1 小さな勇気のはじまり
「ねえ、ママ。」
「なに?」
「この長~い坂があるから、みすずの保育園は長坂保育園っていうの?」
母・綾子に手をひかれ、この時6歳になったわたしは、長い坂を登っていた。
「そうよ、長~い坂があるから、長坂保育園、っていうのよ。」
「ふううん。短かったら、名前なんだったかなぁ。」
この地は多摩川に向かって急勾配の傾斜地が続き、多少の遠回りしようが、長い坂道が続く。どの坂道を登っても、年長としても体格の良い私でさえ、途中、必ず、こうして休憩が必要となった。
私はいつも坂の真ん中少し手前の、坂がほんの一瞬だけ緩やかになった、緑川さんちの玄関前で足を止める。
そうすると、
「あら、みすずちゃん。おはよう!」
と、3回に1回は大きなお屋敷の中から、緑川さんちのおばあちゃまが出てきて、
「はい」
と、飴玉を口に入れてくれたのだった。
ママは、
「虫歯ができちゃう」
って言う風に、怖い顔をしていた事もあったけど、いつの間にか、緑川さんちのおばあちゃまとすごく親しくなって、
「いただきなさい。」
って、にっこり口に入れてくれた。
それは、ほんとうに記憶の隅の隅にある、だけど、忘れられない、どこまでが本当に記憶なのか、母から聞いた思い出話なのか、お友達との空想なのか、小さな勇気のお話…
みすずが、3歳になる少し前から通い始めた長坂保育園は、みすずのマンションからは、この長坂を登りきったところにある。みすずのマンションは坂を下りきったところだ。距離にして、百メートルあるかないかのこの坂が、毎日のみすずの行く手を阻んでいた。天候の穏やかな時ばかりではない。雨や雪だからと言って、綾子は仕事を休むわけには行かず、脚がおぼつかない幼子の頃は、ひたすらベビーカーを押し、登りきれるようになってからは、しっかり手を引いて、みすずの興味が坂の長さにいかないように、童話やなぞなぞ、しりとりをしながら、とにかく綾子は必死で坂を登り続けた。
が、どうしてもイヤイヤして歩いてくれなくなる時がある。とてもじゃないが、仕事用のバッグを持ち、保育園の荷物を持ち、みすずを抱っこなんてできるわけがない、
「さっさと歩きなさい。」
と、感情的に怒ったりもした。そして、その反動で、大泣きされて、目の前に立ちはだかる長い坂に、綾子自身が嫌気を感じ始めたその時、
「おや、どうかしたのかな?」
と、声をかけてくれたのが、この地では大地主だと評判の、緑川家のおばあちゃまだった。
「いやになっちゃうよね。この坂じゃ。」
緑川夫人は、にっこり笑ってそう言うと、みすずの手のひらに、きれいな色のセロファンでくるまれた飴玉を、一つのせてくれた。それが嬉しくて、みすずは坂の真ん中あたりにある、緑川家の前まで来ると、休憩するのが日課になってしまっていた。
緑川夫人がくれる、その飴玉は、いつも違う色のセロファンでくるまれていて、それが楽しみでもあった。会えない日は、みすずは門の外から、覗き込んだりしていたこともあった。そうするとママは、
「もう、恥ずかしいからやめてちょうだい。おばあちゃまはまた明日よ。」
と、言ってみすずの手を引き坂を登った。
緑川夫人から飴玉も貰いたいのだけど、その姿を見ない日がずいぶんと長く続いていて、このところ、みすずは少し元気がない。
「おばあちゃま、どうしちゃったのかな?」
おとといくらいから、毎朝、みすずが門の中を覗き込むようになり、綾子も
『病気なのかな』
と、少し気にはなっていた。だけど、毎日の生活で手いっぱい。とても、坂の途中の、親切なおばあちゃまの様子を、気にかけている余裕などなく、
「今週も今日一日でおしまいだから、あと半分頑張って登ろうね」
と、綾子はみすずの手をひくようにして、緑川家の前をあとにした。
坂をようやく登りきると、そこには広い敷地に清潔な園舎。真新しい遊具が並ぶ、「長坂保育園」があった。
「あっ、みどりちゃんだ。みどりちゃああん。」
みすずは、張り裂けんばかりの大きな声で、交差点の向こうで、赤信号が変るのを待っているみどりを見つけて、手を振った。
待ちきれないと言わんばかりに、前傾姿勢をとるみどりは、母に後ろから支えられるようにして、やはりこちらに手を振っている。
毎朝繰り広げられる、子供たちの賑やかな光景だった。
実は、この地に保育園ができる事になった時、ご近所からはかなりの反対があったそうだ。どこでもよくある話らしい。なぜってそれは、保育園は近所では「迷惑施設」でしかないらしいから。といっても、それは坂の上での出来事で、坂の下に住む結城家には何も聞こえてはこなかった。
「長い間ここは、空き地になっていたけど、昔は大きなブドウ畑があったらしいよ。」
と、近所の誰かが言っていた。
『観光果樹園』があって、たくさんの人がブドウ狩りに来たりして、結構にぎわっていたらしいが、
「ちょっとした事件があって、いつの間にか空き地になって、ずっとずっと空き地だったところに、長坂保育園ができたんだよ。」
とみすず一家が知ったのは、ずいぶん後になってからだった。