第32話 最後の一撃
「人間の中にも、お前のような奴がもっといれば……いや、惜しいな」
カヴァは黄褐色の縦長の瞳を細め、通りの中央に立つ、全身を血に染めたあの人影を見ながら、胸の内で静かに首を振った。
今回のロニクス王国奇襲作戦における実行責任者の一人として、彼は部族のどのゴブリン勇士よりも、よく回る頭を持っていた。
三年前、グリン・ダンがまだ頭角を現し始めた若い戦士にすぎなかった頃、カヴァはすでにその才覚を見抜いていた。
そして、いち早く彼のもとへ馳せ参じた者の一人でもある。
結果として、その判断は正しかった。
わずか三年で、グリン・ダンは南部山岳地帯に散らばっていた大小のゴブリン部族を一つにまとめ上げ、この対人戦争を仕掛けるまでに至ったのだ。
しかも、ここまでは驚くほど順調だった。
軍を率いて快進撃を続けるその最中、チカ町で出くわしたのが、あの気分を害する人間――町の東端で大軍の前に立ちはだかった若い戦士だった。
逃げる住民を庇うために、たった一人で軍勢の前に立つ。
愚か極まりない。
カヴァは最初、他の冒険者どもと同じように、二、三度斬りつければ終わる相手だと思っていた。
だが現実は、その見立てを容赦なく打ち砕いた。
あの若い戦士は剣技に優れていただけでなく、強力な魔法装備まで持っていた。ほんの数秒のうちに、送り出した二体のゴブリン勇士を仕留め、しかも自分の目前にまで迫ってきたのだ。
もしも身につけていた《武器偏折力場》を発動できる半身鎖鎧がなければ、あの時自分もただでは済まなかっただろう。
とはいえ、結局は大事には至らなかった。
しかも好都合なことに、あの戦士はもう、あの魔法装備を使えない。
あの赤い光線の脅威さえ消えれば、カヴァにとって相手は、少々骨のある獲物という程度のものにすぎない。
どれだけ骨があろうと、五体のゴブリン勇士がいれば十分に始末できる。
そうなれば次は、逃げている難民どもだ。あの戦士の妨害さえなくなれば、誰一人逃がすつもりはない。
もっとも、あの若造が人間の中では珍しく気骨のある部類であることは認めざるを得なかった。
つい先ほど、難民を追わせようと兵へ命じた時も、あいつは逆に自分へ向かって突撃してきた。
それだけでも驚きだが、さらに五体の精鋭戦士に囲まれながらも、命を賭けた斬り合いで三体に深手を負わせ、残る二体にも傷を与えてみせたのだ。
だが、そこまでだった。
あの一度の交錯のあとでは、もうまともに立っていることすら怪しい。全身に大小無数の傷を負い、まるで血の池から引き上げられたばかりのような有様だ。
カヴァは思う。もはやわざわざ総攻撃をかける必要すらない。このまま放っておいても、あの出血量なら、そのうち力尽きるだろう。
「勇士らしいやり方で、楽にしてやれ」
そう低く命じると、傍らにいた一体のゴブリン勇士がうなずいた。両手斧を引っ提げ、その若者へ向かってゆっくりと歩き出す。
…………
時間は、十分ほど前へ遡る。
遠く、オウム嘴の山麓では、難民たちの列がまだ遅々として進んでいた。
「きゃっ……み、みんな、あれ見て!」
若い女が急に足を止め、来た方角を指さして叫んだ。
人々は一斉に振り返る。町から吹き上がる火の光に照らされ、彼らはあの殿を務めていた少年の姿を見つけた。
「せ、戦士様だ……!」
驚きの声があちこちで上がる。誰もが足を止め、呆然と山の下を見つめていた。
その視線の先で、あの少年は敵陣へ突っ込んでいく。
刃の光が閃く。一体、また一体と、ゴブリン精鋭戦士が倒れていく。
動きは速すぎて、まるで幻のようだった。
剣を振るうたびに、そこに血の飛沫が散る。
「す……すごい……」
レオナルドは口を大きく開けたまま、呼吸すら忘れて見入っていた。
「おい、レオナルド」
隣にいた父が、不意にその肩を叩く。声は低かったが、揺るぎなく強かった。
「お前も剣を学んでいるんだろう。あの人を助けに行ってこい」
レオナルドははっとし、反射的に握っていた短剣へ力を込めた。
口では「はい」と言いたかった。だが脚が鉛のように重く、どうしても前へ出ない。
あの戦士様が最後に残した言葉が脳裏をよぎり、一瞬ためらってしまう。
「コロンの言ったこと、忘れちゃだめだよ」
その時、トーヴェの声が割り込んだ。彼女はレオナルドの前へ歩み出ると、驚くほど落ち着いた目で彼を見た。
「コロンは一人だからこそ、全力で敵と戦えるの。そこにあなたが加わったら、今度はあなたを守るために気を取られちゃう」
レオナルドの顔がさっと白くなる。何か言い返したかったが、言葉が出てこない。
「本当に助けたいなら、みんなをもっと急がせて。私たちが速く進めば進むほど、コロンが生き残れる可能性も上がるんだから」
レオナルドはぎりっと歯を食いしばり、それから力強くうなずいた。
そのまま人混みの中へ駆け込み、大声で皆にもっと急ぐよう叫び始める。
トーヴェはその場に立ったまま、山下で燃え上がる戦場をじっと見つめていた。瞳の奥には、説明しきれない複雑な色が一瞬だけよぎる。
彼女は腰に下げた竹筒へ目を落とし、それからずっと握っていた麺棒を見た。そして、きゅっと唇を結ぶ。
次の瞬間、身につけていた黒い外套をぎゅっと引き寄せ、フードを深くかぶった。顔の大半が影に隠れる。
「お、お嬢さん……?」
レオナルドの父が驚いたように声を上げる。
「コロン、一人だと少し寂しいかもしれないから」
トーヴェは小さくそう言った。
だがその口調には、揺るがぬ決意があった。
「でも――」
「みなさんは、早く行ってください」
そう言い残すと、彼女は振り返りもせず山の下へ走り出した。
黒い外套が夜風に激しくはためき、その姿はあっという間に火の海の向こうへ消えていった。
…………
【生命値:14/100】
【状態:流血、30秒ごとに生命値-1】
傷口が裂ける痛み、筋肉がきしむような鈍い痛みが、身体のあちこちから絶え間なく押し寄せてくる。
そのせいで、剣を握るという、それだけの動作すら危うくできなくなるところだった。
どれだけ戦闘経験があっても、今の私にとって五体のゴブリン精鋭戦士を相手取るのは、さすがに荷が重すぎた。
さっきの突撃でも、相手の技の隙を突いて攻め込むたびに、すぐ別の戦士がその穴を埋めてきた。
そのせいで、決定打になる一撃をどうしても与えられない。
それどころか、途中からはこちらも傷を負うことを覚悟で斬り込み、ようやく何体かに傷を与えたものの、その程度では戦局をひっくり返すまでには至らなかった。
結局、敵の戦力は大して削れないまま、こちらだけが深手を負った形だ。
手足が重い。
瞼が重い。
頭も重い。
「……限界、か」
「トーヴェたちは、もう無事に山へ入れただろうか……」
「今の私じゃ、もう逃げることすらできないかもしれないな……」
「たとえ天賦を使っても、効果が切れた瞬間、残ったゴブリンに殺されるだけだろう……」
はっきりとした、重い足音が、すぐ前から聞こえてくる。
暗く濁り始めた視界の中で、私はどうにかその影が一体のゴブリン戦士であることを見て取った。
そいつは両手斧を提げていた。
斧の刃は月光を受け、冷たく光を返している。
「そんなに私を殺したいなら……やってみろ」
「どっちが先に死ぬか、見せてやる!!」
ぶしゅっ――
剣先を内側へ向け、私は自分の脇腹を横一文字に裂いた。
生命値が、一気に8まで落ちる。
その瞬間、個人ステータスの中にある【天賦:無畏】の文字が、まばゆい光を放って弾けた――




