ジ・オールドマン
模擬戦は、日を置いて繰り返した。
攻撃面では役に立ちそうもなかったが、索敵能力は伸ばせそうだった。それで三郎は、とにかく生き延びるすべだけを天愛羅に叩き込んだ。
新たな仕事が舞い込んできたのは、二月も終わりのころであった。
「なあ、ちょっと相談なんだが、試しに『お兄ちゃん』って呼んでみてくれないか」
冬の日の静かなニューオーダーの店内。
三郎の要求に、天愛羅は真顔になって「は?」と応じた。
「三郎さん、それセクハラですよ? いやパワハラかも」
「待てよ。一回でいいんだ。それで確認できる」
「なにを?」
「俺がお前のことを、妹に重ねてるんじゃないかってな。最近ちょっと疑問に思ってて。自分でも判断できないんだ」
すると天愛羅は、すっと身を引いた。
「いやいやいや、妹? 三郎さん、妹さんいたんすか?」
「むかしな。小学校にあがる前に死んじまったけど」
「やめてくださいよそういうの。なんかムゲに断ったらこっちが悪いみたいじゃないですか」
「いいだろ、減るもんじゃないし」
「精神がすり減るんです。三郎さん、顔だけはいいのに、ほかが壊滅的にアレなんだよなぁ……」
「だけ?」
すると、しなやかな足取りでキャサリンが来た。
「クソみたいな会話の最中失礼するわ。あなたたち、仕事しない?」
そして「よっこらショック死」と椅子へ腰をおろした。
三郎はすぐに顔をしかめた。
「なんであんたばっかり来るんだ? 木下さんは?」
「あら、知らないの? お父さまの容態が思わしくなくて、いま船に帰ってるのよ」
皿のカシューナッツを食いながら、平然とそんなことを言う。
もちろん三郎は知らない。
「聞いてないぞ」
「心配かけたくなかったんでしょ。それより、仕事受けなさいよ。孤独な少女のお相手をするだけの簡単なお仕事よ。三千円」
「びっくりするようなクソ仕事持ってきたな」
「依頼主はザ・ワンよ。動物園でパンダのぬいぐるみを買ってきて欲しいって」
「自分で買えって言っとけ」
「施設から出られないのよ。まあ断るならそれでもいいけど」
「通販があるだろ」
するとキャサリンは苦い笑みになって溜め息をついた。
「ホント鈍いわね。あの子、あなたに会いたいのよ。だから用事を作って呼び出そうとしてるの」
「それはつまり……俺と結婚する気でいるのか?」
「なんでそう極端なのよ。安心なさい。きっと話の合う友達としか思ってないから。けど、それさえ言い出しづらいんでしょ。まがりなりにも神の子なんだから」
「分かったよ。どんな額でも金は金だ」
「じゃあお願いね。かかった経費は現場で黒羽麗子が精算するわ。レシートなくさないようにね」
「ああ」
*
翌日、三郎はなぜか天愛羅と一緒に上野動物園へ来ていた。
「いやー、なんでこんな寒いんすかね……」
彼女は大きめのジャンパーを着ている。本気で寒いらしく、耳が赤い。
三郎は使い古したレザージャケットだ。雪国出身だけあって寒さには慣れている上、吹き付ける風は能力でなんとかできる。
「ムリについてこなくていいぞ」
「またまたぁ。ひとりで動物園とか哀しすぎるじゃないですか。あたしが一緒に行ってあげますから」
「……」
三郎、たまにひとりで来る。その行為が否定されてしまった。
料金はそう高くない。
ふたりで入っても千円ちょいだ。
まっすぐ売店へ寄ってもよかったのだが、ふたりは一通り見て回ることにした。
平日ではあるが、学生と思われる班や、老夫婦、あるいはひとり客など、いろいろいる。
「なんかデカい鳥いっぱいいますけど、どれも同じに見えちゃいますねぇ」
「そう言うな。動物の動きは参考になるぞ。常に自分の急所を守ってる。気を抜くのは、安全を確保できたときだけだ」
「檻の中なんだから、ずっと安全なんじゃないんすか?」
「隙間でガバガバだろ。ああいうのが脅威なんだよ」
「へぇ、そんなもんすかねぇ……。てかなんか、鳥のにおいヤバいんですけど」
三郎は、犬猫のみならず牛馬や野生動物に囲まれて育った。動物のにおいには慣れている。
一方、東京では、せいぜいカラスや野良猫くらいしか動物を見かけない。きっと天愛羅も似たような環境で育ったのだろう。
とはいえ、狭い通路の両脇を鳥に囲まれるということは、三郎の故郷でもなかったが。
*
ぬいぐるみを買い、黒羽の研究所へ向かった。
出迎えた麗子は苦い表情だ。
「わざわざ悪いわね。あの子、駄々こねちゃって」
「別にいい。これ、レシート」
「精算するから待ってて。彼女は奥にいるわ。ロックを外すから持っていってあげて」
まっしろいだけの部屋の中央に、赤い髪をしたワンピースの女の子が退屈そうな顔で腰をおろしていた。
ザ・ワンだ。しかし無気力そうにしているところを見ると、ただ暇を持て余した少女にしか見えない。
部屋中にアンチ・エーテルが照射されているらしく、三郎が足を踏み入れた瞬間、ちょっとした脱力感に襲われた。
「ほら、依頼の品だ」
投げ渡すと、ザ・ワンは不快そうに眉をひそめた。
「ひとつだけか?」
「ひとつでじゅうぶんだろ」
「勝手に決めるな。失敗したときのために、最低もうひとつは必要なのだ」
ぬいぐるみをふにふにしながら、彼女はそんなことを言った。
「なんだよ失敗って? なにに使う気なんだ?」
三郎がつっこむと、ザ・ワンはふっと不敵な笑みを浮かべた。
「儀式をする。この呪物に生命を与え、繁殖させるのだ」
「できるのか、そんなことが……」
「確証はない。しかし私は神の子。もし私に神が宿っているとしたら、生命を創造することも不可能ではあるまい」
「……」
とはいえ、部屋にはアンチ・エーテルが照射されている。能力は発動しないだろう。いや、そもそも、周囲が彼女を勝手に神の子と決めつけただけで、実際は巨人と妖精の子に過ぎない。破壊以外の才能はないはずである。
ザ・ワンは目を動かした。
「で、そちらの人間は誰だ? 初めて見る顔だ」
すると三郎が紹介するより先に、天愛羅が前へ出た。
「あ、あたし六原天愛羅! 三郎さんの遠い親戚なんだ! よろしくね、ワンちゃん!」
「ワン……ちゃん……」
唖然としている。
三郎も言葉を濁した。
「あー、えーと、まあ、そういうことだ。いま姉貴に言われて、面倒を見てるところでな。だが気にするな。すぐに引退していなくなる」
天愛羅から「ひどくね?」とつっこみが入ったが、当然スルーだ。
ザ・ワンはぬいぐるみを持ち上げ、あらゆる角度から観察し始めた。
「そうか。まあいい。神の前では、すべての人間が平等に無価値となる」
その無価値な人間に監禁され、金を払ってぬいぐるみを買ってきてもらっているのが神というわけだ。三郎はつい笑ってしまった。
「ずいぶんフカすもんだな。じゃあそのご立派な神さまに質問だ。ナンバーズ・ゼロの正体について教えてくれ」
「ゼロ? 私の前に誰かいるのか?」
「分からん。最近、そいつの話題で持ちきりでな」
「そうか。しかし悪いが、私はまだメンバーを全員把握していなくてな。番号と顔さえ一致していない状態だ」
この様子では、きっとゼロについてはなにも知らされていないことだろう。
三郎は溜め息をついた。
「じゅうぶんだ。そろそろ行くぜ」
「なに? そんなに忙しいのか?」
「いや、暇だ。そうじゃなかったらこんな仕事受けてない。だが、俺は仕事が終わったらビールを飲むって決めてるんだ。ここにはないだろ」
「ビールだな……。分かった」
いったいなにが分かったのかは不明だが、ザ・ワンは神妙な顔でうなずいた。
*
黒羽麗子に料金を精算してもらい、三郎はニューオーダーで金を受け取った。三千円。しかし店へ移動する電車代は自腹だから、まるまる収入となったわけではない。そしてその金もビールに消える。
テーブルにつくと、ふたりは同時に溜め息をついた。
「あれが噂のワンちゃんねぇ。ちょっと神秘的な雰囲気はあったけど、でもちっちゃな可愛い女の子でしたね」
「まあな。ただ、見た目で判断すると痛い目を見る」
前にザ・ワンと戦ったときは、三郎も危うく焼き殺されるところであった。あらゆる攻撃が黒い放射となって跳ね返ってくる。仮に切りつけても血液が槍のように飛び出してくるし、皮膚もすぐに再生する。勝利するためには、ひたすら攻めて消耗させるしかない。
天愛羅はコーラをすすり、それからじっと三郎を見つめてきた。
「んー、ところで、ちょっと思ったんすけど……」
「なんだ?」
「三郎さん、意外と面倒見いいのかもしれませんね。なんだかんだあたしのこと相手にしてくれるし。いや、なんかこの業界の人、お金が絡んでないと全然フレンドリーじゃないじゃないですか。けど三郎さんはそういうのとは違うっていうか……」
三郎にも自覚はある。そしてそれがなぜなのかも心当たりはある。
「そもそも、俺の周りにいたヤツらもそんなのばっかだったからな。きっと同じことをしたくなるもんなんだろ。姉貴とか、黒羽麗子とか、まあほかにもいろいろ」
「ありがと、お兄ちゃん。なぁーんて」
「……」
不意打ちだったこともあり、三郎は思わず固まってしまった。
天愛羅はにこにこと無邪気に笑っている。
これでハッキリした。天愛羅はあきらかに妹とは違う。重ねて見てもいない。かといって恋愛感情が芽生えているわけでもない。どちらかというと、近所のガキを一人前に育てているような気持ち。つまりは仲間だ。
「あ、真に受けないでくださいよ。あたし、別にそういうつもりじゃないですから」
「分かってる。それより、また模擬戦やるから準備しといてくれ。ただし大学はサボるなよ」
「春休みでぇーす」
「そうかよ。とにかく、せめて自分でバラした銃くらい、自分で直せるようにしとけよ」
すると天愛羅は抗議するように頬をふくらませた。
「だって三郎さんが教えてくれないから」
「仕方ないだろ、知らないんだから。そもそも直せないならバラすなよ」
「けど、お手入れしないといけないし……」
銃に関する勉強会は、しばしば有料で開催されている。そのとき講師をつとめるのはバーのマスターことドン・カルロス。いつもランキングのトップにいる爺さんだ。
ここで組合員が金を落とすと、それらはすべて彼の収入となる。弾薬費も、ビール代も、つまみ代も、アスレチックエリアの使用料も例外ではない。組合とはいうが、ほとんど彼の私企業のようなものであった。
素性は不明。
というより、バーのマスターがあのドン・カルロスであるという事実を、三郎も最近まで知らなかったくらいだ。古株のシルバーイーグルなら少しは詳しいかもしれないが。おそらくほとんどの組合員が知らないだろう。
しかしふと、三郎は思いついた。
彼なら、ナンバーズ・ゼロについてもなにか知っているのではなかろうか。仕事柄、情報にも敏感なはず。
カウンターの奥では、マスターが無言でグラスを磨いていた。
「なあ、ひとついいか?」
三郎の問いかけにも、ただうなずいて応じるだけ。バーテンダーの格好をしたひげの老人だ。
「あんた、ナンバーズに詳しいか? いまゼロの正体を追ってるんだが」
すると彼はにこりと微笑を浮かべ、静かにこう応じた。
「わたくしより、黒羽アヤメさまのほうがきっとよくご存知でしょう。あのかたもナンバーズでしたから」
盲点だった。
いまのサーティーンはさやか、その先代が麗子、そのさらに先代がアヤメだ。さすがに大正期のオリジナルメンバーではないが、かなりの古株だ。
なにより、いまアヤメは東京娑婆苦に身を寄せている。一連の騒動と無関係ではあるまい。金だってある。
「ありがとう、助かったぜ」
「お役に立ててなにより」
いつもカウンターで飲んでいる砂原が先にこのことに気づいてもおかしくなかった。が、質問しなかったのだろう。マスターは自分から話しかけるタイプでもない。
ともあれ、アヤメだ。
居場所もハッキリしている。
(続く)




