表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
90/120

欠番回収札は、番号のない生活札を消すための札ではありません

赤い標準印の下には、短い文が続いていた。


 王宮厨房標準棚番に未登録の北門現場札は、重複防止のため欠番として回収する。


 欠番。

 番号がないものを、存在しないものとして片づけるには、便利な言葉だった。

 けれど北門小竈横の板に結ばれた青紐は、どれも番号のために残っているのではない。


「回収する前に、欠番が何を欠いているのかを読みます」


 リディアは赤印の横へ、青い線を一本引いた。


 一、王宮厨房標準棚番に未登録。

 二、北門現場札。

 三、欠番回収札。


 書記局の使いは、安堵したように頷いた。

「はい。未登録なら、標準棚に重複していません。だから欠番です。回収しても、台帳上は何も減りません」


「台帳上は、です」


 リディアはリーナの薬薪札を外さず、紐の結び目だけを指で示した。

 青紐の端には、煤がついている。昨夜、小竈の火から薬湯へ移った煤だ。


「この札に標準棚番がないのは、探し忘れではありません。薬湯が冷えないよう、小竈横から離せないからです」


 彼女は板に書く。


 番号未登録・リーナ薬薪札。欠番ではなく、現場固定札。次薬まで小竈横。


 リーナは枕元で目だけを動かした。まだ声は細い。けれど湯呑みの口からは、白い湯気が立っている。

 札を回収すれば、湯気は紙の上で消えない。だが誰も、薪を足す理由を見つけられなくなる。


「欠いているのは棚番ではなく、棚番にしてはいけない理由を書いた欄です」


 次にリディアは、カイルの帰宅灯札へ手を伸ばした。

 西三つ角の灯りは、夜明けを過ぎても小さく燃えている。帰りそびれた夜番が、もう一度通るかもしれない角だからだ。


「カイルさんの灯油札にも、標準棚番はありません」


 使いがすぐに言う。

「では欠番です」


「いいえ。帰る人の足元に番号を貼れないだけです」


 リディアは灯油札の下へ、小さな足跡を描いた。


 番号未登録・西三つ角帰宅灯。未帰着者確認まで点灯。照会写しのみ王宮へ。


 カイルが帽子を胸に当てた。

「番号がないと、灯りは余り扱いになるんですか」


「番号だけで見るなら、そうされます。でもこの札は、余り灯油ではなく、帰る権利の場所です」


 小さな報酬は、すぐに来た。

 ノラが灯油皿を取りに走り、西三つ角の灯りへ油を一匙足した。窓の外の薄闇で、帰宅路の石段が一段だけ明るくなる。

 紙はまだ争っている。けれど、足元は今、消えなかった。


 エダの賃金袋にも、赤い回収札がかかりかけていた。

 袋の口には、半日分の硬貨と、本人再読待ちの明細が入っている。標準棚番に入れてしまえば、晩餐会後処理室は「賃金関連一式」として清算できるのだろう。


「これも未登録です」


 書記局の使いは、少し声を落とした。

「ですが、賃金袋は重複すると危険です。二重払いになります」


「二重払いを防ぐ札と、未払いを消す札は違います」


 リディアは硬貨を出さないまま、袋の前へ薄い木札を立てた。


 重複防止札・エダ賃金袋。本人受領前。二重払い防止のため保留、未払い消去には使わない。


 エダが、食券を握ったまま目を丸くする。

「じゃあ、食べたから賃金はいらない、にはならないんですね」


「なりません。粥は朝の到達。賃金は働いた手への到達。別の生活です」


 テッサが白布棚から余った青紐を一本持ってきた。

 リディアはそれを、エダの賃金袋に結ぶ。

 赤い欠番回収札の上からではない。赤札を外し、その横に封じて、青紐を袋の口に直接結んだ。


「赤札は捨てません。誰が、番号のない札を欠番と呼んだのかを残します」


 板の端には、リディア自身の札もある。


 旧台所係リディア。本人未読。母の計量匙、薬粥札横。王宮呼出同意なし。


 標準棚番に未登録なら、それも欠番として回収される。

 母の匙は、小さな金属音を立てて、薬粥札の横で揺れていた。


 使いは視線を落とす。

「旧台所係関連札は、特に整理対象です。番号外の札が多すぎます。あなたの名で残っている札を集めれば、伯爵家への返答も王宮厨房への照会も――」


「私の名で残っているから、集めていいのではありません」


 リディアは母の匙を手に取った。

 匙のくぼみには、乾いた米粒が一つ残っている。


「これは私の名誉品ではなく、ミラさんの次の薬粥を量る道具です。番号がないのは、王宮棚に入れ忘れたからではありません。今ここで使うからです」


 彼女は自分の札の横へ、もう一枚を足す。


 番号未登録・母の計量匙。現場使用中。ミラ次薬粥まで薬粥札横。欠番回収不可。


 ミラが寝台の上で、ほんの少し笑った。

「匙が、残ってる」


「はい。次の粥まで、ここに残ります」


 それだけのことだった。

 けれど、その一言で、北門の小竈横にいた人たちの肩が少し下がった。

 番号がなくても、薬薪は燃える。灯りは足元を照らす。賃金袋は本人の手を待つ。匙は次の粥を量る。


 リディアは赤い欠番回収札を、板の下に封じた。


 欠番とは、生活がないという意味ではない。

 標準棚番に入れられない理由が現場にある札を、欠番として回収してはならない。

 重複防止は、二重処理を止めるために使い、未払い・未帰着・未服用・本人未読を消すために使わない。

 番号外現場札は、本人名と到達場所が読めるまで青紐で保全する。


 書記局の使いは、封じられた赤札を見た。

 その表情には、反論よりも不安が浮かんでいる。


「……回収対象が残ると、次の整理では、未登録札の発行権限を確認されます」


 言い終える前に、彼の鞄の底から、薄い灰色の控えが覗いた。

 紙の表題は、さらに静かな字だった。


 北門青紐札発行権限、旧台所係リディアより王宮厨房臨時棚管理者へ移管予定。


 リディアは、青紐を結んだ指を離さなかった。

 番号のない札を消せないなら、今度は、その札を結ぶ手そのものを移すつもりなのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ