【第四十一話】時が満ちて
【前回のあらすじ】
引き続き遮楽から話を聞く一行。謎めいた仮面の人物の暗躍が、彼らの間に不穏な影を落とす。隠された闇の中で、一体何が行われようとしているのか?真相を突き止める方法に皆が頭を悩ませる中、みくるはクローヴィスが用意していた巻物に、とある仕掛けが施されている可能性に気付く。全てが動き出す満月の夜が、いよいよ迫っていた。
この日の午前中、あたし達は各自いろんな場所にいた。
あたしとオルフェは図書館、シグレは訓練場、リーリアはマーケット、そしてジタンは宿屋の客室。冒険に出るでもなく、サブクエストをこなすでもなく、ただのんびり過ごす。
それは端から見れば、セレフィア湖へ出発する夜まで、暇を持て余しているとしか思えない光景。
けれどもその裏では――あるものが揃うのを待っていたんだ。
「……あ」
昼頃、ミレクシアの図書館にて。本棚から適当な本を取ってざっと流し読んでいたあたしは、ふとページをめくる手を止めた。
右手の中指に嵌めた指輪の石が、赤く光っているのに気付いたからだ。
これはクローヴィスさんの家を調べた時にも身に着けていた、色が変化する指輪。あの時は使う間もなく失敗したけど、今度こそ役目を果たしてくれている。
ただし、今回の赤色は危険とか緊急事態発生って意味じゃない。むしろ逆で、準備完了の合図だ。
向かいに座って同じく読書をしていたオルフェと、無言で目を合わせて頷き合う。そして揃って席を立った。
「ありがとうございました~」
「はぁい、また来てくださいね」
笑顔の司書さんに手を振って、図書館を出る。
ミレクシアの石門の方へ歩いていると……ちょうどそれをくぐろうとしている人影が見えた。
「遮楽!」
「おうよ」
小走りで向かうと、彼はいつも通りに片手を上げる。そして立ち止まるなり、周囲に人の気配が無いのを確かめるみたいに軽く顔を動かすと、懐から布袋を取り出してあたしの手にそっと押し込む。
「必要なモンはこれで良かったかい?」
あたしはオルフェと一緒に中身を確認した。そこには赤茶色の砂粒を詰めた小瓶と、透き通った朱色っぽい結晶が入っている。
「金剛砂、陽光の石……間違い無いですわい。ありがとうございます」
オルフェが言うと、遮楽はお安い御用とばかりに歯を見せて笑う。
「そんじゃ、とっとと用意を整えてきなせェ」
「うん、行ってくる」
布袋をしっかりと握りしめて、あたしはくるりと体を反転させると再び駆けだした。
そして向かったのは、道具屋だ。木製のドアを開ければ、すっかり顔なじみになったエトルさんとティルが迎えてくれる。
「あっ、おねーちゃん! やっほー!」
「いらっしゃい。何をお求めでしょうか?」
「こんにちは! えっと、今日は買いに来たんじゃなくて……ちょっとアイテムの合成をしてほしくって」
「合成ですね、もちろん構いませんよ」
にこやかに頷いたエトルさんは、カウンターの裏から金属製の壺がいくつか合体したような器具を取り出した。合成――アイテム同士を掛け合わせて、新しいものを生み出したり性能を高めたりすること。RPGじゃもはや定番の要素だ。
「合成したいものはこちらへどうぞ」
差し示された金属製のトレイへ、あたしはいくつかアイテムを乗せる。ただし、これは一応のカモフラージュのためで……本命は、たった一つ。
トレイを引いたエトルさんは、小さな丸眼鏡を押し上げつつ口を開く。
「はい、回復薬に青いお守り、それと……竜の瞳、ですね。お間違いないですか?」
「おっけーです!」
窓から差し込む光を反射しているそれを見ながら、あたしは答えた。
竜の瞳――と言っても名前通りのアイテムではなくて、その正体は丸く加工された宝石だ。けれどもつるっと磨かれたオレンジ色の球体の中心には、瞳孔のような黒い筋が縦に一本入っていて、本当に目玉みたい。
これはアクセサリー枠の装備品で、暗闇や魅了、混乱といった状態異常を防いでくれる優れもの。
だけど今回あたし達が欲しいのは……幻影の無効化という、さらに一段上の効果なんだ。だから、合成でパワーアップさせる必要があった。
「素材は足りてる? もし無かったらいくつかはウチで買い足せるよ!」
ティルがカウンターから身を乗り出す。
「ううん、大丈夫! 全部揃ってるはずだから」
そう答えて、あたしは次に素材アイテムを取り出した。その中には、さっき遮楽から受け取ったのも含まれている。
竜の瞳に金剛砂と陽光の石を合成することで、幻影も打ち破れる上位アイテムになる――元々はオルフェの知識だけど、念の為さっき図書館にあった本でも確かめたから、間違いない。
素材の調達をわざわざ遮楽に頼んだのは、こちらの動きを警戒されてる可能性を考えてのことだった。まさか監視まではされてないと思うけど……それでも目立つ行動は、避けるに越したことはない。
裏でそんな駆け引きが行われているなんて露知らず。エトルさんが合成器にアイテムを入れると、手慣れた様子で何やら細かい部品を動かした。するとたちまちそれらは光に包まれて、一呼吸分の間を置いた次の瞬間には、もう一つになっている。な、何度見ても仕組みはよく分かんないけどすごい……。
そしてあっという間に、渡した全てのアイテムの合成が完了。
「はい、こちら上回復薬、吹雪のお守り。それから強化した竜の瞳です」
「合計で……うーんと、2500ドレムだね!」
「はーい」
お代を払って、出来上がったアイテムを受け取る。合成後の竜の瞳は、より発色がくっきりと濃くなっていて、純度が上がったのか輝きも増していた。
よし、これで……今夜までに必要なもの、その最後のピースが揃った。思わず握る手に力がこもる。
「他にご用はありませんか?」
そんなあたしの緊張とは裏腹に、おっとりとした調子でエトルさんが喋りかけた。
「実は私が今日、これから出る予定でして。欲しいものや売り物があれば、先にお伺いしますよ」
「え? どこか出かけるの?」
思わず尋ねると、はいと微笑んで頷く。
「仕事がてら、古い友人に会いに行くんですよ。少し遠い場所に行きますから、泊まりになります。店番はこの子に頼んでいますので、店自体は開けますがね」
「へっへーん、任せてよ!」
どこかワクワクしたような様子で、ティルが胸を張った。
「そっかぁ……うーん、じゃあ一応これも買っとこうかな……」
「はい、どうもありがとうございます」
商品棚からアイテムを取ったエトルさんは、ふっと何気なく窓から空を見上げる。
「晴れて良かったですねぇ。そういえば、今夜は満月だとか……この天気なら、月もきれいに見えるでしょうね」
「そ……そうだね」
頷くあたしの表情は、多分少し硬い。その満月が昇る頃――全てが、動き出すんだから。
それから道具屋を出たあたしは、宿屋まで戻ることに。すると道中でジタンとオルフェ、遮楽の三人がいるのを見つけた。何やら立ち話をしていたけれど、あたしに気付いて全員がこっちを向く。
「よう。どうだよ例のブツは」
「あ、怪しい言い方しないでよ……ちゃんとできたよ、ほら」
腕を組んで聞いてきたジタンに、あたしは摘まんだ竜の瞳を見せる。オルフェが冷静な表情で頷いた。
「ほいじゃぁ……夜の段取りを決めようかの。シグレとリーリアはもう部屋におるわい」
神妙に頷いて、歩き出すあたし達。ほどなくして、宿屋が見えてきた。
先頭を歩いていたジタンが、無造作にドアノブへと手を伸ばす。
するとその直前でガチャリと鳴って、ドアが向こうから開いた。
「おっ……と、失礼」
内側から顔を覗かせたのは――く、クローヴィスさんっ!?
ぎくりとしたあたしは、とっさに持っていた竜の瞳をポケットの中へ突っ込んだ。
みっ、見られてないよね!? 今の……。きっと大丈夫、ドアの死角になってたはずだし。
「それでは、宜しく頼むよ」
クローヴィスさんは軽く振り向いて、背後に声を掛けている。
「あいよー。後は任しときなねぇ」
朗らかに答える女将さんの声も聞こえた。
そしてあたし達の方に向き直ると、小首を傾げて口を開く。
「やあ君達。それに遮楽まで、どうしたのだね連れ立って……」
その口調は、勘付いたとか探りを入れてるって風ではなかった。あくまで世間話として聞いたって感じ。
だけどこの状況、どう答えれば……!? 思わず口ごもりながら視線を逸してしまう。
……すると。
「いやァなに、大した事ァ無ェんですがねェ」
ヘラヘラと笑いながら、遮楽が言った。
「聞いた所、今夜がヤマって奴なんでしょう? その前に一つ、景気付けでもやろうじゃねェかって話でねェ。ヘヘッ、丁度上等な酒も手に入った所でさァ」
喋り方や声の質、態度まで何もかもいつも通りだ。何なら、一層上機嫌に気が抜けていると感じるくらい。
「う、うむ、成程……? 確かに、出発前に士気を高めておくのも悪くはないかもしれない」
クローヴィスさんも苦笑気味ながら頷く。す……すごい、一発でごまかした。しかもこの口実なら、この後みんなで集まっても変じゃない……!
「だがくれぐれも羽目を外し過ぎないでおくれよ? また酔い潰されたら、次の満月の日まで持ち越しになってしまう」
釘を刺すような視線を向けられて、遮楽はひらりと大げさに手や首を振った。
「勿論分かってまさァ。一本だけだ、な、兄ちゃん」
「お……おー……」
肘でつつかれたジタンが微妙なリアクションを返す。この間見事に潰された苦い記憶があるからか、その表情は若干引きつっている。
「ふっ……まあ、夜までまだ時間はある。ゆっくり準備を整えてくれたまえ。私も諸々用意をしておこう」
薄く微笑むと、それではまた、と言って去っていくクローヴィスさん。
その背中が小さくなってから、あたし達はほっと息を吐き出した。
「……焦ったー! 心臓飛び出るかと思った」
「油断ならねぇな全くよ……」
胸をなで下ろすあたしとジタンの横で、オルフェが今度こそドアノブに手を掛けながら言った。
「ここからが大事じゃけぇ、気ぃ引き締めてかんとのぉ」
――そして時間は過ぎ。とうとう、出発の時を迎えた。
すっかり夜の色に沈んだミレクシア。見上げれば、晴れ切った空に浮かぶのは完璧な満月。金色の月の光は遮るものの無い地上に降り注いで、建物や木々のフチを浮かび上がらせているみたいだった。
「今夜はまた……一段と見事な物だね」
感心したように息をついて、呟いたのはクローヴィスさんだ。複雑な金の装飾が施された長杖を携えて、月明かりの下に佇んでいるその姿は、どこか視線が吸い寄せられるくらい絵になる。
「では、そろそろセレフィア湖に向かうが……何かやり残した事は無いかね? 君達」
振り返って、あたし達を見回す。装備品やアイテムはもちろん、体力やMPも満タンで万全の状態を整えたみんなは、ほとんど同時に首を縦に振った。
「うん、ばっちりー!」
「何が起ころうと構いませんよ」
元気に言ったリーリアと不敵に返したシグレに、フッと笑みを浮かべたクローヴィスさんは、続いて隣に立つ人物に声を掛けた。
「遮楽、村の事は頼む。本当ならば君も居てくれた方が心強いが、遅い帰りになるだろうし、この状況で村を空けるのは少々心配でね」
「承知でさァ。こっちの事ァ任せてくだせェ、旦那」
気負った様子も無く平然と答える遮楽。それを受けて、クローヴィスさんの足が静かに踏み出された。
「それでは、行こうか」
白い上着を着た背中が、ミレクシアの石門を抜ける。あたし達も、ジタンを先頭にしたいつもの縦隊列で歩き出した。
セレフィア湖に行って、大精霊セレフィエルを復活させたら、その力でアムルーナの森を浄化する。そうすれば今回のメインクエストは無事クリアだ。
「もうちょっと……だよね、お兄ちゃん?」
『ああ、ゴールは近いな』
いつもながらの言葉少なな返答。着実に、解決には近付いていっている。
だけど、終わりが見えてきた安心感よりも、緊張感の方が強かった。むしろ今あたし達にとって気がかりなのは、その前の――
「気を付けて行きなせェな、お兄さん方」
背後から、遮楽が声を掛けてきた。列の一番後ろにいたあたしは、思わず振り返る。腕組みをした仁王立ちで、こちらを送り出す姿。意味ありげなその言葉に、ただ、小さく頷く。
遮楽もまた頷きを返して……そしてパーティーは、セレフィア湖へと出発した。
「ふわぁっ……!」
目的地に着いた途端、思わず声が洩れた。昼間に見たときも絶景だったセレフィア湖だけど、夜は夜でまた全く違う表情を見せている。
明るい中で見ると爽やかな印象だったのが、月夜へと変わって一気に神秘的になった。日の光をいっぱいに散らしていた湖面はしんと静まって、よく磨かれた鏡みたいに満月を映している。
鮮やかな緑だった木々も夜の闇の中に溶け込んで、青っぽい影の塊になっている。昼に比べて色の数はずっと少ないけれども、その分落ち着いていて、むしろ大精霊がいる湖と言われたらこっちの方が合う気がした。
……あまりに美しくて、一瞬だけ来た目的を忘れそうになる。
「壮観だろう? 満月の景色はまた格別なのだよ」
立ちすくんでいると、隣でクローヴィスさんが言った。
答えようとしたその時、胸元のタリスマンから急に光が飛び出す。
「おっとと」
「んきゅ!」
ダイフクが姿を現して、はしゃいだように湖の周りを駆け回った。雪の日の子犬みたいだ。
「あんまり走り回ると落ちるよ~」
「ふふ。流石は神聖な湖、聖獣も気に入ったようだね」
二人してその様子を眺めていると、斜め後ろから金属的な足音。
「にしてもよぉ。前来た時にゃ一方的にあれこれ喋りかけてきたっつうのに、今回はウンともスンとも言わねぇじゃねぇか」
ジタンがセレフィア湖の水を空の水筒に汲みつつ言った。そしてフタを閉めて立ち上がると、空中に向かって声を出す。
「おーい言われた通り神具とやらを持ってきたぞ! 苦労したんだから出迎えぐらいあっていいだろうがよ」
「ちょちょちょジタン、いくら何でも大精霊に向かってそんな……」
「あ? 知るかよこちとら聖職者でも神話学者でもねぇ」
ぞんざいに言うジタンを、クローヴィスさんが盛大な苦笑いを浮かべて見ていた。
「そう焦らずとも、再顕現が叶えば私達の前に姿を現して貰えるだろう。早速取り掛かろうじゃないか」
言うが早いかクローヴィスさんは湖のほとりに立って、足下の草を掻き分けた。その先には、石でできた台座がある。
「恐らく、元々は此処に祀られていたのではないかな。大きさや固定する爪の形状も合う……。ではみくる君、神具を」
「は、はいっ!」
あたしはリュックから神具――アストロラーベを取り出すと、両手で持って慎重に台座へ嵌めた。大事なものだし、さすがにちょっとドキドキする。直後かっちりと台座に円盤が噛み合って――
その途端、ヴゥ゛ンッ! という起動音のようなものが聞こえた。
さらに軽い地響きが起こって、足下が小さく揺れる。
「おわぁ!」
何事かと全員が周囲を見回す。すると、四隅に建てられていたクリスタルの柱が、せり上がっていっているのが分かった。
数秒後、完全に動きが止まる。三メートルくらいの透き通った柱。それは満月の光を屈折させて、地面に光の筋を作っていた。
「な、何が出てくるかと思いましたよ」
「む? ……動かせそうだな?」
呟いたクローヴィスさんが柱の一本に手を当ててぐっと力を込めると、ガコンと九十度くらい回って止まった。
右隣に建っているのも、ジタンが同じようにする。すると、今度動いたのは一本じゃなかった。対角線上にある柱も同時に向きが変わる。
……ある程度連動して動くみたい? ただし、回る本数や角度、向きはバラバラ。
それを見た瞬間、あたしはすとんと理解した。
「なるほどね、これパズルギミックだ!」
いわゆる謎解き要素。ダンジョンとかにはありがちなやつだ。
「んだよ、まだ何か面倒な事させられんのかよ」
眉間にシワを寄せて嫌そうな顔をしたジタンがぼやく。
「まー、これも大精霊復活のための試練ってことでさ」
「ったく……で? どうすりゃいいんだ?」
「んーと……多分、正解の向きがあるんだろうけど……」
「あっ、みてみて! キラキラしてる!」
考えていると、不意にリーリアが明るく言った。指差す先に視線を投げてみれば、クリスタルに反射してできた光の筋の一本が、アストロラーベの上部に埋め込まれた水晶を照らしている。そしてそれに反応するみたいに、透かし彫りの一部が内側から光を放っていた。
その光景に、あたしはぽんと手を打つ。
「あー分かった! 上手いこと動かして、四つの光が全部あそこに集まるようにしたらいいんだよ!」
その言葉を聞いて、困ったように眉を下げたリーリアがキョロキョロした。
「ひえ、むずかしそぉ……みくる、分かる?」
「あ、いやー、あたしこういうの基本運任せっていうか……テキトーに動かしまくって、たまたまできたらラッキー! って感じでいつもゴリ押してるからさぁ」
下がりながらへらっと笑って、あんまり頼りにはならないししないでほしい、というのを態度で示す。
「……オルフェ、やるぞ」
見かねたジタンが、ため息交じりに動き出した。
「ほうじゃね、こがぁな所であんまし時間も掛けてられんわい」
オルフェも続く。こういう時には一番頼りになる人物だ。
「ふふん、まぁ少しくらい歯ごたえがあっていいじゃないですか? えーまずこれを動かすと」
「お前にゃハナから聞いてねぇんだから下がっとけ」
「はあぁあ!?」
「……ま、まあ、誰しも向き不向きは有る物だから……良ければ私も手伝おう」
小競り合いを困ったような笑顔でなだめつつ、クローヴィスさんも参加した。
――そんな訳で、ジタン・オルフェ・クローヴィスさんの三人が中心になって、あれこれ言いながらクリスタルのパズルを解き始めた。すっかり蚊帳の外になってしまったあたしは、木の一本にもたれてそれを眺める。
「きゅ! んきゅ!」
応援してるのか、足下ではダイフクが前足をぴょこぴょこさせていた。もし詰まりそうだったら、お兄ちゃんにお願いしてヒントもらおう……。
「……ん?」
その時、何やら聞き覚えのある音楽がうっすら聞こえた気がした。
イヤーカフの向こうで鳴っているみたい。あっこれ……お兄ちゃんのスマホの着信音じゃないかな。
予想は当たったみたいで、動く物音がした。
『電話だ……母さんから?』
そのまま通話する声。
『もしもし? ……うん、家にいるけど。え、何……黄色いクリアファイル? あーなんか見た気する……中の書類? 待って下降りるから……みぃ、すまんちょっと席外すな』
「え? う、うん」
答えた直後ガタッと椅子から立ち上がる音がして、喋る声は段々遠ざかっていった。もー結構大事なとこなのに、間が悪いよ。
さてそこから、しばらく謎と格闘して。
「……うむ。後はそれを動かせば、全て揃う筈だ」
「ジタン、頼むわい」
「おう」
ジタンがぐっと腕に力を込めて、最後の柱を動かす。回転と共に、あらぬ方を向いていた光の筋が、アストロラーベへと一直線に向かっていった。
重なり合う、反射された月の光。それらが全て丸い水晶の中で混ざり合うと、細やかな透かし彫り全体が輝きを持ち始める。そして……!
「あっ、湖が……!」
気付いたあたしは思わず指差して声を上げた。風も無いのに、湖面が突然さざ波を打つ。
次の瞬間、下から割るようにして、ざばりと何かが上がってきた。
クリスタルの柱と同じように美しく透き通っているそれは……。
「……橋?」
あたしはぽかんと呟く。
内部で月明かりを乱反射させて、細かいきらめきを散りばめながら暗い水面に浮いているそれは、まるで天の川みたいに見えた。湖の縁から中心部へと、真っ直ぐ伸びている。ここまで来いと招かれているようだった。
「んきゅー!」
興奮した声でダイフクが一声鳴くと、その場で飛び跳ねる。
「きれーい……!」
「すごい仕掛けじゃのぉ……」
「これまた随分と、大げさな演出をするじゃないですか」
みんなの口からも、思い思いに感嘆の声が洩れた。
クローヴィスさんはもう、すっかり心を奪われた様子で立ち尽くしている。腕もだらりと下げて、ただ湖を見つめていた。
「ジタン! ほらほらほらっ……早く行って!」
次々起こる神秘的な出来事にワクワクする気持ちを抑えつつ、あたしはジタンの背中をグイグイ押した。
「あ? オレかよ?」
「他に誰がいんの!?」
あたしとは真逆に渋々といった感じで、ジタンが橋の上に乗る。いかにも脆そうな見た目なのに、大柄な彼の体重が乗っかってもビクともしなかった。
そのまま歩き進めて、橋の先まで到達。
「おい、こっから何すりゃ――」
その言葉が言い終わる前に。
――見事です、人の子よ……。よくぞ、失われし神具を此処へ還してくださいました。
――世界へ再び顕現するこの瞬間を……一体、どれ程願った事か……。
どこからともなく、澄んだ声が響いた。直後ジタンの目の前で、湖面の一点が波紋を広げ始める。ちょうど月が映っていた場所で、円の輪郭がゆらゆらと複雑に形を変えた。
そこから、ふわっと淡い光が立ち昇る。それに合わせて、人の形が――大精霊セレフィエルの姿が、静かに現れた。
女の人だ……それも、息を呑むくらいきれいな。
透き通るような色白の肌に、細い指先。その手には天秤のような杖を持っている。
でも何より目を惹くのは、シルクの糸みたいに細くて柔らかい銀色の髪だった。背丈を超えるほどに長いそれが、水面に波打ちながら広がっていた。
身にまとっているのは薄布を何枚も重ねたドレス。その裾が動くたび、小さな光の粒がこぼれては消える。
見た目は人にそっくりなのに、一目で人間じゃないと分かる……そんな、不用意に近付いちゃいけないような神聖さがあった。
「わ~っだいせいれいサマ、いたぁ!」
「ほ、本当に……文献通りの、姿だ……」
はしゃぐリーリアの横で、放心状態のクローヴィスさんがほとんど独り言みたいに呟く。
やがてセレフィエルは、長いまつ毛を震わせながら、閉じていた目をゆっくりと開いた。吸い込まれそうな深い紺色の瞳が、真っ直ぐにジタンを見つめる。
「お……」
流石のジタンも少々気圧されたのか、一歩足を引いた。
「貴方が、かの勇者の魂を受け継ぎし者……ああ、待ち侘びておりました。 再び共に歩める事、嬉しく思います」
長い長い髪を揺らして、柔らかく微笑むセレフィエル。
「……いや、んな感動的な再会みてぇな雰囲気出されてもよ……」
対するジタンは、返答に迷う……というより、胡散臭そうな表情で首辺りを触る。
「再びも何も、普通に初対面だっての。継承者だの何だの勝手に言われたところで、オレは知らん」
少しは神妙な態度になるかと思ったけど相変わらずだ。その言葉を聞いて、彼女は少しだけ意外そうに目を細めた。
「成る程……記憶までは継いでおられぬのですね。或いは、悠久の奥底に眠っているだけ……? ですが、それは些事。私を目覚めさせた事、神具を手に出来た事、何より宿る魂の高潔なる輝き――どれを取っても、誤認の余地など無いのですから」
「いやむしろ人違いであってくれよ。その古代勇者とやらもまさか生まれ変わってこうなるとか思ってなかったろ」
覇気の無い文句がぶつくさと吐き出される。ところがセレフィエルは気を悪くした風もなく、くすりと笑みをこぼした。
「その自らを誇らぬ謙虚さと、一切物怖じせぬ姿勢。やはり姿形は違えど、古代勇者の系譜ですね」
「あ~……」
駄目だ話通じねぇ、とでも言いたげに呻くジタン。
「すごい、何言ってもポジティブに変換して返してくるよ」
「調子良いこと言って、実は誰でもいいんじゃないですか?」
「こっ、こりゃ大事な話をしよるんじゃ、大人しゅうして聞きんさい!」
シグレとヒソヒソ話してたらオルフェに怒られてしまった。
「ったく……分かったよ、どうせここで何言った所で無駄なんだろ。もう面倒くせぇから本題入るけどよ」
仕切り直しのようにわしゃわしゃと金髪を掻いて、ジタンは向き直った。
「オレ達は、あんたの力とやらを借りに来たんだ」
それを聞いて、目元を綻ばせるセレフィエル。
「無論です。それこそ、私が再び顕現した意義。共にかの魔王を討つ使命を――」
「待て待てだからそんな大層な話をしに来たんじゃねぇっての。目的はアムルーナの森の浄化だ。でなきゃいつまで経っても依頼が達成できねぇからよ」
その言葉が発された瞬間、ぴく、とクローヴィスさんの肩が動いた気がした。
それを余所に、セレフィエルは温和に微笑むと、ゆったりした動作と共に頷く。
「ええ、目の前の災厄を除く事もまた務め。光明にて邪悪を祓い、安息の静闇をもたらす私の力……必ずや助けとなるでしょう。しかしいずれにせよ、今はまだ此処を離れる程には力が戻っていません。ですから、同行は叶いませんが……代わりに、私の魔力を結晶化させたルーンを授けます」
言うが早いか、その手に持つ杖を掲げた。すると杖の先にたくさんの光の粒が寄り集まって……やがて一つの塊になった。形は平べったくて、ちょっと歪んだ楕円形をしている。
「このルーンを携え、祈るのです。そうすればいつ如何なる時も、貴方の為に力を発揮するでしょう」
空いた片方の手を胸に当てて、うっとりと笑みを浮かべるセレフィエル。その唇から、高揚したような声がこぼれた。
「再びこの世界の一柱として、役目を果たせる……ああ、なんと喜ばしい事……! さあ今こそ、此処に古代より続く契約の証を――」
その言葉を途中から飲み込むかのように、いきなり湖全体が強い光を放った。
「うわっ……」
思わず腕で目を覆う。今度は何が起こるのか――そう身構えていると。
フッと光が消える。断ち切られたみたいな消え方だった。
急に戻った視界の先に……セレフィエルの姿は、無くなっていた。ただ、先程のルーンだけがふわふわと浮かんでいる。
「…………」
広がる静けさ。
……あれっ。も、もしかしてこれで終わり!?
「おい、いないのか? これ貰うぞ? いいんだよな?」
唐突な幕切れに少しだけ困惑気味のジタンが、セレフィエルのルーンに手を伸ばすとあっさり掴み取った。そして余韻も何も無く、スタスタとあたし達の元まで戻ってくる。
「あれぇ。だいせいれいサマ、かえっちゃったのぉ……? リーリアもお話したかったなぁ」
「出てくるときはあんなにもったいぶったというのに、用事が済めばサッサと消えるとは。ワタクシ達のお陰で復活できたんですから、もっと労うくらいしてもいいでしょうに」
「ううむ……しかしまさか、大精霊顕現の奇跡をこの目で見る日が来ようとは。僅かな時間だったとはいえ、感無量だ」
どこか物足りなそうなリーリアとシグレの隣で、難しい表情ながら頷いているクローヴィスさん。
「……ねぇねぇ、もらったやつ見せてよ」
ひとまず、あたしは興味本位でジタンに近付いた。
「あ? ほら」
手を開いて、掌に乗ったルーンを無造作に見せてくれる。
表面はつるつるじゃなくて、すりガラスみたいに少しだけマットな質感。色味のベースは白っぽいんだけど、角度によってほんのり青や紫が現れる。ムーンストーンとかオパールに近いかも?
うん、確かにキレイな結晶だ。
キレイ……では、あるんだけど……。
「なんつーか……思ってたより地味だな」
内心ちょっと思ってたことを、ジタンが口に出した。模様も装飾も無くてのっぺりしたルーンは、他のアクセサリー系アイテムと一緒にしてると埋もれてしまいそうだった。大精霊の力が宿ってるという割には、拍子抜けするくらい飾り気がない。
……お兄ちゃん、こういうキーアイテムっぽいやつは見た目こだわりそうなのにな。さっきの妙にあっさりした演出といい、ひょっとしてコレ、まだ仮のデザインだったりするのかなぁ?
「何も言われなきゃその辺の鉱石と見分けも付きませんが。本当にセレフィエルの力が使えるんですか?」
シグレも怪訝そうにしている。
すると、視界の隅で人影が動いた。
「力が本物かどうかは……試してみれば分かるとも」
こちらに歩いてきたクローヴィスさんが、杖の柄を握り直すと、一度伏せた顔を上げる。月明かりの下で、長い前髪が顔に藍色の影を落とした。
「いよいよ、この時が来たな……。さあ、アムルーナの森へ急ごうじゃないか」
そう促されて……態度には出ないまでも、心の中でぴりっとしたものが走る。きっと、みんなも同じだ。
準備は完了。とうとう作戦開始なんだ――お互いに。
ジタンがちらっと、後ろのオルフェに視線を投げた。
「……だな。そうしなけりゃ何も進まねぇ」
答えを受けたクローヴィスさんは、きっぱりと踵を返すと、急かされるように歩き出した。
その背後でそっと目配せし合って、みんなも一斉に動き出す。
その瞬間、耳元で小さくガタガタという音。
『……すまん待たせた。今どんな感じだ?』
ちょうどよく、お母さんとの電話を終えたお兄ちゃんが戻ってきた。
「おかえり。これからアムルーナの森行くとこだよ」
簡単に答えると、ちょっと驚いたような声。
『えっもうそこまで進んだのか? 早いな』
「そう? でも無事にルーンももらえたよ」
『まあ、問題無かったんなら良いけど……』
そして喋りながら歩き出そうとして、ふと気付いた。あれ、ダイフクは? さっきまで足下にいたのに。
振り返ると、湖のほとりで佇んでいる姿が見えた。
「行くよ~ダイフク」
あたしが軽く声をかける。
ところがダイフクは、じっと湖面を見つめて動かなかった。
「も~置いていかれちゃうよ? ね、ほら、行くよってば。またいつでも来れるからさ」
仕方なくあたしはその小さな体を抱き上げると、みんなの元へ急ぐ。
「んきゅ~」
腕の中で、何やら浮かない表情を見せるダイフク。
「どうしたの、暗いから怖い? 大丈夫大丈夫、みんなもついてるんだし……きっと何とかなるって」
笑顔で言ったその言葉は……半分、自分にも言い聞かせていた。
NEXT CHAPTER 〉〉




