瞬間から、今日というこの日は幸せの絶頂で続くということが容易に想像できた。

 ふわふわとした気持ちの智代子を放置して、沙紀はテクテクとドクターの方に歩き出す。そして、ドクターと何か難しい話を始めた。

 次元がどうの、ゼロワンがどうの。と言った形であり、智代子には理解ができなかった。


「お嬢様、そろそろ……」

「……あら」


 東雲が見せた時計。もう朝の9時前を指していた。朝の10時には智代子には習い事が入っており、それまでに帰るのを条件に今日はここにきたのだ。

 本当はもっと話したいが。智代子は少し残念な気持ちになるが、習い事も大事だし、約束を守るのも大事。コホンと、軽く咳をして沙紀に声をかける。


「緑川さま、お先に失礼しますわ」

「あぁ、また……気をつけて」

「あ、そうだ! 紫ちゃん、送ってきてあげたら? リハビリも兼ねてさ」

「わかったっス! 帰りましょう、皆さん」


 紫はそう言って立ち上がる。彼女の足は義足だ。しかし、傍目から見ると本物と同じように見える。

 こちらの視線に気付いたのか、紫が、ジャージの部分を捲り上げて、足を見せてきた。やはり、普通の人間の足と同じようだった。

 しかし、どこか無機質な印象を受ける。それは結局、足が本物ではなく義足と知ってるからこそ見える印象であり、何も知らなければ、ただの足としか思わなかっただろう。

 それほどまでにドクターが作った義足は完璧だった。


「リハビリなら歩いて行けば? 先に俺は目的地まで車を走らせておくし」

「こんな暑い中お嬢様に歩かせるのか? 貴様は何を考えている」

「あ、いえ! わたくしも外を歩きたいですわ。夏にしか見えない景色もありますもの」

「なんか申し訳ないっス……」

「じゃあチョコちゃん、また明日!!」


 ドクターの声を聞きながら、智代子達は応接室を出ていく。


「——さて、ドクター。例の件ですが」

「わかってる。次元をこじ開けるガラスのことでしょ」


 ドクターはそう言って、ゴソゴソと何かを取り出した。ガラスの破片が入っているケースだった。その中にある破片は、キラキラと輝いていて、ひどく幻想的に見えた。

 沙紀が持ち帰った破片は、ドクターがすぐに何かを調べ始めた。いつもより、数倍も真剣な顔待ちだった。


「結論から言うと、これはやっぱり次元のずれを意図的に発生させるんだ」

「原理は?」

「簡単。このガラスは、屈折率が複雑なんだ。つまり、一つの世界が、無数に屈折し、それをガラスの中で共有していく。まぁ、写鏡みたいなもんだね」

「なるほど……」

「よくこんなの作れたよ、ゼロワンは。僕でも無理かもね」


 科学者として負けちゃったかもね。ドクターは力無く笑う。ドクターの科学者としての才能は、沙紀も理解している。

 しかし、それ以上にゼロワンの知識が、才能が、そしてそれを実現させる技術が恐ろしかった。やはり一筋縄ではいかないかもしれない。

 今やるべきことはなんなのだろうか。沙紀は顎に手を当てて考える。


「最近夜のギリギリ遅くまで、大ちゃんと特訓してるけど、どうなの?」

「……普通です」

「そう」


 ドクターはそれ以上何も言わなかった。

 智代子の横を歩くためには、今以上の強さが必要だ。だからこそ、今のままではダメなのだ。たった一歩、それすら踏み込むことができない。

 通算——0勝、16敗、2引き分けそれが今の沙紀と大介との勝負の結果であり、沙紀はまだ一度も勝ててない。

 大介は伝説と呼ばれていた次元獣ハンターだ。そんな彼と2回だけでも引き分けに持ち込めてるのは、沙紀の実力の賜物だろう。

 しかし沙紀はこれに満足はしない。満足してはいけない。

 今度もし、ゼロワンにあったときは、顔面に拳の一つでも叩き込まなければならない。沙紀はそう考えて、やるべきことを決めたのであった。


 ◇


「紫さま、お体の方は大丈夫ですの?」

「もうしっかりなおったっス! ジャンプもできるし、走ることもできるっスよ」


 暑い気温の中、智代子は隣に歩く紫に声をかける。彼女はニコニコ笑い、自分の足を軽く叩いた。

 コンコンと、軽い音が聞こえる。それを聞くと、紫の足は義足だという事実を、嫌でも教えてくれる。

 もし、自分が義足になったら。その時、紫と同じように振る舞えるだろうか。


「……紫さまは、カッコいいですわね」

「えっ、あっ、そうっスかね? あははは」


 紫は照れたように顔を赤らめて笑う。その時、ふと、後ろを振り向いたのだろう。智代子に小声で耳打ちをした。


「東雲さん、なにしてるんスかね」


 一定の距離を保ちながら、スーツの女性。東雲がついてきている。おそらく立ち止まりと同時にその場に止まり、走り出したと同時に、同じようなスピードで追いかけてくるだろう。

 智代子はこれでもお嬢様だ。漫画や小説のような大財閥の一人娘などではないが、それでももし一人でいる時、犯罪に巻き込まれやすい立場にいるのは確かだ。

 ゆえにボディガードとして東雲と佐藤がいる。智代子にとってそれは当たり前の日常風景なのだが、やはり紫には疑問に思えるのだろう。


「東雲さまと佐藤さまはわたくしのボディガードなのでして……子供の頃から、ずっと一緒なのですわ」

「はー……なんだか、すごいっスね。家族みたいなもんスか?」

「家族……そうですわね。東雲さまが、姉さまで、佐藤さまが兄さまかもしれません」


 智代子は小さく笑う。


「昔野良犬に襲われた時、東雲さまが助けてくださいましたし、怖い男の人に会った時も追い払ってくれましたわ」

「佐藤さんはどうしてたんスか?」

「佐藤さまは……お片付けをしてたらしいですわ。あまり詳しくは教えていただけませんでしたが」

「なんだか、ヒーローみたいっスね」

「ふふ……そうかもしれませんわね」


 後ろの方で、コホン。と、東雲の咳払いが聞こえる。智代子がチラリと後ろを見ると、東雲の顔が、少しだけ赤くなっていた。

 暑さのせいだろうか。もしかしたら、照れているのかもしれない。そんな意外な彼女の姿を見ると、智代子は少しだけ嬉しかった。

 東雲のことは、智代子はとても大事だ。それと同じくらい、沙紀も大事だ。

 ——二人とも、笑い合えるような時間は来るのだろうか。


「散歩かい?」


 目の前から、声が聞こえた。聞き覚えのあるその声は、どこか軽く聞こえ、しかし智代子の心には重く響く。

 目の前にいる、マスクをつけた青年は、こちらをニコニコと見つめている。心臓が跳ね上がり、そして、大粒の汗が滲み出る。

 異常を感じた紫は智代子の前に立つ。そして、目の前の青年を強く睨みつけながら、口を開けた。


「あんたがサイネっスか」

「ああ、知ってるんだあ。それは喜ばしいねえ。俺はサイネ……ちょっとそこのお嬢さんに用があってねえ。少し、貸してくれないかなあ?」

「下がっ——」


 次元獣のサイネ。その戦闘力は、戦闘服を着ていなかったが、沙紀より高い。その事実は、智代子は元より、紫も知っている。

 しかし、ひとりだけ、それを知らないものがいた。それは——


「東雲さま!?」


 東雲が一気に飛び込み、サイネの顔目掛けて正拳突きを繰り出す。パァン! 軽い音が空間に響き、サイネは後ろに少し下がる。

 東雲は攻撃の手を緩めない、拳、蹴り、手刀。全てを使い、サイネに打撃を重ねていく。

 常人ならば、すぐに倒れるだろう。しかし、サイネにとって、それらすべてはもはや蚊に刺された程度の痛みでしかない。

 その証拠に、彼は東雲の打撃を受け止める。響き続けていた音は、その瞬間に綺麗に途絶えた。


「痛いなあ……」

「ぐっ……離しなさい……!」

「いいよお、別に君に用事があるわけじゃないし……えっと、そこの金髪の君。俺は君に用事があるんだあ。だから、まぁ、少しだけ、遊んどいてよ」


 サイネは東雲の手を離し、ポケットから、何か小さな瓶を取り出す。シャカシャカとおもちゃのように降り、それについてる蓋を取り外した。

 その中に入っているものを見た時、この場にいるすべての人間が、強い寒気を覚える。逃げないと、戦わないと、守らないと。三つの思想が入り混じり、一つにまとまり。

 そして、はじけた。


 ◇


「がぁっ!!」

「紫さま!」


 次元獣の巣。それを生み出すことができる道具を、サイネは使った。そこから現れたのは、巨大な鋏をつけた次元獣。

 そのハサミは地面を抉る。直撃を喰らうと、おそらくあたりに内臓を飛び散らせてしまうだろう。東雲は内臓が強く締め付けられたような感覚に陥る。

 球体の体から、無数に伸びるハサミ。そして、決して遅くはないスピードを目にして、東雲は智代子を背にして立つことしかできなかった。

 そして紫は、地面に叩きつけられていた。一つの鋏で、体を押さえつけられ、必死にもがいている。


「紫っていうんだあ。君がたまたまスーツを着てたから戦えてるけど……なんだかぎこちないねえ」


 紫は、弱いわけではない。ただ、体がまだ、馴染んでいないのだ。そんな彼女が口から血を吐き出し、震えながらも戦う姿は、痛ましかった。

 しかし、そんなこと次元獣には関係などない。かん、かん。鋏を打ち鳴らし、獲物を弄ぶかのようにそれを振り下ろそうとする。


(私は何も……できない)


 東雲は、無力感を味わっていた。あの怪物に、勝てる気はしない。ならば、逃げれば良いのではないか。

 しかし、動いた時、その瞬間、敵の殺意がこちらに向くと思うと、足がすくんで動かない。情けない。

 智代子だけでも、守らないといけない。そう思い、後ろを振り向いた。その時だ。


「——お待ちになって!」


 智代子が、東雲の前に立っていた。


「用があるのは、わたくしでしょう! ならば、その拳をおろしなさい。わたくしを連れて行きなさい!」

「お嬢様、何を!」

「あはは! いいね、すごいよ。とても喜ばしいことになってきたあ! 俺も、別に人を殺すのが好きなわけじゃないからねえ……」


 サイネがそう言い、次元獣が紫からどくのと同時に、智代子は前に歩き出す。

 震えている足は、おそらく恐怖からだろう、しかし、智代子は止まらない。そして東雲は、それを見つめることしかできなかった。

 なんと言えば良いのか、わからない。彼女を止めるために、何を言えばいいのか、何をやればいいのか。その答えは、思い浮かぶことはなく、ただ、離れていく太陽の輝きに手を伸ばすことしかできない。


「はは。すごいねお嬢様。顔は青いし、震えてるし。でも自分からこっちに来るなんて……」

「……いいのです。これで、皆が助かるならば。あと、わたくしは智代子ですわ」

「ん?……ああ、名前が? そう。智代子ちゃんだねえ。大丈夫、痛くしないし怖くもないよお。ただ、こっちにくればそれだけ。でも、皆を助けるために犠牲になるなんて……」

「ええ。そして、その皆の中には……」


 数歩歩いたところで、智代子が立ち止まる。訝しげにこちらを見つめるサイネを見て、彼女は青い顔に笑顔を貼り付けた。


「わたくしも含まれておりますわ」

「何を……!」


 その瞬間、サイネの右頬に拳が突き刺さる。横に大きく吹き飛んで、サイネは数メートル先に倒れ込んだ。

 フラフラと立ち上がり、何が起きたかを確認しようと前を向く。そして、先ほどまで立っていた場所には、1人の少女がいた。


「ゼロツー……!」

「大丈夫ですが、城ヶ崎さん。怪我は、ないようですね」

「緑川さま! 来てくれると、信じておりましたわ」


 ゼロツーは、チラリとこちらを——智代子の後ろにいる東雲——を見たあと、すぐに前を向く。

 彼女は拳を構え、臨戦体制になる。サイネはゲホゲホと咳き込みながら、戯けたように笑った。


「お姫様を助けるナイト様って感じかなあ? はは、今はあまりお呼びじゃないんだよねえ」

「サイネ、貴方は早く消えなさい。今なら見逃してあげます」

「……はは、喜ばしいねえ、その気の使い方……いいよ。痛いのは嫌だし……じゃあね、みんな」


 そう言うとどうじに、サイネの体は霧に包まれて、そして姿を消す。一つ残された、次元獣は、新しい異分子、ゼロツーに鋏を向けた。

 ゼロツーは、じろりと、次元獣を睨みつける。そして、智代子を後ろに下げて、口を開けた。


「この世界は、ヤるか、ヤられるか。貴方はどっち?」


 ◇


 全てが片付いた後、沙紀に肩を担がれて、紫が歩いていた。そして、その後ろに智代子と東雲がいる。

 聞こえにくいが、紫は沙紀に謝っているようだった。何も守れなかったと言うことから、だろうか。

 しかし、それならば動けなかった東雲の方が、あまりにも無力で、あまりにも弱い。

 あのとき、沙紀が来なかったら、私たちは——


「東雲さま、ありがとうございました」

「な、なにが! ですか……?」


 驚きと、恥ずかしさで、東雲は思わず声な滑ってしまう。智代子はくすくすと笑い、そして、優しい目でこちらを見つめた。


「あの時、わたくしの前に立ってくださり、わたくしを守ろうとしてくださり……」

「しかし、私は……何もできなかった」

「いいえ、貴方は、わたくしに勇気を与えてくれましたわ。とても、素敵な、素晴らしいことだと思います。だから、ありがとうございました」


 智代子は微笑んだ。

 可愛らしい、素敵な。子供の頃から見ていた笑顔。しかしそれは、少しだけ強くなっていた。

 もう、東雲が知っている彼女じゃない。変わっていたことの事実を見て、東雲は少しだけ、胸の奥が熱くなる。

 彼女はもう、新しいものたちと、前に進むのかもしれない。その横に立てるのは、私ではなく。きっと——


「……緑川様、少しよろしいでしょうか」

「はい、なんでしょう。東雲さん」


 前を歩く沙紀を呼び止めた。今までのこと、これからのこと。東雲は、偉そうなことを言えた立場ではない。しかし、彼女は深く頭を下げる。


「これからも、お嬢様のことをよろしくお願いします」

「……ええ」


 沙紀は、一言だけ返した。それだけで、充分だった。

 その後、緑川さまー! と、叫びながら、彼女に智代子は抱きついた。沙紀は、鬱陶しそうな顔をしながらも、智代子を引き摺りながら歩いていくのであった。


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