プラマイゼロ
一月某日、十一時八分。
旧議事堂前――。
雪はない。予報通りならば曇天のままだ。
凍てつくような白い空を、マスコミの空撮ヘリが数台、泳ぐように飛び回っている。
事前にリークしたおかげもあり、マスコミ各社はきちんと現場の撮影に来ていた。のみならず、どこから漏れたのか野次馬たちまでスマホを掲げてその瞬間を撮影しようとしている。
ただし囮の情報だ。彼らには別のビルへの爆破予告を通達してある。
もちろん全員が騙されたわけではないから、旧議事堂は無防備ではない。しかし目論見通り米軍は引っ込んだ。
十一時十二分、一発目の爆弾が起爆。
未使用のまま放置されていた官公庁のビルが、上部から崩落を開始した。それは濁流のように内側へ内側へとなだれ込み、砂の塔のようにあっけなく崩れ去った。
野次馬たちは撮影をするものが半分、逃げ出すものが半分といったところ。
三郎たちも逃げる野次馬にまぎれて走り出した。
とにかく寒い。
呼吸をするたび息がきらめく。
サイレンを響かせ、待機していたパトカーと消防車が出動を開始した。
三分後、二発目が起爆。
別のビルが倒壊を始めた。
ただの囮なのだから、ビルを崩落させる必要はなかったのだが、かなり派手にやることにしたらしい。なにせ十億の大仕事だ。ケチケチする理由はない。
さらに三分後、三発目が起爆。
これが本命。あらかじめ旧議事堂の内部に仕込んでおいた爆弾が、勢いよく炸裂。続いて黒い放射とともに建造物を内側から大破させた。
ザ・ワンのエネルギーが、周囲のあらゆるものを焼き尽くしたのだ。
警備にあたっていたものたちも、爆発の衝撃で大半がなぎ倒された。検非違使の姿は見えない。いるのは剣菱だけだ。
ともあれ、その剣菱が銃撃戦を仕掛けてきた。
三郎はゴーグルを装着し、トップスピードで駆けた。風を切る音を聞きながら距離を詰め、高く跳躍して剣菱の群れに突入。真空波で八つ裂きにした。一撃で五人をバラした。誰の手足だか分からないが、それぞれが好き勝手に宙を舞っている。
他の面々も来た。ドタドタとガニ股で突進する二本松ブラザーズ、金属バットを振り回す杉下、あるいはもう息切れしてヘロヘロのシルバーイーグル。
外から警察車両も駆けつけたのだが、敷地内へは入ってこなかった。なにせここは米軍の管理下である。許可なく立ち入ることができない。
クレーター状の爆心地から、赤い髪の少女が裸足で歩いてきた。やや憔悴しているが、超越的な顔立ちは相変わらずだった。
「やっと来たか。待ちかねたぞ、六原三郎」
「ヘリが到着するまで待て」
マスコミのヘリに紛れていた一機が、ゆっくりと下降してきた。操縦しているのはホリオカだ。
「みんな乗れ。撤収するぞ」
三郎が呼びかけるが、他の面々はまだ戦闘中だった。
「オラァ!」
二本松兄がマグロ包丁を振り回し、弟がトカレフで掩護していた。このふたりは、なかなかいいコンビなのかもしれない。
するとシルバーイーグルが銃撃戦のフリをしながら、まっさきにヘリに乗り込んできた。
「ったく、無茶苦茶だな。作戦もなにもあったもんじゃねぇ」
そんな老人を手で追い立て、杉下もヘリに入った。
「ほとんど戦闘ねーじゃねーかよ。っておい、なんでお前がいるんだ?」
杉下がぎょっとしたのもムリはない。座席には先客のマリーがいたのだ。まだ銃は構えていない。彼女の出番は、ヘリが飛んでからだ。
彼女は奥歯でクスリを噛みながら、不快そうに吐き捨てた。
「ウマそうな仕事だってのに、黙って見てるなんて悔しいじゃないの」
「今回は山分けだからな?」
「分かってるわよ!」
料金に不満はありそうだが、もし参加できなければ一円も稼ぐことはできないのだ。妥協したのであろう。
三郎もザ・ワンのケツを押し込み、続いてやってきた二本松兄弟も奥へ押し込んだ。
ヘリが上昇を始めると、三郎も内部に引っ込んだ。
地上から発砲があったが、マリーがスナイピングで黙らせた。
マスコミのヘリは近づいてはこなかった。おそらく撮影はしているのだろうが、絵さえ撮れればそれでいいわけである。追えば命の保証はない。
警視庁が無線でやかましく言ってきたが、これが検非違使案件であることをホリオカが告げると、それきりなにも言ってこなくなった。彼らも関わりたくないのだ。
*
ヘリはかなり高速で空を飛び、長野へ入った。
着地点は六原の里だ。
ほとんど廃村のようだが、一部のみ畑がある。そこを避けてヘリは着地した。
「ご苦労。大活躍だったようだな」
現地に待っていたのは検非違使だ。虎のマスクの源三のみならず、一班から三班まで勢揃いである。
先回りされていた。
マリーがドラグノフ手をかけそうになったのを、ホリオカが止めた。
「おや、検非違使の皆さん、お揃いで。ミーたちになにかご用?」
「ああ、ご用だとも。お前たちが誘拐したその人質にな」
これに反論したのはザ・ワン本人だ。
「ほう? 力づくでも連れ帰ると?」
「まだ懲りんのか? アンチ・エーテルを散布すれば、お前たちの能力などすぐに無効化できる。そうなればお前とて無事ではすまんぞ」
「……」
おそらくザ・ワン自信、この数日をアンチ・エーテルの檻の中で暮らしていたはず。これがハッタリでないことは重々承知しているのだろう。
代わりに応じたのはホリオカだ。
「お金はどうなるの?」
「お前、意外と厚かましいな。むしろこの場で殺処分されないだけありがたく思え」
「十億だよ?」
「知るか。苦情は依頼主に言え」
「あの爆弾、高かったのに……」
それは成功報酬から捻出するはずであった。もろもろの費用を差し引いたのち、三郎、二本松兄弟、シルバーイーグル、ホリオカ、杉下、マリーの七名で山分けする計算だった。
が、残されたのは費用だけ。赤字だ。
観念したザ・ワンが前へ出ようとしたので、三郎はその腕をつかんだ。
「待てよ。こいつをどこに連れて行く気だ?」
すると源三は露骨に顔をしかめた。
「お前、分かってて聞いてんのか? こんな物騒なガキ、そこらに置いとけるワケないだろ。専用の設備が必要なんだよ。だってのに、ついさっき、貴重な施設がひとつ爆破されちまった。あとは一箇所しか残ってない」
「先生のところか」
「ああ、そうだ。忌々しいことにな。予算がありゃ新たに建造するところだが、肝心の金が降りてこねぇ。どっかのバカがあちこちぶっ壊すもんでな」
そう言い捨て、源三は背を向けて行ってしまった。
ザ・ワンも肩をすくめ、あとに続いて連行された。部下たちも警戒しつつ、同じく撤収。
マリーが溜め息をついた。
「ウソでしょ? タダ働き? ダメだ、手が震えてきたわ。誰かクスリ持ってない? なんで星は来てないのよ……」
シマイにはプルプル震えだす始末。
三郎だって震えそうだ。かつてない額の仕事をこなしたはずだった。なのに、なぜか赤字。
ホリオカがキョロキョロし始めた。
「あのー、費用、みんなで出すよね? このヘリだってタダじゃないし……」
そうしないわけにもいくまい。もしここでひとりに押し付ければ、無用な遺恨を生むことになる。
遠方からそっと姉が近寄ってきた。
「お帰りなさい……ご飯……あるから……よかったら皆さんで……」
青白くぬめっとした幽霊のような風貌であるが、いまはその優しさが身に沁みた。
*
三郎の生家は、かなり大きな屋敷だ。六原の宗家である。集落の棟梁として、長らく住民を率いていた。
炊きたての白飯に、自家製のたくあん、それに豚汁が出された。三郎が来るというので、あらかじめ用意しておいてたのだろう。
マリーの手の震えも止まった。
「なんなのこれ。ムカつくくらいウマいわね」
「カナコもうまいと言っている」
杉下も幻聴を聞きながらうなずいた。
三郎は姉を手伝って、食事を配膳した。いちおう彼らは客だ。その程度の配慮は三郎にもある。
「サブちゃんも……食べなさい……」
「姉貴は?」
「もう済ませた……わ……」
「そうか。じゃあそうする」
以前あったわだかまりは、ウソのように消え去っていた。こうして話していると、本当に自分の姉なんだという感じがする。
居間では、ホリオカが箸を器用に使って食事をしていた。
「なあ、ホリオカさんよ、あんたどこの出身なんだ?」
三郎の問いに、彼は苦い笑みを浮かべた。
「ミー? ジャパンだよ」
「ジャパン……」
「ここだよ。日本。けど、親がどっちもガイジンじゃない? だからミーもガイジンっぽくしてるの。そうするとみんな納得するから」
「自分のことミーなんて言うガイジンいないだろ」
「いないけど、誰も気にしないよ」
金髪碧眼ではあるが、ただの日本人ということだ。
いろいろあってこうすることにしたのだろう。三郎はもう追求しないことにした。
そしてなにげなく料理に手を付けた瞬間、三郎はここが実家であることを強く実感した。幼少期の感覚がにわかに押し寄せてきたのだ。畳、ちゃぶ台、ふすま、柱、庭……。そういうものの配置が、記憶の中の景色とすべて一致した。
全員死んだ。しかし記憶の中には存在する。
妹の瑠璃子を思い出し、次になぜか天愛羅の顔が浮かんだ。
あのワガママさに辟易しつつも、どうしても見捨てることができなかったのは、そこに妹のおもかげを見たせいかもしれない。妹はかなり幼くて、まだ自分の意見さえ持たぬまま死んでしまったが。
姉が入ってくると、二本松兄が勢いよく立ち上がった。
「お、おお、お姉さんっ! おかわりをいただけませんでしょうかっ!」
「ええ……」
「すごくうまいですよっ! いやぁ、なんていうか、うん、うまいですっ!」
普段のカピバラ顔が、いまは知能の消失したカピバラ顔になっている。
一子はやや警戒したように食器を持っていった。二本松兄はその方向をずっと見つめている。
弟の虎次郎は苦笑いだ。
「兄貴、惚れたべ?」
「お、おま、バカ言うな、誰がそんな……。いやまあ美人なのは美人だけど。お料理がとってもお上手だから、それ伝えただけだべよ」
「分かった分かった」
たまに一子に惚れる男はいる。しかし長くは持たない。死骸を貪る姿を見れば、誰もがフェードアウトする。彼女の悪食は異常だった。道に動物の死骸が落ちていればとりあえず食うし、そのためにネコなどの鳥獣と縄張り争いもする。
*
検非違使案件では、基本的に逮捕されない。
警察と管轄が異なるためだ。
ただし、報復の対象となることはある。その場合でも、組合員への報復は禁じられている。標的となるのは依頼主だけ。
しかしナンバーズ・ゼロの正体は公になっていない。だから米軍も手を出せずにいた。
そしてそのゼロから、十億の成功報酬は支払われなかったが、かかった経費がなぜか補填された。つまり作戦の参加者は、赤字にならずに済んだのである。
ニューオーダーでは、その話で持ちきりだった。
正体不明だが金払いのいい依頼主。それがナンバーズ・ゼロの評価となった。もしまたなにか依頼を出せば、参加希望者が殺到することだろう。
三郎は天愛羅とテーブルを囲んでいた。
「いやー、すっごい騒ぎになってますね! 三郎さん、ニュースにバッチシ顔映ってましたよ!」
「顔ならもう何回も映ってる」
有名人というほどではなかったが、知る人ぞ知る人物ではあった。裏稼業をやる人間にとってはマイナスでしかないが。
ウイスキーグラスを片手に、砂原が近づいてきた。
「邪魔するぞ」
三郎が手で促すと、彼は椅子に腰をおろした。
「派手にやったな。アメリカは面子を潰されてカンカンだ」
「報復があると思うか?」
「さあな。したくとも、正体不明じゃあな。かといって、協定を破って組合員を狙うとも思えん。もしそうなれば、組合と米軍の全面戦争になる。政治問題に発展しかねん」
「じゃあずっと隠れてるつもりかもな、そのゼロってヤツは」
すると砂原はウイスキーを一口やり、こう応じた。
「そのことなんだがな。もしかすると、存在しないって可能性もあるぜ」
「はっ?」
「誰かが勝手にゼロを名乗って活動してる。いや、あくまでそんな噂があるってだけだ。仮にそうだとして、裏で暗躍してるヤツはいるわけだしな」
「心当たりはあるのか?」
この問いに、砂原はふっと笑った。
「いや、まったく。むしろそれを聞きに来たんだ」
「俺が知ってるくらいなら、そこらの連中だって知ってるはずだ。なんせ俺のとこに情報が来るのは、たいてい話が終わったあとだからな。蛇から買う場合は別だが」
「ゼロの資料を欲しがってたのは、東京娑婆苦とかいう宗教団体だったな? 裏の顔はブラックアウト。あんたのお姉さんも所属してた組織だ」
「姉貴はなにも知らないって言ってるぜ」
砂原はうなずいた。
「ナンバーズにはもうひとり、そこに所属してたのがいる。青村放哉だ。そいつに同じ質問をぶつけてみたが、やはりなにも知らないと返ってきた。春日とも面会して聞いてみたが、答えは同じだ」
「それはないだろ。春日ってのは、団体のトップなんだろ?」
「もちろんウソをついている可能性はある。だが、もう完全にやる気をなくしていてな。知ってることはなんでも喋るって感じだった。この件についてだけウソをついてるとは考えにくい。となると、連中がゼロについて知ったのはここ最近」
あるいは事実かもしれない。
最近だからこそ、ゼロの資料をとってくる仕事が舞い込んだのだ。彼らもゼロについて知りたがっている。
砂原は軽く笑みを浮かべ、ウイスキーをなめた。
「ま、すべては推測に過ぎん。なにか分かったら教えてくれ。こっちでも調べを進めておく」
「分かった」
そして彼は席を立ち、いつものカウンター席へ戻っていった。
金払いがいいとなると、ナインが絡んでいる可能性がある。彼が勝手にゼロを名乗っているのか、あるいはどこかに実在するゼロを支援しているのかは不明だが。思えばあの資料室には、ナイン以外の誰かもいた。もしかすると、そいつがゼロだったのかもしれない。
(続く)




