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ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで  作者: 窮北の風


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第25話 偶然

 少し離れた場所で、ゴブリンの死体のそばに立つ黒髪の若者を見つめながら、群衆の中にいたレオナルドは、自分の心臓が今にも胸を破って飛び出しそうな気がしていた。


 それは恐怖のせいだった。

 いや、正確には、恐怖だけではなかった。


 そこにはあまりにも多くの感情が混ざり合っていた。

 高揚、憧れ、そして強い後ろめたさ。


 彼はチカ町のごく普通の農民の息子だ。

 だが同時に、もう一つの肩書きを持っていた。双流城民兵訓練所第二十三期の生徒であり、剣術の成績は全クラスでも上位に入る。


 訓練所では、同級生たちが彼の上達の速さを羨み、教官たちは彼の才能を褒めそやした。卒業する頃には、きっと城主の目に留まり、双流城の正式な兵士として取り立てられる。皆そう信じていた。


 だが、その難しさを誰より分かっていたのは、彼自身だった。


 成績が足りないからではない。

 問題は出自だ。


「田舎町の農民の息子」という肩書きは、この身分秩序の厳しい世界では、「努力家」に見られるどころか、むしろ「後ろ盾のない無力な人間」として扱われる。


 だから彼は、自分の故郷であるチカ町を見下していた。

 古びた家々も、雨が降れば泥だらけになる道も、両親の、木の皮のように荒れた手も。


 双流城の広い石畳、空へ突き立つ鐘楼、賑やかな市場。

 そういうものを知ったあとでは、自分の故郷の何もかもがみすぼらしく見えてしまった。


 今回の春休みも、表向きは収穫の手伝いという名目で帰ってきたものの、実際には半分以上の時間を文句を言って過ごしていた。畑仕事はきつい、家の布団はかび臭い、母親が新しく替えたシーツも、町の羽根枕ほど気持ちよくない。


 自分はもう、こんな場所に属する人間ではない。

 自分の未来は双流城にある。立派な服を着て、洗練された言葉を話す人々の中にこそ、自分の居場所がある。


 今夜、ゴブリンの喊声は、そんな愚かな思い込みを根こそぎ叩き壊した。


 彼は家族の中で最初に目を覚ました。

 いや、正確には、最初から眠れていなかった。


 板張りの寝床は腰に痛く、休みが明けたら何を同級生に自慢してやろうかとあれこれ考えていたところへ、窓の外の異音が飛び込んできたのだ。


「声を出すな」


 彼は目を覚ました両親と妹に、低い声でそう告げた。


「戸を閉めろ。明かりはつけるな」


 クラスでもっとも優秀な生徒である自分は、こんな時でも慌てない。

 訓練所で教わった。混乱こそが、死への第一歩なのだと。


 巡回隊はきっと来る。

 ケン様が防衛をまとめるはずだ。

 それに、町には“鉄級”の職業戦士が来ていると聞いていた。あの男がいるなら、多少ゴブリンが増えたところでどうにかなるはずだ。


 彼はそう自分に言い聞かせた。何度も何度も。


 だが、窓の隙間から見えたのは、巡回隊ではなかった。

 通りの向こうを、小集団に分かれた平民たちが東の外れへ向かって逃げていく姿だった。


 自分も後を追うべきか。

 そう迷いかけた、その時だった。


 彼は一人の男を見た。


 街の向かいにある家の中から、黒髪の若者が飛び出してきたのだ。手には長剣。燃え上がる炎の明かりの中で、その姿は細く長い影を地面に引いていた。


 最初、レオナルドはさほど気にも留めなかった。

 だが、その若者が向かっていく先を見た瞬間、全身の血が凍りつく。


 三人の民間人。

 そして、そのすぐ先には二体のゴブリン精鋭戦士。


 彼は、その怪物を知っていた。


 訓練所の教材には図鑑が載っていたし、教官も授業でわざわざその危険性を語っていた。普通のゴブリンよりはるかに大きな体躯。盛り上がる筋肉。金属片の入った防具。そして何より、人間の限界を軽々と踏み越える怪力と速度。


 教官は、双流城で十五年従軍した老兵だった。ある授業の日、彼はズボンの裾をまくり、膝から足首まで伸びた醜い傷跡を見せた。


「これは十年前、ケン様と一緒にあれを討伐した時に負った傷だ」


 その声には、隠しようのない後悔が混じっていた。


「俺たちは二十人で向かい、三人が重傷を負って、ようやく一体仕留めた。あれは普通の人間がどうこうできる相手じゃない。もし将来、お前たちが本物に遭遇したら、選択肢は一つしかない」


 逃げろ。

 ただ逃げろ。


 そのはずだった。


 だが、あの若者は逃げなかった。

 あの一家三人を助けるため、真正面から迎え撃ちに行ったのだ。


 その瞬間、レオナルドは本気で思った。

 あの男は気が狂っている、と。


 剣術を学んだこともないような普通の人間が、ゴブリン精鋭戦士に勝てるはずがない。そんな無茶は、誰も助けられないまま自分を死地に投げ込むだけの愚行だ。


 だが、次の瞬間にはその認識は叩き壊されていた。


 見たこともない剣筋。

 理解が追いつくよりも早く、あの若者は教官すら恐れた二体のゴブリン精鋭戦士を、ほとんど一瞬で斬り伏せていた。


 速すぎて、目では追いきれない。

 気づいた時には、もう戦いは終わっていた。


 レオナルドは呆然と立ち尽くした。口も少し開いたままだった。


 胸の奥から、何か熱いものが込み上げてくる。

 まるで、長い間眠っていた何かが、今になって胸を突き破ろうとしているようだった。


 それが何なのか、彼自身にもはっきりとは分からない。


 単なる憧れではない。

 感謝とも違う。


 もっと別の、強いて言えば“目が覚めるような感覚”に近かった。


 かつて彼は、国旗の下で剣を掲げ、「この剣で民を守る」と誓ったことがある。

 だがその誓いは、いつの間にか彼の中で形だけの言葉になっていた。


 今、あの若者は、その言葉を行動で刻みつけている。

 一つ一つを、目の前で。


 彼が見下していた故郷は、いま炎に呑まれている。

 彼が憧れていた華やかな未来は、この瞬間、ひどく色褪せて見えた。情けなく、薄っぺらく。


 あの若者こそ、自分が目指すべき旗ではないのか。


 そこまで考えて、もう彼はじっとしていられなかった。

 年老いた両親と幼い妹の手を引き、家の戸を押し開ける。気がつけば、群衆とともにあの若者の方へ向かって走り出していた。


 けれど、いざその前まで来ると、頭の中で用意していた自己紹介はすべて喉の奥で詰まってしまった。

 顔だけが熱くなり、何も言えない。


 ……


 私は、人ごみの中でこちらをまっすぐ見つめ続けている若者に気づき、少し首をひねった。


 年は十八か十九くらいだろうか。

 汗で額に張りついた金色の巻き毛。頬にはいくらかそばかすがあるが、顔立ちは整っている。体つきも均整が取れていて肩幅もある。立ち方にも、多少は訓練を受けた人間らしい癖が見えた。


「何か用ですか?」


 私は剣の血を拭いながら、何気なく声をかけた。


 若者はびくりと肩を震わせた。

 顔が一気に赤くなる。何度か口を開いたり閉じたりした末、ようやく言葉を絞り出した。


「ぼ、僕は双流城民兵学校の生徒です。剣術も少し学んでいます……もしよろしければ、そばでお手伝いを……」


「いいですよ」


 私はあっさりとうなずき、地面に落ちていた釘付き棍棒を拾って彼へ差し出した。


「これ、使ってください」


 若者は両手でそれを受け取った。

 だが次の瞬間、顔色が変わる。


 二十キロ近くはありそうな鉄の塊が、彼の手の中でぐらりと傾いた。

 必死に踏ん張ったが支えきれず、棍棒の先端がドンと地面へ落ちて、土埃を跳ね上げる。


 首筋まで真っ赤にしながら、彼は慌てて腰を落とし、ありったけの力でようやくそれを持ち上げた。だがその姿は、まるで大人の道具を盗んだ子供のように危なっかしい。


 少し申し訳なくなった私は、双流城の民兵学校とやらの訓練内容にもうっすらと疑いを抱きながら、ゴブリンの死体から短剣を一本外して彼に渡した。


「やっぱり、こっちにしてください。こっちの方が軽いですから」


 若者は慌てて武器を持ち替えた。少しだけ表情は落ち着いたが、その代わりに申し訳なさそうな色が濃くなる。


 私は軽く肩を叩いた。


「気にしないでください。この人たちを無事に連れていくのが、今は私たち二人の役目です」


 その言葉を聞いた瞬間、彼の目がぱっと明るくなった。

 まるで、胸の奥で何かに火がついたようだった。


「私もいるよ!」


 横からひょこっと顔を出したのはトーヴェだった。

 相変わらず手には麺棒を握っていて、顔には「私を数に入れないのは失礼だ」とでも言いたげな表情が浮かんでいる。


 私は思わず少しだけ笑ってしまった。

 それから身を翻し、集まってきた住民たちへ手を振る。


「私たちについてきてください。遅れないように、そして絶対に声は出さないで」


 列はゆっくりと動き始めた。

 夜の中を流れる、音のない川のようだった。


 ゴブリン軍の主力がすでに町の奥へ進んでしまったのか、それともこの一帯がたまたま掃除された後だったのか。私たちはいくつかの路地を抜けたが、意外なほど何の妨害にも遭わなかった。


 背後では火の手が上がり、喊声も徐々に遠ざかっていく。

 前方には町の東門があり、その先は双流城へ続く街道だ。


 先頭を歩いていた何人かは、すでに助かったような気分になっているらしく、小声で安堵を漏らし始めていた。


「もう少しだ……もう少し……」

「助かった……本当に……」


 私も気は抜いていなかったが、確かに神経の張り詰めは少しだけ緩んでいた。


 その時だった。


 背後から、慌ただしく乱れた足音が一斉に響いてきた。


 私は反射的に振り返る。


 街角の向こうから、一団の人間が雪崩れ込むように飛び出してきた。

 中には片方の靴を失った者もいれば、上半身裸の者もいる。血を流している者も何人かいた。


 まるで、狩られて逃げる野兎の群れのようだった。

 誰も彼も、顔に恐怖を張り付かせている。


 その先頭にいた男は、足取りこそ乱れていたが、一団の中では最も装備が整っていた。


 男は通りを一本走り抜けたところで、ようやく立ち止まり、膝に手をついて大きく息を吐いた。


 そして顔を上げる。


 その瞬間、私たちは同時に相手を認めた。


 “鉄”級の職業戦士。

 レシオだった。

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