エピローグ
それからのことは、あまり語ることができない。
リルカが消えた後、俺は気を失って倒れたからだ。
考えてみれば当たり前で、生気の消費が止まったからといって、それまで立っていられなかったような人間が暴れたりすれば気も失う。
気を失った俺を発見したのは麻滝とマリアらしい。
麻滝は部屋を飛び出して階段を駆け下りつつマリアに電話をして、2階で合流した。
マリアは家から持ってきた除霊グッズで身を固めて盛り塩をしたり聖水を撒いたりしていたそうだ。そして二人は部屋まで戻り倒れている俺を発見した。
ちなみに、その時にはマリアの健闘のかいあって、舞白組の組員達も意識を取り戻しており、陣内を先頭に後始末に動いていたらしい。
俺も組員の手によってマンションから運び出されたそうだ。
俺が意識を取り戻したのは成島の家だった。
麻滝とマリアが運び入れたそうだ。成島も、二人が俺を担いで家に来た時には仰天したそうだ。
成島は何をしていたんだろう、と訊いたら結構色々と動いていたらしい。麻滝からの定期連絡がなかったらすぐに通報できるように待機しつつ、各種方面と連絡をとっていたとか。
ちなみに成島邸で俺が気を失ってる間に俺の携帯電話に親から連絡がきたらしい。
俺はコンビニに行くとしか言ってなかったんだから、心配もする。成島が電話に出てうまく誤魔化してくれたらしい。助かった。
驚いたのは犬飼だ。目を覚ましたら、首にガーゼを当ててはいるが元気そうな犬飼の姿があった。
正直、死んでいるかと思っていたので本当に驚いた。
喉笛を噛み切られたんじゃあないのか、と訊くとはぐらかして教えてくれない。
横でにやにや笑っているマリアが話してくれたところによると、犬飼は喉のあたりの皮膚に軽くかすり傷をつくった状態で気を失っていたらしい。
どうして、それくらいの傷で気を失ったんだ、と訊くとマリアは耐え切れなくなったのか爆笑しながら教えてくれた。
なんと、犬飼は名前の割に犬が苦手らしい。突然現れて襲い掛かってきた犬に驚いて、ショックで気絶してしまったということだ。
説明するのをためらうわけだ。
その話を聞いている間、犬飼は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいた。
死人も出ていないし、俺たちも不法侵入を犯した。
ということで、通報はしたくない。後始末は全部陣内に任せることで俺たちの意見は一致した。話は麻滝がつけてくれたらしい。
そして深夜、俺たちは成島邸で解散した。
俺は人気のない夜道を選んで、ゆっくりと帰ってみたが、リルカは現れなかった。
「多々良君、今日は顔色いいね」
あの騒動が片付いた翌日、放課後帰る準備をしているところに一文字さんに話しかけられる。
「ああ、そう? 厄介な事件が片付いたからね。気持ちに余裕があるんだよ」
俺が鞄に教科書類を放り込みながら返事をすると、一文字さんは目を丸くして、止まる。
「ん……どうかした?」
「いや……なんだか、その、多々良君、今日、機嫌いいの……?」
「機嫌? 悪くはないけど、どして?」
「いつもより、雰囲気柔らかいからさ……その、優しい感じっていうか」
言いながら一文字さんの顔が赤く染まっていく。
「今の多々良君の感じ、いいと思うよ。あっ、いや、今までの多々良君がダメっていうんじゃなくて!」
慌てたように言って一文字さんは
「じゃあ、私委員会あるから。じゃあね!」
と教室を出て行く。
俺はそれを無言で見送る。
雰囲気が変わったのは、リルカのことがなくなって俺が人を遠ざけようとしなくなったからだ。
さっきのやり取りも、以前の俺ならなるべく早く会話を切り上げようとしていただろう。
しかし、参ったなあ。「今の多々良君の感じ、いいと思うよ」かあ。
にやつきながら夢見心地で歩いていると、校門で麻滝と会う。
「やあ……と、何をにやにやしているんだ。気持ち悪い。何かいいことでもあったのか」
「麻滝。せっかくのいい気分に水を差すな。俺は今、未来への希望で満ち溢れているんだよ」
皆には、リルカがマンションの化け物を倒したとしか説明していないので、麻滝はリルカが消えたことを知らない。なので、俺の言っている意味もよく分からないらしく、
「……はあ、そうかい」
と怪訝な顔をするだけだ。
「一緒に帰ろう。色々と話したいこともあるし」
「なんだ、今日は倶楽部の方は休みか。ひょっとして校門でずっと俺を待ってたのか?」
「まあね」
こうして、俺と麻滝は一緒に帰ることになる。
「で、話したいことって?」
「ああ、まずは陣内から伝言だ。例の便利屋――ベルカは消えたそうだ。おそらく、もうこの街にはいないだろうな」
「あの二人は?」
「ん、ああ……ベルカの手下の二人組みか。あの二人もこの街から姿を消しているそうだ。舞白組が怖いんだろうね。こちらは、捜そうと思えば捜せるらしいが、陣内としてもそこまでするつもりはないと言っていた」
そうだろうな。
ベルカが、あいつらに自分に繋がるような情報を教えているとも思えないし。
「陣内は私達に感謝していた。『借りは返す』と言っていたよ」
「そんな機会ない方がいいな。もう、関わりたくないよ」
「君はそうだろうね。けど、我が探偵倶楽部としては彼に貸しを作るのはマイナスにはならないさ」
「あんな目に遭ったのに、これからも探偵倶楽部は続けるつもりか?」
「当然だろう。ハードボイルドの唯一にして絶対の条件は――」
「タフであること、だろう。耳にタコができるくらい聞いたよ」
そのまま二人で、しばらく無言で歩く。
長い坂を下り終わって、俺と麻滝の帰り道が別れる地点が近付く。
「マリアが文句を言っていたよ。これまで大枚はたいて集めた貴重な品が大部分ダメになってしまったそうだ」
「ああ、らしいな」
盛り塩は黒く染まり、持って行った聖水は全て濁ってしまったらしい。
その他にも数珠は切れるしアミュレットは砕けるしと散々だったようだ。
「必要経費だったんだ。部費から補填してやれよ」
「我が倶楽部は名前こそ探偵倶楽部だが、学校の承認を受けていないから実際は同好会なんだよ」
「え、そうなのか」
衝撃の事実だ。
「大体、部員が四名しかいない。うちの高校では正式な部は最低でも五名必要だ」
「そういやそうだったな」
「君、正式に加入してくれないか。そうすれば、部として申請できるんだ」
「やだよ。俺はこれから平穏な青春を満喫するんだ。学校に戻ってきた木崎でも誘え」
せっかく、リルカから解放されたんだ。
「残念だ……そうそう、今日、犬飼と会ってね、例の話を教えてもらったよ」
「例の話?」
「ほら、彼、自分で化け物対策済みって言っていただろう」
「ああ」
あの話がどういう意味が聞くのを忘れていた。
「あれか。どうだって?」
「ふふ。あれ、君のアドバイスだったらしいじゃないか」
「え?」
心当たりがない。
「殴れない相手と闘う時には、ペンを持っておけばいい、だろ」
「ああ、そんなアドバイスはしたけど――」
そこで気付く。
「え、じゃあ、あいつ、ペンを持ってたのか、あの時」
「そうらしい。お守り代わりにね」
「俺が言ったのは、そういう意味じゃないのに……」
思いっきり勘違いしているな。
「けど、それで効果があったのがすごいな」
「おそらく、闘っている高揚感と思い込みの力で自分の生気がなくなっていくことを感じてなかったんだろう」
「単純な奴はそういう点では羨ましいな」
コンビニのある十字路に着く。ここで麻滝とは分かれることになる。
「じゃあな」
俺は手を上げて麻滝に別れを告げる。
「ちょっと待ってくれ。まだ、話したいことがある」
「ん?」
「報酬の話だ。約束しただろう」
「報酬か」
色々ありすぎて忘れていた。麻滝がお願いをきいてくれるんだったか。
「じゃあ、ひとついいか」
「ああ」
「俺、これから学校の連中と馴染もうと思ってな。協力してくれ」
「む? しかし、リルカ君のことはどうするんだ?」
麻滝が訊いてくる。これまでがこれまでだから当然疑問に思うだろう。
「どうにか、解決しそうでな」
「ふむ」
しばらく、麻滝は発言の真偽を確かめるように俺の目を見ていたが、
「いいとも。簡単な話だ」
「簡単か? 俺、結構皆に避けられてるぞ」
「簡単だとも」
麻滝は微笑む。
「君のいいところを皆に伝えればいいんだ。君はもともといい男だからね、楽な仕事だよ」
それじゃあ、と麻滝は去っていく。俺は意外なことを言われたために動くことができず、固まったまま麻滝の背中を見送ってしまう。
何だよ、あいつ。照れるだろうが。
俺が家に帰ると、両親はいなかった。
鞄を投げ出し、ソファーに体を沈める。今日から、家に一人でも、急いで家中の電灯を点けたり、ラジカセの電源を入れたりする必要はない。
俺は伸びをして、立ち上がる。
リビングに置いてある姿見の前に立つ。あの事故以来、鏡越しにリルカが見えるかもしれないのが怖くて見ていなかった姿見だ。
久しぶりに大きな姿見でじっくりと自分の顔を見る。姿見に映る俺の顔は、相変わらず古傷と目つきの悪さで人相が悪い。だが、少しだけだが柔らかくなってきている気もする。
一文字さんの言葉を思い出す。
雰囲気が柔らかくなったと言ってくれた。
麻滝の言葉を思い出す。
俺が学校に溶け込むのに協力するのを、いい男なんだから簡単な仕事だと言ってくれた。
変われるかもしれない。
人を遠ざけることなく、普通に友達を作り、普通に日々をおくる。そう、なれるかもしれない。それは、俺がずっと望んでいたことだ。
目を閉じて、リルカの姿を思い浮かべる。
俺が思い返すリルカの姿は、俺や周囲を呪っている怨霊のリルカじゃあない。あの夕暮れの道、俺に告白してきたリルカだ。
あの時、マンションの一室で消えていくリルカに言えなかった言葉を、瞼の裏のリルカに向かって呟く。
「――さよなら」
これで、終わりだ。
死んだ人間は戻ってこない。死んだ人間に別れを告げて、俺は前を向いて生きる。
ありがとう、さよなら。
最後に、心の中でもう一度だけリルカに伝えて、俺は目を開ける。
「……は?」
辺りの雰囲気は激変している。空気が重い。
ざわざわと体中の毛が逆立つ感覚がしている。
姿見に映る、俺の背後にあるドアが、ゆっくりと開いていく。
何だ、どういうことだ。
ドアの隙間から、這い出すようにして、少女が出てくる。
白いワンピース、折れそうに細い体。リルカだ。
「嘘だろ……」
何だ、じゃあ、昨日消えてから出てこなかったのは、単にダメージを回復するために休んでいただけか?
リルカが俺に近付いてくる。
俺は恐ろしくて姿見から目を逸らすことも、振り返って自分の目で確かめることもできない。
リルカの目はこれまでにないくらい恨みがこもっている。
俺が一文字さんや麻滝と良い雰囲気になったせいだ。もういないと思って完全に調子に乗っていたし、きっと負債はかなりたまっている。
さっきまでの晴れやかな気分は霧散する。
明日から、またこれまでと同じ生活が始まることになってしまった。
いや、そもそも、今日を生きて乗り切れるのか、俺は? ここで呪い殺されるかも。
そう思ってしまうくらい、リルカの顔は鬼気迫っている。
「せっかく、麻滝に協力頼んだのに……一文字さんにも褒められたのに」
思わず口に出して愚痴る。
さっき、一人で目を瞑って「さよなら」を言ったのも、今になってみると馬鹿らしくなる。
リルカは俺のすぐ後ろ、背中に立って姿見越しに俺と目を合わせてくる。俺もリルカをじっと見る。
リルカ。ようやくお前から解放されたと思ったのに。
リルカの手が俺の肩に触れる。俺は恐ろしさで身震いする。
早く帰ってきてくれ、と今いない両親に向かって祈る。
これからの日々のことを思い、俺は暗澹たる気分になる。
最悪だ、リルカが戻ってくるなんて。
そう思いながらも、何故か口角が勝手に上がっていって笑みを形作ろうとする。
ハードボイルドじゃあないな。
俺はリルカの前で笑うのが嫌で、浮かんでくる笑みを歯を食いしばって必死で耐える。
ご愛読ありがとうございました。
なつかしの作品ですが、これで成仏できたと思います。
「ファンタジーにおける名探偵の必要性」もよろしくお願いいたします。




