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86.失礼

 祝賀会は、表彰式とは別物だった。


 表彰式には入場順、席順があり、表彰では名を呼ばれ、進み、記章を受け取り、下がる。手順で出来ていた。


 祝賀会は違う。あるのは人の流れだった。


 会場の中で、貴族、軍人、文官、王太子府の職員が動いている。誰かが挨拶をし、誰かが席を移り、誰かが笑い、誰かが少しだけ声を潜める。


 手順がないわけではない。ただ式典ほど固定されていない。リュシアはそう判断した。


 会場へ入る前の控え室で、軍務連絡局の職員に声をかけられた。


「フォルティス中尉。祝賀会では、こちらの導線に従ってください。長い会話は避け、返答に迷う場合はこちらへ回してください」


「了解しました」


 その時、横からヴァレリオの声が入った。


「説明は受けたな」


 リュシアが振り向くと、ヴァレリオがいた。


「はい」


「見られても反応するな。話しかけられても、予定にない相手なら長く応じるな」


「話を切り上げるのですか」


「そうだ」


「失礼ではありませんか」


「失礼の方が安いこともある」


 一拍考えてリュシアは返事をした。


「了解しました」


 ヴァレリオは短く頷いた。


「君が丁寧に答えようとすると、相手はそこを入口にする。遮る時は遮れ」


「はい」


「俺がいない時は、近くの局員へ回せ」


「はい」


 それだけ言って、ヴァレリオは別の職員に呼ばれて戻っていった。


 祝賀会場へ入ると、視線が集まった。


 表彰式の時のように、正面から一斉に向けられる視線ではない。もっと細かい。横から、遠くから、会話の隙間から、何度も向けられる。


 公爵家の娘。


 元第二王子の婚約者。


 北方の魔法騎士。


 功労者。


 どれか一つだけでは見られない。


 それは、父にもヴァレリオにも言われていたことだった。


 最初に近づいてきたのは、中年の貴族男性だった。軍人ではない。だが、胸元の勲章と連れている若い男の立ち位置から、どこかの家の当主か、それに近い人物だと推定できた。


「フォルティス中尉。このたびは誠に」


 男が言い切る前に、軍務連絡局の職員が半歩前へ出た。


「フォルティス中尉は、この後、北方方面軍代表との挨拶がございます。ご用件は軍務連絡局にて承ります」


 柔らかい声だった。だが、会話はそこで止まった。

 男は一瞬だけ目を細めた。それから笑みを作る。


「これは失礼。改めて」


 リュシアは礼をした。

 改めて、という予定はなかった。

 次に声をかけてきたのは、婦人だった。年齢は母より少し上。王都の社交に慣れている顔だった。


「リュシア嬢、ずいぶんご立派になられて。以前王宮でお会いした時とはーー」


 そこまでで、別の職員が自然に酒杯を持った給仕を間に入れた。


「奥様、こちらを」


 婦人の視線が一瞬それる。リュシアの横にいた軍務連絡局の職員が、低く言った。


「移動します」


「はい」


 リュシアは従った。


 婦人への返答はしなかった。

 失礼ではある。

 だが、会話は発生しなかった。婚約破棄の話題も、第二王子の名前も出なかった。


 失礼の方が安いこともある。


 リュシアは、その言葉の効果を確認した。


 会場の奥で、王太子が軍の上層と短く言葉を交わしていた。王太子府の職員が絶えず動き、宮廷儀礼官が席と順番を確認している。王太子妃は少し離れた場所で、別の貴婦人たちと笑みを交わしていた。


 王太子妃は、柔らかく見える。


 だが、その周囲の流れは淀まない。誰が長く話しすぎているか、誰が誰へ近づこうとしているか、どこに人が溜まり始めているか。王太子妃はそれを見ながら、笑顔のまま会話の流れを変えていた。


 王太子府の硬い導線を社交の温度に直している。


 リュシアはそう判断した。


 しばらくして、王太子妃がこちらへ歩いてきた。

 周囲の視線が少し変わる。軍務連絡局の職員が一歩下がった。王太子妃がリュシアの前で足を止める。


「フォルティス中尉」


 リュシアは礼をした。


「王太子妃殿下。ご挨拶申し上げます」


「今日は長旅の後に式典、そして祝賀会ですものね。北方へ戻る前にきちんと休まなければなりません」


「ご配慮ありがとうございます」


「こちらこそ。北方での務め、王太子殿下も高く評価されています」


「恐れ入ります」


 王太子妃は微笑んだ。


「今日はここまでで十分です。あとは軍務連絡局の者に任せて、下がりなさい」


「承知しました」


 その言葉は、自然な配慮として会場に落ちた。リュシアが退く理由ができた。

 疲れている功労者への王太子妃の気遣い。そう見える形だった。

 軍務連絡局の職員が、すぐに横へついた。


「フォルティス中尉。こちらへ」


「はい」


 リュシアは王太子妃にもう一度礼をして、祝賀会場を出た。

 廊下へ出ると、会場の音が少し遠のいた。


 リュシアは、そこでようやく息を整えた。緊張していた自覚は薄い。ただ、会場にいる間、判断の発生点が多かった。


 誰に返すか。


 どこまで答えるか。


 どの視線を無視してよいか。


 式典よりも、祝賀会の方が処理項目が多い。


 そう記録した。


 馬車寄せへ向かう廊下の角で、ヴァレリオがいた。

 手には名簿があり、軍務連絡局の職員が一人、少し後ろに控えている。


「下がれたか」


「はい。王太子妃殿下からお声がけをいただきました」


「予定通りだ」


「はい」


 ヴァレリオはリュシアの顔を見た。


「何か答えたか」


「王太子妃殿下への返答以外は、定型の礼のみです。指定外の相手には応じていません」


「助かった」


「大尉の指示に従いました」


 ヴァレリオは一瞬、返答を止めた。

 それから、低く言った。


「だが、俺を信用しすぎるな」


 リュシアは顔を上げた。


「大尉の判断は信頼に値します」


「そういう話じゃない」


 ヴァレリオの声は、少しだけ硬かった。


「現状は一致していると判断しています。今回は必要な式典です」


「必要だ。だから俺は君を動かしている」


 ヴァレリオは否定しなかった。


「そこが危ないと言っている」


「危ない、ですか」


「俺が必要だと言えば、君はかなりの範囲で従う。今日みたいにな」


「必要な導線管理でした」


「そうだ。必要だった。だから余計に危ない」


「不一致が生じた場合は確認します」


「その確認先を、俺だけにするな」


「なぜですか


「俺も王太子府の人間だからだ」


「分かりました」


「それでいい」


 馬車寄せの灯りが見えた。軍務連絡局の職員が馬車の扉を開ける。


「君を七日外すだけで、北方はずいぶん手順を組んでいる」


「不在中の誤連絡を避けるためです」


 ヴァレリオは少しだけ眉を寄せた。


「北方からの直接連絡は受けるな。何かあれば軍務連絡局へ回せ」


 廊下の奥から、王太子府の職員がヴァレリオを呼んだ。


「今日は休め」


「はい」


 馬車の扉を軍務連絡局の職員が閉めた。ヴァレリオは、もう別の職員に指示を出していた。


 見送りではない。少なくとも、そう処理できる距離だった。

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