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探偵少女と幽霊マンション(5)

 教室に駆け込めたのは5限目の開始ぎりぎりだった。


 教師はもう教卓の前に立っている。

 5限眼は国語で、担当の教師は俺のクラスの担任でもある矢口先生だ。


 矢口先生はチャイムとほぼ同時に教室に入ってきた俺をちらりと迷惑そうに見た後、何事もなかったかのように目を逸らした。

 この先生の場合、この反応は俺が怖いからではなくて単純に面倒だからだ。


 矢口先生は七三分けに銀縁メガネという、絵に描いたインテリみたいな外見をしている。事実、多分頭はいい。授業もうまい。その代わり、矢口先生は生徒指導ということに全く興味を示さない。生徒とのコミュニケーションもほとんどとらない。分かりやすい授業をして、その対価として給料をもらう。そう割り切って教師をしているし、それを隠そうともしない教師だ。

 ちなみに俺はこの先生のことは嫌いじゃあない。あまり人と関わりたくない俺にとってはありがたい。


「多々良君、授業を始めるぞ。席に着きなさい」


 機械的に言って先生はチョークを握る。


 クラスメイトは俺と目を合わそうとはしない。

 麻滝も詰まらなそうに教科書に目をやっている。


 いや、一人だけじっとこちらを見てくる奴がいた。

 一文字さんだ。一文字鳩子。

 童顔のうえにツインテールという髪型のせいでかなり幼く見える彼女が、意志の強そうな瞳で思い切り俺を睨みつけている。

 原因は分かりきっている。授業に遅刻寸前だったことを怒っているのだ。


 一文字さんは俺のクラスの委員長だ。

 それも、自分から立候補して委員長になった。

 つまり、真面目で、積極性があり、おまけに責任感が強い。不真面目な行為は許せない。

 凄い人だ、と素直に思う。尊敬する。

 これで、授業が終わった後の休憩時間に一文字さんから説教を受けることは確実だ。かなり熱の入った、真剣に俺のことを思っての説教。つまり俺にとってはかなりありがた迷惑な説教だ。


 授業が開始されると、さすがに真面目な一文字さんは真っ直ぐ前を向く。

 願わくば授業に集中しているうちに俺のことをついうっかり忘れてほしい。一文字さんに限ってそんなことは起こらないとは思うが。


 予想は当たる。

 チャイムと同時に計ったように矢口先生が授業を終了させる。


 一文字さんは「起立、礼、着席」と授業終了時の号令を行う。

 そして直後席を立つと真っ直ぐこちらに向かって来る。チャイムから三秒足らずの間の出来事だ。


「多々良君」


 一文字さんは眉を八の字にして、大きな目をできるだけ細めて俺に顔を近づける。

 彼女としては凄んでいるのかもしれないが、第三者的目線から見ると小学生がふざけているようにしか見えない。

 俺の動悸が早まる。


「駄目だよ、あんな授業開始ぎりぎりに来ちゃ」


 めっ、とでも言うように一文字さんは人差し指を立てる。


「申しわけない」


 俺はあまり関わりたくないので極めて事務的に答える。冷たい態度と表現されてもおかしくないレベルで。


 もちろん、彼女はそんなものを意に介さない。


「でも、顔色が凄い悪かったね。今はそうでもないけど。どしたの? どっか悪いの?」


 一文字さんは委員長として、本当に心の底から俺のことを心配しているらしい。

 いい人だ。

 だからこそ、俺はなるべく関わりたくない。


「ひょっとして、気分よくないの? それで遅刻しそうになったとか」


「あー……」


 どう答えればいいだろうか。


「やつれてる気がするし――ご飯、ちゃんと食べてるの?」


 食べてるよ、と答えようとして思い直す。

 一文字さんが異常に勘の鋭い人だと思い出す。

 彼女は自分に嘘をついた人間がいると、すぐにそれを嘘と見抜き、「どうして嘘をつくの? ねえ、どうして?」と納得する答えが返ってくるまで大きな目に涙をためて質問し続ける。一文字さんの涙目での質問攻めは誰もが「怒鳴られた方がまし」という感想を抱くらしい。


「いや、俺、食事は簡単に済ますタイプなんだ。小食だし」


「ちゃんと栄養バランス気をつけてる?」


「野菜ジュースなら――」


「駄目だよ、そんなの。ねえ……ひょっとして、お母さんにご飯作ってもらえてないとか? ほら、仕事とかで外食中心とか……」


 遠慮がちに訊いてくる。

 けれどその心配は無用だ。

 確かにうちは共働きだが、母親はいくら忙しくてもきちんと朝食と夕食は用意してくれている。

 俺がそれをまともに食べない、いや食べられないだけだ。


 最近は母親も諦めて、今日の朝食のような俺専用の簡単な食事を用意するようになったが。


「いや、胃が受け付けないんだ。知ってるかもしれないけど、事故で顎が砕けてさ、結構な期間、点滴と流動食で生きてたら、普通の食事ができなくなってね。入院生活で胃が弱くなったんだ」


 これは嘘ではないが誤魔化しだ。

 入院生活で胃が弱くなったのは確かだが、それは毎晩のようにベッドの下からリルカが這い出してきたりすることによるストレスだ。

 入院していた頃は毎晩毎晩、リルカに一緒に死ぬように誘われたリルカに囁かれ、体を撫でられ、冷たい体で抱きつかれた。日に日に生気がなくなってくる俺を見て両親はひどく心配していた。俺はできるだけ早く退院できるように両親と病院に働きかけた。病人のような俺を見て両親も病院側も退院には早すぎると訴えたが、俺にしてみれば遅すぎた。むしろ、手遅れになりかけていた。

 結局、俺は衰弱死する寸前になんとか退院できた。今にして思えば、病院なんていう怪談で溢れている場所に、リルカが憑いたままじっとしているなんて自殺行為もいいとこだ。退院したいと訴えずに、さっさと脱走してなし崩し的に退院してやるべきだった。


 少なくとも嘘じゃあない俺の言葉を聞いた一文字さんは「悪いこと訊いちゃったな」という風なばつの悪そうな顔をしている。

 地雷を踏んだと思ってるんだろう。

 いつも真っ直ぐな一文字さんがこんな顔をするのは珍しい。


「ご、ごめ――」


「まあ、病院生活っていうより、事故のストレスのせいで胃がおかしくなったんだろうけど。いや、ストレスっていうのは怖いね、目に見えないのにボディーブローみたいに体を蝕むから」


 一文字さんの滅多に見ない表情に、妙な罪悪感を覚えて話を逸らそうと試みる。

 が、成功しているとは言い難い。自分のコミュニケーション能力の欠如が恨めしい。静かに焦る。


「ストレスは怖いよね」


 それでも、心優しい一文字さんは俺の意図を察してくれたらしく、別の話にするのを手伝ってくれた。


「あたしも、ストレスなのか最近眠れないんだ。変な夢見て」


「変な夢?」


「うん、白い服を着た中学生くらいの女の子に枕元に立たれる夢を時々見るんだ。怪談っぽいでしょ? あたし、それで怖くて怖くて眠れな――あっ、ごごごごごめん、ごめんなさい!」


 叫ぶようにして一文字さんが頭を下げてきた。

 この反応からして、俺が遭った事故の詳細をある程度知っているんだろう。リルカが一緒に死んだことも。いくらなんでも不謹慎な話題だったと思ったに違いない。

 地雷を避けようとして思い切り隣の地雷を踏んだようなものだ。


 が、どっちかというと謝るのはこっちの方だ。

 一文字さんが夢だと思っているのは現実で、安眠を妨げてるのは間違いなくリルカだ。

 そしてリルカが彼女の家にお邪魔してるのは彼女が俺に関わったからだ。もっと言うなら、俺が一文字さんに注意を受けるようなことをひっきりなしにしているせいだ。


 リルカは嫉妬深い。

 俺だけではなく、俺と接触した女の子にも手を出す。


「ああ、気にしないでいいよ。事故のことはもう大丈夫だから」


 何が大丈夫なんだ? 

 自分で言いながらわけが分からない。俺はかなり焦って混乱しているらしい。


「う、うん――ごめんね?」


 一文字さんは何度も謝りつつ自分の席に戻っていった。


「相変わらずいい娘だね、鳩子は」


 後ろから声。

 慌てて振り返ると教室内でも変わらずコートをまとった麻滝が俺のすぐ後ろに立っている。


「驚かせるな」


「君がぼうっとしているからだ。常に神経過敏な君らしくもない」


「そんなにぼうっとしてたか?」


「してたとも。鳩子と話した後は、君は大体熱に浮かされたようにぼうっとしているよ」


「マジで?」


「好きなんだろう、彼女が?」


「――そうなのかな?」


 無防備にも、本心から聞き返してしまう。 

 確かに、一文字さんと話すと高揚するし、話し終わってからはしばし呆然とする。が、それは自分としては関わりたくないのに向こうから関わってくる彼女を苦手としているためだと思っていた。


「好きだろう?」


「まあ、嫌いじゃあないことは確かだな。尊敬してるよ」


 そう、少なくとも、それは確かだ。


「ああ、鳩子は尊敬に値する」


 俺とリルカの関係と同じく、麻滝と一文字さんは幼馴染らしい。

 幼馴染だけあって二人は仲がいい。

 いいコンビだ。

 変わり者の麻滝を一文字さんがフォローし、その一文字さんを麻滝は溺愛している。ただ、溺愛に関しては麻滝に言っても否定されるが。溺愛はハードボイルドじゃあないらしい。


「やっぱり、好意を持ってはいるわけだ」


「一文字さんは誰からも好かれるだろ」


「それはそうだが。恋していたりはしないのかい?」


「それはしていない。断言できる」


 恋した時どんな気分か、俺は知っている。

 リルカと一緒にいた、あの夕暮れの歩道。事故の直前。あの時みたいな気分だ。俺は、あの日以来一度もあんな気分にはなったことがない。


「もったいないな。お似合いなのに」


「おいおい」


 この会話、他のクラスメイトに聞こえてないだろうなと慌てて周りを見回す。


「滅多なことを言うなよ。一文字さんに迷惑がかかるだろ」


「誰にも私と君の会話は聞こえていないよ。休憩時間になったら、君の周りの席の生徒は席から離れるんだから」


 分かっているけれど改めて言われると傷つく。


「顔は恐ろしいが、君はどことなく野良犬チックだからね。鳩子と相性がいいはずだ」


「野良犬チック?」


「世話焼きにはたまらないわけさ」


 言ってろ。


 休憩が終わった。


 それからは放課後まで特に何もなかった。放課後、帰宅部なんでさっさと帰ろうとする。掃除当番でもないし。


「あ、多々良君さようなら」


 教室を出る俺に挨拶をしてくれたのは一文字さんだけだ。


 麻滝は俺を意味ありげに見つめてきている。部室に来て幽霊マンションの話を聞かないのかい、とでも言いたげだ。

 

 当然、俺はいかない。真っ直ぐ帰る。

 結局のところ、俺は一人が好きなのだ。リルカが出現するリスクがあろうとも。


「……いや」


 廊下で弱気になる。


 この学校から俺の家までの道は、結構人通りが少ない。夕日は沈みつつあり、薄闇が張っている。夕闇の人通りのない道。幽霊が出るにはいいシチュエーションだ。


 今日は麻滝に一文字さんと、結構女の子と接触した。

 リルカが怒っているのは分かりきっている。おそらく、リルカは現れる。

 脳裏に、入院時の死ぬ寸前まで追い詰められた苦い思い出がフラッシュバックする。


「やっぱり、ひとりで帰るのは、嫌だな」


 本心からひとりごちる。


 今日を乗り切れば、何とかなる。

 リルカは怒りあるいは恨みを次の日には持ち込まない。生前からそうだった。

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