09
「水嶋、ちょっといいか?」
「はい」
前に行くと先生がプリントを渡してきた。
それを受け取りつつも理由が分からなくて、席に戻るということができなかった。
「あ、それ木村の家に届けてきてくれ」
「え、どうして私が……」
「そう言うなよ、最近はずっと一緒にいたじゃないか」
いや家の場所分からないしっ、しかもいまは不仲だしと考えていたら、
「先生っ、私に任せてください!」
私の手からプリントをむしり取るようにして確保した彼女――雫ちゃんがそう言ってのけた。先生も届けてくれれば誰でもいいのか、「お。お前は溝口の妹だな? それじゃあ頼むぞ」と残し教室から出ていってしまう。
「ふんっ、あなたには荷が重いですよね? 私がやってあげるのでもう帰ってください」
「そう、なら頼むわ」
「それとなんですかその髪、似合わないですよ? 前の長いときも微妙でしたけどね!」
どうしてここまで嫌われているのか分からないけれど、ハゲよりはマシな私としてはどうでも良かった。そこまで弱い人間ではない、私が何年馬鹿にされたりひとりでいると思っているんだこの子は。
「ちょっと雫っ、そんなこと言っちゃ駄目でしょ?」
「知らなーい、微妙なことを微妙だと言ってなにが悪いの? 言論の自由は私にもあるし」
「あ、こらっ! もう……ごめんね、水嶋さん」
「別にいいわよ、私でもいいとは思っていないわけだし。帰るわ、さようなら」
にしても風邪って……ずぶ濡れだった私が引くならともかくあの子がなんてね。私の上に傘を移動させていたときは濡れていたわけだから、あのたった少しの濡れで風邪を引いてしまったことになる。
弱い、もっと鍛えた方がいいと思う。ひとりでいることも体験した方がいい。そうした方がより人の温もり、大切さに気づけるきっかけになるのだから。
問題は昇降口に行ったときに起こった。
朝にきちんとさしてきた傘がなくなっていたのだ。
あれはずっと使い続けてきた物であるので、持っていってしまった子には必ず返しにきてほしかった。
連日傘もささずに帰ることになるとは思わなかったが、別に濡れるぶんにはどうでもいい。
で、あの別れ道までやって来たときのこと。
「なにやってるのさ……」
「あ、あなたこそなにをやっているのよ」
というか先に帰ったあの子とすれ違いになったのかしら。
「はぁ……ちょっと家に行っていい? 体調が良くなくて……」
でしょうね、風邪休んでいたのだから。
でも、あのときの私とは違う。
「ならさっさと家に帰りなさい。さようなら」
こっちは濡れているんだから1番さっさと帰りたいのは自分ではあるが。
「待ってよ……ちょっ……」
「え? ちょっ、大丈夫なの!?」
濡れた路面にダイブとか演技でもしたくはないだろう。
「……今日はほんとに自由に動けなくて……」
あーもう……こっちが距離を作れば近づいて来るなんて質の悪い女の子だ。
仕方ないので背負って家に連れ帰ることにする。その間、彼女には家にいるという母に連絡をしてもらった。
「ほら、服を脱ぎなさい」
「うん……」
家に着いたらまずは脱がせて濡れた場所を拭いて、私の服を着させてからソファに寝させる。
「なんであんなところで立ってたの?」
「……しぃを待ってた」
「はぁ……馬鹿ね、だったら連絡してくれればいいじゃない」
それで後に私のせいにされるくらいだったら決めたことだって破って彼女のところに行く。行かないで症状を悪化させ病院に――なんて流れになったら嫌だもの。
「……さっき、雫ちゃんが来たんだ」
「ええ、知っているわ。あの子はあなたの家を知っているからって」
「しぃの傘を持ってた……」
「無事なら別に構わないわ。あの子だって後になれば気づくでしょう、無意味なことをしているということに」
本当のところはでしょうねという納得の感情と、傘が無事であってほしいと不安な気持ちではあったが。
「プリント、渡された?」
「うん」
「良かったわね。あれ、課題のプリントだから頑張るべきだけど……調子が悪いなら無理しなくてもいいと思うわ」
「うん」
笑顔がない。それだけで元気がない、体調が悪いのだと考えることができる。
顔だって赤い、触れているおでこも熱い、いつもの彼女じゃない、こんな彼女を見たくない、いつも通りでいてほしい。
でもできない、流石にこれ以上は自分が決めたことを破れないから。
「その髪……」
「あ、邪魔だったから切ったのよ」
「なんで……?」
「いま言ったでしょう? 邪魔だったのよ」
「ボクはあの髪型のしぃが1番……」
1番、なにかしら。
いつの間にか美しい母のようにではなく、ただただ無頓着になって伸ばしていた髪。
長い状態の私しか知らないのであれば、誰だって私=長い髪という状況になるだろう。
けれどそんな適当なものを1番とか言われたって複雑な気持ちしか出てこないわけで。
「……とにかくしぃも拭きなよ」
「そうね、拭いてくるわ」
洗面所に移動し、鏡に手で触れる。
「ふふ、情けない顔」
素直になれ的なことを言ったのは私なのに、本当に矛盾ばかりで仕方ない。
ま、この後、きちんと送り届けて帰ってくればもう終わりだ。自分が決めたことを守ることができる。
「時雨、起きなさい」
「……ん、ごめん、頭が痛くて……」
「帰りましょう、また背負って運んであげるから」
だったら尚更、あんなところで立っているべきではなかったのに……なにをやっているのよこの子は。
「……ちゃんといてくれる?」
「え?」
なにを急に、私ならここにいるじゃない。
「色々な言い訳を作って距離作ろうとしない?」
「作ってって、その言い方じゃ私があなたを避けているみたいじゃない」
寧ろこの子は他の子を優先していた。
私が話しかけても友達を優先したときでさえあったのに、ちょっと似たような状況になれば文句を言ってくるなんて自分勝手だ。
「その通りでしょ? テスト勉強だって結局教えてくれなかったし……」
「もういいから今日は帰りなさい。ほら、行くわよ」
「嫌だ、ちゃんと答えてくれるまで帰らない」
「はぁ、どちらにしても学校には行かなければならないじゃない。同じクラスなのだし、距離だって遠くないでしょう?」
「そういうのじゃなくてっ」
「うるさい! いいから早くしなさい!」
大人しくなったタイミングを見計らって彼女を無理やり背負った。彼女も暴れれば自分が危ないと予測できたのか落ち着いたまま、なされるまま私に背負われている。
外に出てまずはあの別れ道にやって来た私はそこで足を止めた。
「で、どこなの家は」
「教えない」
「そう、ならここに置いていくわよ」
「別にいいよ。しぃのせいで余計に悪化してもいいのならね」
「あなたねえ、いい加減にしなさいよ!」
「うるさいのはしぃじゃん」
むかつく! なにがしたいのよもう……。
置いていくわけにもいかないし、さっき濡れたせいで体が冷えてるし、背中に感じる彼女は熱いしで、早く届けないと色々な意味で駄目になってしまう。
「うるさいですよ」
「あ、雫ちゃん! この子の家を教えてくれないかしら?」
「嫌です。私になんのメリットがあるんですか?」
「この子の体調が良くなったら優しくしてくれるわよ多分」
もう面倒くさいのよ、
この子も雫ちゃんも、家族以外の他の人間全て。
「ふむ、それはいいことですね……」
「ちょ、雫!?」
「時雨先輩を渡してください」
「ええ、いいわ――ぐっ! や、やめなさっ……」
このまま締め落とされるのか? いや、そのままされるがままの私ではない!
「せいっ!」
「ぐはぁ!?」
一本背負い。病人を地面に叩きつけるのは申し訳ないが生きなければならないのだ。
「な、なにもそこまでしなくても……また濡れちゃったし……」
「うるさいわよ。溝口雫、この子を責任をもって連れ帰りなさい。さようなら」
「待ってっ、服は?」
「もうあげるわ。関わりたくないの、さようなら」
あーあ……あれお気に入りだったのに。
どうして私もそんな服を彼女に着させたのかは分からないけれど。
「やってらんないわね」
その日は1日中、気分が最悪だった。
「ほんと、やってらんないわね……」
流石に翌日も無事に、とはならなかった。
既に両親も兄も家を出ており、平日の朝だというのに私は部屋のベッドに寝転んだまま。
「デメリットしかないわ、あの子たちといるのは」
やることがないし体調も悪いので寝て過ごすことを選択。兄からも「しっかり寝ておけよ! もし寝てなかったらしぃの嫌いなキノコフルパーティーを開くからな!」と言われてしまったわけだし。
寝て、寝て、水分補給して、寝て、寝て、寝て寝て寝て――18時を過ぎても寝、
「これ以上寝られるわけないでしょう!?」
「うひゃああ!?」
ドバっと立ち上がる。
そしたら変な叫び声と、柔らかいところもあれば硬いところもあるなにかが吹き飛んでいった。
「え? はぁ、どうして溝口雫がいるのよ」
「ど、どこかの誰かさんが馬鹿みたいに風邪を引いたみたいなので来ました!」
「悪かったわね馬鹿でっ!」
シーツをくしゃりと握りしめる。
どうせ馬鹿ですよ、結局情に流されて時雨を背負って帰った結果、自分への対応が送れてしまったわけだから。
「ちょ、叫ばないでください。風邪を引いているのに叫んだら調子が悪くなりますよ?」
「あなたのせいでしょう……あぁ、頭痛い……」
「時雨先輩なら暁さんとご飯を作っていますよ」
「もうやだ……家まで侵略されているじゃない」
一本背負いしたうえに「関わりたくないのよ」とまで言ったのに届いていなかったとは……。
「というかあなた、兄さんといつ関わりをもったの?」
「今日ですけど?」
「あっそう……もういいから帰りなさい」
口内が気持ち悪いし、顔も洗いたい。それになにより、時雨に気に入られたいがために煽ってくる雫といたくないんだ。
別にそれなら勝手にやってくれればいい、付き合っているとか仲がいいとかそういうのではないんだから。
「椎那さんっていっつもそうですよね! 他人と無自覚に距離作っちゃうみたいな? それで勝手に傷ついて、なにがしたいんですか!」
「……もう面倒くさいのよ、煩わしい人間関係に悩まされるのは。好きにしたらいいじゃない、あの子と仲良くしようとしたって誰も気にしないわよ」
あの子を気に入っている子、好きな子には敵視されるかもしれないけれどね。
「はぁ……それを直接ぶつけず逃げてしまう辺りが馬鹿ですよね」
「だから言っているでしょう? 馬鹿でもなんでも別にいいのよ。ただ、ひとつ言わせてもらうけど、その馬鹿に付きまとうあなたも馬鹿なんじゃないの? 溝口雫」
「それ」
「は?」
仮にも私の方が先輩なのによく指をさせるわね。
散々煽り散らかしてもくれたし、ここらでズバッと言っておくべきかしら。
「そのフルネームで呼ぶの格好いいと思っているんですか? 似合わないのでやめた方がいいと想いますよ」
「余計なお世話よ。私は他人にどう思われようが全く傷つかないもの」
なんてね、私には似合わないことだ。なにより無駄なことでしかない。無駄なことはしない、誰だってそうやって行動しているはず。
「そういうところがっ――」
「やっほー、お粥を作ってきたよー」
「はぁ……時雨、この子を連れ帰りなさい」
来たなら丁度いい。それとついでに時雨も帰ってほしかった。なんと言っても明日は休日、私だけ3連休を謳歌するのだ!
「とりあえずしぃはお粥を食べなさい!」
「真似するんじゃないわよ……」
が、当然聞く耳持たず、聞いてくれていたならこうして家にすらいないのだから私は馬鹿でしかない。
「いいからいいから! ふーっ、よしはい!」
「ちょっ、火傷す――」
あ、そもそもそんなに熱くはなかった。
それに美味しい、今日は初めて食べたからというのも大きいかもしれない。そして、恐らく兄が作ってくれたから落ち着くのだろう。
「ん……流石、兄さんが作ってくれたお粥ね」
「ちっっがーう! これ全部ボクが作ったんだからね!」
「「えっ、うそ!?」」
ある意味今日1番の驚きだった。
え、それなら私は彼女作のお粥を食べて落ち着いたということ? ……認めたくないっ、そんな事実は絶対に!
「なんでそこでそんなに驚くの!」
「いえ……だってあなたが作れるとは……」
「作れるよっ、帰りが遅いお母さんの代わりにいつも作ってるもん!」
偉い! 私は全く自炊できないタイプなので羨ましい。
「へえ。それはそうと、もう帰りなさい」
「なんでさ! 今日はもう泊まっていくからっ、雫もそうだよね!?」
「はいっ、当たり前ですよ!」
いよいよ賊になったのねこの子たち……。
悔しいっ、こんな子のお粥を食べて落ち着くなんて!
「あ、椎那さん」
「今度はなにっ!?」
次に面倒くさいことを言ったらたったきだす。
私にしかできないことをする。そうすればきっと分かってくれるはずなんだ。
「髪の毛勿体ないですよ!」
「え?」
「そうそうっ、長い髪のしぃが好きだったのにぃ!」
「好き……時雨が?」
「あと私も!」
「時雨はともかく溝口雫は嘘をつくんじゃないわよ」
わざわざ直接「微妙」と言ってくれたじゃない。
「あの髪の毛保存してないんですか?」
「あるわよ? 少しだけだけれど」
「ください! 私がしっかりと管理します!」
「え……気持ち悪いわ」
「うげぇぇぇ!?」
「待ってよっ、ボクも欲しいんだけど!?」
それに私は嫌われているようだし呪いの道具に使用されるかもしれない。
流石にこの歳で死ぬのはごめんだ。私は寿命を全うして死にたい。
ああもう無理……頭痛いしふらふらするし……。
「……もう帰ってっ、顔も見たくないっ」
「だって、雫はどうする?」
「うーん、これ以上ここにいると嫌われそうですけど」
「そうだね、それなら帰ろっか!」
「はい!」
嫌われそうって嫌いよ雫なんか!
兎にも角にもふたりは出ていった。
私は体調が悪いので再び寝ることにする。
「学校行きたくない……」
行ったら確実に面倒くさいふたりに絡まれるから。