プロローグ
森の木に片手をつく。
もう足が動かない……
疲労のためか、それとも血を流しすぎたせいか。
石斧で切り裂かれたワキ腹には包帯を縛り付けてあったが、血が止まる様子はなかった。
(完全に失敗した……)
子供が病気で死にかけているという、親からの依頼。
特効薬となる薬草の採取に来たのだが、去年ならば、森の浅い場所で見つかったはずのその薬草が見つからず、つい森に深入りしてしまった。
そこで魔物の集団に襲われたのだ。
(やつらを殺せたのは良かったが、このままじゃ血の臭いをかぎつけた他の魔物どもがやってくるな……)
できるだけ、森の浅い場所へ行きたい。
そこならば、手負いの俺でも戦えるレベルの魔物しか出ないはずだ。
幸いにも、薬草はもう見つけていた。
無事に町へ帰れれば、俺は自分と幼い子、二つの命を救うことができる。
意を決し、一歩を踏み出すが……
(ダメか!)
ドサリと音を立てて、倒れる体。
思ったより、怪我がひどかったようだ。
足に力が入らず、右肩から地面に転んでしまう。
「た……立たなくては……」
力なく漏れる、自分の声。
しかし、その意思に反して、だんだんと意識も遠くなっていく……
「大丈夫?」
その時、声がかけられた。
ぴたぴたと暖かい手で頬を触れられる感触。
うっすらと目を開けると、そこには女の子の姿が。
背中まであるシルバーブロンドの髪に、青い瞳。八歳か九歳ぐらいだろうか?
ここは魔物がいる森の中だ。
なんで、こんなところに小さな女の子が……
「おっ……」
ボーっとした頭で、ここは危ないと伝えようとしたのだが、うめき声しか出なかった。
首をかしげた彼女。ポケットをごそごそと探ると、赤い葉っぱを何枚か取り出した。
「レドヒール草だよ。食べると元気になる」
上級回復薬などの原材料になる葉っぱだ。非常に貴重なものだが、食べるだけでじょじょに傷を治してくれる。
「はい」
彼女が、それを口に放り込んでくれた。
俺はそれを噛もうとするのだが……、咀嚼できない。力が入らず、顎がうまく動かなかった。
その様子を静かにながめていた彼女。
ひとつうなずくと、俺の口に手を伸ばし、口の中の葉っぱをつまみ出した。
彼女は、その葉っぱを、ひょいと彼女自身の口に放り込む。
くちゃくちゃと、葉っぱが咀嚼される音。
彼女は、自分の口に入っていたそれを取り出すと、再び俺の口の中へと放り込んだ。
「これで、呑み込める?」
よく噛まれ、粉砕された葉っぱは、彼女の唾液が潤滑剤になっていたこともあり、簡単に呑み込むことができた。
「大丈夫そうだね」
新しい、赤い葉をポケットから取り出した彼女。
同じように自分の口で咀嚼し、俺の口の中に放り込んでくれた。
「あ……ありがとう……」
葉っぱの不思議な力で少し傷が回復したのだろう。声を出すことができた。
俺の言葉に少し微笑んだ彼女は、三枚目の赤い葉を取り出し、噛み砕くと、それをまた食べさせてくれる。
「手持ちのレドヒール草が、もうないんだけど……、私の家に来れば、新しい葉っぱを採取できる。歩けそう?」
体を動かすと、どうやら問題なさそうだ。
よろよろとだが、立つことができた。
中途半端に回復したことで、麻痺していた痛みが今さらながらに感じられるようになっていたが……
「こっち」
彼女に手を引かれ、森の中を進む。
「ここは……?」
木々の間から、石で作られた建物のようなものが見えてきた。
砦……いや、城か? 建物の一部が崩れていて廃墟のようではあったが、どこか優美さを感じるデザインが、俺にそんな感想を抱かせた。
「私のおうちだよ。レドヒール草は中庭にあるから、来て」
手を引かれるまま、開いていた扉をくぐり、その小さな城の中に入る。
「ここだよ」
城内を通り、木の扉を開いた先、そこには花園があった。
「薬草園だよ……。たしかレドヒール草は、ここに……」
陽光の中、彼女が歩みを進める。
「……あった!」
にっこりと笑った彼女が、数枚の赤い葉を摘む。
そして、それらを自分の口に放り込むとクニュクニュと咀嚼し、その咀嚼された葉っぱ達を俺に差し出す。
「はい! これで食べられるでしょ!」
……もう自分の力だけで食べることはできそうだったが、貴重な薬草だし、呑み込みやすいようにと葉っぱを噛み砕いてくれた彼女の気持ちを断わるのも失礼に思えた。
「……うん……ありがとう」
俺は、その葉っぱをもらい、傷を回復させたのだ。