第一話 下界へ行こう
気だるげに空を見下ろす男が文句を言った。
「チッ! また攻め込まれたか……」
奥で静かに世界を見据える男が苦言を呈する。
「ロック。守りだけでは戦況は変わらないぞ」
ロックと呼ばれた男は、勇者を担当する神。
無造作に流した金髪に、どこか投げやりな表情。整った顔立ちではあるが、その目にはやる気の欠片もない。
軽装のまま椅子に腰を下ろし、足をぶらつかせるその姿は、とても神とは思えなかった。
「オードン! お前どんだけ課金したんだよ?」
「俺は無駄な金はしない主義だ」
「どうだか……」
対するオードンは、魔王を担当する神だった。
深い黒の長髪を後ろで束ね、鋭い眼差しが盤面のような世界を捉えている。
黒を基調とした装束は重厚で、立っているだけで周囲の空気が張り詰める。
二人の神は遥か上空から、盤面のように広がる世界を見下ろしている。
舞台は異世界。
世界を征服しようとする魔王がいて、それを討伐しようとする勇者がいる。
――よくある話だ。
だが。
ロックは勇者を導き、魔王領を削る。
オードンは魔王を導き、人間領を侵食させる。
これは――神々による陣取りゲーム。
「ったく、ここ最近減給ばっかじゃねーか……」
魔王軍に侵略された領土を見つめる。
「今回の勇者もハズレだな。領土を増やしてボーナス貰う予定だったのによ〜。ブラックな会社だぜ」
「今月も俺の勝ち……この世界、滅ぼすのも時間の問題だな……」
オードンの目が盤上を鋭く捉える。
世界を制圧すると神は“一段昇格”逆に制圧されると“一段降格”となり、その目は真剣だった。
「あ〜あ、つまんねー。……また下界に降りて癒されに行くか」
出世欲をなくした神は、違う目的に意識が移る。
ロックは戦場から視線を外し、モニターへと向け意識を集中する。
映し出されたのは、教会の庭。
そこにいたのは、一人の少女だった。
ふわり、と光が差し込んだような存在。
腰まで伸びた淡い銀髪が静かに揺れ、透き通る白い肌と澄んだ青の瞳が、穏やかに人々を見つめている。
教会のローブに施された繊細な刺繍が、彼女の神聖さを際立たせていた。
「エリシアちゃん……今日も可愛いなぁ」
その穏やかな姿からは想像できないが――
彼女は本来なら魔王討伐へ向かうべき存在。
しかし今は、街の修道士として人々を癒している。
その時、モニターの景色がゆっくりと狭まっていった。
「チッ! もう時間か……課金したいが今月も減給だし、いつまでたっても金欠じゃねーかよ!」
神でありながら、金欠。
それがロックの現状だった。
「ロックせんぱ〜い。今日はもう上がりっすか〜?」
間延びした、甘ったるい声が響く。
「おっ、ちょうどいい所に来たな〜」
振り向いた先にいたのは――天真爛漫な少女。
長い金髪は淡く輝き、白い肌と蒼い瞳が静かに世界を見下ろしている。
純白のドレスを纏う姿は、まさに女神。
――後輩の神、セラ。
だが。
「なんすか? せんぱい」
口調はやたら軽かった。
「今月、ピンチなんだ」
「毎月っすよね……?」
「金、貸してくれよ」
「え? またっすか? 普通にイヤなんですけど……」
「頼むって、セラちゃん〜」
ロックは情けなく手を合わせる。
セラは呆れたようにため息をつきつつも、どこか余裕の笑みを浮かべていた。
「も〜う、しょうがないっすね〜。いつもの口座に入れておきますけど、無駄遣いしちゃダメっすよ?」
「サンキュー、セラ! ほんと可愛いぞ〜」
まったく心のこもっていない感謝だった。
「キモい感謝より、早くお金返すっすよー!」
「……分かった分かった」
「あ、それとこの後……」
ロックは既にその場を去っていた。
「……もう、知らないっすよ」
セラは入金作業を進める。
その手が一瞬止まる。
ジジジッ
通信が入る。
「……そうっすか。仕方ないっすね……。監視は続けるっす」
ジジジッ
通信が切れる。
セラの持つ携帯用モニターに、ロックの姿が映し出されていた。
ロックは――そのまま下界へと遊びに行く準備をしていた。
下界へ行くには、専用のボディが必要だった。
「エリシアちゃんに会うなら、このボディだよな〜」
ロックはクローゼットを開け、一体のボディを取り出す。
それに触れた瞬間、意識がふっと溶け込み――次の瞬間には、鏡の前に立っていた。
そこに映っていたのは、非の打ち所のない美青年。
肩にかかる程度の金のミドルヘアは、無造作に見えて計算された流れを作り、光を受けて柔らかく輝いている。
整った顔立ちはどの角度から見ても隙がなく、涼しげな瞳と通った鼻筋が、どこか気品すら感じさせた。
細身ながら均整の取れた体つき。
ただ立っているだけで、視線を奪う。
「流石は外見特化。金をかけただけあるぜ」
――だが。
その完璧な外見とは裏腹に。
耐久性は、ほぼゼロだった。
「うし、行くか!」
ロックは下界行きのエレベーターへ向かい、カードを差し込む。
パネルに浮かび上がる数字。
――“10,000”。
「相変わらず高ぇな……運賃」
ぶつぶつと文句を言いながら、エレベーターに乗り込む。
掃除がされていないのか、残されている足跡は一人分しかない。
「……これ、俺しか乗ってないのか?」
神は下界へ降りること自体は可能だが、戦況に干渉することは許されていない。
許されているのは、勇者の召喚、ナビゲート、そして役割を一つ与えること。
それ以外の目的で降りる神など――ほとんどいない。
ギギギッと年季の入った音を鳴らしながら、ぎこちなく扉が閉まる。
「メンテくらいしろよな……」
やがて、ゆっくりと下降が始まった。
――そして。
「よーし、着いたか」
扉が開くと、そこには穏やかな街並みが広がっていた。
神にとって、下界はゲームの世界そのものだった。
ロックにとって、下界は自堕落な欲望を叶える歓楽街の様だった。
「わーっ!」
「キャー!」
「逃げろー!」
街には不穏な空気が流れていた。
その悲鳴の先で――エリシアが“何か”に立ち向かおうとしていた。




