オルタナティヴ
「少しいいでしょうか」
弓子が目をつけたのは、ある組合員のテーブルだった。
ターゲットはふたりの若い女性。
ペギーとスジャータが特に会話もなく暇を潰していた。
「なに? 仕事?」
ペギーは相変わらずルートビアを飲んでいる。
普通、検非違使がやってくれば仕事の相談と決まっている。弓子は許可も得ず席へついた。
「リクルートです」
「だから、なんの仕事?」
「検非違使になりませんか?」
「えっ?」
面食らったらしく、ペギーは持ち上げたグラスを口につけることなくおろした。
いつもなら無反応のスジャータも、ぎょっとして二度見したほどだ。
「経歴は……ともかくとして、能力も性格も、だいぶ検非違使向きだと思いまして」
「冗談言わないで。それであんたの部下になれって?」
「いいえ。おふたりには独立した班として活動していただきます」
三班を新設することは決まっていた。だから彼女たちが入るとしても、いまと同じ独立チームとなる。
ペギーは困惑している。
「ええと、それはつまり……私たちが、政府の仕事をするってこと?」
「はい」
「このふたりで?」
「足りなければ増員を検討します」
するとペギーは、ようやく我に返った。
「待って。そうじゃない。たしか、日本人しか雇わないはずよね? 私はいいよ。日本人だし。けど、スジャータは……」
これにスジャータは無言。
彼女は暗殺者だ。かつて所属していた組織は使い勝手を考慮し、彼女の国籍をどこにも登録していなかった。無国籍なのである。
弓子はここぞとばかりに、しかし冷静に応じた。
「提供できますよ、日本国籍。もし必要であればね」
「……」
現在、スジャータは「存在しない」少女であるから、発見されれば不法滞在者となる。もちろん部屋を借りることもできない。
いまはいい。ペギーのマンションに同居している。しかしなにかあれば、必ず国籍が問題となるはずだ。
話を理解していないスジャータはともかく、ペギーはあきらかに迷っていた。彼女はルートビアを一口やり、小さく息を吐いた。
「ええと……ホントに? 日本の国籍を用意できるの?」
「はい」
「そう……。分かった。けどちょっと時間が欲しい。スジャータと話をさせて」
「構いませんよ」
「決まったら言うから。そしたらお願いね」
「はい」
完全に目論見通りだ。スジャータの国籍を交渉材料に使えば、ペギーは必ず乗ってくる。
席へ戻ると、犬吠崎が苦い笑みを浮かべていた。
「見てたぜ。なかなか検非違使が板についてきたじゃないか」
「いつも諸先輩方の背中を見ていますから」
「悪い先輩もいたもんだ」
犬吠崎は笑ったが、弓子はにこりともしなかった。気分を害したわけではない。そもそも談笑する気分ではなかった。
彼女は向きを変え、隣のテーブルで帰り支度をしている二班へ声をかけた。
「国籍、用意してもらえるんですよね?」
これには班長の宗司が応じた。
「いつでも。死亡した組合員の戸籍でよければ」
「ちゃんと女性ですよね?」
「もちろん。年齢は少し我慢してもらう必要があるけど」
この際、三十歳だろうが五十歳だろうが構わない。スジャータが日本人になれればいいのだ。
弓子は「ありがとうございます」と頭をさげ、また犬吠崎へ向き直った。
「犬吠埼さん、まだ帰りませんよね?」
「えっ? まあ特に用事はないぜ。師匠も帰っちまったし」
「車、出していただけませんか?」
弓子の言葉に、犬吠崎は目をパチクリさせた。
「く、車? どこ行くんだよ?」
「白鑞金さんの自宅へ」
「お見舞いにでも行こうってのか? オススメしないぜ。余計に気を遣わせるだけだ」
なにを勘違いしているのか、犬吠崎はへらへらと笑っている。
が、弓子の態度は冷淡だ。
「違います。行動を監視するんです」
「はあっ?」
「白鑞金さんが店を出た直後、例のフラッシュバムさんも出ていきました。ふたりは絶対に会っているはずです」
この時点で、二班はきな臭い話になると感じたのだろう。帰り支度をやめ、弓子たちの会話に耳を傾け始めた。
興奮しているのは犬吠崎だけだ。
「おいおい。それはナシだぜ。師匠を裏切ることになる。もっとこう、信頼関係ってものをだな……」
「信頼関係? その信頼関係を損ねているのはどっちです? 私たちに隠れてコソコソと……」
「だから、俺たちが知らなくていい情報ってことだろ」
「そうは思えません。前回の襲撃にしたって、剣菱が入ってくるってこと、ひとりだけ知ってましたよね? なのに私たちには教えてくれませんでした」
「いや、教えただろ」
「はい。巻き込まれてからですけど」
この手の情報は、事前に来なければ意味がない。
犬吠崎もまいった様子で頭を掻いた。
「きっと確証がなかったから、ああいう言い方になっただけだ。なにより、師匠だってあの件では被害者だ。ひとりだけトンズラこいたならともかく、一緒に巻き込まれただろ」
「事前に情報を共有してくれれば、もっとうまく対処できたと思います」
「そうかよ。勝手に言ってろ。俺はやらねぇからな」
そう一方的に告げ、犬吠崎は荷物を持って立ち上がった。そして静止する間もなく、彼は巨体を斜めに傾けて店を出ていってしまった。
弓子は眉をひそめたまま、そのドアを睨むのをやめない。
まったく理解できないのだ。
フラッシュバムはロシアとつながっている。そのフラッシュバムと仲良くしている白鑞金も、おそらくは利害関係を共有している。このまま行けば、検非違使の排除対象となる。ありし日の父のように。
だから弓子は、白鑞金の命を救おうとしている。なのに犬吠崎はちっとも協力的ではない。これでは犬吠崎が白鑞金を追い詰めているようなものだ。
ふと、二班も「お先に」と帰っていった。
残業は推奨されていない。上からも、仕事が終わったらすぐに帰れと命じられている。なのだが、弓子はいつまでも動けなかった。
このままではよくないことが起こる。
人間さえ操作できるヘッドギアを機構が開発し、アメリカとロシアが先を争って投資している。のみならず、日本を使って人体実験までしているのだ。処分対象とならないはずがなかった。
*
数日後、事件が起きた。
いや、起きたというより、事後に報告が来た。
また能力者が錯乱し、意味不明な言葉を叫びながら巣鴨駅前のロータリーを走り回っていたというのだ。今回、誰も人質にとられていない。凶器も手にしていない。男はただ走り回っていただけ。なのに、遠距離からの狙撃を受けて絶命。遺体は米軍が回収することとなった。
映像もネットに出回った。
その日、ニューオーダーに集まった職員たちは、この事態をただ聞かされた。出動するわけでもなく、調査するわけでもなく、テレビで流されたニュースに毛の生えたような情報しか与えられなかった。
三班が発足し、ペギーらが入庁するめでたい日だというのに。
課長の源三も渋い表情だ。
「あー、まあ、アレだ。この件については、のちほど命令があるかも分からんので、いちおう気に留めておいてくれ。それと三班についてだが、新人研修は倉敷に任せる。いろいろ教えてやってくれ」
「はい」
「では定例ミーティングを終える」
それだけ告げ、源三はどこかへ行ってしまった。
米軍が遺体を独占している以上、進展は見込めそうにない。白鑞金はまた席を立ってフラッシュバムのもとへ向かった。
「大変だねぇ」
ペギーがまるで他人事のような気楽さでつぶやいた。スジャータの国籍が手に入ったものだから、上機嫌なのであろう。
弓子は反論してもよかったが、あえて聞き流した。
「研修についてですが、おふたりには白鑞金さんを見張ってもらいます」
「へえ」
すると犬吠崎が立ち上がった。
「おい、倉敷くん。なに勝手なこと言ってるんだ。いますぐ撤回しろ」
「私は課長から研修を任されたんです。内容を決定する権限があります」
「こっちは先任として君のことを指導する義務がある。いまの言動は看過できない」
「苦情なら課長へお願いします」
「そういうことを言うか……」
さすがに反論できなくなったらしい。すでに課長の姿はない。ほかに弓子に命令できそうなのは班長の白鑞金くらいだが、彼も離れた場所にいる。いや、そもそも白鑞金には相談できない内容だ。もはや犬吠埼には手が出せなかった。
すると、隣のテーブルから椎名が口を挟んできた。
「折衷案がありますよ」
これに弓子も犬吠崎も同時に顔をしかめた。椎名の出してくる案は、およそ名案ではない。目的は達成できるが、たいてい代償として失うものが多い。
彼はこう続けた。
「白鑞金さんではなく、フラッシュバムを見張るんです。あるいはチャイカを追うとか」
聞いたことのない名だ。
弓子も首をひねった。
「チャイカ?」
「コードネームだよ。ロシア側の連絡員。黒羽製薬で技師をしてる」
「黒羽って……」
「こないだの廃工場で、学会とアメリカが取引するって話だったでしょ? それを横取りしようとしたのが彼女。で、慌てて剣菱が入ってきた。俺たちはそこに首を突っ込んじゃったわけ。アメリカとロシアのビジネスに、情弱の検非違使がわけも分からず参加しちゃった構図だね」
検非違使のインテリジェンス部門が脆弱なのは、もはやコモンセンスだった。それでもいまのところ被害が少ないのは、単に火力のおかげだ。
ペギーがふっと笑った。
「それで? 黒羽製薬に問い合わせたら会わせてくれるのかな?」
「ムリだろうね。接触を試みたら間違いなく警戒される。できるのはせいぜい盗聴や盗撮くらいかな」
「潜入ならスジャータが得意だよ」
「あまり踏み込まなくていい。いつどこで誰と会ってるのか、それが分かるだけでも十分だから」
椎名の提案を受けて、ペギーもどうするとばかりに弓子を見た。
たしかに白鑞金を見張るのは問題がある。かといってフラッシュバムも距離が近すぎる。ロシア側の連絡員をターゲットにするというのは、かなり現実的な案だった。
「分かりました。では三班のふたりには、チャイカの行動を監視してもらいます」
「オーケー。すぐ取り掛かる」
研修とはいうが、ペギーもスジャータも数々の現場をこなしてきたプロフェッショナルだ。いまさら弓子が教えるようなことはなにもない。職員としての勤務態度以外は。
ふたりが店を出ると、犬吠崎が盛大に溜め息をついた。
「知らんからな、どうなっても」
おそらく彼も、白鑞金の行く末がどうなるか分からず不安になっているのであろう。
しかし弓子は、率直に失望していた。
犬吠崎は目先の問題にとらわれており、事態の本質をつかめていない。これはちょっと白鑞金をかばったところで解決するような話ではないのだ。いっそ先手を打って追求し、自浄するしかない。さもなくば死ぬ。
弓子も引けない。
一杯おごると約束しておきながら、その前に処分されるなどあってはならない話だ。
(続く)




