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ミッドナイト・フォーチュンテラー  作者: 藍内 射尾
夜霧の停泊所

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冬至点:職人の掌と八卦の線

 僕には、実は二人の師匠がいる。

 一人はさっき紹介した占いの師匠、紫さん。

 そしてもう一人は、僕の人生の師匠ともいえる、祖父の源十郎だ。

 板橋にある祖父の家には、今も油と鉄の匂いが染み付いている。

 元は町工場だった場所の半分はレンタルアトリエになっているが、奥の小さな一画だけは、今も祖父・藤崎源十郎の「秘密基地」だ。

 使い込まれた旋盤や、出所のわからない古い工具が整然と並ぶその場所へ、僕はトレイに乗せた二つのカップを運んだ。

「……おじいちゃん、今日も遅くまで工房で何作ってるの? 淹れたてのコーヒー持ってきたよ」

 作業灯の下で眼鏡をいじっていた祖父が、顔を上げた。

 深く刻まれた眉間のシワが、僕の顔を見て少しだけ緩む。

「おっ、晶か。気が利くじゃねえか」

 祖父が愛用しているのは、かつて自ら設計したという年代物のコーヒーメーカーだ。

 ゴボゴボと低く唸るその機械は、今のハイテクな製品にはない、どこか生き物のような確かな振動を床に伝えてくる。

 僕は祖父の机にカップを置き、傍らにあった古い工具箱を指先でなぞった。

「あのさ、昔の日本の占いって聞いたことある? おじいちゃん、工場で働いてた頃に、誰かから話聞いたりしなかった?」

 祖父は熱いコーヒーを一口啜り、ふんと鼻を鳴らした。

「占いか。俺はそんなもん信じねえよ。晶、お前もそんなのにハマってるのか?」

 そう言いながらも、祖父は懐かしそうに目を細めた。

 職人気質の塊のようなこの男が、かつて現場で聞いた「物語」を語り始める前触れだ。

「……ま、昔の工場仲間で、中国帰りの爺さんが話してたことはある。日本の古典占いってのは、筮竹(ぜいちく)って竹の棒を五十本使って、卦ってのを立てるんだとよ」

 祖父は机の引き出しをガサゴソと探り、一本の古い竹の棒を引っ張り出した。

「棒を分けて、陰陽の線を六本作って、六十四の卦から運勢を読む。辻占いってのもあって、道端で通りすがりの言葉を神託みたいに聞くやつだ。道具は筮筒(ぜいづつ)に入れて持ち歩くんだが、重たくて面倒くせえだろ?」

 渡された竹の棒を掌で転がしてみる。  シャカシャカ/と乾いた音が、静かな工房に響いた。

   竹は年月を経て滑らかに磨かれ、意外なほどの重みが指先に残る。

「俺なら、そんな棒を何十本も担ぐより、コーヒーメーカー作る方がよっぽど役立つと思うぜ。ははっ」

 祖父は笑い飛ばしたが、僕はその竹の感触を確かめながら、別のことを考えていた。

(五十本の棒を、もっと小さくできないか。夜の公園で、誰にも邪魔されずにサッと形にできるくらいに……)

 伝統的な本筮法(ほんぜいほう)は確かに厳格だ。

 けれど、この「卦」という概念を、もっと現代の道具に置き換えることはできるはずだ。

「……へえ、筮竹(ぜいちく)か。面白そう。おじいちゃん、これ、コインで代用できないかな?」

「コインだぁ?」

「そう。百円玉三枚を投げて、表裏で陰陽を決めて卦を作るんだ。夜の公園で、スマホのライトを当ててサクッと。……おじいちゃんの話、参考にするよ。僕の占いも、このコーヒーメーカーみたいに『道具』を工夫してみる」

 僕は祖父から渡された竹棒を、もう一度数えてみる。

 カサカサと鳴るその音を聞きながら、僕の頭の中に、ポケットに収まる三枚のコインが、夜の静寂の中で弧を描くイメージが膨らんでいた。

 深煎りの、コロンビアベースの重厚な苦味が口の中に広がる。

 不安定な運命の揺らぎを、この一杯が地面に繋ぎ止めてくれるような、そんな安定感があった。

 おじいちゃんの作った道具が、この一杯の味を決めるように。

 僕も、僕なりの道具で、誰かの迷いを形にしていきたい。

「ふん、勝手にしろ。だが、道具を粗末にするんじゃねえぞ。道具が語ることに耳を傾けられねえ奴は、二流だ」

 祖父のぶっきらぼうな忠告が、熱い湯気と一緒に僕の中に落ちていく。

 この夜の工房での会話が、後に僕が手にするコインやルーン、そしてトランクケースという「武器」の原点になったことを、当時の僕はまだ、ぼんやりとしか予感していなかった。

「――おじいちゃん、これをこのトランクの中に収めたいんだ」

 数ヶ月後、僕は設計図……というにはおこがましい、手書きのスケッチを祖父の作業台に広げた。

 それは、市販のアルミケースの中に、ボイラー、ミル、抽出ユニットを詰め込んだ無茶な構想だった。

 源十郎は作業灯を引き寄せ、鼻を鳴らしながらその紙を睨みつけた。

「……バカか。コーヒーを淹れるのは化学だぞ。温度、圧力、抽出時間。それをこんな狭い箱に閉じ込めて、外で動かそうなんて、機械を舐めてるのか」

「分かってる。でも、重いだけの大掛かりな機材じゃダメんだ。夜の公園で、誰かがふと立ち止まった時に、最高の一杯を差し出したい」

 僕は食い下がった。

「おじいちゃんの作ったあのメーカーみたいな、確かな味を、どこへでも運びたいんだ」

 祖父は黙って僕を睨んでいたが、やがて乱暴に椅子を引いて座り込んだ。

「……おい、晶。ケースを持ってこい。アルミの板と、耐熱のゴムパッキンもだ」

 そこからの数日間、板橋の工房は火花と切削油の匂いで満たされた。

 祖父は現役時代を彷彿とさせる鋭い手つきで、旋盤を回し、金属を削り出していく。  僕はその横で、フィルターの固定具を磨き、配線をハンダ付けする手伝いをした。

「いいか。外でやるなら、一番の敵は『温度の変化』だ。断熱をサボるな」

「うん。……この琥珀色のLEDも付けたい。夜でも手元が見えるように」

「ふん、余計な飾りを。……だが、夜道でそれが見えりゃ、迷い犬も寄ってくるかもしれねえな」

 祖父の大きな掌が、僕の不器用な手つきを何度も修正した。

 機械は嘘をつかない。  歪みがあれば漏れるし、計算が狂えば壊れる。

 その厳しさは、紫さんに教わった占いの「客観性」と、驚くほど似ていた。

 完成したのは、見た目こそ無骨なアルミケースだが、中身は精密機械の塊。

   蓋を開ければ、そこが世界で一番小さな「喫茶店」になる。

「……できた。おじいちゃん、ありがとう」

 数日後、自宅に届いた完成品を自室で開けた時、僕はその重みに息を呑んだ。

 ケースの片隅には、祖父が最後に叩き出した「Fujisaki Works」の小さな刻印。

 そして、緩衝材の隙間に、それはあった。

 小さな布袋に入った「おまけ」。  中から転がり出たのは、鈍い光を放つ三枚の真鍮製コインだった。

 表には、僕の実家の看板をあしらった、湯気の立つ「コーヒーカップ」のアイコン。

 裏には、祖父が旋盤で刻み込んだのであろう、幾何学的で美しい「八卦」の文様。

 余談だけど。  祖父は手紙すら添えてこなかったけれど。

 そのコインの裏表は、僕の進む道――『現実の一杯』と『運勢の整理』を、文字通り背中合わせに繋ぎ止めていた。

 僕はその特製のコインをポケットに放り込み、夜の公園へとトランクを引く準備を始めた。

 二人の師匠から授かった「知恵」と「道具」を、この小さな箱に詰め込んで。

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