第8話 最初の一枚
写真魔法の撮影は、三日後の戦場依頼の前日に設定した。
珠里が魔導師ギルドと日程を調整して、ルシアスに告げたのは前々日の夜だった。
「明日、撮影します」
「撮影」
「写真魔法。衣装着て、メイクして、ギルドに行く」
「……分かりました」
あっさり了承した。
珠里は少し拍子抜けした。
「緊張しないの?」
「します」ルシアスが言った。「でも愁さんが決めたことに逆らっても無駄だと学習したので」
「……成長したね」
「諦めとも言います」
* * *
翌朝。
珠里はルシアスの衣装を確認して、メイクを直した。
フリルの縫い目は相変わらず歪だったが、遠目には分からない。
目元の線は三回引き直した。角度が一ミリずれると印象が変わるからだ。
「動かないで」
「動いてないです」
「まばたきも最小限で」
「目が乾きます」
「あと十秒」
「……分かりました」
筆を離した。
「完成」
ルシアスが窓ガラスに近づいて自分を確認した。
「……いつ見ても、別人みたいですね」
「慣れた?」
「慣れていないです」
「正直だね」
「でも」ルシアスが言った。「嫌ではないです。最近」
珠里はそれを聞いて、少し笑った。
* * *
魔導師ギルドの撮影室は、思ったより本格的だった。
白い布を背景に張って、魔法陣が床に描いてある。
受付の眼鏡の男、名前はフィルといったが魔法の準備をしながら説明した。
「被写体の方に立っていただいて、魔法を発動します。一瞬光りますので目を閉じないでください」
「目を開けたままですか」ルシアスが言った。
「はい。閉じると目元が写りません」
「……分かりました」
「では背景の前に立っていただけますか」
ルシアスが白い布の前に立った。
フィルが魔法陣の前にしゃがんで準備を始めた。
珠里は横から見ていた。
……何かが足りない。
「ちょっと待って」
「何ですか」珠里が言った。
「立ち方」
「立ち方?」ルシアスが言った。
「真っ直ぐ立ちすぎ。もう少し重心を左に寄せて、右手をリュートに添えて」
「こうですか」
「そう。顎を少し下げて。目線はこっち」
珠里が自分を指差した。
「こっちを見て、って意味」
「分かりました」ルシアスが珠里を見た。
琥珀色の目が、まっすぐ向いた。
……いい。
「それで固定して」
「固定……どのくらいの時間ですか」
「撮り終わるまで」
「それが聞きたかったんですが」
「フィルさん、準備できましたか」
「あと少しです」フィルが魔法陣に魔力を込めながら言った。「……しかし、なかなか様になりますね」
「でしょ」
「広場で拝見した時とは、また違う印象で」
「静の状態と動の状態で別の顔が出るから」
「なるほど……」
扉が開いた。
「来ました!!撮影ですよね!!」
ノノだった。
珠里が昨日話したら、今日絶対来ると言って聞かなかったやつだった。
「来たね」珠里が言った。
「来ました!!」
「静かにして」
「分かりました!!」
「声が大きい」
「すみません!!」
ルシアスが固定していた姿勢を崩しかけた。
「ルシアス、戻って」
「あ、はい」
アイルが後からゆっくり入ってきた。
「……業務の確認に来ました」アイルが言った。
「業務?」珠里が言った。
「ギルドの引率として、撮影内容を記録しておく必要があります」
「記録」
「はい」
「何枚記録する予定?」
「……業務に必要な枚数だけ」
「何枚?」
「……それは状況によります」
ノノがアイルの隣に並んだ。
「アイルさんも買うんですか!!」
「業務です」
「一緒に最前列で見ましょう!!」
「撮影に最前列も最後列もないです」
「でも近くで見た方がよくないですか!!」
「……まあ」アイルが一歩前に出た。「記録の精度を上げるためには、近い方が確かに」
「ですよね!!」
フィルが立ち上がった。
「準備できました。では——」
「待ってください」
ルシアスが言った。
全員がルシアスを見た。
「……緊張してきました」
「今更?」珠里が言った。
「今更です」
「大丈夫」
「大丈夫ですか」
「大丈夫。いつも通りにしてれば」
「いつも通り、というのが」
「リュートを持って、前を向いて、私を見て」
「……それだけですか」
「それだけ」
ルシアスが息を吸った。
姿勢を戻した。
重心を左に。右手をリュートに。顎を少し下げて。
珠里を見た。
いい。
「フィルさん、どうぞ」
光った。
一瞬だった。
部屋が白く染まって、すぐに元に戻った。
フィルが魔法陣から小さな板を取り出した。
縦長の、手のひらサイズの板だった。
その表面に、ルシアスの姿が写っていた。
ノノが飛びついた。
「見せてください!!」
「ちょっと——」フィルが板を守った。「乾くまで触らないでください、像が崩れます」
「乾くまでどのくらいですか!!」
「五分ほど」
「五分!!」
ノノが五分待った。
珠里は横からそれを見ていた。
五分きっかりでノノが動いた。
「見せてください!!今度こそ!!」
フィルが慎重に板をノノに渡した。
ノノが見た。
「…………」
黙った。
珠里には珍しいものを見る感覚があった。ノノが黙る場面を初めて見た。
「ノノ」珠里が言った。
「…………」
「どう?」
「…………」
「ノノ」
「…………無理です」
「何が」
「尊すぎて無理です」ノノが板を両手で持ったまま、その場にしゃがみ込んだ。「これが手元にあっていいんですか」
「いいよ、売るから」
「いくらですか」
「銀貨三枚」
「買います」ノノがその場で財布を出した。「今すぐ買います」
「今日のは見本だから——」
「買います!!!!」
アイルが珠里の隣に来た。
「……見ていいですか」
「どうぞ」
アイルが板を覗き込んだ。
黙った。
三秒黙った。
「……良いですね」
「業務的に?」
「……業務的に」
「本当に?」
「……個人的にも、少し」
「少し?」
「……かなり」
「正直だ」
「業務です」アイルが板をフィルに返した。「何枚か追加でお願いできますか」
「何枚ですか」
「……業務に必要な枚数で」
「だから何枚ですか」
「……五枚」
「業務で五枚?」
「五つの……業務があります」
珠里は笑った。
ルシアスが板を受け取って、自分の姿を見た。
「……これが、私ですか」
「そう」
「何度見ても慣れないですね、この感覚」
「慣れなくていいよ」珠里が言った。「慣れたら終わりだから」
「終わり?」
「新鮮に見える間が、一番いい顔できてる時だから」
ルシアスが板と珠里を交互に見た。
「……愁さんって、たまにすごいこと言いますよね」
「アイルと同じこと言ってる」
「二人が同じことを思うなら、本当にすごいことを言っているんだと思います」
* * *
帰り道。
四人で大通りを歩いていた。
ノノが板を大事そうに抱えながら歩いていた。
「愁さん」
「なに」
「次のライブはいつですか」
「明日、戦場に出るよ」
「戦場!?」
「魔物討伐の依頼が入ってる。ルシアスが歌う」
「私も行っていいですか!!」
「駄目」
「なんでですか!!」
「危ないから」
「でも!!」
「また広場でやる。その時に来て」
「……約束ですか」
「約束」
ノノが板をもう一度見た。
「……絶対来ます」
「来て」
「百人連れて来ます」
「さっきも百人って言ってたね」
「今度は本当に百人連れてきます!!」
アイルが珠里に小声で言った。
「……本当に百人来たらどうするんですか」
「来たら来たで対応する」
「野外でやりますか」
「野外でやる」
「ライブハウスは作らないんですか」
珠里が止まった。
アイルを見た。
「……今、すごいこと言った?」
「え?」
「ライブハウスは作らないんですか」アイルが言った。
珠里が止まった。
「……今、何て言った?」
「ライブハウス……あの、歌を聞く建物のことを、そう呼ぶんですよね?」
「どこで覚えたの、その言葉」
「愁さんがよく言っていたので」
珠里はアイルを三秒見た。
「合ってる」
「……そうですか」
「完璧に合ってる」珠里が言った。「作れる?」
「あ、いや、冗談で——」
「作れる?」
「え、いや、私は建築の——」
「ギルドに建築系の依頼って来る?」
「来ますけど——」
「紹介して」
「ちょっと待ってください話が飛びすぎです!!」
* * *
その日の夕方。
クロムが三人を呼んだ。
明日の戦場依頼の最終確認のためだった。
地図を広げて、魔物の出没エリアと討伐隊の陣形を説明した。
説明が終わった頃、クロムの目が珠里の手元の板に止まった。
「……それは何だ」
「写真魔法で撮ったルシアスの姿です」珠里が言った。「チェキです」
「チェキ」
「これから売ります」
クロムが黙った。
「見ますか」
「……別に」
「見ますよね」
「………………」
珠里が板を差し出した。
クロムが受け取った。
見た。
動かなかった。
十秒くらい動かなかった。
「………………」
「どうですか」珠里が言った。
「………………」
「クロムさん」
「………………欲しい」
ルシアスが固まった。
アイルが視線を逸らした。
「一枚銀貨三枚です」珠里が言った。
クロムは無表情のまま、即座に財布を出した。
ルシアスが珠里に耳打ちした。
「……愁さん」
「なに」
「クロムさん、即断でしたね」
「うん」
「迷わなかったですね」
「迷わなかったね」
「……立派なギャ男ですね」
「立派だね」
クロムが銀貨を三枚、珠里の手に置いた。
「これが最初の売り上げです」珠里が言った。
「………………大事に使え」
「使います」
クロムが板を受け取って、鎧の内側にしまった。
鎧の内側に、ルシアスの姿が収まった。
ルシアスはその光景をしばらく眺めてから、静かに言った。
「……明日も頑張れそうです」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




