13:落下からの急上昇
巨大な虎のロニアは太く逞しい右前足で男の胴を押さえつけ、首元に噛みついている。
といっても牙を肌に食い込ませる程度だ。それでも男は硬直し動くことが出来ずにいる。少しでも動けば虎の牙が己の首筋に突き立てられると考えているのだろう。体を強張らせているのが遠目でも分かる。
他の男達も各々が負傷した箇所を押さえて蹲っており、誰も立ち上がってこない。
「これで誰も動けないはずだし、下に連絡取って数人来てもらわないと」
グルルル
「あ、だから強く噛んだら駄目だって。悪いひとでも今回は生かしておかないと」
ベルナデッタが宥めれば、ロニアがグゥと鳴き声ともいえない返事をしてきた。
首元を噛まれている男は酷く青ざめており、もはや声を出すことも出来そうにない。ゴクリと生唾を呑んで喉を揺らしたが、その喉の動きで牙が少しめり込んだ。痛そうだが血は出ていないので良いだろう。
「ここから声を掛ければ下にいる誰か気付いてくれるかな? 耳が良い聖獣が居てくれれば届きそうだけど……」
聖獣の五感は通常の動物よりも秀でている。だがその中でも優劣はある。
たとえば、ロニアは五感のすべてがバランスよく秀でているが、中でも聴覚と嗅覚が群を抜いている。
対してヴァレールの聖獣であるカメレオンのホーキンスは嗅覚・聴覚・味覚・触覚はあまり優れていない。だがカメレオンだけあり視覚は他の聖獣の比ではなく、360度すべてを把握し、真っ暗闇でも蟻の子一匹見逃さない精密さを持っている。
今日は誰が来ていたか……、と思い出しながら下を覗き込む。
屋敷は三階建て。加えて屋根裏部屋もある。そのうえ貴族の屋敷だけあり一階一階が高く作られており、実際は一般家屋の五階程度の高さだ。地面まではかなり距離がある。
だが今は夜、捕縛も進んで襲撃直後の騒々しさもない。
声をあげれば誰かしら気付いてくれるかもしれない。
そう考えてスゥと息を大きく吸い込んだ瞬間、ギャウ!! と激しい咆哮が聞こえ、
次いで、ベルナデッタの身体がぐらりと大きく前に倒れ……、
数歩足を出し、耐え切れずに外へと身を投げ出した。
「あ」と、口から声が漏れる。
反射的に振り返れば、最初に切りつけた男が立っているのが見えた。腹部を切りつけたがそれでも身を起こして体当たりをしてきたのだ。
だがそれが分かっても遅い。既にベルナデッタの身体は宙に投げ出され、五階の高さから地面へと落下し……、
次の瞬間、下から舞い上がるように現れたルスタールに、バクンッ と勢いよく胴体を咥えられた。
「ぐぇっ」
思わず間の抜けた声をあげてしまう。
なにせ落下したかと思えば咥えられて一気に上昇したのだ。全身に反動と重力が掛かる。
かと思えばルスタールは屋根を越える高さまで舞い上がると上昇を辞め、今度はゆるやかに下降し始めた。
落下とも言い難い不思議な感覚がベルナデッタの身体を包み、体全体に掛かっていた重力が楽になる。
そうして地面にルスタールが降り立ち頭を下げ、口を開ける。
ベルナデッタが転ばないよう、きちんと立てるようにと気遣いながらの解放だ。なんて親切なのだろうか。
おかげでベルナデッタは怪我一つ負わず無事に地面に足をつけることができた。……ちょっとよろつくのは、急落下・急上昇・緩やかな下降を一気に味わった反動である。あと二回ほど上下させられていたら酔っていたかもしれない。
「びっくりした……。でもありがとうルスタール」
鼻先を寄せてくるルスタールに抱き着いて感謝を示す。
「ベルナデッタ!」と声を呼ばれて振り返れば、こちらに向かって走ってくるのはアイザックだ。
「ベルナデッタ、大丈夫だったか!? 怪我は、どこかぶつけたりは!?」
「大丈夫ですよ。落ちたけど、ルスタールが助けてくれました」
問題無いと告げれば、アイザックが大きく安堵の息を吐いた。
「間に合って良かったよ……。上を見てたらベルナデッタが覗き込んでるのが見えて、次の瞬間には突き落とされたんだ。咄嗟にルスタールを飛ばしたから間に合ったけど、心臓が止まるかと思った」
「アイザック様が気付いてくださったんですね。ありがとうございます。あの高さから落ちたらさすがの私もどうなってたか……、助かりました」
「助けるのは当然だろ、礼を言われるようなことじゃない。それに俺とルスタールが居るんだから、ベルナデッタが地面に落っこちるなんて有り得ないからな!」
得意げにアイザックが断言し、己の胸をトンと叩いた。
自信に満ち溢れている。思わずベルナデッタも彼に拍手を贈り……、
「た、たすけっ……! 助けてくれっ!! ぎゃぁああ!!」
という陰惨な悲鳴にパタと手を止め、アイザックと顔を見合わせた。
次いで揃えたように顔を向けたのは、つい先程までベルナデッタが居た場所。そして落ちた場所……、屋敷の屋根だ。
生憎と地面からはそこで何が行われているのかは分からない。
分からないが、聞こえてくる悲鳴と、ロニアの激しい咆哮から察することは出来る。
「あーあ、馬鹿なやつら。大人しく掴まってればよかったのになぁ」
「ですねぇ。ロニアー、殺しちゃ駄目だよ! 怪我だけにしてね!」
ベルナデッタが屋根の上で暴れているであろうロニアへと声をあげる。
だが返事は無く、聞こえてくるのは変わらず悲鳴と咆哮。
これは……、とベルナデッタは再びアイザックと顔を見合わせた。
「騎士が負傷すると聖獣や竜は激怒するけど、それに妹を傷つけられた姉の怒りも加わった感じだな」
「私が可愛い妹なばっかりに……。これは可愛い妹として止めに行かねばなりませんね。可愛い妹の義務です」
「そうだな。俺も一緒に行くわ」
行こう行こう、とベルナデッタとアイザックが再び屋敷の中へと向かう。
小走りではあるものの、かといって急いでいるわけでもない。まるで野暮用でもこなすような軽さだ。
これを見ていた他の者達もさしてベルナデッタ達を案じるでも急かすでもなく、
「ついでに屋敷内に残党が居ないか見てきてください」
「ベルちゃん先輩よろー」
と、こちらもまた軽いものだった。
もうすっかりと終焉の空気である。
◆◆◆
ロニアは激怒し暴れ回ってはいたものの、幸い、盗賊達を殺してはいなかった。
だいぶ重症を負わせてはいたが『殺してはいない』のでセーフである。そもそも負傷した者達は盗賊、悪事を働いたのが悪いのだ。
現に上からのお咎めも無く、今回の任務は見事成功で幕を閉じた。
「上層部も、アイザックがベルナデッタにご執心なのは知ってるからな。下手にベルナデッタを咎めれば回りまわってアイザックの不満を買いかねない。それを考えれば、多少のやりすぎを不問にするぐらいどうという事でもないだろ」
とは、今回の報告書をまとめるヴァレール。
その話を聞き、手伝っていたフィンがなるほどと頷き「それほどまでですか」と感嘆の声を漏らした。
「さすがアイザック様ですね」
「そりゃあ、ああ見えて国宝だからな。ただでさえ強いうえに始祖竜と契約を交わしてるわけだし」
「始祖竜……。やっぱり凄いんですね」
全ての竜の始まりとも、全ての竜を治めるとも言われている始祖竜。
その存在は竜騎士隊だけではなく世界中から一目置かれている。
「竜は気位が高いからな。自分が選んだ相手ならまだしも、同族が選んだ相手に従わない時もある。それどころか同族内でも衝突することがある。だがルスタールは別だ。どの竜もルスタールの指示に従うし、ルスタールと契約を結んでいるアイザックの指示にも従う」
「やっぱりすべての竜を従える事ができるんですね……」
「あぁ、だから下手なことをしてアイザックを怒らせたら、竜全体を敵に回しかねないってことだ。そう考えると、始祖竜と契約をしたのがあいつで良かったよ。下手に野心の強い奴や、自分の利益を優先する奴が契約してたらどうなってたか」
物騒な話題を軽々と話すヴァレールに、フィンが若干上擦った声で返す。
次いで窓の外を見れば、そこに居るのは渦中の人物であるアイザック。それと隣を歩くのは、昼の太陽のもとまるで一角だけ夜が訪れたような竜ルスタール。
並ぶ姿は様になっている。
片や凛々しく精悍な騎士、片や黒い体躯が勇ましい竜。まるで童話の挿絵のようだ。
……もっとも、
「あのときベルナデッタを咥えたよな、そ、それで、や……、柔らかかったか……? いや、べつに聞きたいわけじゃないからな! ただちょっと、そう、竜の口内の感覚器官がどれだけ詳細かを知りたかったんだ! そ、それで、たとえば体の柔らかさとかをだな、いや、疚しい気持ちはないからな!! 後学のために! 論文書くし!!」
と、こんな会話が聞こえてくるので、あまり良い童話にはならなさそうだが。
これにはヴァレールもフィンも言葉を失い、しばし妙な沈黙が続いた。……柔らかさを知ろうとするアイザックの声が聞こえなくなるまで。
「……まぁ、とりあえずルスタールの契約相手がアイザックで良かったよ。国家規模の悪用はしないし」
ヴァレールがなんとも言えない結論を出す。
それに対してフィンが苦笑いをし……、「仕事に戻りましょう」とこの話を終わりにした。




