火を灯すコイン、翻るカード
光が丘公園の広大なアスファルトの端で、銀色の円盤が夜空に弧を描いた。
「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。運勢は指先一つ、種も仕掛けも……まあ、ちょっとはあるけどね!」
派手な黒のロングコートを翻し、軽快な口上で数少ない通行人に声をかけているのは、路上マジシャンの霧島蓮だ。
だが、今夜の彼の指先は、どこか夜風に負けているように見えた。
コインをキャッチし損ね、アスファルトに乾いた金属音が虚しく響く。
「……ちっ。今日は冷えるな」
彼が指を温めるように息を吐き出したとき、視線の先に琥珀色の小さな灯りを見つけたらしい。
僕が広げたトランクケースの『COFFEE』の文字に誘われ、彼は歩み寄ってきた。
「よお、コーヒー屋さん。それとも、新手の占い師か? 随分と渋い店構えじゃないか」
「両方だよ。……一杯、飲んでいく?」
僕はトランクから、祖父の工房で作られた特製の真鍮コインを取り出した。
表面にはコーヒーカップ、裏面には八卦の刻印。ずっしりと重く、冬の夜気にさらされて冷徹なほどに冷えている。
「へえ、いいコインだな。それ、マジックに貸してくれよ」
「これは、君の『今』を整理するための道具だ。占わせてくれないか。君のマジックが、どうして今夜、空を切るのか」
蓮は面白そうに片眉を上げた。
「占いよりマジックの方が当たるぜ」と軽口を叩きながらも、彼は僕の差し出した三枚のコインを受け取った。
チャリン、と真鍮同士が重なり、重厚な音が響く。
彼が三枚のコインを投げ、僕がその表裏を記録していく。それを六回。
現れたのは、坎の卦。
水、そして陥落。深い穴の中に落ち、身動きが取れない危険な状態だ。
祖父の教え通りなら、この坎の底には離の火が潜んでいる。
蓮さんのマジックは「光を操る」もの。この変卦は、彼の指先が再び輝くための「溜め」の時期だということだ。
「……今の君は、深い霧の中にいるみたいだ。罠に足を取られて、自分の光が見えなくなっている」
「……手厳しいね。当たってるよ。最近、マジックのキレが最悪なんだ。自分の指先を信じられねえっていうか」
僕は何も言わず、極限まで濃く淹れたエスプレッソのカップを彼に差し出した。
横には、山盛りの砂糖を添えて。
「本場イタリアのエスプレッソは、砂糖を遠慮なく入れて、最後は溶け残ったのをデザートみたいに食べるのが通なんだ。砂糖、全部入れていいよ。ジャリジャリになるくらいに。……この苦味と熱が、君の中の『火』を灯すはずだ」
蓮は言われた通り、大量の砂糖をカップにぶち込んだ。
かき混ぜるたび、ジャリ、ガリ、と砂利を踏むような音が響く。
彼はそれを一気に煽り、強烈な苦さと甘さに顔をしかめた。
濃厚な苦味が坎の罠のような重さを体現し、砂糖の熱量が離の火を灯していく。
カフェインの刺激が、彼の脳内の霧を焼き払い、指先の感覚を呼び覚ましていく。
「……くぅー! 効くね。頭の中の霧が、一気に焼け焦げた気分だ」
蓮は顔を上げると、手中のデックを鮮やかにシャッフルし、アスファルトの上に滑らせた。
「さて、お返しだ。今度はお前の番だ。このカードで、俺の『進む先』を見てくれよ」
僕は彼からデックを預かり、三枚を抜かせた。
出たのは――『クラブの3』、『スペードの8』、そして『ダイヤのキング』。
トランプのスートは、タロットの小アルカナに対応している。
クラブは棍棒、スペードは剣、ダイヤは金貨。
「『クラブの3』は、新しい展望。でも今は『スペードの8』……束縛だ。自分のテクニックに縛られて、客の心が見えなくなっている。でも、結末はこれ。ダイヤのキング」
僕は最後の一枚、王が座す金貨のカードを指さした。
「キングは、一つの価値を支配する実力者だ。トリックという『嘘』を見せるんじゃなく、君が積み上げてきた『本物の価値』を信じれば、道は拓ける。君のマジックは、もう当たり外れなんて次元にいないんだよ」
蓮は黙って、そのカードを見つめていた。
「ダイヤのキング……。俺が価値を支配する実力者だって? トリックじゃなく、本物だって信じろってか……」
彼は自分の掌をじっと見つめ、静かに手を握り込んだ。
「……ふっ、占い師に言われて、初めて自分の掌が重く感じたよ」
蓮は一気にデックをまとめ上げた。
先ほどまでの迷いを感じさせない、鋭く、それでいて滑らかな動作。
「占い師くん。いや、晶。……また会おう。次は、もっとマシなマジックを見せてやるよ。もちろん、このカードでな」
彼はシルクハット風のキャップを軽く跳ねさせ、闇の中に消えていった。
エスプレッソの残り香が、まだ甘く苦く鼻に残っている。
この一杯が、彼の霧を焼き払い、次のカードの線を照らす火種になったのなら、今夜の「開店」には意味があった。
コインの卦が、次はカードの紋様となって、どんな線を描いていくのか。
僕は真鍮の重みをポケットに感じながら、夜の静寂を片付け始めた。




