その好奇心の代償
三班による監視は、なにかヒントでもつかめれば拾い物という期待度の低いものであった。が、初めての仕事で張り切りすぎたらしい。彼女たちは頼まれてもいない情報を持ち帰ってきた。
一週間後のことだ。
いつものように白鑞金が席を立つと、ペギーはテーブルの下を覗き始めた。盗聴器をチェックしているのだ。もちろん弓子たちはなにが起きたのか注目する。
するとペギーはチャーミングな笑みで応じた。
「ああ、違うの。あったらヤだなって思っただけ。大事な報告があるから」
「大事な報告?」
弓子は思わず眉をひそめた。
この時点では、様々な可能性が想定できた。白鑞金がチャイカと直接会っていたとすれば、処罰はまぬかれない。
ペギーはふところからUSBメモリを取り出し、椎名のノートパソコンに無断で突き刺した。
「動画があるでしょ。開いてみて」
「……」
椎名がファイルをクリックすると、映像が再生された。
真上から覗くような視点であった。どこかのオフィスであろう。
頭頂部しか見えないが、ふたりいるのが分かる。どちらも女性の声だ。
「それで、あなたの上司は? うちと正式に契約する気なのね?」
「もちろんです。しかし条件があると」
「言いなさい」
「それは、アメリカの撤退です。まだ見よう見まねではありますが、彼らの技術は確実に進歩しています。このまま放っておけば、すぐに自分たちで技術を手に入れてしまうのではと」
「知らないわよ、そんなこと。アメリカがどうするかは、アメリカが決めることだわ」
「ええ。ですから、そのための時間が欲しいと」
「なに悠長なこと言ってんの! うちの技術さえあれば、誰にでも共感能力を移植できるのよ? あとは機構の強制装置を使えば、誰でも自由自在に操れるじゃない。なにが不満なの? もたもたしてたら、アメリカに時間を与えるだけだわ。早くしなさい」
この言い回しで、検非違使の面々は画面内の人物が誰なのかハッキリと理解した。黒羽亜弥呼だ。相手はチャイカ。
おそらくこれは研究所内の映像であろう。
チャイカは流暢な日本語でこう応じた。
「あせらないでください。もう対処は進めていますから」
「対処って?」
「アメリカが旧国会議事堂を研究所として使っているのはご存知ですね? あそこは例の戦いの直後、飛躍的にエーテル濃度が高まっていますから。人体のエーテル濃度も飽和して、妖精化しやすくなっています」
「借金で首が回らなくなった人間を助けるフリして、強引に手術してるみたいね。深海まで吸わせて。あれでよく成功するものだわ。ま、失敗して死体になったところで、妖精花園の餌にすればいいだけだしね。それで? 議事堂をどうするの? まさか、おたくの軍隊でも入れる気?」
「いいえ。フラッシュバムに仕事を依頼しました。彼がすべてを爆破します。おそらくデータはバックアップされているでしょうが、貴重な研究材料はすべて破壊できます。正式な契約はその後ということで」
「分かった。できる限り早くして頂戴。こっちも危ない橋渡ってんだから」
映像はそこまでだった。
ペギーは得意顔だ。
「これでチャイカとフラッシュバムのつながりが見えたね。あのふたり、直接は会ってないみたいだけど。この映像が証拠になるよ。それに、黒羽亜弥呼。彼女もたぶん母親とグルだよ。これがロシアルートの全容ってところかな」
ここに白鑞金もつながる。先日の襲撃を見る限りでは、東アジア支部の残党も雇われている。
もちろん検非違使は、ロシアやアメリカを相手に戦うことはできない。その必要もない。やるべきことは、違法な取引を、そのつど潰すことだけ。
犬吠崎がうなった。
「それで……課長には報告するのか?」
「……」
無視したわけではない。これには誰も返事ができなかった。
もちろん報告するに決まっているし、それ以外の選択肢はない。ここで情報を握りつぶせば、それこそ問題だ。
犬吠崎も自分の言葉のおかしさに気づいたのか、バツが悪そうにこう訂正した。
「ああ、いや、だから……。いつ報告するのかって話で……」
完全に判断を誤っている。
弓子はひっぱたきたいのをこらえ、冷淡に応じた。
「犬吠埼さん、そろそろ目を覚ましてください」
「えっ?」
「このまま放っておいたら、白鑞金さんの身の安全も保証できなくなりますよ」
すると犬吠崎は顔色を変えたが、短く息を吐き、気持ちを落ち着けた。
「俺だって分かってる。けど、じゃあどうすればいいんだよ」
「本人に確かめましょう」
「なにを?」
「フラッシュバムさんとふたりで進めてる話の内容です。もしシロならそれでいいですし、逆にそうでないとしても……。白鑞金さんだって、自分が疑われてると分かれば早めに手を引くと思います。いえ、もう遅いくらいですが。この機を逃したら、あとはどうなるか分かりませんよ」
「……」
反論はなかった。
彼もきっと分かっているのだ。ほかに方法がないことを。
ふと、白鑞金が戻ってきた。いつものように青白い顔で、ゆらゆらしている。
「なに? どうかしたの? 揉めてるみたいだけど。金の話でなければ相談に乗るよ?」
しかし犬吠崎は憔悴した顔で、なにも言えなくなっていた。
代わりに、弓子はノートパソコンを操作し、映像を再生して見せた。
「これ、黒羽亜弥呼さんと、ロシアの連絡員の会話です」
「へぇ、すごい。どうやって手に入れたの? ああ、こっちはチャイカだね。バッチリ撮れてるじゃないの」
あまりにいつも通りだから、わざとやっているのか素なのか態度からは読めない。
弓子はさらに問い詰めた。
「フラッシュバムさん、ロシア側とつながってるらしいですね」
「そうだね。もちろん知ってるよ」
「知ってる? では白鑞金さんは、そのフラッシュバムさんとなんの話を……」
まったく反論してこないから、弓子も次第に怖くなってきた。
白鑞金はすべて分かった上でとぼけているのではないかと。
「なんの話かはいまは言えないな。ただ、すぐに分かるよ。心配しなくていい」
「あの……危ない話ではないと?」
「うーん、業界の話だからまったく危なくないってことはないけど、まあよくある話だと思うよ。それより、この映像は課長に見せた? もしまだならすぐに見せたほうがいいよ。きっと喜ぶからさ」
痩せ細った顔に笑みを浮かべ、白鑞金は新聞を持って席を離れた。これからどこかへ外出する気らしい。フラッシュバムはとっくにいなくなっている。
しばらくすると、誰からともなく溜め息が出た。
犬吠崎もテーブルに突っ伏さんばかりだ。
「ほら見ろ、問題なかったじゃないか」
「まだそうと決まったわけではありません」
「いいや、決まってるね。君もあの様子見ただろ? クロだったらあんなに堂々としてないぜ?」
犬吠崎はどこまでもお人好しだ。
弓子はもう真面目に取り合わない。
「それ、本気で言ってます? 犬吠埼さん、白鑞金さんと長いんですよね?」
すると犬吠崎もさすがに機嫌を損ねた。
「長いよ。十年以上だ。君よりよく知ってる……」
*
だが結論から言えば、弓子の行動は一足遅かった。いや、どれだけ早く仕掛けても結論は同じだったかもしれない。
九月も末、やや肌寒さの感じられる中、一班の三名は輸送車の後部座席に揺られていた。
小窓からは雲に覆われた白い空が見えるのみ。
息詰まるような閉塞感だ。
どことなく諦めたような顔の白鑞金。そしてずっと眉間にしわを刻んでいる犬吠埼。状況に詳しくない弓子にも、これが普通の仕事でないことは理解できた。
目的地は大田区のアパート。
そこにはフラッシュバムが住んでいる。
上層部から下された命令は、フラッシュバムの殺処分。
やがて停車し、弓子たちが降りようとすると、白鑞金に呼び止められた。
「待った。座って。これから話をする」
「……」
犬吠崎は怒ったような顔のまま、返事さえしない。弓子もおとなしく従った。
今日の白鑞金はタバコに手を付けなかった。
「もう知ってると思うけど、あいつと俺は大学の同期でね。だいぶ長い付き合いになる。二十……何年だったかな。えーと、まあ、細かいことはいいや。それでね、相談なんだけど……いや相談じゃなくて班長命令ってことにしとくか。あいつは俺がカタをつけたいと思ってるから、君たちにはここでお留守番してて欲しいんだな」
「師匠ッ!」
「なに? なんなの? いきなり大声出して。びっくりするじゃないの」
だが犬吠崎は止まらなかった。
「教えてくださいよ! なんでこんなことになっちまったんですか!」
「なんでって、上からの命令でしょ?」
「ごまかさないでください! そんな義理ないでしょう? なんでロシアなんかに手を貸すんです? 金が必要なら、言ってくれれば俺が集めてきますから!」
まだ戦闘が始まってもいないのに、犬吠崎は駄々っ子のように食い下がった。
白鑞金も困った表情だ。
「いやぁ、金の話じゃないんだな。ロシアに興味があるわけでもないし」
「じゃあなんで?」
すると白鑞金はふっと笑った。
「技術だよ。俺、こう見えても技術の発展に興味があってね。今回、いろんなところがいろんな技術を研究してるの見て、楽しくなっちゃってさ」
「ふざけないでください!」
「いや、ふざけてないよ。ちょっとはふざけてるけど。でもホントだから。これが真相。俺の知的好奇心。それだけ。いいじゃないの別に。俺だって競馬以外に趣味あるんだよ。ま、最後まで見られないのは残念だけど」
この不穏な言葉に、弓子も思わず食いついた。
「なんです、最後って……」
「いやいや、ちょっとした言葉のアヤだよ。もういい? そろそろ行かないと怒られちゃうからさ。ふたりはここで待っててね? 迷子になられると困るからさ」
*
かくして白鑞金は、ひとりで後部座席を出た。
残された犬吠埼は、巨体を丸めて頭を抱えていた。世界が終わったような顔をしている。
「あの、犬吠埼さん、白鑞金さんはいったい……」
「……」
返事がない。
どう考えても、二度と帰ってこない人間の態度だった。
いや、白鑞金がひとりで言っているだけならまだ冗談の可能性もあったろう。しかし犬吠埼のこの深刻さは演技ではない。
やがて、ドーンと雷の落ちたような音がして、輸送車が斜めにかしいだ。とんでもない大爆発だ。一発。それも、さほど遠くない場所で。
しばし、弓子は小窓を見つめたまま、状況を推測してみた。いや、推測する必要さえなかった。
遠方からサイレンの音が近づいてくると、犬吠崎は運転席へ告げた。
「仕事は終わりだ。出してくれ」
すると本当に、車はゆっくりと発進し始めた。
弓子はまだ状況を受け入れていない。
「待ってください。白鑞金さん、まだ帰ってきてないんですよ」
「……」
「さっきのアレ、なんなんです? 犬吠埼さん、なにか知ってるんですか?」
「分かるだろ。爆発したんだ」
「罠だったんですか?」
この問いに、犬吠崎は鼻で笑った。
「罠? そうかもな。あの爆弾魔、自分の体に爆弾仕込んでやがるんだから。手を出せばこうなる。そんなの分かりきってたはずなのに。わざわざナイフなんかで……クソ……」
「……」
弓子は、思い出したくもない記憶の波に襲われた。
喪失、喪失、喪失――。
死んだ人間は二度と生き返らない。だから死んではいけないのだ。特に、誰かが帰りを望んでいる場合には。
すべての命が、遠ざかってゆく。
そして顔も思い出せなくなる。
そのたびに、弓子の中の人間性らしきものが消失してゆく。命が重さを失う。生命に、意味というものが感じられなくなってくる。
(続く)




