6.昨晩のこと
ロイは本屋で本を並べながら、昨晩の出来事を思い返していた。
警察には通報しなかった。
家中を確認したが、盗られた物は何もなかったからだ。
――だが。
(……気になることは、いくつもある)
まず、玄関の鍵が開いていたこと。
侵入者は二階から飛び降りて逃げた。
あれほど身軽な人物が、わざわざ正面玄関から入るだろうか。
(いや……待て)
ロイの指が、本の背表紙の上で止まる。
玄関のドアには、こじ開けられた跡がなかった。
ということは――
(二階から侵入して、一階へ降りて……自分で玄関を開けた?)
(……どうして、そんな回りくどいことを?)
次に、物音。
自分が帰宅したことに気づかなかったとしても、
一階にまで響くほど大きな音を立てるだろうか。
(違う……あれは)
(気づかせるための音だ)
胸の奥が、ざわりと揺れる。
三つ目は、手帳。
意味不明な言葉。
血痕のような赤い染み。
――間違いない。
あれは父の手帳だった。
念のため筆跡を確認した。
完全に一致している。
(あの文字は……親父だけの癖だ)
天使
休息
鬼
裏切り者
これらは一体何を指しているのだろうか。
――――
Reborn of the Eternal Dead
(不滅なる死からの再生)
Reborn――生まれ変わる
Eternal――永遠
Dead――死
(……再生?)
(誰が? 何から?)
――――
“There’s daggers in men’s smiles.”
人の笑顔には短剣が隠れている。
ウィリアム・シェイクスピア
『マクベス』第三幕。
信じた相手ほど、刃は深く刺さる。
そんな警告の言葉だ。
(……親しい人間ほど、危険だってことか)
そして、C.H.H.
チャイルド・ヘイミッシュ・ホーキンス。
父の名前のイニシャル。
(もし、そうなら……)
手帳に付着していた血は、
父のもの――という可能性が高い。
(親父の病気は……本当に、病気だったのか?)
背筋が、ひやりと冷える。
そして、もう一つ。
手帳の置かれていた“位置”。
無造作に捨てられたようには見えなかった。
部屋の中央。
まるで――
(見つけてくれと言わんばかりだ)
周囲に散らばった物も不自然だった。
慌てて荒らしたというより、
手帳を際立たせるために後から撒かれたような――。
(……気づかせたかったのか?)
父が亡くなってから、部屋は何度も整理している。
だが、この手帳を見た覚えは一度もない。
(つまり――)
(犯人が持ってきて、わざと置いた)
(……それに、なぜ昨日なんだ?)
自分が留守にしていた日は、他にもある。
昨日でなければならなかった理由。
わざと開けられた玄関。
わざと立てられた物音。
異様に目立つ手帳。
(全部……僕に見せるため?)
警察に通報される危険を承知で、
それでも渡したかった“何か”。
まだ、疑問は残っている。
手帳の破られたページだ。
何ページか、まとめて破られた痕跡がある。
偶然じゃない。
明らかに、意図的だ。
それに――
この手帳には、他にも何か書かれていたはずだ。
だが、それを調べるのは後回しにする。
今は、全てを追いきれない。
(……とりあえず)
(今、気になるのはこのくらいだな)
ロイは、そう自分に言い聞かせた。
――そこまで考えたとき。
「ロイ、頼み事があるんだが」
ジェームズの声が、ロイの思考を現実へ引き戻した。
ロイは、はっと顔を上げる。
(……今は、まだ)
(でも――)
胸の奥に残る違和感は、消えなかった。
まるで、
見えない歯車が、静かに回り始めたかのように。




