結局の所
蔡瑁が来たことで、曹仁は早急に軍議を開く事にした。
軍議が開かれると、開口一番で司馬懿が口を開いた。
「皆様も知っている通り、既に劉備は船に乗り込み。益州へと向かいました。陸路で追い駆けても追いつく事は無理と言っても良いでしょうな」
司馬懿がそう告げるのを聞いて、その場に居た者達は唸っていた。
「後一歩であったというのに」
「逃げ足が速い事だけが、劉備の取り柄のようなものだから。蔡瑁、お主の水軍で追い付けるか?」
曹仁が尋ねると、蔡瑁は難しい顔をしていた。
「今から出陣したとしても、追い付けるかどうか。それに今は風向きが悪いです。向かい風ですので、後を追うのを容易ではありません」
水軍に詳しい蔡瑁がそう言うのを聞いて、曹仁は溜息を吐いた。
「・・・・・・という事は、もう追撃しても無駄足になるという事か」
「はい。劉備が益州に入らず、州境に居るのであれば捕まえられるかも知れませんが、この状況ですから益州に逃げ込んでいるかもしれません」
「そうなりますな。どうしますか?」
曹純が曹仁に尋ねて来た。
このまま、追撃するのか。それとも追撃を止めるのかを。
大将である曹仁は暫し悩んだ。
この決断で、これからどうなるか決まるからだ。
曹仁は目を瞑り無言で熱考していた。
その場に居た皆は曹仁の言葉を待っていた。
少しすると、曹仁が目をカッと開けた。
「これ以上、追撃しても捕らえられるか分からないのに兵糧を消費するなど無益な事だ。追撃は中止する」
曹仁が追撃を止めるという決断を下すと、皆反対しなかった。
追い駆けても、逃げ足が速い劉備を捕まえられるか分からないからだ。
追撃は中止となったが、司馬懿が一応とばかりに訊ねた。
「劉備を取り逃がした事は丞相と朝廷に報告いたしますが、よろしいですか?」
「構わん。取り逃がした事で叱責されたとしても、甘んじて受け入れるとしよう」
それが自分の責任だとばかりに言う曹仁。
それを聞いて、曹純が目に涙を浮かべていた。
「・・・まさか将軍の口からその様な言葉を聞けるとはっ。昔はあんなに乱暴者だったというのに」
「おいっ、今その話は止めろっ」
曹純は曹仁が立派な事を言うのを聞いて感動している様であったが、曹仁からしたら触れられたくない過去を言うのを恥ずかしがっていた。
その場に居た者達は仮にも上官なので、何も言えなかった。
その後、曹仁は追撃を中止する事を伝える使者を、鄴にいる曹操と許昌に送った。
戦利品に関しては、司馬懿達に許昌に届けて貰う事にした。
十数日後。
曹仁が送った使者が鄴に辿り着いた。
渡された文は曹操に渡された。
「ははは、劉備め。相変わらず逃げ足が速い事だ」
文を読み終えた曹操は戦果をあげたが、劉備は取り逃がした事が書かれているというのに嬉しそうに笑っていた。
まるで、劉備が討たれなかった事を喜んでいる様であった。
傍に居た夏侯惇が気になったのか尋ねて来た。
「丞相。劉備が討ち取られなかったというのに、何故嬉しそうなのです?」
「ふふふ、当然であろう。此処まで因縁が続いたのだ。せめて、儂の手で討たねば気持ちがおさまらん」
「・・・・・・丞相らしいですな」
夏侯惇は曹操らしいなと思っていると、使者が曹仁から曹操にこの文を渡して欲しいと言われたので、その文を渡した。
文を広げて一読していく曹操。
途中から、驚いた顔をしたが何かに喜んだ顔をしていた。
文を読み終えると、使者に曹仁に対しては特に罰は与えない事と、戦果をあげた事を褒める事を伝える様に述べて下がらせた。
そして、その場には曹操と夏侯惇しかいないからか、曹操が口元に笑みを浮かべた。
「元譲。この文を読んでみろ」
「どうした。孟徳。・・・・・・ふむ」
二人しかいないからか、曹操が夏侯惇の字で話しかけつつ、文を渡した。
文を渡された夏侯惇も曹操の字を言いつつ、文を広げて中を改めた。
「・・・・・・曹純が劉備の娘達を捕らえたか。劉備にも娘がいたのだな」
「元譲。問題は其処ではない。今まで、どんな名家の娘を勧めても妻にしなかった曹純が劉備達の娘を捕らえたという事だ」
「? 別に捕虜にしただけだろう」
夏侯惇が首を傾げつつ言うと、曹操は溜息を吐いた。
「鈍い奴だな。曹仁の奴が、文で送って来たという事は、つまり劉備の娘達を気に入ったという事だ」
「・・・それは、略奪婚を狙っているという事か?」
「恐らくそうだろうな」
曹操が予測を言うと、夏侯惇は重い溜息をつきつつ肩を竦めた。
「あの曹純がその様な事をするとは、曹一族には問題児しかいないのか?」
嘆かわしいとばかりに言う夏侯惇の言葉を聞いて、曹操は聞き捨てならんとばかりに目を細めた。
「どういう意味だ?」
「言葉通りだ。曹洪は好色で金にだらしない。曹仁は今は落ち着いているが昔は乱暴者であった。曹昂に至っては董卓の孫娘を略奪婚するわ、袁煕の妻を奪うという事をする。その父親のお前に至っては、人妻と未亡人好きと来た。曹純だけが誠実だと思ったのだがな」
夏侯惇がそう言うのを聞いて、曹操は負けずとばかりに述べ出した。
「人の事を指摘するが、お前も人の事は言えんだろう。十四~五歳の頃に、学問を教えている師匠が男に侮辱されたという話を聞いて、怒ってその男を殺したではないか。あの時の後始末はお前の家だけではなく、儂の爺様も手を貸したのだからなっ」
夏侯惇も事実なだけに、何も言えぬのか言葉を詰まらせていた。
「あ、あれは、仕方がなかろう。儂は自分の師を侮辱されて、平然としていられる程器用ではないのだからっ」
「その後、殺した男の友人知人と家族達が逆恨みして、お前を殺そうとしたが、お前は返り討ちにしたではないか。お前も曹仁に負けない位の乱暴者ではないかっ」
「あれは、逆恨みしたあいつらが悪い!」
だから、自分は悪くないとばかりに夏侯惇は胸を張った。
「その件の後始末は儂も手を貸したな。お陰で大変であったな」
「おまっ、今になってその話を持ち出すかっ。その後、お礼として人妻好きのお前にある家の令嬢が婚儀をあげるという話をしただろう。その数日後に、予想通りに花嫁泥棒したな。袁紹と一緒だったのは驚いたがな。十分にお礼になっただろうっ⁉」
「そう言えば、そんな事もあったな。懐かしい事だ。ははは」
曹操が笑うのを聞いて、夏侯惇は顔を顰めていた。
「しかし、そう考えると我が一族でまともなのは夏侯淵だけかも知れんな」
「あいつ、丁夫人に頭が上がらんぞ」
「そうなのか⁉」
曹操は初耳なのか、目を見開いていた。
「元々、丁夫人が苦手であった所に、夫人の妹を娶ったからな。今でも夫人に頭が上がらんそうだ」
「そうなのか。知らなかった・・・・・・」
曹操は意外そうに呟くのであった。
「・・・・・・そうなると、我が一族で一番の実力者は薔という事になるな」
「笑えぬ事を言うな」
曹操がそう言うのを聞いて、夏侯惇も否定の言葉が出なかった。




