YDE社内見学:モーションの可能性(後編)
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YDE社内見学:モーションの可能性(後編)
紫師匠が水を飲み干し、ようやく息を整えた頃。
僕たちはスタジオの隣、鏡張りのフィットネスルームへと案内されていた。
「次は、トレーニング動画コンテンツの実演です」
凛音がタブレットを操作すると、壁面のモニターに撮影スケジュールが表示される。
「本日16時締め切り案件。フィットネス系Vtuber向け、初心者用ストレッチ動画と、中級者向け体幹トレーニング。各十五分」
「……凛音。私、さっきあんなに動いたのよ? 少しは休憩を……」
「相談役が『今すぐ見学させたい』と言わなければ、本日は休息日でした」
凛音の冷徹な返答に、紫師匠は天を仰いだ。
「……分かったわよ。やるわよ。でも、その前に」
紫師匠が僕たちの方を振り返る。
「優子ちゃん、カルラちゃん。二人とも、さっきの私の動き、どう思った?」
優子が一歩前に出た。
「……すごかった。無駄がなくて、綺麗で。私、ああいう動き、できるかもって思いました」
「私は」
カルラが続ける。
「あの動きを、誰かに教えたいって思いました。情熱を込めて。技術だけじゃなくて、どうやったらもっと良くなるか、一緒に考えたい」
紫師匠が、満足そうに微笑んだ。
「いい目をしてるわね、二人とも。……ねえ、試しにスーツ着てみる?」
「え?」
優子とカルラが同時に声を上げた。
「今のは本番撮影だったけど、次のフィットネス動画は少し余裕があるの。その前に、二人にモーションキャプチャーがどんな感じか、体験してもらいたいのよ」
凛音が眉をひそめた。
「相談役。スケジュールが」
「大丈夫よ、五分だけ。ね?」
紫師匠が猫のような目で凛音を見つめると、凛音は深く溜息をついた。
「……五分厳守です」
「はいはい。じゃあ二人とも、更衣室へ。サイズの合うスーツがあるはずだから」
優子とカルラが顔を見合わせ、それから頷いて更衣室へと向かった。
その様子を見守りながら、僕は紫師匠に問いかけた。
「師匠。わざわざスーツを着せるのは」
「だって、見るだけじゃ分からないでしょ? 自分の身体がどう映るか、実際に体験しないと。……それに」
紫師匠が声を落とした。
「優子ちゃんの動き、見てみたいのよ。あの子、本当に才能があるなら、スーツを着た瞬間に分かるはずだから」
その時、フィットネスルームの入り口が開いた。
「ママ、納品データの確認に来たんだけど……って、何やってんの?」
現れたのは、長い髪を無造作にまとめた女性。
都会的な黒いジャケットを羽織り、疲労と好奇心が混ざった目でこちらを見ている。
黒鴉モリガン。
「あら、モリガン。ちょうどいいところに来たわね」
紫師匠が手招きする。
「今日は特別ゲストよ。私の教え子が連れてきた、未来のモーションアクター候補」
モリガンの視線が僕に向いた。
「……整理屋。あんた、またママに何か吹き込んだの?」
「いえ。師匠が勝手に」
「勝手じゃないわよ。必然よ、必然」
紫師匠がモリガンの肩を叩く。
「まあ見てなさい。今から面白いものが見られるわよ」
更衣室の扉が開き、黒いゴムスーツに身を包んだ優子とカルラが現れた。
「……うわ、なんかすごい恥ずかしい」
優子が頬を赤らめている。
「でも、意外と動きやすい。身体にぴったりフィットしてる」
カルラが腕を伸ばし、屈伸して確かめている。
「はい、じゃあスタジオの中央に立って。カメラが二人の動きをトラッキングするから」
紫師匠がコントロールパネルを操作すると、壁面のモニターに二つのアバターが映し出された。
シンプルな人型の3Dモデルが、優子とカルラの動きに完全に同期している。
「わ……動いてる」
優子が手を上げると、画面の中のアバターも同じように手を上げる。
「すごい。これが、Vtuberの仕組みなんだ」
カルラが感動したように呟く。
「じゃあ、軽く動いてみて。ジャンプとか、ターンとか、好きに」
紫師匠の言葉に、優子が一歩踏み出した。
そして
軽やかに跳躍し、空中で一回転。
着地は完璧。重心のブレが全くない。
続けてカルラも動き始める。
彼女の動きは優子ほど精密ではないが、情熱がこもっている。ステップの一つ一つに、踊る喜びが滲んでいた。
モニターの中で、二つのアバターが舞う。
その時、モリガンが息を呑んだ。
「……嘘でしょ」
彼女の目が、優子の動きに釘付けになっている。
「あの子、初めてスーツ着たんでしょ? なのに、あの精度……ママと同じレベルじゃない」
「でしょう?」
紫師匠が得意げに笑う。
「優子ちゃんは、フィジカルの天才なのよ。ダンスへの情熱はないけど、身体能力だけなら私と張り合える」
「そして、あっちの子は」
モリガンがカルラを見る。
「情熱がある。技術は未熟だけど、その動きには『伝えたい』っていう熱がある。……これ、育てたら化けるわね」
優子とカルラが、五分間、自由に動き続けた。
その動きを見ていた紫師匠とモリガンの目に、同じ光が宿る。
「……ママ」
「分かってるわよ、モリガン」
二人が同時に笑った。
「この二人、YDEの次世代主力になれるわ」
「ええ。私が育てる。必ず」
モリガンの声には、確かな決意が込められていた。
彼女は、ずっと紫師匠に憧れていた。
現場もプロデュースもこなせる、駒で言えばクイーン。
自分はせめて、プロデュース業だけでも引き受けたかった。
そして今、目の前に現れたのは、紫師匠とフィジカル面で張り合える優子と、情熱で人を動かせるカルラ。
この二人を育てることができれば、自分もクイーンに近づける。
「……あれ、モリガンさん?」
スーツを脱いで戻ってきた優子が、モリガンに気づいた。
「あの時、公園で」
「ええ。また会ったわね、優子」
モリガンが優子の肩に手を置く。
「あんた、本気でこの道を選ぶ気ある?」
「……はい」
優子が即答した。
「私、ダンスは好きじゃないけど、身体を動かすのは好きです。それで、誰かの役に立てるなら……やりたいです」
「カルラちゃんは?」
「私は、優子を支えたい。それに、人に教えるのが好きだから……インストラクターとか、トレーナーとか、そういう道も考えてます」
モリガンが満足そうに頷いた。
「いいわ。二人とも、私が育ててあげる。YDEの次世代エースにしてあげるわよ」
その時、モリガンの視線が僕に向いた。
「……整理屋。あんた、またいいタイミングで現れたわね」
「師匠が呼んだので」
「嘘。あんたが二人を連れてきたんでしょ?」
モリガンが小さく笑う。
「公園で会った時から、あんたのことは信用してたのよ。あんたが『この子たちには可能性がある』って思って連れてきたなら、それは間違いないって」
僕は何も言わず、ただ頷いた。
モリガンは再び優子とカルラを見る。
「二人とも。夏休み、YDEでインターン研修やるわよ。無給だけど、現場を全部見せてあげる。その上で、本気でこの道を選ぶか決めなさい」
「はい!」
二人が同時に返事をした。
その声には、迷いがなかった。
紫師匠が凛音に目配せする。
「凛音、二人のインターン手続き、お願いね」
「……相談役のせいで、また仕事が増えました」
凛音が溜息をつきながらも、タブレットに二人の名前を打ち込んでいく。
フィットネスルームに、静かな充実感が満ちていた。
優子の技術。
カルラの情熱。
そして、それを育てようとする紫師匠とモリガンの覚悟。
全てが、今ここで繋がった。
僕は窓の外、夏の強い日差しを見上げた。
夏至を過ぎ、これから日は短くなっていく。
でも、二人の未来は、今ここから長く、明るく続いていくだろう。
整理屋の仕事は、ここで終わり。
あとは、二人が自分の足で歩いていく。
紫師匠が僕の肩を叩いた。
「晶。いい仕事したわね」
「……師匠が道を作ってくれたおかげです」
「違うわよ。あんたが二人の心を整理したから、ここまで来れたのよ」
そして、師匠は小さく付け加えた。
「さて、私はこれからフィットネス動画の撮影よ。地獄だわ」
「……お疲れ様です」
「凛音、容赦しないでよね」
「相談役が悪いので」
凛音の冷徹な返答に、フィットネスルームに笑いが広がった。
夏の、始まり。
光が丘の整理屋が繋いだ、新しい物語が動き出した。




