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10. 音庭ビート、初めて名前を呼ばれる

高校生の朝って、一気に何かが変わる瞬間がある!

# 音庭ビート、初めて名前を呼ばれる


翌日の朝、教室に入った瞬間、僕は妙な空気を感じた。


黒板の前で男子が何人か集まっていて、こっちを見てニヤニヤしている。別に僕は、昨日の夜に妹から「近所迷惑」と怒られたことを学校で発表した覚えはない。


なのに、何かを知っている顔だった。


「おはよ、ケイタ」


自分の席にカバンを置いたところで、山下が近づいてきた。サッカー部で、いつも朝から声がでかい男だ。


「お、おはよう」


「お前ら、バンド名決まったんだって?」


僕はカバンのチャックに指を引っかけたまま固まった。


「……誰から聞いた?」


「一年のドラムのやつ。ポンタだっけ? 朝、購買の前で『俺たち音庭ビートっていうバンドやっているんですよ』って言ってたぞ」


「あいつ……!」


昨日の昼休み、バンド名はまだ仮だと確認したはずだった。リョウコも「もっと良い名前思いついたら変えるからね」と釘を刺していた。なのにポンタは、たった一晩で学校中に広報活動を始めていた。


「音庭ビートって、あれか? 園芸部の新しい部活?」


山下が腹を抱えて笑う。


「違う! ロックバンドだよ!」


「でも音の庭だろ? 校庭の草むしりしながら演奏すんの?」


「しない!」


言い返しながらも、僕の顔は熱くなっていた。自分で考えた名前なのに、他人の口から聞くと、なんだか急に恥ずかしい。昨日まではノートの切れ端の中だけにあった言葉が、廊下や教室の空気に混じって、勝手に歩き始めたみたいだった。


## 名前が広まる


一時間目が終わるころには、もう何人かが知っていた。


「鈴木、音庭なんとかって本当?」


「ビート板みたいな名前だな」


「文化祭で出るの?」


「ボーカルって佐藤さんでしょ? 見に行こうかな」


質問が一度に飛んできて、僕はうまく答えられなかった。ライブの予定なんて、まだ何も決まっていない。曲だって二曲目がぐちゃぐちゃの途中だ。しかも、その二曲目の音源は、昨日ポンタの手によって僕たちの恥ずかしい会話に変身してしまった。


だけど、「見に行こうかな」という言葉だけは、妙に耳に残った。


見に来る人がいる。


それは、家族が来るかどうかで揉めていた時とはまた違う重さだった。クラスメイトが、廊下ですれ違うだけの人が、僕たちの名前を聞いて、僕たちを見る。僕のギターも、リョウコの歌も、ショウのベースも、ポンタのドラムも、全部見られる。


急に、指先がそわそわした。


「ケイタ」


休み時間、リョウコが僕の席まで来た。腕を組んでいる。明らかに機嫌が良くない。


「あんた、言いふらした?」


「違う違う! 僕じゃない!」


「じゃあ誰?」


「ポンタ」


リョウコは一瞬だけ天井を見た。


「……やっぱり」


その言い方には、怒りと納得が半分ずつ入っていた。


「朝から女子の間でもちょっと話題になってるんだけど。音庭って何? 庭師? って三回聞かれた」


「僕も園芸部って言われた」


「あと、『ストロベリー・ドーナツの方が可愛いのに』って言われた」


「それは違う」


「何が違うのよ」


リョウコは口をとがらせたが、完全に怒っているわけではなさそうだった。どちらかというと、急に名前が広まったことに戸惑っている顔だった。


そこへ、ショウが自分の席からノートを持ってやってきた。


「ポンタ、昼休みに呼ぼう。勝手に広めるのは、さすがにまずい」


「ショウ、珍しく怒ってる?」


僕が聞くと、ショウは静かに首を振った。


「怒ってるというより、困ってる。まだ演奏が名前に追いついてない」


その一言は、僕の胸にずしんと来た。


名前がある。見に来ると言う人もいる。でも、音はまだ不安定だ。二曲目だって、まともに最後まで合わせられていない。


音庭ビート。


昨日は響きだけで得意になっていたけれど、名前が人に呼ばれた瞬間、それは責任みたいなものに変わった。


## 昼休みのポンタ


昼休み、いつものプール前に集まると、ポンタはなぜか誇らしげに胸を張っていた。


「いやあ、完全無欠の宣伝効果っすね。先輩たち、もう有名人への第一歩っすよ」


「第一歩で転んでるのよ!」


リョウコの声がプールの壁に跳ね返った。


「まだ仮って言ったじゃん。なんで勝手に広めるの?」


「いや、名前が決まったら嬉しくて。俺、朝練のあとに友達へちょっと言っただけっす」


「ちょっとって、どれくらい?」


「三人くらいっす」


「その三人が何人に言ったんだよ」


僕が言うと、ポンタはうーんと考え込んだ。


「口コミって、すごいっすね」


「感心してる場合か!」


ショウが珍しく大きめの声を出したので、僕もリョウコも少し驚いた。ポンタもさすがに肩をすくめた。


「すみませんっす。でも、俺、本当に嬉しかったんすよ。名前があると、ちゃんとバンドって感じがするじゃないっすか」


その言葉で、少しだけ空気がやわらいだ。


僕も同じことを思っていた。名前がついただけで、ただ昼休みに集まって曲を選んでいる四人組が、何か一つの形になった気がした。変な名前だと言われても、園芸部だと笑われても、呼ばれた瞬間に胸がざわざわする。


「まあ、分かるけどね」


リョウコがため息をついた。


「でも、まだ仮だから。そこはちゃんと言ってよ」


「了解っす。音庭ビート、カッコ仮、で宣伝します」


「宣伝しなくていい!」


また全員でツッコんだ。


## 変な名前でも


午後の授業が終わり、帰り支度をしていると、廊下の向こうから一年生の男子が二人、こちらを見ていた。そのうち一人が、遠慮がちに手を上げる。


「あの、音庭ビートのギターの先輩っすか?」


僕は一瞬、返事に詰まった。


ギターの先輩。


そんなふうに呼ばれたのは初めてだった。


「ま、まあ、一応」


「ポンタから聞きました。ライブやるなら見に行きます」


それだけ言うと、二人はぺこっと頭を下げて走っていった。


僕は廊下に立ったまま、しばらく動けなかった。なんだそれ。まだライブの日も決まってないし、演奏も下手だし、名前だって仮だ。それなのに、胸の奥がじわっと熱くなる。


放課後の西日が窓から入って、廊下の床をオレンジ色にしていた。遠くの教室から、誰かが机を引きずる音が聞こえる。いつもの学校なのに、少しだけ違って見えた。


リョウコが横から僕の顔をのぞき込む。


「なに、にやけてんの」


「にやけてない」


「にやけてるよ。ギターの先輩」


「やめろよ」


ショウも小さく笑った。


「名前、もう少し様子見でもいいかもね」


「え、ショウまで?」


リョウコは不満そうに言ったが、すぐに少し笑った。


「まあ、変だけど、覚えやすいのは確かか」


その時、階段の下からポンタの声が響いた。


「音庭ビートの皆さーん! 帰りに購買寄りませんかー!」


廊下にいた何人かが、こっちを見て笑った。


僕は恥ずかしくて、でも誇らしくて、カバンを肩にかけ直した。


## リョウコ - バンドのトレードマークを考えてくる


「そうだ。みんなに見せたいものがあるのよ」


リョウコが急に思い出したように言った。


僕らは昇降口へ向かう流れから少し外れて、階段の踊り場に集まった。西日が窓から斜めに入っていて、リョウコの持っているスケッチブックの白い表紙だけがやけに明るく見えた。


「なにそれ」


「音庭ビートの、トレードマーク案」


リョウコは少し照れたように言って、スケッチブックを開いた。


最初のページを見た瞬間、僕は何も言えなくなった。


そこには、ギターのネックが木の幹みたいに伸びていて、枝の先にスピーカーみたいな花が咲いている絵があった。花びらの間から音符が飛び出していて、その下に「音庭ビート」の文字が太く、少し歪んだロックっぽい字体で描かれている。


「うわ……」


ショウが小さく息を漏らした。


「すげえっす」


ポンタは本気で目を丸くしていた。さっきまで宣伝隊長みたいに騒いでいたのに、今はただの一年生みたいに素直な顔をしている。


リョウコはページをめくった。


次の案は、丸いドラムの中に庭の門みたいなアーチが描かれていて、その上に稲妻みたいなピックが刺さっている。さらに次のページには、カセットテープから植物のツルが伸びて、そのツルが五線譜になっている絵があった。別のページには、英語で「OTONIWA BEAT」と書かれた、洋楽のステッカーみたいなロゴもあった。


どれも、ちゃんとバンドのマークだった。


ただの落書きじゃない。ノートの端に授業中こっそり描いた絵でもない。リョウコが、僕たちのことを考えながら、何枚も何枚も描いたものだった。


「昨日さ、名前が変だって思ったんだけど」


リョウコはスケッチブックを胸の前で持ちながら言った。


「でも、変なら変で、ちゃんとカッコよく見せればいいかなって。音の庭って、絵にしたら意外といけるんじゃないかと思って」


僕はページを一枚ずつ見返した。


ギター。ドラム。カセット。花。稲妻。音符。太い文字。少し丸い文字。ざらざらした文字。


全部、僕らだった。


まだ演奏は下手で、二曲目も完成していなくて、名前も仮で、学校では園芸部だのビート板だの言われている。それなのに、スケッチブックの中の音庭ビートは、もうどこかのライブハウスの壁に貼ってありそうなくらい、ちゃんと存在していた。


「これ、全部採用したい」


僕は思わず言った。


「全部って、無理でしょ」


リョウコが笑う。


「いや、でも本当に。ステッカーにしたいし、カセットのラベルにも貼りたいし、ライブのチラシにも使いたい」


「チラシなんて、まだないじゃん」


「これから作るんだよ」


言いながら、自分でも驚いた。さっきまでライブの日も決まっていないことにびびっていたのに、今はチラシのことまで考えている。


ショウが、カセットテープから五線譜のツルが伸びている絵を指さした。


「僕はこれが好き。音源を上書きした事件も、ちょっと救われる感じがする」


「それ、俺のせいっすよね」


ポンタが小さくなった。


「じゃあ俺は、この稲妻ピックのやつがいいっす。完全無欠に速そうで」


「ドラムなのにピックなんだ」


リョウコが笑うと、ポンタも笑った。


僕は一番最初の、ギターの木にスピーカーの花が咲いている絵から目が離せなかった。音庭。昨日は自分で言っておきながら、どこか冗談みたいな名前だと思っていた。でも、リョウコの絵を見たら、その言葉に景色ができた。


音が生える庭。


そこで僕らが、まだ下手くそな音を鳴らしている。


「リョウコ、すごいな」


僕が言うと、リョウコは少しだけ顔を赤くした。


「別に。授業中に描いてただけだし」


「授業は聞けよ」


「ケイタには言われたくないよ!」


それはその通りだった。


僕らは階段の踊り場で、スケッチブックを囲んでしばらく騒いだ。どれをカセットのラベルにするか。どれをライブのチラシにするか。もしTシャツを作るならどれがいいか。そんな予定はまだ一つもないのに、話だけはどんどん先へ進んでいった。


音庭ビート。


まだ仮の名前だ。演奏も未完成だ。だけど、今日初めて、その名前は僕たち以外の誰かの声で呼ばれた。そして、リョウコのスケッチブックの中で、初めて形を持った。


変な名前でもいい。


呼ばれるたびに、描かれるたびに、僕たちは少しずつ、本物のバンドになっていく気がした。


バンド名が決まってビジュアルができると、バンドって方向性が見えてくるよね?

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