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ミッドナイト・フォーチュンテラー  作者: 藍内 射尾
夕立の分岐点

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雨宿りのレイヤーと再会のクラフト(後編)



 雨脚はすっかり弱まり、東屋の屋根を叩く音は穏やかなリズムへと変わっていた。

 撮影再開を待つナナコさんが少し離れた場所でポーズの確認をしている間、僕のトランクの周りでは、もう一つの「設計会議」が熱を帯びていた。

 「……よし、決まりね。晶くん、その重たい冬用ローブは、今日を限りに衣替え(アーカイブ)しましょう」

 

 エミさんが手帳の余白にさらさらとペンを走らせる。

 隣では、カメラ機材をメンテナンスしていた友人のA子さんも、身を乗り出して口を挟んできた。

先ほどのデザインの話を撮影班の衣装担当と話しをしたところ

「男の子の衣装作るの久々で腕がなりそう!」とデザインを通り越してそのまま作り上げてくるんじゃないかという勢いで設計会議が始まった。


 「賛成! 占い師なんだから神秘性は大事だけど、熱中症で倒れたら『不吉な予言』どころじゃないもんね。私は浴衣地を推したいな。藍染めの浴衣なら、帯にダイスケースをぶら下げるだけで、和風の魔術師(キャスター)っぽくて映えると思わない?」

 「浴衣もいいけど、晶くんのトランク、バリスタ機能もついてるじゃない?」

 エミさんがニヤリと笑って、僕の顔を覗き込む。

 「いっそチュニックに藍色のベストを合わせて、お父さんのお店っぽく『バーテンダー風の整理屋』っていうのもアリじゃない? ほら、胸ポケットにルーンを忍ばせてさ。聞き上手のバーテンポジ、絶対に需要あるわよ」

 「……それは、少し気恥ずかしいですね」

 僕ははちみつジンジャーレモンティーを一口飲み、少しだけ困ったように笑った。

 父さんの背中を追うのは嫌いじゃないけれど、今の僕はあくまで、このトランクと一緒にストリートに立つ「整理屋(カウンセラー)」でありたい。

 「形から入る、っていうのは師匠の教えなんです。……この藍色のシルエットは、僕がここに立っているための『境界線(ライン)』みたいなもので。これを崩すと、言葉の重みまで変わってしまう気がして」

 僕がそう呟くと、エミさんは少しだけ真剣な目をして、僕のローブの厚い生地を指先で弾いた。

 

 「分かってるわよ。だから、妥協案。……軽量リネンのローブはどう? 袖は七分にして、裾も動きやすく膝丈までカットするの。素材は最高級の麻。風をそのまま通すけど、藍色の深さは今のままキープする。エミさん特製、真鍮工房風の金糸刺繍も入れちゃうから」


 「リネン、ですか」

 想像してみる。

 夏の夜、湿り気を帯びた風が、軽い麻の生地をすり抜けて身体を冷やしていく感覚。

 トランクの冷却ファンの音が、涼しげな衣擦れの音と混ざり合う光景。

 「……いいですね。それなら、夏の暑さの中でも、冷静に客の話を聞けそうです」

 「決まり! 採寸は今度アトリエに来た時にやるからね。その代わり、トランクの『着せ替えパネル』も夏仕様にしなさいよ。涼しげなブルーグレーのパネルに、このアイスティー。完璧じゃない」

 エミさんの快活な笑い声が、雨上がりの澄んだ空気に溶けていく。

 

 雨はいつの間にか止んでいた。

 雲の隙間から、夕立の後特有の、痛いくらいに鮮やかなオレンジ色の光が差し込む。

 

 「晶くん、ありがとう! 私、行ってきます!」

 

 ナナコさんが、リフレクターを抱えた友人と共に芝生へと駆け出していく。

 その横顔には、さっきまでの迷いはなかった。

 『自分を消す』のではなく、『今の自分を混ぜる』。

 彼女は今、雨に濡れたドレスを「今この瞬間の物語」として、レンズの向こう側へ差し出そうとしている。

 「……さて、僕もそろそろ片付けないと」

 僕はトランクの天板に残った雨粒を、丁寧に拭き取った。

 コイン易の真鍮コインをケースに収め、冷却ユニットのスイッチを省エネモードに切り替える。

 

 ふと、北側のダンス練習場に目をやった。

 雨上がりの濡れたタイル。そこで、たった一人でステップを踏んでいる人影が見える。

 優子だ。

 

 彼女は音楽も鳴らさず、ただ自分の足音を確かめるように、激しく、どこか縋り付くような動きで踊っていた。

 夕日に照らされた彼女の影が、濡れた地面に長く、歪に伸びている。

 「……優子」

 新しい夏服の相談をしていた温かな空気は、一瞬で夜の予感に塗り替えられる。

 彼女の足元にある心の氷(フラジャイル)は、僕のアイスティーで冷やせるような、生易しい熱ではないのかもしれない。

 僕は重いトランクのハンドルを握り直し、ゆっくりと彼女の方へ歩き出した。

 

 「晶くん、どうしたの?」

 背後でエミさんが不思議そうに声をかけるが、僕はうまく答えられなかった。

 

 夏の入り口。

 新しい衣装と、冷たい飲み物。

 準備は整いつつあるけれど、僕の目の前にはまだ、名前のない大きな暗雲(トラブル)が居座っている。

 

 「……少し、整理が必要な相手がいるんです」


僕はそう言い残し、夕闇が迫る公園の奥へと、キャスターの音を響かせながら進んでいった。

 光が丘公園の北端、牛房口ごぼうぐち

 公園を一周する大きな通りを渡ると、そこには住宅街の隙間を縫うように、静かな遊歩道が続いている。

 賑やかな広場やダンスの練習場とは対照的に、ここは街灯の数も少なく、生い茂る木々が空を覆い隠していた。


 特に用があるわけではなかった。ただ、エミさんたちの熱っぽい議論や、ナナコさんの晴れやかな表情を反芻しながら歩いているうちに、気がつけばこのエリアまで辿り着いていた。

 足元では、傾斜を活かした人工の沢が、控えめな水音を立てている。

 夕立の余韻だろうか、水量はいつもより多く、その飛沫が夜の気配を含んで白く光っていた。この水はやがて暗渠を抜け、白子川へと流れ込んでいくはずだ。

 僕はトランクを止め、濡れた手すりにそっと手を置いた。

 ふと、背負った機械の重みが、先ほどまでとは違う質感を帯びていることに気づく。

 エミさんが言っていた「リネンのローブ」。

 身軽になり、風を通し、より現代の街に溶け込んでいく自分の姿。

 それは確かに魅力的で、未来への正しいステップに思えた。けれど、そうやって武装を解いていくことは、この公園に潜む「(よど)み」に対しても無防備になるということではないだろうか。

 脳裏に、先ほどの優子の後ろ姿が浮かぶ。

 激しく、何かに抗うように地面を蹴っていた、あの危ういステップ。

 彼女が抱えているものは、新しい服を着たり、冷たいお茶を飲んだりすれば解決するような、表面的な熱ではない。もっと深く、冷たく、水の底で重く沈んでいる何かだ。

 「……僕は、何を整理しようとしているんだろうな」

 呟きは、水の音に掻き消された。

 トランクの中にあるルーンやタロット。それらは迷える人の背中を押すことはできても、崖っぷちで踊る者の腕を掴むことができるだろうか。

 その時だった。

 「おや? 若い方が来るのは珍しいですね」

 不意に、湿った闇の向こうから、枯れ木が擦れ合うような声が届いた。

 


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