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第五話 委員会の調査

 矢川蓮の能力でもっとも特筆すべき点は、磨き抜かれた技でも、悪魔的な知略でも無い。

 とある出来事がきっかけで、脳内物質の調整ができるようになり、生活の中でその能力を伸ばしていったことである。

 入徳館高校のシステムは、決して異常を見逃さない。

 敷地の最果てにある柔道場。放課後。

 柔道場は奇妙な平穏に包まれていた。

 高嶺悠真がソファでスマホゲームに興じ、吉海玲奈が持ち込んだ高級マカロンを頬張りながら、七瀬柚葉に楽しげに話しかけている。

 道場の中央では、主将の蔵前が黙々と受け身や回転運動を繰り返し、矢川はタブレットに付属したキーボードに叩いていた。

 その平穏は、唐突に破られた。

 ガラッ! と、立て付けの悪い引き戸が勢いよく開け放たれる。

「……随分と、優雅な部活動をしているようだな」

 冷ややかな声とともに道場に踏み込んできたのは、三人の生徒だった。

 先頭に立つのは、銀縁の眼鏡をかけ、神経質そうに目を細めた二年生。腕には監査・予算委員会の腕章が光っている。

「監査・予算委員会、第二室長の影山かげやまだ。…柔道部、現在時刻をもって不当な活動実態による緊急査察を執行する」

 影山の背後に控える二人の委員が、手元のタブレットで道場内の様子を次々と撮影し始めた。レザーソファ、本棚、お茶のセット。どれも柔道という本来の目的からは著しく逸脱した備品だ。

「おいおい、ノックくらいしろよ。マナー違反だろ?」

 高嶺がソファから身を起こし、面倒くさそうに頭を掻く。

「黙りたまえ。生徒会から下りた復興支援金を、このような私的な遊興に流用するとは言語道断だ。これは明確なTOKトークの不正受給に当たる」

 影山は冷徹に言い放ち、矢川を睨みつけた。

「一年生の矢川蓮。君が実質的にここを仕切っていると聞いている。……君たち柔道部は本日をもって廃部。備品はすべて没収し、不正受給したTOKは全額、ペナルティを上乗せして返還してもらう。払えなければ、当然負債になり退学の要件になるがね」

 玲奈がマカロンを食べる手を止め、七瀬が不安そうに矢川を見た。

 蔵前が静かに立ち上がり、威圧感を放とうとするが、矢川はそれを手で制した。

「……監査・予算委員会の影山先輩、ですね」

 矢川はタブレットのモニターから視線を外し、ゆっくりと立ち上がった。

(……ノルアドレナリンを基準値に固定。相手の威圧によるストレス反応を完全に遮断。思考のクロック数を引き上げる)

「査察ご苦労様です。ですが、先輩は根本的な勘違いをされている。ここは遊戯施設などではなく、最新のトレーニングルームです」

「詭弁だな。どう見ても柔道の稽古をしている環境ではない」

 影山が鼻で笑う。

「先輩のスポーツ観は少し古いようだ。現代の競技において、肉体の鍛錬と同等、あるいはそれ以上に重要なのがメンタル・キャピタルの管理です。ソファでのリラクゼーション、糖分の摂取、そして読書による集中力の向上。これらはすべて、試合における極限状態のストレスに向き合うための高度精神調整訓練の一環です」

「屁理屈を……! そんなものが学校の監査を通ると思っているのか!」

 影山が声を荒らげ、タブレットを突きつけた。

「学校が評価するのは数値化された成果のみだ! 君たちがここで茶を飲んで、一体どれだけの利益を学校に還元したというんだ!」

 矢川は薄く笑った。

 その笑みは、罠にかかった獲物を見る猟師のそれだった。

「……成果なら、すでに出ていますよ」

 矢川は手元のキーボードを叩き、道場の大型モニターに一つのグラフを映し出した。

「なっ……これは……」

 影山の目が驚愕に見開かれる。

 モニターに表示されていたのは、ここ数日間に柔道部を訪れた見学者や相談者。主にシステムに疲弊し、矢川たちに救済を求めてきた下層の生徒たちの、TOK残高の推移だった。

「彼らはここで精神調整を行った結果、翌日からの授業態度や小テストの成績が劇的に向上し、平均して約15%のTOK獲得率アップを達成しています。そして、その向上の要因として、学校の管理システムに柔道部でのコンサルティングを紐づけて申告させてあります」

 矢川は、影山の目の前まで歩み寄った。

 感情を完全に排した氷のような瞳が、影山の銀縁眼鏡を射抜く。

「入徳館のアルゴリズムは冷酷ですが、同時に絶対的に公平だ。……学校全体のTOK流動性をこれだけ高めている優良な部活動を、個人的な主観で私的流用と決めつけ、潰そうとする。……それは監査委員会として、学校に対する明らかな背任行為ではないですか?」

「ぐっ……」

 影山が言葉に詰まり、一歩後ずさる。システムを盾にしてきた彼が、逆にシステムの論理で殴りつけられた瞬間だった。

「あ、そうだ! ついでに言うとねー!」

 ソファから玲奈が元気よく手を挙げた。

「影山先輩って、二年生の特進クラスの人たちから、内緒で監査情報の横流しして、お小遣い稼ぎしてるって噂、女子のグループチャットでめっちゃ回ってるよ! 証拠のスクショもあるけど、見る?」

「なっ……!? き、貴様ら……!」

 影山の顔が真っ青になった。矢川の正論と、玲奈のゴシップ(情報戦)による挟み撃ち。

「これ以上、我々の部活動を邪魔するというなら、こちらも委員会の上層部にそれなりの報告書を提出せざるを得ません」

 矢川が静かにトドメを刺す。

「……お引き取りを。ここは、あなたのような人間が土足で踏み入っていい場所ではない」

 影山は屈辱に唇を噛み締めながら、「……覚えていろ」と捨て台詞を吐き、取り巻きを引き連れて逃げるように道場を後にした。

 静寂が戻った柔道場。

「ぷっ……あはははは! 見た、あの顔! レンレンの理詰めとあたしのコンボ、最強じゃん!」

 玲奈がクッションを抱えて大笑いする。

「おいおい、お前ら本当に容赦ねえな……」

 高嶺が呆れ半分、感心半分の顔で息を吐いた。

「矢川くん、玲奈ちゃんの言ってた噂って……本当なの?」

 七瀬が少し心配そうに尋ねる。

「真偽は関係ない」矢川はタブレットを閉じながら答えた。「彼が知られたくないと動揺した事実があれば、抑止力として十分機能する。……だが、これで委員会に完全に目をつけられたな」

「上等だ。俺たちのシマは、俺たちで守るしかねえだろ」

 蔵前が頼もしく腕を組んで頷いた。

 矢川は小さく息を吐き、静かに窓の外を見た。

(……この局面は守れた。だが、学校の運営側は次に、もっと強力な刺客を送り込んでくるはずだ)

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