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北門灯油残量は、晩餐会終了後に精算できません

油の匂いが、紙の端から先に届いた。


『北門灯油残量、晩餐会終了後に精算』


精算、という二文字はきれいだった。王宮の帳簿では、晩餐会が終わったあとに残った油を量り、使った分を伯爵家の補填費へ寄せれば、それで一行が閉じるのだろう。


けれど北門施療院の廊下では、油はまだ終わっていなかった。


リディアは封筒を机へ置き、薬棚の横に残った小さな灯皿を見た。芯の先は黒く、油面は低い。けれど、その薄い光が、カイルの返した鍵箱と、ミラの夜薬札と、ノラの朝番簿をかろうじて同じ机の上に置いていた。


「晩餐会が終わった時刻で、北門の灯油を閉じてはいけません」


使いの少年は、眠そうな目をこすりながら紙を読み直した。


「終了後に残量を量れ、とあります。王宮の主火が消えたあとなら、北門分もまとめて」


「まとめる前に、朝が来ます」


リディアは灯皿の横へ、白紙を三枚並べた。


一枚目に、ミラの名を書く。


『夜明け前、熱が上がった場合、薬棚を開ける』


二枚目に、ノラの名を書く。


『朝番、薬湯の湯気を確かめる』


三枚目に、カイルの名を書く。


『帰院済み鍵箱を、明朝の担当者が見つける』


「この三つが終わるまで、灯油は余りではありません。明日の朝まで届く予約分です」


セレスティア監督官が、青い糸で三枚の紙の端を結んだ。油の量を示す細い目盛りが、灯皿の内側に刻まれている。王宮の大きな燭台には似合わない、台所の鍋底のような実用の目盛りだった。


テッサが身を乗り出す。


「あと、包帯棚もです。夜明け前に血がにじんだら、灯りがないと白布と灰布を間違えます」


「入れましょう」


リディアは四枚目を置いた。


『テッサ、包帯棚確認。白布と灰布の取り違え防止』


灯油の残量は、数字だけなら小さい。けれど一滴ずつ名前をつけると、ただの残りではなくなった。ミラの薬棚、ノラの朝湯、カイルの鍵箱、テッサの包帯棚。どれも、朝まで暗くしてよい場所ではない。


王宮からの紙は、まだ机の上で乾いた顔をしている。


『晩餐会終了後に精算』


リディアはその行の下に、赤でも黒でもなく、青で小さく書き足した。


『生活到達条件未完了。明朝一番鐘まで灯油予約分』


使いの少年が、灯皿をのぞき込んだ。


「でも、残量を王宮へ報告しないと、伯爵家がまた未精算だと」


「報告します。けれど、報告する名前が違います」


リディアは油の帳面を開いた。そこには昨日まで、北門小竈、薬棚前灯、廊下角灯、と短く記されていた。彼女はその横へ、使った先ではなく、届く先を書き足す。


『薬棚前灯――ミラ夜明け薬、ノラ朝湯確認、カイル鍵箱、テッサ包帯棚』


「伯爵家へ戻る油ではありません。四つの朝へ届く油です」


ミラが薄い毛布の中から、かすかに目を開けた。


「わたしの薬も、油の中にあるの」


「あります。まだ飲む前だから、余りに見えるだけです」


リディアがそう答えると、ミラは安心したようにまぶたを閉じた。小さな呼吸が、薬棚前の灯りで少しだけ見えやすくなる。


その時、灯皿の芯が短く鳴った。じ、と音がして、光が弱まる。


ノラがすぐに油差しを取ろうとしたが、リディアは手で止めた。


「足す前に、誰の分かを書きます」


油差しの横にも札を掛ける。


『明朝一番鐘まで。北門到達確認用。無名補充不可』


それから、ノラ自身に筆を渡した。


「ノラさんが、朝番として書いてください。私が全部を書くと、また“料理帳の名でまとめて確認済み”にされます」


ノラは少し驚き、それから唇を結んで頷いた。


『朝番ノラ、薬湯確認まで保留』


テッサも続けて書く。


『包帯棚テッサ、白布確認まで保留』


カイルは鍵箱の札を少し曲がった字で直した。


『鍵箱カイル、明朝引継ぎまで保留』


三人の字が灯皿の周りに並ぶと、油の残りは急に軽く見えなくなった。誰かの贅沢ではない。誰かの明日を、暗くしないための順番だった。


セレスティア監督官が、王宮の紙へ正式な保留線を引いた。


『精算時刻、晩餐会終了後から明朝一番鐘後へ変更申立。北門灯油残量は生活到達予約分につき、伯爵家補填費へ充当不可』


使いの少年は、その文を声に出して読み、最後で息をついた。


「王宮では、油まで名前を書くのかと笑われるかもしれません」


「笑われても、暗い廊下では名前が必要です」


リディアは灯皿の火を見た。


広間を照らす火ではない。誰かが薬棚まで歩き、鍵を見つけ、包帯を間違えず、朝の湯気を確かめるための火だ。


「残量は、余りではありません。まだ届いていない朝です」


青い札の下で、灯りがもう一度まっすぐになった。


だが、王宮の封筒にはもう一枚、薄い控えが挟まっていた。油の匂いではなく、乾いた灰の匂いがする。


『北門旧灰受け、晩餐会主火場へ返却済み』


リディアは灰受けの置き場所を見た。


夜明けの薬湯を温め終えたあとの、消し炭を受ける器が、まだ誰の朝にも返却済みになっていなかった。

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