古砦の死霊術師
馬車は東へ向かって進む。
幌に包まれた馬車の中からは見えないが、外部視野を使って密かに外の様子を窺うと、北側には山脈が続いていた。切り立った崖や、斜面に雪を積もらせた山が見えている。
山脈は複数の、地質の異なる山が折り重なるようにして、大地に手を広げていた。
山の指先を避けるようにして街道は曲がり、しばらくすると馬車は傾斜路を下り始めた。
警戒していた風はほとんどなく、昨夜の強風が嘘のように静かな朝を迎えていた。
朝日に照らされた広野に黒い毛の牛が群れをなし、数の乏しい草を競うように食べている。 晴れた空には雲一つなく、澄み切った空の中に浮かぶ白い月が見えるほどだった。
外の様子を確認しながら、俺は他の面々と話す事はせず、死霊術師への対策を考えたり、あるいはその後の北に向かう経路について考えていた。
馬車は傾斜路を慎重に下ると、急ぎ足で真っ直ぐに延びる道を進み始めた。
護衛の騎馬が止まると馬車も止まり、道の先に山が迫り出した手前で馬車を降ろされた。
周囲を見回すと南側は広大な平地。北側に山脈があり、東側に迫り出した岩山の壁が行く手を遮っている。そこを回避する為に街道は南に折れていた。
その道の先、平地へと突き出した岩山の崖下に、石の砦が見えていた。かなり離れた場所にあるその砦の屋根には、白い旗が垂れ下がっているのが見えた。
「あの砦は?」
「あれは目的の古砦ではありませんよ。あの砦はレファルタ教の物です。なんでも領主がレファルタ教に譲ったとかなんとか……」
アギムはそう説明してくれた。
遠くで見えづらいが一瞬、白い旗が風に揺られてはためいた。
立地から察するに、かつては東との境を守る役割をしていた砦なのだろう。
俺たちが目的とする古砦は、北側の渓谷を抜けた先にある。その渓谷の入り口は東側からは見えない場所に存在していた。亀裂のように岩山の間に裂け目ができており、その緩やかな坂を上がった先に、目的の古砦があるのだと言う。
「行きましょうか」
俺たちは小さな荷物を背負うと、崖の隙間にある天然の坂道を歩いて行く。
踏み固められた跡のある幅の広い道が続いていたが、場所によっては大きな岩が崖から突き出し、道幅が狭くなっていた。
途中に急な曲がり角があり、そこを抜けると道の先に木々が立ち並んでいるのが見えてきた。
その木の向こう側に、灰色の石壁らしい物が見えている。
「あれが古砦です」
「慎重に近づこう」
坂道の途中にある岩陰に、ギルドから与えられた物資の入った荷物を置き、各自は武器を手にすると、互いの顔を見て頷き合う。
警戒しながら緩やかな坂道を上りきる。
木々のある場所は、左右にある岩山の狭間にできた広い空き地だ。平坦な土地に白樺や小楢が群生していた。
「待て」俺は先に行こうとするアギムを止めた。
「どうしました?」
「相手は術師だ。この先になんらかの防御策を構築している可能性がある」
「私もそう思います。今までの一本道に結界を張り、侵入者に警戒している可能性もありましたが、それは無かった。だからこそ、古砦の周辺に危険な罠を仕掛けている可能性は高いでしょう」
俺の意見に魔法使いのウーリアが同意する。
「ふん、陰湿な魔術師のやりそうな事ってわけか。……それで? 具体的にどうするつもりだ」
「まずは俺が周囲の調査をする。──少し集中するので時間をくれ」
五人を待たせて俺はその場で目を閉じ、外部視野を使って上空から砦周辺を調べてみた。
砦と言うには建物の周囲を囲む壁は無く、小さな建物のそばに樹木が生え、壁に枝が接している場所もあった。
外観からも砦としての機能があるとは言いがたい。建物は二階建てのようだが窓も無く、外に出られる場所も、縁すら無かった。
(この建物は砦ではなく、寺院ではないか?)
どうやら俺の予想は正しかったらしい。正面の入り口に近づいて調べると、枯れた蔦の陰にある、紋章が刻まれた浮き彫りを発見した。かなり古い時代の物で、現在では信仰の対象になっていない名も無き神の寺院跡を、動乱の時代に兵士たちが砦として利用していたのだ。
建物の裏手に回ると、そこには朽ちた木箱や木樽が打ち捨てられていた。
古びて使い物にならなくなった物を廃棄した者が居たようだ。
建物の周辺には魔術的な罠も無ければ、もちろん結界も張られてはいなかった。
なんの警戒もしていない事が逆に気になるが、調査は楽におこなえた。
砦の裏手から奥に進んだ所の地面に、深い裂け目を見つけた。
左右を岩山に挟まれた地形に刻まれた深い溝。そこは外部視野の遠視をもってしても見通せないほどに、深い穴が空いていた。
水の浸食によってできた空洞らしく、東側の岩壁から水が流れ落ちているのが確認できた。
その穴よりさらに北にも地面が見えていたが、すぐに崖の壁が行く手を遮り、この場所が閉ざされている事を突き止めた。
俺は外部視野を戻すと目を開き、罠は無かったと皆に報告する。
「よし、それでは行きましょう。──殿はシズラスに任せてよろしいですか?」
「任せる」
俺はアギムの提案に応えると死王の魔剣を抜き、古びた寺院に近づいて行く。
開放された入り口には木製の大扉があり、この扉は建物と違って新たに作られた物だった。それでも数十年は経過した物だと思われるが。
建物の中に入ると不快な臭いが鼻についた。……それは血の匂い。そして臓物の臭いだった。
左右に大きく開いた扉の横を通り過ぎ、石壁の通路から先を見ると、暗がりの先に広間が見えた。そこには松明による明かりが灯され、部屋の様子が朧気ながら確認できた。
建物の外壁は黒ずんでいたが内部の壁は灰色で、石灰岩の壁に長い月日の汚れが染み付いていた。
広間の中央には空間があり、そこには赤黒い血の痕が残されている。──が、死体はここからは見当たらない。
通路の奥から漂ってくる臭いに、他の面々も気がついた様子だ。
前を行く俺やフィンジの背後から、前方の様子を覗き込んだ女が息を飲む音が聴こえた。
慎重に広間に近づいて行くと、さらに奥の部屋があるのが見えた。
広間の左右にはなにも無く、この広間には血痕が残されているだけだった。
「おや、また新たなお客かい?」
とぼけた調子の声が、広間の奥の部屋から聴こえてきた。
その声は年老いた男のものに似たしわがれた声をしていたが、その歪な声は壁に反響し、耳にも心にも不快なものとして感じられた。
(人間のものではないな)
その声はどちらかというと、上位存在を思わせるものだった。
広間の先から姿を現したのは、白い法衣を着た薄気味悪い顔をした老人だった。
その皮膚の色は灰褐色で、痩けた頬はまるで髑髏の様だ。目は落ちくぼみ、濁った青い目は湖の底の色をしている。
「はっ、ははは。前のお客さんを見逃した甲斐があったな。我の空腹を満たす為におかわりをよこしてくれたのだから」
にやりと歪めた口元から鋭利な牙が覗いた。──やはりただの人間ではない。老人が放つ気配も、だんだんと異質なものが混じり始めていた。
「こいつ、気でも狂っていやがるのか」フィンジが大剣を構えながら言った。
「気をつけろ、ただの死霊術師ではなさそうだ」
俺の言葉でどれだけ他の連中が本気で警戒するかは分からないが、クァンルシカとウーリアは死霊術師の老人に対し、違和感を抱いている様子を見せている。
アギムが幅広の剣を構え、シズラスは短剣と小盾を構えて女神官を守るように前に出た。
老人が指を鳴らすと、その背後からぞろぞろと不気味な連中が現れた。
大柄な戦士が二人。そして雪鬼狼が四体姿を見せた。
二人の戦士は死霊で、ゆらゆらと上体を揺らしながら手にした剣を石床に垂らしている。剣の切っ先がたまに石床を削って、ギジギジと嫌な音を立てた。
鉄の鎧を身に着けた戦士はだらしなく口を開き、虚ろな目をしてこちらに迫ってくる。
その左右に雪鬼狼の死霊が広がり、一斉に襲いかかってきた。
雪鬼狼の暗青色の毛をしており、異様な臭いを放っていた。獰猛そうな口元を大きく開け、飢えた猛獣そのものの唸り声を上げて、勢いよく迫ってくる。
「出でよ炎の化身、翼持つ蛇よ。我が喚びかけに応え給え『火炎の鎖蛇』!」
ウーリアが角灯を掲げると、角灯の中から炎が勢いよく飛び出し、近づいていた雪鬼狼の一体を真っ赤な炎で包んだ。
一瞬で周囲の汚れた空気が焼き尽くされた感じがし、業火を纏って現れた炎の蛇が暗い寺院の中を照らし出した。
それは翼を持つ炎の大蛇だった。雪鬼狼の胴体に巻きついた大蛇が狼の首元に噛みつき、ぐいと力強くねじ切って雪鬼狼の頭を引きちぎる。
蛇の翼は大きな物ではなく、せいぜい一枚の外套くらいの大きさしかない。大蛇の体長も人間の二倍ほどの長さ程度で、威圧感はそれほどでもなかった。
しかし蛇の体は常に炎を纏い、攻撃の瞬間にはごうごうと凄まじい音を立てて相手に飛びかかると、瞬く間に敵を焼き尽くす業火の大蛇へと変じるのだった。
(まさか召喚魔法とはな)
精霊の力を元に作られた疑似的な精霊だがその力は本物で、この力が彼女を赤鉄階級へと格上げさせる根拠となっていたのだ。
俺は不死者の戦士に狙いを定めて前に一歩進み出ると、その動きに反応した戦士が両手で剣を握り、背中に回した剣を豪快に振り下ろしてきた。
その攻撃を横に避けつつ、反撃の動作に転じられるように足を運んだ。
ギリギリの見切りで攻撃を完全に回避し、脇を締め、肩口に構えた魔剣を斜めから斬り下ろす。
不死者の鎖骨を砕き、鉄鎧の中ほどまで引き裂くと、その戦士は前のめりに倒れ込み、魔剣の力によって穢れた魂が喰われると、その肉体は灰へと変わって床に広がった。
他の男たちも次々に雪鬼狼や戦士を倒していき、女神官は魔法を掛けて、それらの死体が復活しないように浄化させていく。
「これはおみごと」
ぱちぱちぱちと、覇気のない拍手が広間に響いた。
法衣を着た死霊術師はどこかにこやかに、我々の戦う様子を見守っていた。
それはまるで、老人が庭で遊ぶ子供たちの様子を見て和んでいるかのようだった。
「まさかあの戦士たちをこうもあっさり討ち取るとは、せっかく蘇らせたというのに。──また戦士の死体を調達しなければ」
「なにを言ってやがる、次はてめーの番だ。死体の調達なんてする必要がないぜ」
フィンジが殺意の籠もった声色で言い、大剣を老人に突きつける。
それでも死霊術師の老人はまったく怯む様子がない。それどころか口元に薄ら笑いを浮かべる余裕すら見せている。
「ああ、そうだった。君らを不死者にしてしまえばいいんだな。それで損失は解消できる」
まるで上の空な感じで老人は言う。それに腹を立てたのだろう、フィンジがその見た目では想像もできないほど速い動きで死霊術師に接近し、老人の脳天に厚みのある刃を叩きつけた。
ぐしゃりと音を立てて、刃が頭に食い込んだ。
「くっ、はははハハハハぁ! 痛いじゃないかァ」
老人はそう言うと、大剣の刃を片手で掴んだ。
頭を叩き割られた老人が生きている事にも驚いたが、老人は大剣を頭から外すと、大剣を握っているフィンジと睨み合う。
しばらくそうして互いの動きが止まった。大剣の柄を握った男は何事か呻きながら体を前後左右に動かしている。
「……バカな! うっ、動かねぇ!!」
彼は大剣を引き戻そうと必死に引っ張っていたが、びくともしなかったのだ。
老人の膂力だけでなく、体重差も考えればあり得ない事だった。
フィンジの豪腕なら、例え老人を大剣で串刺しにしたとしても、老人の体を剣に突き刺したまま持ち上げる事もできるだろう。
「ふはははは、動かせないかね。では手伝ってやろう」
老人はそう言うと、大剣を片手で軽々と持ち上げた。刃の真ん中あたりを握って。
柄を両手で握り締め、力を込めて踏ん張っていたフィンジの巨体が宙に浮く。
ぶんっ、と音が聴こえた。
白い法衣を着た老人が手を振ると、フィンジの体が大剣と共に宙を飛んだ。
彼の体と大剣が壁に激突して大きな音を響かせた。
ジイィィィン────という、大剣が石床の上で震える音が鳴り響いている背後で、死霊術師がもらす声を殺した笑い声が聴こえてきた。
「フィンジ!」
アギムが叫んだ。
冷たい空気が満ちた広間にその声が木霊する。
壁にもたれかかったまま、フィンジは動かなくなった。




