帰れる人の表から外された名前を、灯りの前に戻します
「北門帰宅路利用者は、晩餐会関係者に限る」
王宮厨房から届いた写しの一行を、リディアは声に出して読まなかった。
読んでしまえば、その言葉だけが強くなる。
代わりに、彼女は母の料理帳の余白に、小さな丸を三つ置いた。
施療院雑役。
臨時夜番。
旧台所係。
その三つの名の横に、王宮の赤い線が引かれていた。点灯対象外、と。
「晩餐会の卓に座った人だけが、晩餐会で遅くなるわけではありません」
リディアがようやく口にすると、北門小竈横の仮窓口にいたノラが、洗い桶を抱えたまま顔を上げた。
ノラの袖口はまだ濡れている。ミラの薬皿を洗い、夜明け用の小鍋を伏せ、包帯を煮た湯を片づけた後の水だった。
「施療院雑役は、晩餐会の客ではありません。でも、晩餐会のために北門の火と桶を後回しにされました。だから帰りが遅れます」
リディアは一つ目の丸に、ノラの名を書き足した。
「臨時夜番は、正式な夜番表にないから外されたのでしょう。でも、正式な夜番が王宮側の荷受けに取られた穴を埋めた人です。穴を埋めた人を、帰る表の穴に落としてはいけません」
カイルが鍵箱の前で、昨夜の仮札を握りしめた。
「エダの賃金袋も、まだ本人の手に戻っていません」
「ええ。賃金が戻る前に灯りを消せば、帰宅路だけでなく、次に断る権利まで暗くなります」
リディアは二つ目の丸に、エダの名を書いた。
最後の丸に触れると、指先が少し冷えた。
旧台所係。
それは、彼女自身の名を含む言葉だった。父エルンストの家で、火を起こし、鍋を洗い、母の料理帳の端に毎朝の体調を書いていた人たち。王宮の表では「現在の担当ではない」とされる人たち。
けれど、現在ではないから帰らなくてよい、ということにはならない。
「旧、という字は、帰宅路を消す印ではありません」
リディアは、三つ目の丸の横に自分の名を書いた。
それから、灯油残量表を手元へ引き寄せた。王宮の帳面では、点灯対象外の三分類ぶんが、未使用予定油として細くまとめられている。
「未使用ではありません。まだ足元へ届いていない予約分です」
彼女は油の壺を一つずつ数えた。
一壺目。施療院裏口から宿舎まで、洗い桶を返した人が転ばずに歩く分。
二壺目。南倉の三段目で止まっても恥にならないよう、臨時夜番が鍵箱まで戻る分。
三壺目。旧台所棟の裏階段を通る者が、誰の名で働いたかを隠されずに帰着札へ戻る分。
「点けた瞬間に完了ではありません」
リディアは青い保留札を取り出し、赤い「対象外」の横へ貼った。
「この灯りは、帰着確認が終わるまで閉じません。灯したかではなく、帰ったかで閉じます」
ノラが、濡れた指を布で拭いてから、自分の名の横へ小さな線を引いた。
「私は、薬皿を戻してから帰ります」
カイルも鍵箱の帳面を開き、エダの仮札の横に「本人確認待ち」と書いた。
「エダが自分で受け取るまで、賃金袋は閉じません」
リディアはうなずいた。
さらに、テッサが包帯棚の下から小さな木札を二枚出した。
「これは、晩餐会の皿拭きに回された子たちの分です。表では雑役まとめになっています。でも、一人は明朝、薬布を干しに戻ります。もう一人は宿舎の戸締まりをします」
「まとめ、では帰れません」
リディアは二枚の木札を灯油表の下へ並べた。
「名前、帰る道、明日の用。三つがそろうまで、この油は余りません」
王宮に返す写しには、こう書いた。
晩餐会関係者とは、卓についた者ではなく、晩餐会によって帰宅時刻を動かされた者を含む。
施療院雑役、臨時夜番、旧台所係は、点灯対象外ではない。
帰着確認まで、灯油予約分を凍結。
北門の外で、一本だけ残っていた灯りが、風に揺れながら消えずに踏みとどまった。
その下を、ノラが洗い桶を抱えて通る。カイルが鍵箱を抱えて続く。二人の名が帰着札の前で呼ばれたとき、リディアはようやく息を吐いた。
けれど、三つ目の丸だけは、まだ閉じられなかった。
旧台所係の欄に、知らない名が一つ混じっている。
アベル・ローク。
伯爵家台所にも、北門施療院にも、王宮厨房の正式名簿にもない名だった。
その横には、帰着印だけが先に押されている。
「帰っていない人に、帰着印だけがある」
リディアは、消えない灯りの下でその名を指で押さえた。
「これは節約の表ではありません。三つの場所から、同じ夜を見た人の名前を抜く表です」




